第四章 ロスアクアス家の屋敷の中②

 ミリアムは、オルト婆を手伝っていたおかげで、裁縫や大工仕事などの普段の生活に欠かせない簡単な作業はそれなりにこなせる。縫い方も何種類か知っているし、金槌で指を叩いてしまうこともない。

 ただ壊れ具合は様々で、ミリアムの素人の腕前ではきれいに直せないものも多かった。それでもミリアムはロスアクアス家に来た不安を打ち消すように作業に没頭した。複雑に破れたスツールの座面は縫い目が粗くて座るとデコボコで、折れた脚に添え木をした机は少しガタガタ揺れる──こんな風に最低限使えるぐらいの状態にしかならなかったが、手をかけられた道具たちは満足したようにその場で大人しくなった。ミリアムは動かなくなった物たちを部屋の隅に並べていった。

 ミリアムが道具の修理に精を出していると、「夕飯時になった」とディエノが呼びに来た。

「ここから出られるかね?」

「すぐに戻るから、大人しくしていてね」

 ミリアムは順番を待つ物たちにそう言い聞かせ、魔石の杖を構えながら後ずさりして部屋を出た。ドアが外れた時と違い、今度は誰も出ようとはしなかった。日が暮れて窓の明かりも無くなった司祭の部屋は、ディエノが点けた入口付近の魔石燈一つで照らされていた。廊下には灯はないので、ディエノの持ってきたロウソクの明りを頼りにミリアム達は階段を上がった。

 上の階はまぶしかった。昼間は薄暗かった廊下にも玄関ホールにも、一階の食堂にも、いくつもの魔石燈が輝く別世界だった。ミリアムとククルトは明るい屋敷の中を見回してこっそり話し合った。

『魔導士がいないのに魔石燈がこんなにある家は初めてだ。エルテペは町に専門の魔導士がいるから分かるが。ポーロ薬局でも店内やリビングで少し使われていただけで、店で売られていた魔石は高値だった』

『たまにおばあちゃんが魔石に魔力を入れるのを頼まれていたけど。おばあちゃん一人でここの魔石に魔力を入れていたら、忙しすぎてきっと寝込んじゃうね』

 魔石燈のシャンデリアを掲げた広い食堂の中央には、白いテーブルクロスのかかった長いダイニングテーブルが置かれ、そのまわりに立ったり座ったりしながらロスアクアス家の人々が十何人集っていた。ミリアムが見たところ女性と男性が同数ぐらいだ。カウロもディエノの奥方もいた。男女問わずロスアクアス家の血縁を悟らせるぎょろ目の口の大きいえらの張った顔立ちをした者が多い。このディエノそっくりの人々は、みな隣人とおしゃべりしたり物思いにふけったりと思い思いに過ごしており、ミリアムと当主のディエノが入ってきてもほとんど注目しなかった。

「ああ、みんなに紹介する」

 ディエノは大きく咳ばらいをした。

「今日から一族に迎えいれたミリアムだ。この子は魔法が使える。将来きっといい司祭になってくれるだろう」

 ミリアムは来た時と同じように深くお辞儀をした。

 ロスアクアス家の人々はちらりと見ただけで黙っていた。カウロや奥方はミリアムを見ようともしなかった。テーブルの一番前に座っていた最も歳をとっていると思われる老婆には中年女性の介添人がついていて、老婆は介添人にそっと耳打ちした。その老婆の言葉を介添人が無感情にディエノに伝えた。

「『晩ご飯はまだなのかしら』」

「すぐにお持ちしますよ。大おばあ様」

 ディエノは肩をすくめながら老婆にそう言うと、入口で待機していた給仕係の女に目配せをした。その女は廊下に置いていたワゴンを引っ張ってきて、仲間の何人かと食器や料理を並べ始めた。ロスアクアス家の人々は自分たちの席に座っていく。ディエノもミリアムのことは済んだとばかりにさっさと老婆の真向かいに着いた。

 ミリアムは突っ立っていた。どうしたらいいのかわからず、着席した銘々が差し出された篭から好きなパンを選び、メインディッシュの肉と副菜がたっぷり盛られたプレートが配られていく様子をおろおろしながら観察した。準備を先行する食器係を追っていくと、一番末席の誰も座っていない席にもフォークやスプーンなどが配置されていく。ミリアムは急いでそこに座った。

「今、埃がたたなかった?」

 誰かの怒ったようなつぶやきが聞こえて、ミリアムは首をすくめた。

 料理や飲み物がそろうと食べ始める。上座のほうから用意されていったので、ミリアムの料理が最後にそろうことになった。ロスアクアス家の人々は食べ方が汚くならない程度のおしゃべりを続けていた。話題には近々行われるカウロの結婚の話や──寝耳に水の話にミリアムはスプーンを落としそうになった──今度来る司祭の指南役のことがささやかれ、ミリアムも興味がわいてきたのでさりげなく耳を傾けた。

「指南役の魔導士様は、あの伝説の魔導士の一番弟子だそうだ」

「その魔導士様が、カウロの結婚の儀式を執り行うのよね」

「そんなりっぱな方がずっと居てくれればいいのに」

「こんな田舎に居ついてくれるものか。つながりを作っておいて、大事な時に招くことができるだけでも幸いだ。日常の雑務はあの小さいのにやらせておけ」

 食べ終わっても、彼らはお茶や酒を飲みながらそれぞれ気の済むまで話をしてから出ていった。何人かの年寄りは足を引きずり、誰かの肩を借りながら退出した。

 ミリアムは最後にゆっくり席をたった。食べる以外は話を盗み聞きするばかりだったが、そうするしかなかった。誰も自分に気を向けてはいなかったし、自分から話の輪に入る勇気もわいてこなかったからだ。

 せめて食器の片づけを手伝おうとしたが、給仕係からしっしっと追い払われた。

「人の仕事を取るんじゃない。皿でも割ったら魔法で直せるの?」

 ミリアムはあの道具たちが待っている倉庫へ帰るために食堂を出た。廊下には汚れた皿を運ぶ小間使いしかいなかった。

『凝った味付けだったな。あいつがもう結婚するのか。相手はシエラだろうな。指南役がどんなやつか気になるが、のんびりやろう』

 ククルトの言葉にミリアムは一つ一つ頷いた。オルト婆との二人で質素だけどにぎやかで温かい食事を思い出した。

 倉庫の中の道具たちはミリアムが出て行った時と同じ様子で待っていた。元の機能が回復したものは、今までうるさいほどあった生命感が消失し隅で静かに佇んでいる。まだの物は、ミリアムの一挙手一投足の動きに反応してゆっくり身をよじったり震えたりしていた。

 ミリアムはまたしばらく補修の続きをしていたが、眠たくなってきたので作業を打ち切ることにした。ミリアムは自分の荷物や杖を持って司祭の部屋のほうへ移った。まだ動く家具はよろよろとミリアムを追ったが、部屋から出られず入口に固まってしまった。自由になったミリアムが光が届く範囲で司祭の部屋を歩き回ってみると、実験器具の収められた棚の傍に水汲みポンプや流し台などがある。その他の設備をククルトが得意げに解説した。

『“司祭”なんてたいそうな呼ばれ方をしているが、魔導士だからな。オルト婆のように薬や魔法の道具を作ったりするんだ。あの平台がたぶん作業台、あの竃で薬を煮詰めたのだ。この辺りは実験場だな。薪も鍋もある。すり鉢やナイフ……少し錆びてるな。そこの隅のドアは……トイレか。食材さえあれば、この部屋から一歩も出ずに生活できるぞ』

 ポンプは魔石でも手動でも動くようにできていたので、ミリアムは手でレバーを漕いで水を汲むことができた。ミリアムはあくびを噛み殺しながら流し台の桶に水を入れて顔を洗い、入口近くでひっくり返っていたベッドから藁の枕や毛織の毛布を引っ張り出した。藁のマットレスはベッドから外せなかったので、そのまま毛布にくるまって絨毯に寝転がった。

『待て待て。やることがあるだろう。完全に消えたら、わからなくなるぞ』

 ククルトの注意でミリアムははっと飛び起きた。持ってきたカバンを引き寄せ、筆と小さな壺を取り出すと左の袖をまくった。

 オルト婆が書いた封印の魔紋を消えないように時々書き直さなければならない。一度消えるとミリアムでは再現できないので「一日一回寝る前に確認しなさい」とオルト婆に言われていたのだ。さっきククルトが力を使ったので、紋様の力が弱まり薄くなっている。重たくなった瞼を必死に持ち上げながら、作ってきた特別なインクで細かい模様をなぞっていった。

 ミリアムには自分の体の中でククルトが身をこわばらせるのが分かった。封印が籠手でなされていた時からのなじみの反応だ。これまでの力の発揮具合を思い出すと、この封印もその気になればうちやぶれそうなのだが「そうしないで大人しく封印されてくれるんだよなぁ……」とミリアムはぼんやり思った。封じられることを嫌がるどころか『ほれしっかりしろ。歪んできたぞ』と励ます身を蝕む竜──不思議な存在だとミリアムは改めて意識した。

 書き終わって筆と壺をしまうと、ミリアムはぱったりと倒れこんですぐに寝息をたてはじめた。夢には、ずっと前に幻視で見た赤ん坊の自分とそれを見守る黒い竜がでてきた。



     ◇  ◇  ◇  ◇



 次の日の朝、ミリアムが顔を洗っていると小間使いの一人が朝食のパンとスープを持ってきた。皆で食事をするのは夕食だけということだ。ミリアムはその小間使いとひっくり返ったベッドを戻して壁に寄せると、また倉庫でモノ相手の修理屋を始めた。昼食もここで食べ、夕方は別の小間使いから食堂に呼ばれて、昨日と同じ席に座って黙々と食べた。

 司祭の部屋にミリアム以外の人がいるのは食事を持ってきたり夕飯時を知らせに来る時だけだった。時々ミリアムは、気分転換に屋敷の庭を散歩することがあったが、会う使用人や小間使いは誰もが何らかの仕事を抱えてせわしく動いていた。忙しい合間に彼らと少し話をしたところ、結婚式の準備と指南役の魔導士を迎える準備で屋敷内はどこにも暇な人間はいないとのことだ。

 ロスアクアス家の人間にも食事の時以外会うことがなかった。遠くで見かけたり気配を察知したりすることはあっても、決して目の前で言葉を交わすことはできなかった。思い切って近づいてみてもどこかへ消える。二階や物陰からのクスクス笑いだけが残るので、ミリアムはそれ以上歩み寄る気を失ってしまった。ここに来てから話せたロスアクアス家の人間は、今のところディエノだけだ。

 そんな生活が四日ほど続いた。工具や針を扱うスキルも上がり、具合の悪い個所を指し示してくる家具や雑貨がかわいく思えてきた。直すのを待っているものより直して静物に戻った物のほうが多くなってきた頃だった。

 ミリアムは部屋の真ん中にモノとは言えない別の存在に気がついた。今まで部屋に積み上げられていた物に埋もれていたのだ。

 見かけは植木鉢に半分埋もれた球根であったが、ミリアムはその大きさに驚いた。植木鉢はミリアムが風呂おけに使えそうなくらい大きく、中の土に浸かっている丸い物体はミリアムが両手を広げても抱えきれないくらい太かった。オルト婆からもらった魔石の杖を構えながら近づいてみたが、杖も物体も無反応だ。謎の物体の表面は縦にいくつもうっすらと筋の入った濃い緑の皮で覆われていた。ミリアムの背より少し高めの絞られた上部には、若干亀裂ができて黄緑の中身が覗いている。思い切って右手で触れてみると、細かい毛が生えているようでチクチクざらざらひんやりする。

『ククルト、知ってる?』

『いや、わからんな』

 横に手を滑らせると皮の境目にひっかかった。何枚もの薄めの皮に包まれているようだ。

『まるで玉ねぎね。触った感じはあざみの蕾だわ』

 自分の知っているものに例えるとあまり怖くなくなってきた。オルト婆は堅い木の皮も薬に使う。玉ねぎの皮ですら染料に入れたりするのだ。前の司祭が植えた薬の材料かもしれない──ミリアムは皮の境目に爪をひっかけ、少し剝いてみた。

 キイーンと空気が鳴って、ミリアムの頭に頭痛が奔った。

 周囲の道具たちも大きくのけぞった。ミリアムはすぐに手を引っ込めた。

『今のは魔力だ。一瞬こいつが放った!』

 ククルトが興奮してしゃべりだした。

『道具のように魔法をかけられているのではない。自らの内側からこれだけの魔力を生み出して生きている。こいつは魔法生物ゴルディロックスだ』

魔法生物ゴルディロックス?」

 ミリアムはつい声に出してククルトと話した。

「これ魔法生物なの? じゃあ、これがおばあちゃんの言っていた“ガナン”なの?」

『ガナンかどうかはわからない。だが、魔法生物であるのは間違いない』

 ミリアムは上に走ってあがり、ディエノを探した。この魔法生物の扱いを聞くためだ。扱い方を間違えばどんなことになるのかわからない。しかし、ディエノは見当たらなかった。使用人たちに聞いてみると、鉱山に行っているとのことだ。使用人たちに魔法生物のことを聞いてみたが、みんな怖そうに身を震わせるだけだった。

「わかる人がいないなら、おばあちゃんに相談したいのですが」

「だめだね。俺では外出許可は出せない」門番の男は言った。

「他にロスアクアス家の人はいませんか?」

「二階に奥さまたちがいるよ」

 ミリアムは正面玄関の階段を上がろうとした時、ちょうど帰ってきたカウロ達に会った。

「勝手に上がるな。なにしに行くんだ」

「下で魔法生物を見つけて。どんなお世話をしたらいいか聞きたいんです」

 カウロの顔が青くなった。

「なんだって? 暴れているんじゃないだろうな」

「いいえ。動きません、今のところ」

「聞いてきてやる。そこで待ってろ」

 カウロは駆け上がっていったが、すぐにしかめ顔で降りてきた。

「たぶんピサロ伯父が飼っていたやつだってことだけど、化け物の世話の仕方なんてわからないとさ。親父が帰ってくるのを待ってろよ」

 ミリアムは部屋と玄関を行ったり来たりしながらディエノの帰りを待った。ディエノは日が暮れてから他の親族たちと一緒に帰ってきた。そのことを掃除係の女から聞いたミリアムは、その女に案内されながら急いで一階の自室にいるディエノに会いに行った。

 ディエノはミリアムを中には入れず、ドア付近で話をきいた。隙間から覗けた範囲では、その部屋は個人の部屋というよりロスアクアス家当主の書斎のようだった。

「ああ、あれか。あの部屋はもともとその魔法生物ゴルディロックスの部屋だったんだ。前は長い枝を出してうんと茂っていたんだが……まだ生きているかね?」

「生きています。どうしたらいいんですか」

「あれは歴代の司祭が飼っていた生物だ。俺たちは何を食べているのかも知らない」

「ガナンという名前ですか? おばあちゃんが子供のころ世話をしていたと言っていました。聞いてきてもいいですか?」

「だめだ。あれと話をしていいのはロスアクアスの者、もしくは特別な許可をもらった人間だけで、なぜなら……」

 ディエノははっと口をつぐんだ。何かを思い出したようで、うーんと唸りながらしばらく考え込んだ。

「そいつは……まだ生きているかね?」

「たぶん。でも、外側がちょっとパサパサしているので、あれが畑の作物だったら、お水をあげないとそのうち枯れてしまいます」

 ミリアムはきちんとした返事が欲しかったので、少し大げさに伝えた。

「夕飯の時にどうするか伝える。今は自分の部屋に帰ってくれ」

 食堂でいつものようにご飯を食べ、ロスアクアス家の人々が席を発ち始めた時、大おばあ様と呼ばれる老婆が介添人に何やら耳うちをした。相槌を打ちながら聞いた介添人は「それでいいようです」とディエノに抑揚のない調子で言うと、杖をついてひょこひょこ歩く老婆を支えながら出て行った。

「ああ、ミリアム」ディエノはミリアムを手招きした。「さっきの生き物の話だが、今度来る魔導士様ならいろいろわかるだろう。それまで死なないように水をあげておいてくれ」

「わかりました」

 ミリアムは部屋に帰ると、司祭の部屋で見つけていた大きなじょうろを使い、魔法生物の根元に水を差した。水はみるみるうちに土に吸い込まれていった。土が十分水けを含むまで、ミリアムはそれを三回繰り返した。

『やることが増えたなぁ』

『平気よ。もうすぐ全部直しちゃうところだったから。話ができるようになったら、おばあちゃんの子供のころを聞きたいな』

 壊れものを直し終わったら時間がずいぶん余る。その時間で司祭の部屋を探検してみようとミリアムは思っていたが、そうはならなかった。

 翌日の朝ごはんの後、ディエノが10人もの男女を連れて司祭の部屋の掃除を始めた。ミリアムも手伝った。ミリアムのベッドは魔法生物のいる倉庫に押し込まれ、ディエノの指示のもと、この部屋につながる別のドアもいくつか開けられて、ミリアムのものより上等のベッドや他の生活家具が運び込まれた。

「魔導士様の部屋をどこにするか。ここが落ち着くならそれでいいが、上のほうがいいなら……」

「どのみち上にも部屋を作らないといけませんよ。カーマイン様の侍女も来られるそうです。この方は魔導士ではありませんから、ここはお気に召さないでしょう」

 ディエノが彼らをまとめる男と話し合っているのを聞いて、ミリアムは来るのが魔導士だけではないことを知った。一緒に棚を拭きあげた人たちの話では、ロスアクアス家の費用で村の主要な道の凸凹をならし、通りに面した家の割れたガラスや崩れた壁なども改修されたらしい。

「村の門だって、オルト婆も駆り出してピカピカに磨き上げたぞ」

「この村の状態をあと二日もたせろとさ。いたずら小僧は親が家に閉じ込めているが、我慢できるかな」

『オルトも大変だなぁ』

『腰を痛めていないといいな』

 二日経って、その日が来た。イセルダ・カーマインの遣わした魔導士と侍女がソロ村を訪れる日が。

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