29話 行き倒れ踏んじゃった
梅雨入り間近、空は今日も曇りで今にも雨が降ってきそうだった。
雨が降れば水溜りが出来て、馬車が通る度に泥水が撥ねて店先が汚れてしまうから梅雨入り前には入念に店先を綺麗にしないといけない、だから今日もバケツを持って外へ出たんだけと……何で行き倒れた人が目の前にいるんだろう。
隣にいるリーリエさんも固まっている。
さっき皆を見送った時にはいなかったからあの後にここまで来て行き倒れたみたいだけど、誰だろうこの人?それ以前に何で行き倒れているんだろう。
「……はっ!?誰だてめぇ!」
正気に戻ったリーリエさんが行き倒れている人に怒鳴るけど反応はない、死んでいるのかと思って近くにあった棒切れで顔を突っついてみると反応はしたから生きているみたいだ、さてどうしたらいいだろうか。
「大丈夫…ではないですね、何で倒れているんですか?」
ボクが声を掛けると行き倒れている人は振り絞る様に答える。
「2しゅ…うかん…何も口に入れていない…残飯でもいい、これで何か……」
顔を上げた行き倒れの男は、泥だらけの上に髭も伸びしっ放しで顔はよくわからなかった、そして差し出されたのは50ソルドでこの街の物価ではパン一つ買えない金額だった。
腰には剣が下げているからこうなる前に「食べ物を置いてけ!」をすれば飢えなかった筈なのにそれをせずに、たったの50ソルドとはいえお金を払おうとしている。
悪人じゃないと思う、それにここで見捨てたらきっとボクは後悔すると思う。
うん、助けよう。
「リーリエさん、手伝ってください」
「はあ!?……仕方ねぇか、おいお前!マリアに感謝しろよ」
渋々とリーリエさんは行き倒れた男に肩を貸して椅子に座らせる、ボクはその間にお店で出しているレモン水をコップに入れて差し出すと、勢いよく飲み干して少し咽てしまう。
「落ち着いて飲んでください!何日も飲まず食わずだったのに、いきなり一気飲みしたら体を壊しますよ」
「す、すまない……」
コップに水を注ぎ足してボクは厨房に移動する、その間もリーリエさんは男の近くで何かしようとすれば、すぐに動ける様に警戒している。
さてと要求通りに残飯を出すというのは人として最低だしボクのプライドが許さない、でもだからと言って勝手にお店の商品を出すわけにはいかないから今日のボクのお昼ご飯から出す事にしよう。
でもその前に何日も食べていないのなら最初は消化の良い物で胃を軽く動かしてもらわないと、歴史の授業で飢餓状態の人が急にご飯を食べて死んでしまった話がある、確かインスリンが急に増える事が原因で起こる、なんたら症候群を引き起こすらしい。
なのでボクが前、ギルガメッシュ商会で興味本位で買った新商品のオートミールを使ったポリッジ、つまり麦粥を作る。
オートミールは以前貰った商品券の残りを使い切る為にノートを買った際、新商品として売られていて興味本位で買った物だからボクの私物だ、なのでこれを和風、またの名を異世界風の味付けでポリッジを作ろう。
鍋に作り溜めしている合せ出汁を鍋に注いで火に掛けて、沸騰したらオートミールを入れて20、30分煮込み塩と砂糖で味付けをするんだけど味付けは薄くしておく、確かこういう時に濃い味付けは体に悪いと料理の本に書いてあったからだ。
これで……もうひと手間加えよう。
溶き卵を流して完成、異世界風溶き卵のポリッジだ。
「リーリエさん、お願いします」
「はぁ……分かったよ」
リーリエさんは呆れている、まあ当然だ。
所詮これは偽善で自己満足だ、ただボクが見捨てたくないという気持ちだけで動いているんだから、呆れられて当然だ。
「ほらよ、まずはこれ食え、空きっ腹で食ったら腹壊すからな。ゆっくり食えよ」
「お心遣い、痛み入る」
リーリエさんにポリッジを渡された男はゆっくりとスプーンで掬って咀嚼して行く、うんこれなら少し重い料理を出しても平気そうだ。
さてお店で使う物は駄目だから昼食を使おう、だとするとハンバーグかな。
ボクは冷蔵庫に入れてある昼食用のハンバーグからボクの分を二つほど取り出す。
女将さん達が帰ってくる前に全部終わらせないといけないから、ソースはケチャップとウスターソースを混ぜた物にしよう。
ソースはハンバーグを焼いた後に残る肉汁にケチャップとウスターソースを加えて混ぜながら温めてハンバーグにかけるだけ、簡単だけど深い味わいのソースが出来る。
温野菜は用意できないけどキャベツを適当な大きさに千切って、朝作ったドレッシングをかけて完成だ、あとボクのお昼ご飯からバターロールを二つ添えるのも忘れない。
「はい、出来ました。落ち着いて食べてくださいね」
「これは…すまない、本当に感謝する」
男は最初はゆっくりと食べ始めたけど途中から夢中で食べ始めた、二週間も飲まず食わずでいたんだから仕方がない、でも前もってポリッジを食べてもらったからなんちゃら症候群は起きないと思う。
お皿に残ったソースはパンに付けてまで食べて、お皿が真っ白になるまで残さず食べて、ようやく男の手が止まる、最初に会った時はまるで幽霊みたいな顔だったけど今は生気が戻って目付きもさっきまでの必死さはない。
「すまない、本当に心遣い感謝する」
深く頭を下げて男は腰に下げていた剣を外してボクに渡そうとする。
「これはせめてもの礼の―――」
「いりません」
なので突き返す、ボクはお礼がして欲しくて助けたんじゃないからだ。
ただの自己満足、見捨てたという後悔をしたくないから、ただ自分が人を助けと言う気持ちに浸りたいだけの偽善だ、誰にでも誰にだって同じ事をする訳じゃない。
「お代はもう貰っています、なのでお代以上は受け取る事は出来ません」
きっぱりと断ると男は困惑する、それ以前に剣を貰っても困る。
だってボクはメイドだよ、剣を腰にぶら下げるメイドなんて聞いた事がない。
「しかしそれで―――」
「しかしもヘチマもありません、ボクは感謝して欲しくて助けた訳じゃないありません、ただの自己満足で貴方を助けたんです。なので受け取れません!」
意地でもボクに剣を渡そうとするから勢いよく突き返す、それに営業時間前に勝手にお代貰って料理を作ったのに、そこに剣まで貰ったとなると女将さんが絶対に怒る、烈火の如く怒る。
「はぁ……仕方ないですね、でしたら次はお客さんとして来てください」
「それで、いいのか?」
「はい、それでいいです」
ボクがそう言うと男は何度も頭を下げながら帰って行った。
数日後、男はお店にやって来た。
新しいアーカム支店の店主と殺されたと思われていた人が生きていた事で執行猶予となり帰って来たフランシスさんと一緒にだ。
そうあの時の行き倒れの男はボッシュによって謀殺された筈の人だったのだ。
名前はラインハルト・シュヴァルツレオンさん。
確かに前店主の刺客に襲撃されたけど生き延びていた。
なら何でもっと早く現れなかったのかと言うと、道に迷い立ち寄った村々を魔物から守りつつ、さらに道に迷っていたからだ。
そしてやっとの思いでアーカムに辿り着いて行き倒れた。
あの後、アーカム支店に顔を出したら死んだと思っていた人が生きていた大騒ぎになり、アーカム支店の人達は急いで警邏官に生きていた事をを伝えて、フランシスさんは減刑されて執行猶予になり、副店主となってアーカムに戻って来た。
今では新しい店主さんを含めて三人揃って淑女の酒宴の常連客になっている。
本当に、最近は予想外な事が多発し過ぎて身が持たないよ。
結局、女将さんにバレて怒られてしまったし……。
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