第2話 お金がない!
宿屋で食事を済ませた後、彼女は目的地も言わず町を歩き始めていた。
会計はいつ済ませたのか。本来なら男の僕がするべき男前ムーブ。さっきの食事代だけじゃなく宿代も彼女が出してくれたんだろう。
それに加えて僕が元の世界に帰られるように協力をしてくれるようだ。
やっぱり彼女が僕にここまでしてくれる理由わかんないよなぁ、とひっかかりを確認しながら彼女の後を追う。
そういえば、まだ自己紹介もしていない。
「名前はなんていうの?僕は大槻宗」
彼女の隣に並んで聞く。
「オオツキソウね、何て呼べばいいの?」
「大槻でも宗でも」
「じゃあオオツキね、よろしく」
横目で僕を見て微笑んだ。すらっとした長身だとは思っていたけれど隣に並ぶと彼女の方が背が高く、少し悔しくなった。175㎝くらいだろうか。
「よろしく」
出会ったばかりで今後どれほどの付き合いになるかわからないけど、今の僕がこの異世界の地で頼れるのは彼女しかいない。無事に僕が帰れるまでよろしく甘えさせていただきたい。
じゃなくて、まだ彼女の名を聞いていない。
「先立つものはお金よねぇ」
名乗る気がないのか、彼女は独り言ち始めていた。
「あの、名前は?」
「好きに呼んでいいわよ」
そんな事も無げに言われても・・・
「好きに呼べって、名前はないの?」
もう口に出してしまった後の祭りだけど、地雷を踏みそうな発言だった。
こんなに綺麗であまつさえ傷を治す異能を持っているんだ。奴隷とされていたとか、デリケートな理由の可能性が多分にある。ここは現代日本とは違う倫理観を持つであろう異世界なんだから。
「あなたに名乗るような名が無いってだけよ」
急に突き放すようなこと言わないで...。ではなく、名を言えない事情があるのかもしれない。
「じゃあ好きに呼ぶよ」
白を基調とした出で立ちで、肌も透き通るように白い。
長身で華奢な身体、前を見据えて歩く彼女の横顔は儚なくも、威厳を感じさせた。
僕はあの白い花に似ていると思った。
「百合子でいいかな」
「ユリコ?なにそれ、あなたが片思いしてる子の名前?」
彼女は隣の僕に向けて目を細めた。
「そんなちょっと気持ちの悪い命名しないよ」
なんだよ、真面目に考えたのに。いや、真面目に考えてユリコってそれもキモい気がしてきた。
「冗談よ。ユリコでいいわ」
ユリコは微笑み前を向く。気に入らないなら言うだろうしいいか。それじゃあ改めて。
「よろしく ユリコ」
「よろしく オオツキ」
少し気恥ずかしい思いをした気がしたけれど、僕たちは隣り合ったまま歩いた。
☆
先立つものは金、と言っていたけれど、どこに向かうのかは結局教えてくれないままユリコは一回り大きな建物へと入っていった。
なんとなく、なんとなくだけど役所の雰囲気を感じた。中には町の通りではあまり見かけなかった腰に剣を差していたり、鎧を着こんだ男女が数十人はいる。獣人と呼ぶのだろうか、獣の耳を付けた者も見かけられ異世界にいるのだと改めて思う。
彼らは掲示板の前で相談でもしているのか真剣な表情で話していたり、カウンター越しに制服のような装いの人と会話をしていた。
「日も暮れちゃうしさっさと行くわよ」
入り口付近で観察していた僕にユリコは言う。まずここの説明してくれないと。
「行くも何もここは?」
「冒険者稼業を取りまとめるとこよ」
ざっくりだなあ。
「はい、登録してきて」
僕に小銭を渡してカウンターを指さす。
「登録せずに密猟でもいいんだけどばれたら面倒だから」
そりゃ法理がどの程度整っているかわからない異世界の地で罪に問われるだなんて避けたいけど、そもそも僕が冒険者なんて。
「温室育ちだから狩りとかしたことないよ」
「問題ないわ、それに登録しとくと便利なのよ。ほらはやく行って」
ユリコはしっしっと手で払うように僕を急かした。
「わかったよ」
森で出会った化け物もいるようなこの異世界で、僕が冒険者なんて無理だと思うけどなあ。
しかし恩人の命には逆らえないのでちょうど人が空いたカウンターにお邪魔する。
制服を着たメガネの女性が僕の対応をしてくれるようだ。
「すいません、あの、冒険者になりたいんですけど」
まさかこんなこと人生で言うだなんて。あほの子のような発言だったけどメガネの彼女は慣れているようだった。
「冒険者登録ですね。手数料として300フラン頂きますがよろしいですか」
「はい お願いします」
300フランがどれくらいの価値なのかわからないけれど、さっきユリコに手渡してもらった小銭をジャラジャラと出した。
彼女は素早く数え、余ったのであろう銅貨数枚を僕に手渡した。彼女が受けとった貨幣からして多分銀貨一枚で100フランなのだと思う。銅貨は1フラン。たぶん。
「それではこちらに目を通していただいて、サインを」
彼女は文字の並んだ紙を指さし言う。
「あ、はい」
返事をしたものの、しまった。この紙に並んでいるものがこの世界の、少なくともこの辺りで使われている文字であることはわかるんだけど、読めない。話をする分には言葉が通じるから気にしてなかったけど、僕は自分の名前すら書けないじゃないか。
言うに言い出せず、さも注意深く読んでいるふりを始めてしまったためどうしようもなくなってしまった。いや、どうしようもなくはないんだけど。ユリコを呼べば済むんだけど。でもこれを手渡されてから数十秒は経っているし今更読めないんで保護者呼ぶとかちょっとダサい気がするし、いや長引けば長引くほどなんだこいつってなるし、なんて考える必要のないことで時間を無駄にしていると、
「あなた文字読めるの?」
いつの間にか僕の隣にいたユリコが聞く。
「...読めない」
「でしょうね」
でしょうねって...じゃあ最初から付き添って?ほらメガネのお姉さんも俺のこと見てるよ。なんだこいつって顔してるよ。
「私が代筆するわ」
ユリコはメガネのお姉さんに声をかけてサインをした。
ユリコの左腕は僕が借りているため、もちろん右手でサインをしていたがその動きは慣れており、右利きなのだろうと少し安心した。ただ読めと言われたそれを僕が全く理解してないのはいいんだろうか。
「それでは、オオツキ・ソウさんですね」
「はい」
お姉さんの確認に僕は気恥ずかしさから目を伏せて答えた。彼女は続いてシルバーネックレスを僕に手渡した。ネームプレートのようなものが付いており数字が刻まれていた。
「そちらが冒険者としての身分証です。そちらを紛失した際に必要になりますので毛髪を少々お預かりしてよろしいですか?」
「はい」
毛髪で個人の特定ができるってことか。街並みなどを見る限りそんな技術が発展しているようには思えないけど。
「再発行は無償ではございませんのであしからず。それでは、オオツキ・ソウさんの冒険者としてのご活躍をお祈りしております」
僕の無意味な逡巡を含めても10分とかかっていない。わりとあっさりだね、とユリコに声をかけようとすると隣にはもうおらず掲示板を眺めていた。いつの間に。
掲示板に貼られた何十枚にもおよぶ紙の内容をユリコは一通り見終わったのか、右手の親指と人差し指で自分の顎をふにふにと触る謎の仕草をしつつ、下部見るため軽く曲げていた腰を伸ばした。
本来ならばあの謎の仕草には左腕も参加して、軽く腕を組むような形になっていたんだろう。ただの想像に過ぎないけど、そんな気がした。
僕を救った彼女の左腕は、今は僕の左肘から先にある。袖がないと私の綺麗な腕が人目を惹く、と彼女は腹部が破れた僕のシャツの代わりを用意してくれた。
おかげで手首から先しか見えてないから目立ってないと思うけど、右手と比べるとそれは明らかに別物だった。
それなのに、それはまるでずっと僕のものだったかのように忠実に僕の左手をしている。
傷を治すというユリコの身体が持つ力が左腕を通して僕にも作用したという。そのおかげで僕は今生きている。しかし彼女は自ら貸すと言っていたから僕からの返還を前提にしているはず。ならばなぜ、すでに復調した僕になお貸したままでいるのか。
「ねえ聞いてる?」
ユリコの姿を見て思いめぐらしていた僕は彼女の話を聞いてなかった。
「ごめん 何?」
ユリコは掲示板の一角を指して、
「これ ウサギ狩りに行くわ」
「え、うん わかった」
よく考えずに返事をしてしまった。
「あなたと私でできそうな手ごろな依頼はこれくらいしかないし。さ、行くわよ。」
へえ、これそういう掲示板だったんだ。なるほど。さっきの冒険者風のグループはどの依頼を受けるか話してたんだろう。でもウサギ狩りくらいなら自分にもできる気がする。ウサギってあのウサギさんなわけでしょ。小学校の頃に触れ合った経験もあるし、あの可愛らしいウサギさんなわけでしょ。
自分の手で命を奪うことへの身勝手な罪悪感が邪魔をしなければ、問題はないはず。でも。
「行くわよって今から?さっきも言ったけど狩りとかしたことないし、道具とか何にも持ってないよ」
それに昼を過ぎてから暫く経つはず。この世界では暮れの時間までまだまだあるのだろうか。
「今からよ。ウサギのいる湿地までわりと近いし」
それに、とユリコは続けた。
「行かないと今日の晩御飯食べられないわよ」
さすがに晩御飯抜くわよなんて脅しが効くほど子供じゃないんだけど。
しかし、ユリコの言葉が意味するのはそんな可愛いものではなく、もっと現実的な切迫した状況だった。
「もうお金無いの」
「え?」
「さっき渡したお金で最後なの」
着替えを用意してくれたり昼も食べさせてくれたりと余裕ありそうだったのに、じゃあさっきの登録料の際に余った銅貨数枚が僕らの全財産なの..?
こんな状況で僕に投資してたのか…
「じゃあ これ 余ったお金...」
僕は返しそびれていた数える程もない僕らの全財産をユリコの右の掌にそっと置いた。ユリコはそれをきゅうっと軽く握り、目じりを下げた。
「その日暮らしってのも楽しいわね」
僕からすればついさっきその日暮らしが始まったわけで、まだ一日もその日暮らしできていないんだけど・・・。
「うん...」
笑みを浮かべるユリコを正面から見てしまった僕は息を呑んでしまって、そう言うしかなかった。
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