21②-⑤:Iris Laevigata
「そっちの方も一件落着みたいだな」
「あ、テス」
呼びかけられたアンリは、レスターの手を離し、振り返る。
「良かったな、アンリ。これからもセシルと良い友達でいてやってくれ、俺からも頼む。こいつ、顔は広いくせに、心を許せるような友達はほとんどいないからさ」
「悪かったな。友達が少ないのはお前に似たんだよ」
セシルは、テスを恨みがましげに睨んだ。テスは、しれっと目線を逸らし、アンリの周囲に広げられた医療道具に目をやった。
「お前、やたら重そうなリュックを背負ってるなと思ってたんだけど、医療道具を入れていたのか」
「話を逸らすな」とキレるセシルを無視し続け、テスはアンリに言う。
「うん。医療道具は、いつも肌身離さず持ち歩くようにしているんだ。いつもは肩掛け鞄に入れているんだけど、今回は王妃との戦いのためにリュックを用意して、中身も普段より充実させておいたんだよ」
「重くなかったのか?」と言うテスに、「このぐらいなんでもないよ」とアンリは腕をまくってみせる。
「いつ、どこで、何があっても、対応できるようにしてこそ医者だからね」
「はは、俺もそう言う時代があったなあ…」
テスは昔の―と言っても以前の世界での昔を思い出し、苦笑いした。あの頃はちょっと出かける時も、常に医療道具を肌身離さず持って行った。そのことをあの
「昔、そんな人に会ったんだ。どこにでも医療道具の入ったバックを持っていく、馬鹿真面目なお医者さんに。だから、僕もさすがだと思って、真似してるんだ。…ええと、どこで会ったっけ。あれ、そう言えばいつの事だっけ…?覚えてないぐらい昔の事だったような…もう顔も覚えてないや」
アンリはうんうんと考えこんでいたが、やがて思い出すのをあきらめると、「えへへっ」とペロッと舌を出しながら頭を掻いた。
「…っ!!」
だが、テスは驚愕した。アンリの、ただそれだけのはずのしぐさが、ある人物と重なって見えたからだ。
「イリス…」
テスは驚愕のままに、かつての愛おしい人の名をつぶやいた。しかし、そのつぶやきはアンリには届かず、アンリは「さてと」と道具を片付け始めた。
「どうしたんだよ?テス」
セシルとカイゼルは、深刻な顔をするテスに気づいて、心配そうに傍に寄る。しかし、テスは何も答えず、その2人の間を抜けると、先程のクレーターの淵に座った。
「…どうしたんだよ、あいつ」
「…さあ」
セシルとカイゼルは、そんなテスの背を首をかしげながら見る。心配には心配だが、その背が『俺にかまうな』と言っているようで、セシルは話しかけるのをやめた。
「…とりあえず、これで何もかも全部、終わったんだ」
カイゼルは、ふうと息をつくと地面に座り、後ろへと大の字に寝転んだ。セシルも続いて、その隣に寝転ぶ。
「ホントに、これで全部終わったんだな…」
セシルは澄んだ青い空を見ながら、つぶやいた。どうやら先程の爆発で、灰色の雪雲も皆、吹き飛んだらしい。
「…」
今まで長かった。だけどあっという間だった。
セシルは目を閉じ、今までの事を思い返す。
「本当に色々あったな…」
辛い事、苦しい事、恨んだ事、幸せな事、楽しかった事、驚いた事。様々な感情の中、目まぐるしく日々が過ぎていった。
「これで、もうオレは自由なんだな…」
セシルはつぶやく。しかし、ふと納得がいかない心地がわき上がり、「いいや違う」と首を振った。
「まだまだ、色々と残ってるよな…」
セシルは、レスターと共にツンディアナに帰るつもりだ。だが、きっとリトミナは、それを許さない。アーベルは死んだとは言え、国王がいるのだ。取り返そうと、あの手この手を使ってくるだろう。
それに、その懸念を取り除けたとしても、これから先、自身の人生に何が起こるかは分からない。もしかしたら、愛するレスターと引き裂かれるような、何か大きな出来事が起こらないとは言い切れない。それに、ないとは思いたいが、かつてのリアンのように、愛する者から裏切られるようなことがあるかもしれない。事実、自身は友人だったはずのサアラに、命を狙われたことがある。今後に、同じような事がないとは言えない。
「…それでも、オレは」
セシルは空に手を伸ばす。
「幸せを目指して、懸命にあがくよ」
あがけるだけあがいて、ないかもしれない幸せを求め続けよう。笑われようと、嘲られようと、もうオレは何も怖くない。
だって、オレには、共に不幸を分かち合ってきた存在がいるのだから。
例え、離れて暮らすことになろうとも、この世界にもう一人、同じ存在がいるのだから。
セシルはふふっと笑う。そして、テスを見た。丁度テスは、立ち上がり振り返ったところだった。
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Iris laevigata←何のことか分からない方は、17-⑥『異世界の過去④』へ。
唐衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ
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