第33話 イブロと龍

 そこで一旦言葉を切り、ビールを飲み干すイブロ。一方、チハルも彼の真似をして牛乳をぐいっと一息に飲む。


「チハル、むせるぞ……」


 イブロはやれやれと言った風に肩を竦める。


「う、だ、だいじょうぶ」


 口元の牛乳を拭いながら、チハルは眉尻を下げた。


「この先は予想がつくだろうが、続けるぞ」

「うん」


 邪龍と対峙したのは、遮蔽物の無い草原だった。身を隠すものは何もない。正々堂々の対決。

 邪龍はたった二人で自身へ挑戦する姿勢を見せた二人を称賛する。

 そして、戦いが始まった。

 これまで強い強いと言われるモンスターを打倒してきた二人をもってしても、邪龍は別格と彼らは一合目から思い知らされる。

 邪龍も手ごたえのある挑戦者へ向けて歓喜の咆哮をあげた。

 モンスターというのはその身体能力に任せてこちらをねじ伏せに来るもの。イブロはそう思っていた。

 結局モンスターとは動物の延長線上に過ぎず、こちらの経験、知力、技能を持って身体能力が遥かに上回るモンスターにどう対処するかを問われるものだと。

 

 しかし、龍は違う。培った戦闘経験を自身の力に変え、油断も慢心もせず的確に二人の連携を崩してくる。

 戦いは長引き、次第に二人と龍の体力差が如実になってきた。このままではジリ貧だ。イブロがそう思った時、友人の男も同じことを考えていたようでイブロへ目配せをする。


――死力を尽くし、自身のことを顧みず特攻する。

 イブロは友人へ叫び、邪龍へ決死の覚悟で突進を敢行した。この命は少女に救ってもらったもの。友人を生かすため自分が倒れるのならば本望だ。

 イブロは願い、ダマスク鋼の棒を振り上げあらん限りの声を出す。

 後先考えないイブロの無謀な突進へ邪龍は虚を突かれた。戦いとは自分の命を捨てるものではない。邪龍は理解が及ばぬイブロの動きへ戸惑う。

 イブロは邪龍の尻尾が迫っているが、構わずダマスク鋼の棒を振りぬいた。このまま自分は尻尾に激突し体をひしゃげさせ倒れるだろう……友よ、後は任せたぞ。

 満足した顔のイブロだったが、来るはずの衝撃が来ず……事実に気が付いた時、彼の顔は悲壮に変わる。

 

「ゴンサロ!」


 イブロは叫ぶ。友の名を。邪龍の尻尾に打たれ吹き飛ぶ友の名を。

 友人はイブロへ向けニヤリと笑みを浮かべ、飛ばされる勢いのまま体をうまく制御し、龍の腕の付け根へ大剣を突き刺した。


「お前も守れて、龍の勢いも生かせる。見ろ、イブロ。奴へ俺の剣が突き刺さったぞ!」

「ゴンサロ!」


 イブロは友人の名をあらんかぎりの力で叫ぶ。

 友の体はもう……。

 倒す、こいつを倒す。絶対にだ。

 友を見取りたい。しかし、それ以上にこの邪龍を仕留めねば……必ず。

 

「うおおおおおお」


 気勢をあげるイブロに信じられないほどの力が籠り、ダマスク鋼の棒を振り下ろす。

 狙うは剣。友の剣だ。これを起点に更に傷を広げる。

 しかし、邪龍は身を引く。空を飛ぶ。奴は逃げたのだ。友の剣を打ち付けられたまま……。

 

 ◆◆◆

 

「イブロ……ありがとう、お話してくれて」

「つまらない話だったよな。すまんな」

「ううん、ありがとう、イブロ」


 チハルはトコトコとイブロの脇まで歩くと、ギュッと座る彼を抱きしめた。そしてそのまま、彼の広い背中を撫でる。大丈夫と言い聞かせるように。

 

「すっかり人間になったな、チハル。最初に会った時、まさかお前さんがこうして撫でてくれるなんて思ってもみなかった」

「えへへー」


 イブロから一歩離れ、にへーと笑みを見せるチハル。もうどこから見ても人間の少女そのものだ。イブロは微笑ましい気持ちになり、彼女の頭を撫でる。


「もうすぐ、旅が終わるね、イブロ」


 チハルは目を細めながらも、どこか寂しそうな声で呟く。


「そうだな。左目を見つけたらチハルはどうするつもりなんだ?」

「わからない。わたしの欠損した記録がきっとわたしを導くの」


 淡々と言葉を紡ぐように見えるチハルであったが、イブロは彼女が僅かに肩を震わせているのに気が付く。

 彼女は今、揺れている。答えを出すのは彼女自身なのだが、イブロは願う。「人間」としてのチハルの思いを選んでほしいと。

 

「チハル」


 イブロはチハルを抱き寄せ、ギュッと抱きしめるのだった。

 

 ◆◆◆

 

――翌朝

 十分に休息を取ったイブロとチハルは、御者台に乗り山へと向かう。土が固められただけの道ではあったが、木が密集して通れなくなっている箇所も無く思ったより順調に彼らは進むことができた。

 一日が過ぎ、登ったり下ったりを繰り返していると突然道が開けてくる。周囲には民家の一つさえないのだが、石畳が顔を出し先へ先へと続いていたのだ。


「いよいよ、古代遺跡まで来たようだな」

「うん、イブロ」

「チハル、目の位置はどこなのか分かるんだよな?」

「うん」


 イブロはチハルを膝の上に乗せ、手綱を引っ張る。チハルは初めて会った時から目の位置の方角はずっと分かっているようだった。

 この分だと、正確にどこにあるのかまで計ることができそうだ。だから、チハルにどちらに行けばいいのか指示を出してもらいながら進む。

 

 しばらく道なりに進んでいると、チハルがイブロの服の袖をちょんちょんと引っ張った。


「どうした? チハル?」

「左目がこっちに近づいてくるよ」


 チハルの左目はひとりでに動くものなのか……? チハルの場合、その可能性が無いとは言い切れないがおそらく……。

 何者かがイブロらの馬車を発見し、こちらに迫ってきていると考えるべきだろう。

 イブロは前方を睨みつけ、手綱を引き馬車を留める。

 

「チハル、ここでじっとしていろ」

「うん」


 イブロはひらりと御者台から飛び降りると、スレイプニルの前に立ちカルディアンを抜き放つ。

 彼の様子を見て取ったソルはすうっとイブロの傍らに立ち、低い唸り声をあげる。

 

 まだ何も感じない。

 ソルもまだか……。

 イブロはソルの背中を撫で、全神経を集中させる。どんな変化も見逃すまいと。

 

――三分経過、イブロの額に緊張から汗がにじむ。

 ソルはどうだ? と思いソルの横目でチラリと見やると彼は首を上に向け空を睨みつけているではないか。

 上か。

 店主が言っていた龍だろうか……目を凝らすと遠くに小さな黒い点が辛うじて確認できた。

 あれは……もう少し寄ってこないと分からぬがおそらく龍ではない。

  

 そう考えている間にも黒い点はどんどん大きくなってきて、イブロの目にもその全容がようやく確認できた。

 あれは……飛竜だ。

 飛竜ならばイブロ一人で対応できないこともない。もっとも強敵であることには違いないのだが……。

 イブロは店主の言葉を思い出す。彼は龍と言っていたが、飛竜のことだったのだろうか?


「チハル、馬車の中へ」

「どうしたの? イブロ?」


 珍しくチハルがイブロへ問い返してくる。

 

「飛竜だ。おそらく目標は俺たちに違いない」

「そうなんだ。左目はそこじゃあないよ」


 チハルの言葉にイブロは一瞬だけ驚きで固まってしまう。そして、彼の脳裏に最悪の予想がよぎる。店主の言っていたのは「龍」。やはり、飛竜ではなく龍なのか。

 ブルブルと首を振り、自分の頬を叩くイブロ。いや、今はそんなことを考えているより目の前の飛竜に集中しろ。

 気持ちを切り替え、キッと空を睨むイブロの目には飛竜が映る。こ、こいつは大きい。

 この飛竜は、紅目か……。紅目はその名の通り赤い目をした飛竜で、数種いる飛竜の中では大型の部類に入る。頭から尻尾の先までの大きさは十五メートル。赤い目に加えて、背中に生えた棘の色も鮮やかな深紅をしていて良く目立つ。

 鱗の硬さはそれほどでもなく、攻城用の弓……バリスタを比較的近い位置から当てれば鱗を突き抜けることだってできる。

 だが、地上を歩くだけの人間にとっては、厄介な部類に入るだろう。それは、尾の先の麻痺毒と小回りの利く飛行能力を備えているからだ。

 

「緑目よりはマシだが……。チハル、そこにいては危ない。ソル、上からの強襲に気を付けるんだ」

 

 イブロは自分に言い聞かせるようにソルへ向けて叫ぶ。しかし、ソルは最も警戒すべき空を見ていない。何故か前方を睨みつけ毛を逆立てているのだった。

 ソルはこれまで毛を逆立ててまで警戒心を露わにしたことがなかった。飛竜を発見した時でさえ……。

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