7月6日 不安定な雲行き

 ノストの丘は、ベガンダとニーザンヴァルトの国境沿いに位置する、丘陵きゅうりょう地帯だ。

 ベガンダ軍は、王都シエイランより数日の距離にあるこの丘の上に陣取り、ニーザンヴァルト軍を待ち受けている。


 世界に名だたる魔法王国といえど、ベガンダそのものは、国土もそう広くない小国だ。この国境を突破されるだけで、簡単に王都まで攻め込まれてしまう程に。


 もっとも、それを簡単に許すほど、この国の兵も決して脆弱ではない。


 丘のふもとには、三色の鎧に身を包んだ騎士達が、本陣を守るように列を連ねている。


 主に剣技のみで戦う赤の騎士、『天剣騎士団』。

 剣術と魔術、両方を組み合わせた青の騎士、『聖魔騎士団』。

 そして、服従の首輪で飼い慣らされた魔獣を、乗騎として操る白の騎士、『征獣せいじゅう騎士団』。


 因みにギナゼッド団長は、これら三騎士を束ねる総騎士団長なのだとか。


 更にその背後には、ベガンダが誇る魔法部隊、『神叡しんえい魔術師団』が控えている。



 本陣におわすセリナ姫の傍らには、護衛として天剣騎士団から、例のチャラそうなのっぽの騎士、ショウト。

 そしてもう一人、聖魔騎士団の女騎士が立っていたのだが。


 彼女はエルフ族だった。


 アカシャーンはその昔、その幻想的で見目麗しく魔法適性が高いという特性から、人間よりも森妖精の同類として扱われていた時代があったらしい。


 そのため、現在でもベガンダと森妖精の交友は深く、こうしてベガンダの国内どころか、アカシャーンの街で生活するエルフも少なくない。


 騎士宿舎で、日頃世話になっている天剣騎士以外の騎士を見かけたことはあったし、その中にはエルフも時々居たのだが、物語の挿絵でしか見たことのない亜人種を、こんなに間近で拝んだのは初めてだった。


(やっぱり、本物のエルフは綺麗だなぁ……)


「何だ、私に何か用か?小僧」


 しまった、ついじろじろ見てしまった。女騎士がオレの方を睨みつけてくる。


「あ、いえ、その。ごめんなさい、珍しくてつい」


「すみませんね、ウィラスリアン様。この子、箱入りで世間知らずなモンで」

 オレの横に居たファウスが思わずフォローに入るが、ウィラスリアンと呼ばれた彼女の不機嫌そうな顔は変わらない。


「リア、貴女が人間を好ましく思っていないのはわかるけど、あまりポチのこといじめちゃダメよ」

 見かねたセリが口を挟む。


 これまた大昔、おごり高ぶった人間族は、エルフやアカシャーン、その他の亜人種に色々無礼を働いていたことがあるとかで、今でも彼女のように、同胞であるアカシャーンを除いたオレ達人間を、よく思っていないエルフは多いらしい。


 オレ達にとっては、ずっと昔の祖先たちがやったことでも、長命のエルフにはそう遠くない出来事なのだろう。


「……む」


 セリにたしなめられ、途端に女騎士の表情が、どこか気まずそうに歪む。


「フン、トラッカゴキブリが。幼子ゆえ見逃してやるが、二度目はないと思え。お嬢のお気に入りだか何だか知らんが、調子に乗るでないぞ」


「と、トラッカって……いえ、はい、気をつけます」


 人間嫌いのエルフには、このように人間を侮蔑する者もいるというのは、知ってはいた。

 が、やっぱり初対面の相手にゴキブリ呼ばわりされて、蔑んだ目で見られるのは、結構堪える。これまでこの国の人々が、オレに好意的だったから特に。


 それと、エルフから見た人間は、何歳くらいまで幼子なんだ。オレ、一応この国じゃ成人年齢のはずだけど。


「そういえば、お前は魔術師団の方に行かなくていいのか?」


 やれやれと言った顔で、俺の隣に並び直したファウスに声をかける。


「僕はほら、天才だから。秘密兵器は最後まで取っとくモンでしょ?」

「嘘でも本当でも、自分で天才とか言っちゃうかなぁ……」


 こいつが実力ある魔術師なのは、どうやら確からしいが。


「冗談はさておき、僕は女王補佐も兼ねた宮廷魔術師だからね。基本的にはセリナの傍付きなんだよ。キミと同じでさ」


 傍付きのランクが段違いだと思うんですが、オレとファウスでは。



「来たわよ」

 先程からずっと硬い表情で、国境を見据えていたセリが声を発する。


 そちらに目を向けると、漆黒の鎧に身を包んだニーザンヴァルトの兵団が、こちらへと近づいてきているのが見えた。

 一丸いちがんとなって押し寄せるそれは、まるでベガンダを覆おうとする、闇のようにも感じられる。


「始めましょう」


 そう言って立ち上がったセリは、透き通るような声で高らかに歌い出す。


 美しい歌声が流れると共に、彼女の身体がほんのりと輝きだした。

 同時に、ニーザンヴァルト軍を妨げるように、国境沿いにみるみる光の壁が形成されていく。


「これが、女神の聖唄きようた……」


「そう、女神アカシュの巫女たる資格持つ、ベガンダ王家の女子のみが扱える魔法障壁。あらゆる外敵からこの国を護る、絶対防御魔法さ」

 オレの言葉に、ファウスが念押すように説明を加える。


「といっても、これは魔力消費もバカにならないから、今はあんまり王家でも使える者は居ないんだけどね。今、成人済みの女王候補で扱えるのは、歴代でも類を見ない魔力量を持つ、セリナくらいだよ」


「……っておい!全然効いてないんじゃないのか、あれ!」


 戦場では、光の壁をものともせず、一回り大きな黒き鎧の兵士達が幾人か、ばらばらと突き進んできていた。


「うーん、抗魔兵だねぇ。向こうじゃ何て正式名称かは知らないけど」

 飄々とした態度を崩さないまま、ファウスが答える。


「ここ数年で導入されたみたいなんだけど、あの鎧、魔法効きにくいんだよねー。また数が増えてるかなぁ、面倒だなぁ」


「そんな呑気に構えてる場合なのか!?あのままじゃ危ないんじゃ」

「心配ご無用。そのための天剣騎士と征獣騎士だからね」


 その言葉通り、障壁を潜り抜けた兵を三騎士の部隊が、中でも魔法に頼らない赤と白の鎧の騎士達が率先して迎え撃つ。


 あらかた倒したところで、新たな漆黒兵が送り込まれ、更にそれを撃破していく。



 何度も、何度も、ゆっくりとした波状攻撃は繰り広げられた。



「なあ、ファウス。いつもこんな、のんびりした戦い方してるのか?」


 本気でやり合う気の無かった、先代王同士の戦ならば、こんなやけにちんたらした雰囲気でも理解できる。

 だけど今の伯父上は、王子オレの死を利用して、ベガンダ侵攻を本格的に目論んでいるはずなのに。


 ファウスにそう問いかけると、彼は細い目を更に細くして、何か考え事をしていた。


「流石にこの流れは、ちょっと厄介かな……」


 宮廷魔術師殿はそう呟くと、トランス状態で歌い続けているセリの傍へ近づいていく。


 そして何かをささやくと、手にしていた杖で軽く歌姫の肩に触れた。

 光に包まれ、神々しさすら感じられるセリの身体が、更に輝きを増したように思えた。


「ラド、少しキミの魔力を分けてくれないか。僕を経由して、セリナに受け渡すから」

 ファウスがオレの方を振り返る。


「魔力を?」


「おそらくニーザンヴァルトの狙いは、セリナの消耗だ。長期戦で女神の聖唄を維持できなくなれば、兵の数で勝る向こうは、力で押し切ることもできるだろう」


 確かに、セリがいくら底抜けの魔力を持っていようとも、それをこうして大量消費していれば、いつかは魔力が尽きる。


「今までこの手を使ってこなかったのは、それをやれるだけの抗魔兵を揃えられなかったのかもね」


「で、でもオレ、魔法なんか使えないぞ?人にあげられるほどの魔力なんて、あるかどうか……」


「生きとし生けるもの、全てに魔力は備わってるんだよ。その大半は、生命力という形でね。それを思うままに変換して活用するのが、魔法なのさ」


 ああ、それでロクタームのように魔法を使えないことを、『魔力がない』ではなく『魔法適性が低い』というのか。


「僕の手を握って。結果的に生命力を吸うから、ちょっと疲れると思うけど。一晩休めばまた元気になるはずだから、心配はいらないよ」


 そう言いながら差し出された手を、ためらいがちに握る。


「……ありがとう、セリナに力を貸してくれて」

「別に。ここで彼女が力尽きたら、オレたちだってどうなるかわからないだろ」

「えー、いつからそんな素直じゃない口をきくようになったのー?可愛くなーい」


「くだらないこと言ってないでとっとと――ッッ!!」


 突然、力が抜けるような感覚が、全身に走る。

 酷い倦怠感けんたいかんに襲われ、身体がとてつもなく重い。


「とと、ごめん、魔力譲渡初めてだもんね。しんどいなら無理せず休んでて」


 無事にオレの魔力をセリに送り込んだファウスが、慌ててオレに肩を貸す。


「いやー、思ったより潤沢な魔力だったから、ついうっかり多めに貰っちゃったよ。身体、丈夫になったんだねぇ、ラド。お兄ちゃん嬉しいな」


「お前なぁ……」

 またオレを病弱王子に戻す気か。


「でもおかげで、セリナの魔力も充分潤ったよ。念の為の補充だったけど、これなら丸一日発動してても大丈夫そうかな」



 その後も何度か波状攻撃は続き、日が暮れかける頃に、やっとニーザンヴァルト軍は諦めて引き下がっていった。



 撤退した敵軍がすっかり見えなくなってから、ようやくセリは女神の聖唄を終演した。


 その途端、姫君の身体がぐらりと大きく揺らぐ。


「セリ!?」


 思わず彼女に駆け寄って、よろめくその白い肩を抱き留めていた。


「お、おい、大丈夫か!」


 そう声をかけてから、先程のファウスの言葉を思い出して、ぞっとする。


 大丈夫なわけがない。こんなにも長い時間、魔力を、いや、生命力を消耗し続けていたのだから。


 強力な魔法を使った影響なのか、こちらに伝わる彼女の体温が、随分と熱を帯びている。


「お嬢は無理をしすぎだ、全く」


 いつの間にか傍に来ていたエルフの騎士が、治癒魔法だか魔力譲渡だかわからないが、セリに魔法を施す。


「ありがとう……平気よ、ちょっと疲れただけ。ポチも心配しないで」


 身体を離す余力もないのか。オレの胸に身を預けたまま、明らかに青ざめた顔でセリはそう言うと、オレに微笑んでみせた。



 ワガママで、気まぐれで、気が強くて。

 何かと人使いが荒くて、いちいち気にさわる事を言ってきて。


 そんな可愛げのない、小生意気だと思っていた少女なのに。


 こうしてオレの腕の中にいる彼女は、とても華奢きゃしゃで、はかなげで。


 今にもくずおれそうな身体を、それでも必至に踏ん張っていて。


 何でもないと言い張るその笑顔さえ、とても痛々しかった。



 こんな馬鹿な戦を、セリは今まで、ずっと続けていたのか。


 そしてこれからも、続けていくつもりなのだろうか。


 民のために、国のために、己の命を犠牲にして。


 外敵を打ち倒すでもなく、ただただしりぞけるためだけの、こんな愚かで不毛な戦いを。

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