ダンジョンズ ギルド 株式会社
早坂 明
第1話 始まりの日
「ふぁ~~」
寝ぐせのついたままの頭のまま、洗面所に立った私こと水沢健司は締まりのない顔であくびを漏らした。
洗面所の鏡に映るのは、平凡な初老の男の顔だ。
白髪混じりのごま塩頭に、最近たるみが目立ち始めた目元。
しばらく前に、元の勤め先を定年退職して人に会う機会が減ったこともあって、最近ますます気合が抜けた顔になった気がする。
体のほうも、最近いろいろとガタが来ている。
日常生活に支障をきたすほどではないとは言え、体の動きも若いころに比べれば、それなりに衰えた気がする。
もっとも、それなりと思っているのは自分や、同じ老人会に所属するメンバーたちだけで、若者の目から見れば衰えは明らかなのかもしれない。
特にひどいのが息切れで、若いころの喫煙が悪影響を及ぼしている。さすがに、最近は禁煙をしているが、長年の喫煙の結果患うことになった肺気腫の影響はどうにもならず、少し坂道を登っただけで息切れがするほどだ。
そんなことをぼんやりと考えながら、洗顔と歯磨きと言う朝の日課を終えて、リビングに入ったとき、それが目に入ってきた。
「なんじゃ、こりゃ?」
朝のリビングには不釣り合いな大声を、思わずあげてしまったのも無理はないだろう。なにしろ、目の前のリビングには明らかに不似合いな、ギリシャ建築のような装飾が施された立派な門が建っていたのだから。
もちろん、昨日までは、郊外の田園地帯に建つ築30年2階建ての我が家のリビングに、このようなオブジェを置いていた覚えはない。
定年退職後、すっかり白髪が目立つようになった頭をかきながら、私はその門に近づいてみた。
門の中には地下へと続く通路が続いている。
10メートルほど先で曲がり角になっているようで、奥までは見通すことができなかった。
通路は自然にできた洞窟というよりは、人工物のようだが、妙に年月を経ているように見える。
目に見える範囲には生き物は見当たらず、今すぐ危険があるようには思えない。
火災報知器やガス漏れ警報器は作動していないため、有毒ガスなどが漏れてきているということもなさそうだ。とはいっても、所詮は家庭用の警報器だ。すべての種類の有毒ガスに対応しているはずもない。
しかし、私の中には説明のできない信頼感があった。
この門、いやゲートと呼ぶべきものを作った誰かは、通常の人間、いわば冒険者では回避不可能な罠を仕掛けることはないという思いが。
命の危険がないわけではない。それどころか、確実に生命にかかわる何かがあるだろう。
だが、その危険は決して一方的に中に入ってきたもの虐殺するためのものではない。これは、命を掛け金にした公正なゲームなのだという信頼感が。
それゆえ、有毒ガスで満たされた部屋や、通路や部屋全体を落とし穴にするといったゲームが成立しなくなるような一方的な罠は仕掛けないという思いが。
そう、これは自然現象などではない。何者かの意思が働いたのでなければ、明らかに人工物に見えるゲートが現れるはずなどないではないか。
そして、このゲートの向こう側は、いわゆるダンジョンになっており、訪れる冒険者を待ち構えているのだろう。
このダンジョンを造り出した者の真意は分からない。だが、表面上の行動指針は、ロールプレイングゲームのゲームマスターのそれと同じようなものだろう。
とは言っても、プレイヤーとマスターが協力して成功を目指す日本式のゲームとも思えない。
むしろ、少しでも失敗があれば死者が続出する本場の米国式ゲームに近いだろう。
もっとも、私が今感じている信頼感が正しいとも限らない。
この信頼感をもたらしているものは、
それとも精神汚染によってもたらされた偽情報だろうか。
あるいは、私自身の妄想であろうか。
すべては、自分の命を掛け金にして、ゲートの向こうに行ってみなければ分からないだろう。
幸いなことに私には家族がいない。
仕事が恋人などと思っていたわけではないが、何となく独身のまま定年を迎えてしまった。
兄弟もいないければ、両親も当の昔に他界している。
このまま、老いて死ぬだけかとも思っていたところに、最後のひと花を咲かせる機会が巡ってきたのだ。
報酬は、未知への挑戦それ自体だ。それでいい。
確かに人間生きていくためには金銭が必要だ。
長く挑戦を続けていくならば、物資の補充やバックアップ要員の確保などのために、さらなる資金も必要になるだろう。
だが、それは後で考えればよい。
まずは、挑戦することだ。
老いたる心、枯れかけた心に久しぶりに情熱の炎が宿るのを感じていた。
「とにかく、先に朝食だ。これ以上、考え込んでいても仕方ない」
滾る心を静めるために、わざと声に出して呟いてから、朝食の用意に取り掛かった。
コーヒーとトーストという簡単な朝食を用意してから、テレビをつけた。
だが、朝の情報番組で女性リポーターが語る内容は、ある意味予想外のものであり、一方で予想できてしかるべきものであった。
◇◇◇
女性リポーターが、東京タワーを背景にした公園に立っている。
「こちらは、東京の芝公園です」
女性は、背後を示しながら説明を続ける。背後には警察の規制線と、どこか見覚えのある建造物が映っている。
「あちらにある凱旋門のような建築物が見えますでしょうか。かなり大きな建造物ですが、今朝になって突然現れたとのことです」
「一体誰が何のために、どうやって設置したものか、現時点では不明です」
「また、門の中には地下へ続く通路があるとのことです。はたして、通路の先には何があるのでしょうか」
「今、防護服を装備した消防隊員がやってきました。これから、地下の様子を調査するようです」
「なお、周辺は安全が確認されるまで、立ち入りが規制されるとのことです」
画面がスタジオに切り替わる。
スーツ姿のキャスターが、地図を示しながら、ニュースの続きを読み上げる。
「現時点で、本テレビ局が確認できた情報では、同様の建造物が、札幌と宮崎で見つかっています」
「また、未確認ですが、それ場所以外でも、同様の建造物が見つかったとの情報が、本局に寄せられています」
「次にこちらの映像をご覧ください」
キャスターの背後に表示された映像が、また切り替わる。
「こちらは、アメリカ合衆国内で撮影された映像です」
そこには、草原の真ん中に門状の建造物が、何もない空中から突如現れるシーンが映し出されていた。
「これは、CGによる合成ではありません。東京で発見されたのと同様の建造物が、世界各国で発見されているとの情報が入ってきています」
「視聴者のみなさんにおきましては、同様の建造物を発見されましても、安全のため、不用意に立ち入らないようお願いします」
◇◇◇
「安全のためか……。まったくだな」
2杯目のコーヒーを飲みながら、誰に聞かせるでもなく皮肉気に呟く。
数日、いやそれどころか、1日だけでも待てば、消防なり警察なりから、追加の情報が発表され、今よりは安全度が上がることは間違いなかろう。
1年なり2年なり待てば、ゲートの向こうを比較的安全に調査する技術がまとまり、それがネット小説でよく見かける冒険者免許という制度で開示されることすらあるかもしれない。
免許制度とは本来、一定の技術を担保として潜在的危険性のある行為を許可する制度である。
そのため、現実に冒険者免許が制度化されるようなことがあれば、安全確保のための技術が開示され、一定の安全が担保できる技術の所持者の育成が行われるだろう。
「安全か……」
コーヒーの入ったカップを見つめながら、そう呟く。
私個人に限定すれば、時間で安全を買うことは、十分に可能だろう。
いや、安全を考えれば、間違いなくそうするべきなのだ。
「だが、それでも待っているだけなどできない」
今この瞬間も世界各国で、ゲートの向こうに挑戦している者がいる。
日本国内に限定しても、消防隊員が調査に向かったと言っていたではないか。
もちろん、今現在に限定して言えば、門の向こうを調査している者の多くは、警察官、消防隊員、あるいは、軍人といったプロフェッショナルたちであり、調査の目的は安全確保が第一であろう。
安全確保を目的とする彼らの視線は、冒険を求める自分の視線とは異なるかもしれない。
運が良ければ、彼らは自分の求める何かを見過ごすかもしれない。
逆に、自分が求める何かを、彼らがあっさりと見つけてしまうかもしれない。その場合、ほんの少し待っているだけで、私は安全にその知識の分け前にあずかれるだろう。
それでも、私は自分自身の目で、ゲートの向こう、ダンジョンに何があるかを見てみたい。例え、それが自分自身の命を懸けることになったとしても……。
◇◇◇
「まさか、こいつらを実際に使う日が来るとはな」
自嘲気味に私は、そう呟いた。
そこにあったのは、小説を書くための資料と自分に言い訳をして買い集めた各種の防具と、武器として使える工具の類であった。
防具に至ってはほぼ一式が揃っている。
ポリカーボネイト製の透明な大盾。
警察でも使用される上半身用のプロテクター。
軍用のブーツに、脛を守るための革製のゲートル。
防刃繊維で作られたネックガード。
防弾ヘルメットにヘッドライト。
防具以外にも、大型のリュックサックやカンテラなどのアウトドア製品も一通りある。
武器についても、相当の量が揃っている。
ホームセンターで購入したキャンプ用の鉈に手斧。
漁業用の銛
鉄パイプ。
金槌に、杭打ちのための両手用ハンマー。
単品では法的に許されるものばかりだが、これだけの量をまとめて持っていると、なんらかの法に触れる危険性すらあるのではなかろうか。
自分でも、いい歳をして何をやっているんだと思いながら買い集めた品だ。
資料などと言っているが、実際には老人性の厨二病。
退職金で、中途半端にまとまった金を手に入れたのがよくなかったと言うべきか。
ともあれ、厨二病だろうがオタク趣味だろうが、今すぐにダンジョンの探索に赴くための準備がそろっているのは幸運だろう。
はやる心を抑えるように、ひとつひとつ確認しながら防具を装備した。
そして、両手には大盾と鉈を構え、ゲートの前へと進んだ、
大きく深呼吸をしたのち、ゲートの向こうへ進む最初の一歩を踏み出す。
さあ、冒険の始まりだ。
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