第29話 山分け

 土日は普通に家族と過ごした。

 近くのショッピングセンターで買い物をしたり、フードコートでご飯を食べたりした。最近、娘は自分でお気に入りのブランドがあるらしく、自分で選んだものを俺と妻にどっちがいいかと聞いてきた。普通の家庭の普通の休日を過ごせた。金曜日に起こったことは忘れかけ、月曜には普通に会社の方に出勤できるような気がした。



 たが、月曜になると足は勝手にあの事務所に向かっていた。事務所のドアを開けると、みんな普通に挨拶してくる。


「おお、金曜日お疲れさん。うまく殺したみたいだね。カメラで見てたよ。取り敢えずの席は、そこ」


 澤村はロイホの隣の席を指差した。


「えっ?席って」


「まあまあ、取り敢えずだよ。取り敢えず」


 取り敢えずというので、取り敢えず会社に出社する目的で持ってきたブリーフケースをその席の椅子に置いた。

 ロイホのデスクにはマックが乗っていなかった。本当にあれからロイヤルホストに通っているのか。


 ロイホはスーツ姿の俺を不思議そうに眺め、うちは私服で大丈夫ですよ、と言った。


「浅野さん、これ、この間の映像を編集してDVDに焼いたんですけど、見ます?」


 透明のプラスチックケースに入ったDVDを渡してきた。俺は手を振って断った。

 あんなの生で見た上に、再度DVDでなんか見たくない。


 今日はマクドナルドの匂いはしないが、ジバンシイの香水の匂いが充満している。


 ソファには定位置で澤村が座り、その向かえ側にジバンシイがいた。背も高く、足も長いので、直角に足を下ろしている澤村と膝の高さが全然違う。今日は紺色のスーツに、太めの赤いストライプが入っている派手めなスーツだ。


「だから、なんで俺がこんな地味な仕事しなきゃなんなーんだよ、オヤジ!」


「オ、オヤジじゃねえぞ、『所長』だ」


「こんな仕事、ミントにやらせろよ、所長」


「所長じゃねーっつただろ!『Mr.ブラック』だ」


「今自分で、所長って言っただろ」


「今日ミントは、この間の代休で、いねーんだよ!」


「じゃあ、マックにやらせろよ。あいつあんまり仕事してないねーじゃねーか。いつもパソコンいじってるだけだろ!」


「『マック』じゃねえ、『ロイホ』だ!それに今あいつは他のことで忙しいんだよ!」


「いちいち、すぐ呼び方変えるんじゃねーよ、クソジジイ!」


「クソジジイじゃない!『Mr.ブラック』だ!!」


 まるで親子ゲンカだ。俺は椅子の上のブリーフケースを背凭れに立て、空いたスペースに浅く腰掛けた。

 ロイホは無言でキーを打っている。

 なにもしていないのも手持ち無沙汰で、ロイホに声をかけた。


「所長の『Mr.ブラック』って、あんまり浸透してないよね」


「なんか『Mr.』って呼びづらいですからね。気にしなくていいですよ」


「あの人たち、いつも、ああなの?」


「あの人たち、いつもああなんですよ」


 ロイホのPCの画面には、なにやらいっぱい数字が出ている。手元にはクレジットカードが4枚置いてあった。仕事の邪魔をしたな、と黙っていると、気にしなくていいですよ、とロイホは言う。


「あ、これですか?今、火村の預金、データハッキングして、こっちに移して、また他のバンクに移してってやってるんですよ」


 数字が下から上にどんどん流れていく。たまにマウスで左から右に移したり、なにをやっているか全くわからないが、要はダンゴムシが言っていたように、殺した火村のお金を全部貰ってるんだろう。

 ロイホは画面から目を離さずに喋る。


「あの人、所長の言うこと聞かないんですよね。ジバンシイは、『リトルハンド』の言うことしか聞かないんですよね」


「へえー、その『リトルハンド』って人は、怖い人なんだ」


 ロイホは少し手を止め、天井を見上げながら言い淀んだ。


「まあ、怖いというか、しっかりしてるというか、まあジバンシイのお姉さんなんですけどね」


 姉弟で殺し屋。なんてアットホームな殺し屋なんだ。


「まあ、超美人なんですけどね。ボクシング、柔道、合気道、あと、ジークンドーとか。まあ、格闘技系だったら、なんでもできるんじゃないですかね」


「へえー」。へえー、しか言えない。

 ロイホがカタカタ打っていたキーボードを最後にパンッ、とENTERキーを押し、スマホで電話をかけた。


「ロイホでーす。もう全額下ろしちゃっていいですよ」


 ソファでは、まだ言い合いが続いていた。

 ポケットのスマホが震えだした。着信は、部長。ちょっと失礼、とロイホに言い、事務所の外の廊下に出た。


「お前、今日も来ないのか」


 電話に出ると開口一番そう言われた。


「すみません。やっぱり気が進まなくて」


「どうすんだ、さすがに今日は有給扱いにはできないぞ」


「すみません、もちろんわかってます」


「病欠にするにしたって、みんな来ない理由知っちゃってるからな。これで病欠扱いにしたら、組合の方がうるさいからな」


 部長が何を話しても耳に入って来ない。俺がいないと困るわけでもない。部長にとっては、この今日の欠勤をどう処理するのかが問題なのだ。俺は会社に必要とはされていない。


「すみません。もう、どうでもいいです」


 部長がまだ喋っていたが、俺は電話を切った。小林からもLINEが来ていた。


(おはようございます。今日も柏原のクソババアがひでえっす。浅野さん、来てください)


 俺は小林の親でもなければ、柏原のお世話係でもない。


 廊下の奥の階段から、階段を登る足音が聞こえた。紙袋のガサガサした音も聞こえた。両手に紙袋を4つ下げた男が現れた。


「ちょっと君。新しい人?」


 彼は顎で事務所を指した。

 俺は肯定したらいいのか否定したらいいのか迷っていると、


「ちょっと、ちょっと。これ、持って。指が千切れる」


 と紙袋を2つ渡して来た。受け取ると、結構重い。彼は片手に2つ持っていた紙袋を両手に1つずつに持ち替え、事務所のドアを顎で示し「開けて」と言った。


 事務所に入ると、みんな一斉に「うぉぉぉぉぉぉいっ」と歓声を上げ、俺たちの持っている紙袋を受け取り、ソファの前のテーブルの上に置いた。

 紙袋の中の1つが置いた拍子に、横が破れ、大量の札束がこぼれ落ちた。


「お前、なんで紙袋なんだよ。ジュラルミンケースとか革のバックとかじゃないとダメだろ」


 澤村が怒鳴った。


「違うんですよ。ジュラルミンケースとかだと見た目で、あいつ大金運んでる、ってバレるじゃないですか。こういう饅頭屋の紙袋とかがいいんですよ」


 男が言い訳をした。


「お前、持って来る途中で破けてたら、元も子もねえじゃねえか!」


 澤村が怒鳴る中で、ジバンシイは紙袋を全部開けて、まず半分にし、それを金庫に入れた。残った半分を4分の1にし、その2つの塊をA4の封筒に入れた。テーブルに全体の4分の1が残った。


「火村ってのは、案外浪費家じゃなくて助かったな。騙した金、こんなに溜め込んでやがって」


 残りの札束の、2束をロイホに渡した。


「はい、臨時ボーナス」


 もう2束をロイホに、「これはフジコの分」と言って渡した。ロイホは受け取り、封筒に詰めて、表にボールペンで「フジコ」と書いた。


 ジバンシイは香水の匂いを辺りに振りまきながら、楽しそうに金を振り分ける。

 3束をミントの席に、5束をダンゴムシの寝ている背中の上に積み重ね、もう1束、「これは治療費」と言って、その5束重なっている上に置いた。


 ジバンシイは手元に残った2束を持って、俺の方によってきた。彼は澤村の方をチラッと見た。澤村は頷いた。


「お前も、一応、仕事したからな」


「いや、俺は、その、ただついていっただけなので」


 ジバンシイはもう1度、澤村を振り返った。


「だよなー。じゃあ、これバイト代。正社員じゃないから半分な」


 と言って1束俺に渡し、もう1つを自分の内ポケットに入れた。


「おい!待て、ジバンシイ。お前、今回なんにもやってないだろ!」


 ジバンシイは舌を出して、事務所のドアを開けた。


「じゃあ、仕事行ってきまーす。『Mr.ブラック』」


 澤村は、「所長じゃない」と言おうとした口を歪ませ、驚いた表情になり、口籠った末、


「たまには素直に仕事受けろ!」


 と怒鳴った。








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