プロローグ2『Play』

 画面の少女がえがく。くくっ、と含みのある笑いに青年はこめかみをつまんだ。

 少女と言っても年齢はその比ではなく——というか実際のところ年齢は定かではない。



 見た目14歳の上司ロリババアは服の趣味も誤解を呼ぶ体質で、漆黒のゴシックロリータといったパンチのある服装である。

 まったく雰囲気だけでいえば、この国を動かせるほどの権力者とは思えない。



 レースで飾られたドレスは夢のように現実味がない。画面越しからでもわかる、透き通るほどの絶世の美小女。

 そこで彼はようやく気付いた。さきほどの写真と、この上司の面影が似ていることに。


「……ん? 待てよ、ヴァンキーラって――」


「そう、僕の姪さ」


 猫の笑いに絶句する。彼女とそこそこ付き合いの長い青年であったが、いままでその手の話を聞いたことがなかった。


「おいおい五大貴族の令嬢だと!?」


「心外だな、僕にだって後継者はいるよ」


 マナという恩恵を授かりしもの、それが貴族だ。



 創世記により世界に満ちた魔法の名残マナを操り、それによってもたらされた異能は魔法に劣る偉大な術神聖術を生み出した。



 いや、彼らは神聖を帯びるがゆえに、貴族という特権を与えられ、代わりに外敵から民を守る盾となったのだ。

 故に彼らに課せられた義務は人界の守護であり、幼少期は剣や武術、神聖術の行使といった才能を鍛えることに優先度が廻っている。



 マナとはすなわち神聖の源、それ本来は誰であれ仕組みさえ理解すれば使いこななすことができる。実際、実力さえあれば平民育ちでも騎士団に所属することは可能だ。



 けれど何にだって年期がある。

 代々受け継がれてきた剣の流派や秘奥義、神聖術など、よほど優秀でないかぎり一代で築き上げるには難しいだろう。



 早い話、豆腐屋の息子は豆腐屋に貴族の娘もまた貴族なのだ。



 だがその貴族のなかでも明確な優劣が存在する。



 ヴァンキーラ家。この国でその名を知らぬ者はいない。五大貴族ペンタグラム。通常、六等からなる爵位の下位貴族とは身分も権威も別格の扱いをされた5つの公爵家。



 基本的に親から子へ受け継がれるマナは同質なものだが、それが武器にまで至るとは限らない。相性の良い武器には個人差があるし、その数は千差万別。なかには剣士の親から狙撃手といった全く別の位階に属することもありうる。



 それは個性という当たり前のものであり、けして珍しいものではない。



 しかし、彼らだけは例外だ。ペンタグラムの血は他のどれよりも強い因子を持ち、その子どもは必ず親と同じ異能を授かる。



 彼らの待遇はその能力が強力かつ稀少であるがゆえの措置なのだ。



 鬼神の如き攻撃力を誇る武鬼ベルセルクの最条家。いかなる壁をも突破する先駆パイオニアのラックローマ家。星の目を持つ聖星セレスティアのレ・ヴィナ・ナール家。全ての未知を探求する異端ハエレティクスのシェルマン家。そして最後に、目の前の上司ロリババアを現当主とする略奪パラドクスのヴァンキーラ家。


「いよいよ雲行きが怪しくなって来たな」


 わざわざ説明したからには、なにかしらの理由があるはずだ。

 正直心臓に悪いので、あわよくば転属願いを出したい気分だが、受理される以前だろう。

 仕方ない。きっといくら拒もうと、彼女は聞く耳をもたず仕事を投げるだろう。青年に拒否権はないのだ。



 彼女は唇の周りを舐めとり、にたにたと屍に似た恍惚を浮かべた。

 手許のホットチョコレートを啜り、青年が諌めるように駒を進める。


「糖分ばかりとっていると太るぞ?」


「なら僕は別だね。ほら、可愛いは正義だから」


 そんなこと言ってるから適齢期過ぎた今も独り身なんだよ、とは口が裂けてもいえないので鼻でそれをあしらった。


「……それで、任務内容は?」


 組脚を変えた少女は優雅にチェス駒を弄んでいる。身長に似合わないシングルチェアに腰掛けていた声音が不気味に曲がる。



 聞く前から落胆の色を映す。彼女の指令は多種多様にして容赦がないが、どの任務も命がけだ。特に、彼女の好むものは悪趣味に近い。

 任務内容がどうであれ、青年の頭を苛ませることは間違いない。


「……では、任務を伝える」


 芝居がかった口調で猫がわらう。唇の中で割れたチョコレートが溶け落ちた。ピンヒールが不気味に黒光る。


「明日から頼むよ、僕の――甥として」


「……………は?」


 口をぽかんっと半ば開いた青年はじっと上司を睨み付けた。


「どういう意味だ?」


 期待通りの反応だというように上司は微笑む。爛漫のフリルが画面を埋め尽くして煩わしい。


「彼女、年齢的に結婚期だろう? あの経歴だから我よ我よと求婚が絶たなくてね。でも本人が望んでないのさ」


「で?」


「ようは囮さ、誰かを形だけの許嫁にすれば簡単にそれは治まる。でもって、姪っ子の経歴を視ても何の興味も抱かない人間なんて君ぐらいなんだよ」


 わかるかい、目配せで机上の資料を指し示して上司は告げる。なるほど、これはそのためのものだったのか。



 けれど、だからといってそう簡単に納得するわけがない。駄々をこねる子どもをあやすような態度に眉をひくつかせた。


「そんなことで、俺を離脱させていいのか?」


「任務はもう一つある」


 上司が一差し指を立てる。病的ともいえる白い指先を唇に侍らせ、夜の余韻を孕む表情はなんとも享楽的だ。けれどそこには一切の遊びがない。珍しく真剣な眼差しに、青年も抗議の口を閉じた。


「最近、彼女の周りを嗅ぎ廻すものが増えていてね、おそらく感づかれたんだろう。あの子に危険が及ぶのは僕も避けたい。だから君に身辺警護と一流の戦姫として教育係も担って貰うよ」


「……?」


「なに、こちらのはなしさ」


 聴きながら辟易した。

 いつもそうだが、こいつ補足はオレの理解の範囲外だ。そのくせ、ろくな報酬も払わないくせに、どうしてこう軽々と山積みの仕事を持ってくるのか。


「まあ、いろいろ大変だろうけれど、頑張りたまえ」


「……一応、オレは傭兵という扱いなんだが」


 にんまりと猫が笑う。画面越しに見えるその姿は、異界に咲くという一輪のクロユリ。それに諦めた息をついて、肩をすくませた。暖炉の焦げ落ちた薪灰が漏れる。

 しがない従者に上司の命令は絶対だ。


「――了解」


 チェックメイト。白いホーンが黒のキングに詰めかかる。


「ふふ、優秀な部下で助かるよ」


「それがオレの仕事だからな」


 二人の間で交わされる見えない談笑は、青年の鼻孔に入り込んだ硝煙の匂いでかき消された。


「……ああ、そうそう聞き忘れていたよ」


 狐がわざとらしく声を上げる。チェシャ猫は髭をにんまりと撫でて、青年に微笑んだ。


「いま、前線そっちはどうだい?」


 それを乾いた息が一蹴する。彼は顔を上げて、猫に微笑み返した。皮肉と嘲笑を顔に混ぜながら。


「最悪だ」


 吐き捨てたその瞬間、映像が途切れる。

 自分から掛けてきては勝手に切りやがって……嵐のような猫だ。

 役割を終えたボードは二つに折り曲がり、もとの状態に巻き戻った。ほんとうに便利なのか不便なのかわからない。



 青年はというと一度椅子に深く凭れた天井を仰いでいた。唇から静かに息を吸い上げ、ふうと吐き出す。額を覆う指から見せた、暗いかげは先程の印象とは少し異なる。


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