第179話 あの日あの時(4)

美咲は正直


そのチケットのことをすっかり忘れていた。


会社が引ける頃にその存在を思い出し、




あ、そっか


今日なんだっけ。


行かなくちゃ。


せっかく


いただいたんだし。




と、渋谷に出かけて行く。




「あ、マユちゃん!」


八神は会場のロビーで麻由子の姿を見つけた。


「八神さん。」


麻由子も嬉しそうに駆け寄る。


「もうすぐ始まるよ。 早く席に着かないと、」


「はい、」


優しく彼女をエスコートした。



美咲はそれに遅れること10分くらいで会場にやってきた。



慎吾、来てるのかな?


連絡するの忘れてたけど。




ちょっとだけ彼の姿を探したが、わからなかったので


すぐに中に入って行った。




わぁ・・




美咲ははじめてのクラシックコンサートだったが


その華やかな雰囲気と


音に包まれて・・



慎吾の


発表会的な舞台しか見たことなかったけど。


こんなに迫力があるんだぁ。


すっごーい、




そして、最後に真尋が登場する。


彼が現れるとものすごい歓声と拍手が巻き起こる。



え?


クラシックコンサートなのに


こんなに騒いじゃっていいの?



美咲は戸惑う。




真尋は笑顔で手を振って、ピアノの前に座った。


そしていきなり弾きだしたのは



ベートーヴェン・『月光』



前半は幻想的で


うっとりとするような。


優しい優しい音色で。


そして


後半になると


一転して激しい曲調になり、


見ているほうが


力がすっごく入ってしまうような。



美咲はその世界に


どんどんと引き込まれて行った。



ほんっと


すっごーい・・


前に


練習室で聴かせてもらったときとは


全く違う


迫力。




美咲はもう


うっとりとしっぱなしだった。




「北都マサヒロ、やっぱよかったね~。」


「ウイーンの公演が成功して、また磨きかかったって感じだよね、」



ホールから出てくるお客さんたちが


口々にそんなことを言いながら出てくる。



美咲は八神がいるのではないか、と出口のところでなんとなく待っていた。




「八神さん、」


同じように出てきた麻由子が八神の姿を見つけてやってきた。


「あ、どうだった?」


「うん。 すっごく、すっごく良かったです~、」


麻由子は少し興奮したように言った。


「オケも素晴らしかったですけど、真尋さんのピアノが・・やっぱり、すごくて。 この前のウイーンの公演のこと、パリの専門誌にも載ってて。 ほんとすごかったんだ~って、」


「おれも行ってたけど。 ほんっとね、涙が出るくらい・・」


「あたしも頑張らなくちゃって。励まされます。 ほんと、」


麻由子はニッコリ笑った。


「うん。」




「向こうでもコンクールに出たりして。 今は本当に楽しいです。八神さんは、なにか変わったことありましたか?」


「変わったこと・・」



八神は上目遣いで考えた。


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