第16話 藤原 景子の件(2)

「メールをくれた藤原景子さんですか?」


 ミントのその問いに、彼女は戸惑った表情を見せた。わかるよ、その気持ち。本当に殺し屋なんかいるのか、この幼い少女はなんなんだ、その幼い少女が殺し屋なのか。いろんな疑問が一気に押し寄せ、なにを答えていいのかわからない、そういった表情。不謹慎にも、笑いが込み上げてくるが、それに耐えた。彼女は頷くだけだった。


「ちょっとだけ失礼します」


 ミントは靴を脱いで、その「お屋敷」に上がると、トートバッグから数本の細長いプラスチックの容器とノートを出した。そしておもむろに何か小さい紙を藤原景子に首筋に当てて擦った。彼女は、小さく体を震わせ、身を引いた。

 俺は、靴を脱いで入るのが嫌だったので、ブルーシートを捲ったまま、顔だけ中に入れていた。


「すみませんが、髪の毛を何本かいただきたいのですが」


 さっきまで小さな声で喋っていた人間とは思えない、テキパキとした事務的なハッキリとした声だった。


 おどおどする彼女を、ミントは真っ直ぐ見返す。彼女は恐る恐る頷くと、右手で数本自分の髪の毛を抜き、手渡す。


 先程取り出したプラスチックの容器に、首筋を擦った紙と、彼女の髪の毛を別々に入れた。細長いプラスチックの容器には、それぞれ3分の1ほど、何か液体が入っていて、それを何回も振り、その液体を見てノートになにやら書き込んでいる。

 続いてトートバッグから取り出したのは、電気髭剃りのような機械で、電源を入れると、その先端を藤原景子の着ている衣類に擦り付ける。ピピッと音がして、液晶画面のような部分に数字が表示された。それもメモを取る。


 全くなにしているかわからない。藤原景子もそういう顔をしていた。


「1週間から10日はお風呂に入ってないですね。皮脂汚れとかから算出すれば、わかるんです。細かい説明をすると、専門的なことになってしまうので、避けておきます。これでホームレスをしているということは本当だと思われます」


 本人を前にして、なにを言いだすんだろう。


「こちらも仕事です。あなたが私達を疑っているように、私達も依頼人が本当であるか確認を取っただけです。これで私達はあなたをホームレスだと認識しました。あなたもこれで私達を『殺し屋』だと認めて、話してください」


 もう、なんだかめちゃくちゃな理由だなぁとは思ったが、この人もホームレスに見えないから仕方がない。もしかしたら、からかい半分で呼び出したり、「殺し屋」の情報を仕入れた囮捜査の刑事かもしれない、とまあこちら側の方が、色々とリスクが高いのだろう。


 それでも震える藤原景子を見て、助け舟を出すつもりで、「いい人たちですよ、俺も信じられないんですけど」と言いだすと


「アサシンさん、少し黙ってて」


 と、とがめられた。『アサシン』に『さん』を付けられて、一瞬なんのことだかわからなかったが、澤村に付けられたあだ名だったことを思い出した。きっとこういう場では本名で呼んではいけないんだろう。


「おいおい、なんだオメーら。このねーちゃん虐めようっていうなら、ただじゃおかねーぞ」


 数人のホームレスが押し寄せてきた。

 藤原景子だけだった時は、全くではないが臭くはなく、ほんの少し女性特有の香りがしていたが、ホームレスが増えると、やはりドブみたいな臭いが鼻を刺す。


「オメーら、なにした。ねーちゃんビビってんじゃねーか。ちょっとこっちに来い!」


 俺はなにもしてないのに、後ろからシャツの首を掴まれ、後ろ向きに押し倒された。4人の臭い男達に囲まれた。中には錆びたフライパンを持っている奴もいる。このまま袋叩きにされるのか。


「ジンさん待って。この人たちは私が呼んだの」


 入り口から顔を出した藤原景子に、男達は顔を向けた。


「みんな、なにも聞かないで親切にしてくれたのに、ごめんなさい。ジンさん達も中に入って。これまでの経緯を、ちゃんとみんなにも説明する」


 体のガッチリしたゴリラみたいな顔をした男がリーダー格で、「ジンさん」と呼ばれた男なのだろう。そのゴリラは俺の手を掴むと、強引に引っ張り体を起こされた。



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