第1話

 太陽は小さいコーヒーカップを片手に厳粛な顔つきで言った。

「『アイドルを応援することは、アイドルを傷つけることにつながる』、郁弥はこの論を、どう評する?」

 郁弥の脳裏に、ふと真凛や昨夜の優姫のことが浮かんだ。2人とも、ファンとの距離の取り方には相当苦しんでいた。

「否定しません。その通りだと思います。ですが……。」

 そこで1度言葉を切り、続けて言った。

「『アイドルを勇気付けること』にもつながります」

「……。」

 太陽は不満げにコーヒーを飲み干すと、そのまま出て行ってしまった。郁弥には、太陽の態度に気に食わないこともあったが、それをぶつける対象がなくなってしまった。太陽が言わんとしていることが何なのかも分からない。ゆっくり考えれば良いのだろうが、郁弥にはその時間もない。この日の優姫のスケジュールは、朝からグラビアの撮影が2件、雑誌の取材が3件、ダンスレッスン、握手会、そして公演と忙しい。郁弥はその全てに同行することになっていた。

 ようやく時間が出来ると、郁弥は腰を下ろし、今朝の太陽の問い掛けの答えを探していた。そこへやってきたのは優姫だった。

「郁弥くん、はい、これ」

 そう言って郁弥に缶コーヒーを差し出した。普段、優姫はあまりコーヒーを飲まないのだが、郁弥に渡した分とは別に、自分の分も確保していた。

「あっ、ごめん。気を遣わせちゃって」

「周りの人を大切にしろって言ってくれたの、郁弥くんでしょ」

 言いながら優姫は、缶のタブが指に引っかからないようで片目を瞑り右手に力を込めて、四苦八苦していた。見兼ねた郁弥は、自分が持っている缶のタブを開け、優姫にそっと差し出した。優姫は、恥ずかしそうにそれを受け取り、まだタブの開いていない缶を郁弥に渡した。

「これ、口つけた?」

 優姫は、タブを開けるのに夢中で、郁弥の挙動を見ていなかったから、揶揄い半分で念のための確認をとった。

「もっ、もちろん、つけてないよ!」

 優姫は、慌てて否定する郁弥を見て、上手く揶揄えたとほくそ笑みながら、ほんの少しだけ、残念な気持ちになっていた。昨夜から心の奥のどこかで、何でも良いから郁弥と分け合いたいという願望が芽生えていた。優姫自身がその気持ちをまだ自覚していない段階ではあった。

「昨日、私、考えたのよ」

 優姫が、年上の郁弥に対して、お姉さん振って続けた。

「ファンの中には、嫌なことを言う方達もいらっしゃるけど」

 普段は笑顔を絶やさない優姫だが、この日は喜怒哀楽の表情がハッキリと出ていた。この時は、どこか人を寄せ付けないような哀しさを見せ、続けて言った。

「その言葉に傷つくこともあるけど、それだけではないの」

 今度は、普段見せる何倍もの笑顔で、郁弥を見つめた。いつもなら思わずかわいいと言ってしまう郁弥だが、この時は閉口した。優姫の笑顔に引き込まれていたのもそうだが、その言葉の中に、太陽の問いかけの答えが隠されているような予感があった。だから、優姫の言葉を体内に凝縮させて取り込んでいった。その分、内から外へ言葉を発することが出来なかった。

「上手く言えないけど、自分の成長には必要な道標になることが多いのよ!」

 優姫は、いつの間にかしたり顔になっていた。言われた時はムッとなるけど、後になって考えてみるともっともだと思うようなことが多いのだと続けた。

「逆にいつも褒めてくれるファンが、気付いたら別の子に並んでることもあるの」

 文句ばかり言うがいつも会いに来てくれるファンもいれば、表面上褒めそやしていても実際には気持ちが離れていくファンもいる。

「大切にしないといけないのは、いつも会いに来てくれるファンだと思うの」

「そっ、それだっ!」

「えっ?」

 郁弥はがむしゃらに声を上げた。理性を失ったという訳ではない。むしろ郁弥の中で大きなフィロソフィーが生まれた瞬間だった。それは、真凛や優姫の体験と、母の言葉を繋げるものだった。


『批判してくれる人が本当の味方』


「優姫さん、いつもよりとってもかわいい! でも、寝不足なの、隠せてないよ」

「何よ、急に……。そんなの仕方ないじゃない。昨夜は……。」

 優姫は、急にそんなことを言われ、言い訳も出来なかった。

「そうなんだ。仕方がないことなんだ。でも、あってはならないことでもあるだろ」

「う、うん。その通り、です」

「今日しか会えない人もいる訳だし、寝不足は良くないよね」

 郁弥は、笑顔で畳み掛けた。優姫は一生懸命受け止めていたが、限界にきた。

「何度も言わないで。反省してるから」

 郁弥は、まだ笑顔を絶やさず、一呼吸入れて続けた。

「ちゃんと、ファンに謝らないと」

「ファンに、謝る……。」

 優姫には、腑に落ちないことだった。アイドルといえど人である。時には、夜更かししたり、暴食したりもするものである。そんな普通の生活をしていたことに対して、謝るというのが納得できないのだ。

「謝るのが難しかったら、報告だけでもしてみない」

「昨夜のこと、何でファンに言わなきゃいけないの?」

 優姫には戸惑いがあった。昨夜のことを優姫は良い思い出にしたかった。郁弥と2人だけの秘密にしたかった。それを郁弥は、ファンに謝罪だの、報告だのと言うのだ。だから、郁弥の言う通りにしたい気持ちはあっても、一方では郁弥の裏切りのように感じてしまうのだった。

「そうじゃなくて、寝不足であることの、報告だよ」

 そこまで聞いて、優姫はようやく合点がいった。

「だったら、投稿してみるわ」


 ー【ご報告】今日の優姫は寝不足です。ここからはお願いです。皆さんは、寝不足の彼女やお友達とはどんな風に接しますか?何度も握手会に参加して頂いている皆さん、そんな時のあなたの体験を教えてくれると嬉しいです。

 待ってます!ー


「ちょっと、変じゃないかなぁ……。」

 優姫は、思うままに打ち込んでみたが、どこか今迄の自分の投稿と雰囲気が違っているように感じた。

「うん。僕はとっても良いと思うよ」

「じゃあ、送信するね」

 ほんの少し、郁弥が背中を押すと、優姫は思い切って送信した。優姫にはファンの反応に不安もあったが、郁弥と一緒に活動していることが実感出来て、とても満足していた。だが、この投稿は、大きな問題となる。

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