聖なる騎士は決意と共に(第一章完)


 アトラが驚愕していたころ、アトラが退室した部屋にはルカとルミィナの二人が残っていた。


「あら、何か良いことがあったの? 口元が緩んでいるわよ、ルカちゃん」


 ルミィナは優しい声で、隣へ移動して来たルカの求めているであろう質問を口にした。予想違わず、ルカは上機嫌に話し出す。


「えへへ~、今ね、アトラが部屋に戻ったのが分かったの。どこにいるのか、なんとなく感じられるんだ」

「まあ、そんなことまで出来るのね。眷属は主人である真祖の危機を感じ取れるし、近くにいればおおよその位置も分かるとは聞くけれど、それは初耳よ?」

「すごいでしょ! アトラは私の眷属だからねー!」

「フフ、余程嬉しいのね。ルカちゃんが嬉しいと私も嬉しいわ。けれど——」

「んー? なに、ルミィナ?」


 一段低くなった声に、ルカは首を傾けて隣を見た。すると、先程とは別の光を湛えたルミィナと目が合う。

 ルカは聞き返したのを後悔した。


「疑問なのだけれど、坊やには一体どれほどの血を分け与えたの?」

「……あ~……え~、とぉ……ね……」


 ルミィナの一言に、ルカの視線が露骨に泳いだ。

 ルカが必死に言葉を探す間にも、ルミィナの視線は揺らぐことなくルカの目に注がれている。


 やがてルカは観念した様にがっくりと項垂れ、白状した。


「うぅ、ごまかせない……。5分の1……くらい」

「なっ!? 5分の1ですって?! ルカちゃん、あなた——!」


 ルミィナの目が見開かれた。

 ルミィナが予想するアトラに与えられた真祖の血は、せいぜい手元のカップ一杯程度だったのだ。


「で、でも! あの時はそれくらいじゃないと助けられないと思ったの! 必死だったから、その……ごめんなさい」

「……いいえ、私こそごめんなさいね。少し……驚いてしまったわ」


 ルミィナの言葉に、怒られると覚悟していたルカはホッと胸を撫で下ろした。

 だからこそ、それは不意打ちとなる。


「けどね、ルカちゃん——」

「——ふぇっ!?」


 ぺちんっと、ルカの額がルミィナの指にはじかれた。

 ルミィナは眉をしかめ、自分は怒っていることを態度に表した。ここにアトラがいれば、娘をしかる母親の様だと思っただろう。


「それはやり過ぎよ。吸血鬼はその時々の血液量で力が変わる。真祖であるルカちゃん自身の血は、人間という他者の血で補えないんだから、そんな量を一度に使ってはダメなの」


 ルミィナは出会ってから何度目か分からないほど言ってきた言葉を口にする。


「その量だと、ルカちゃんは間違いなく弱体化しているわ。回復しきるまで少なくとも数十年はかかるはずよ。……もう少し考えて、自分を大切にしてちょうだい。いざという時、そこに私がいない場合だってあるの」

「うん……ごめんね、ルミィナ」


 ルミィナの言葉は、ルカを案じる気持ちがにじんでいた。

 俯いたルカの静かな謝罪に、ルミィナは優しくルカの頭を撫でた。これでおしまい。ルカも顔を上げ、二人は互いに笑顔を向けた。


「私からはそれだけ。——それにしても、坊やにも驚いたわね。それだけの血を与えられて崩壊しないどころか、自我まで保っているなんて。ルカちゃんの話では人格に変化があるみたいだけれど、後遺症としては信じられないくらい軽いものよ? 余程相性が良かった……としか言いようがないわね」

「うん、アトラね、私の血をすんなり受け入れてくれたの。あれは……うれしかったなぁ」

「2回目は随分ロマンチックな方法だったみたいだし、坊やに言ったら面白い反応が見れるんじゃないかしら……フフフ」

「あ! だ、ダメだよ! 言っちゃダメだからね、ルミィナ!」

「あらぁ、言っちゃダメって、何をかしら? 具体的に特定してくれないと分からないわ、私。フフフフフ」

「うぅ~~ルミィナのいじわる!」


 二人はしばらく笑いを交わし合う楽しい時間を過ごす。二人の時は、ルミィナがルカをからかうのが常だった。


 そうして、ルミィナとルカのカップが3回空になったころ、ルミィナが切り出す形で雑談は終わりを迎える。


「——さて、ルカちゃん。そろそろいいでしょう? 坊やと話している最中に何があったのか……聞かせてちょうだい」

「……うん、そうだね」


 アトラに状況を説明している最中、もっと話に入ってくると予想していたルカが静かであり、その表情に影がさした瞬間があったのをルミィナは見逃していなかった。

 談笑は、ルカの心の準備の為でもあったのだ。


「それで、何があったの? 多分だけれど、使い魔のことなんじゃないかしら。——違う?」

「……ううん、正解。アトラの村を見ていた使い魔がね————」


 数瞬の間を置いて、それはゆっくりとルカの口から告げられた。


「————聖騎士に、殺されちゃった」



- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -



 時間は少し遡る。


 アトラの目覚めた村・セトナ村へと向かう一団があった。

 一団は広い原野に作られた舗装されていない道を、馬を休ませることなく走らせる。

 統一感のある装備は、その一団が同じ組織に属している兵士であることを示す。そんな一団で、先頭を行く男の装備だけは他とは一線を画していた。


 白銀に夕陽を映す全身鎧に、青の地に銀の刺繍の入ったマントをはためかせているその男は、『教国』の切り札と言われる聖騎士、ナクラム・ヴィント・アーカーだ。


「頼む、無事でいてくれ……!」


 町を出てから何度目とも知れない神への祈りを、頭の中でつぶやく。それでも、口から漏れる悲痛な願望は止められなかった。


 ナクラムが家族の待つセトナ村の襲撃を知ったのは、彼が息子の成人の日に向けて聖堂の神官と打ち合わせをしている最中のことだった。

 セトナ村の付近にある教会からの報せで、ナクラムの妻と娘を含めた一団が、その教会のある町へと避難して来たことを知ったナクラムは、同時に自分の息子が逃げ遅れたことも知らされた。


 ナクラムには、町を飛び出したのが遥か昔のようにに感じられた。セトナ村までの一分一秒がもどかしい。


「ナクラム様! セトナ村が見えてきました!」


 兵士の言葉に、ナクラムは視線を上げる。

 道の先には、今も息子が助けを待っているセトナ村があった。


「————っ!」


 村を視界に入れた途端、ナクラムは今なお走り続ける馬から飛び降りた。


 突然の出来事に兵士たちが息をのむ中、ナクラムの足が地面に触れる——


「なあッ?!」


——次の瞬間、砲弾じみた速度でナクラムの体は射出された。


 踏み込んだ大地は抉れ、兵士たちにはナクラムの銀の残像を捉えるのがやっとだ。

 自分たちも馬を走らせているというのに、聖騎士の背中はみるみる遠く、小さくなってゆく。


「いけません! 単独行動は——」


 必死の制止も、ナクラムには届かない。

 兵士たちは即座にナクラムの馬を回収し、大地に刻まれた足跡を避けながらその背を追った。


- - - - - - - - - - - - - - - - - - - -


「アトラぁあああああああ!!!!」


 村を囲う木杭の柵に、銀の砲弾が着弾した。

 周囲に木片の雨が降る中、ナクラムは自身の息子の名を叫ぶ。その声は森に、山に木霊し、村中に響き渡った。


 返事はない。


「アトラぁあ! 父さんが来たぞ! もう大丈夫だからな! 返事をしてくれ!」


 ナクラムは叫ぶ。叫ぶ間もナクラムの感覚は周囲へと向けられ、手に握られた白き聖なる槍は油断なく辺りを睥睨している。


 ……返事はない。


 その頃になってようやく、ナクラムの耳に馬の蹄の音が聞こえてくる。聖堂の兵士たちが、ナクラムに追いついたものだった。


「ナクラム様! お気持ちはお察しします。ですが、安易な単独行動はおやめください!」


 その場でナクラムの次に位の高い聖堂騎士が、その場の兵士たちを代表して苦言を呈した。

 未だ襲撃者が残っているかもしれない中、単独での行動は厳禁。いかにナクラムという男が聖騎士であろうとも、危険であることに変わりはないのだから。


 騎士の言葉にナクラムは振り向くと——


「私は村の中心、村長宅と私の家を見てくる。村の外周部は任せる」


 その言葉を残し、やはり単独で村の中心部へと走って向かった。


「なっ、ナクラム様!? ……くっ!」

「どうされますか?」

「……聖騎士による命令だ。従う他あるまい……。二人一組で行動し、逃げ遅れた者がいないか捜索する!」

「「「は!」」」


 騎士の号令で9組に分かれた兵士たちは、行動に移った。


 一方、村の中心へと向かったナクラムは、奇妙な感覚を覚えていた。


「……これは、なんだ?」


 ナクラムの視界には、いくつもの衣服が地面に置かれていた。そのどれもが、つい今しがたまで誰かが着ていた様な配置で置かれている。


 散乱している剣や槍もそうだった。

 刃の状態や周囲の状況から、これはここで使われたものだと推測できる。

 にもかかわらず、刃に血液などは付着していない。

 犠牲となった者の死体すら、この村に来てから見つけていない状況だった。


 言い知れぬ違和感が、ナクラムの胸にこびりついて取れない。


 周囲の状況は、人がいた痕跡をそのままにしている。

 だが、人だけがいない、無人の村。


 ナクラムの眼に写るセトナ村は、落陽により山の陰となっているのも合わさって、どこか見知らぬ村に見えた。

 時間が止まってしまった様な錯覚。今、世界に自分しかいないんじゃないかという不安が、ジリジリとこみ上げてくる。


 ここは、何かが異様だった。


「——っ、あれは!」


 村の状況に思考を加速させるナクラムの視界に、白銀色の槍が写った。

 

 すぐに駆け寄り、それを手に取る。

 すると、白銀色の槍は、本来の持ち主に握られたことを喜ぶ様に、穂先の光を強く瞬かせた。


「聖印が……発動している?! ま、まさか……」


 ナクラムの目が見開かれる。

 聖印を発動できるのは、原則的には聖痕を身体に宿した者だけだ。

 だが、これには大きな例外があった。

 それは、『穢れ』又は一部の魔物への使用。


 つまり——


「いたのか、ここに!? 奴らがいたのか!? ……なんて、事だ……!」


 膝から崩れ落ちた。


 聖印が発動する魔物は、いずれも聖騎士が苦戦するほどに危険なものばかり。この程度の村では、見込まれる被害は壊滅的なものだ。

 逃走できた者がいたことが奇跡的だったと言える。


 同時にそれは、逃げ遅れた者の生存が絶望的であることを意味していた。


「ぐぅ……! アトラ……、アトラあぁあああああ!!!!!!」


 慟哭は、辺りに虚しく木霊した。


 ナクラムの頰を涙が伝い、地面にシミを作る。

 震える肩は鎧の冷たい音を鳴らす。


「——ッ!?」


 瞬間、こみ上げてくる感情に震えるナクラムの背中を、冷たい悪寒が這い上がる。


(視線——見られている——邪悪な気配——!)


 判断は一瞬。

 地についた手はすぐさま白銀の聖槍を掴み——


「————シィィィッ、ジャアッ!!!!」


——振り向きざま、槍はその視線をなぞる様に放たれた。


 白銀の槍が聖印の光の軌跡を描きながら、唸りを上げて直進する。

 その一条の光は、狙い違わず山の大木の陰に着弾し、けたたましい炸裂音を立てて山肌を抉った。


「————————」


 土煙りが立ち込める山肌を、ナクラムは油断なく睨む。

 ナクラムには、確かな手応えが聖印を通して伝わった。何もいないことはあり得ない。


 しばらくすると、舞い上がった土煙りが晴れると同時に、いくつもの足音が聞こえてくる。

 音を聞きつけた聖堂兵たちのものだ。


「戦闘! ナクラム様を援護! 陣形——『聖障』!」

「「「はっ!」」」


 聖堂騎士の無駄を省いた指示に、兵士たちの反応は迅速だった。即座に抜剣した兵士がナクラムの前に壁を作り、背後の兵士は魔法を待機させる。

 そして、今にも簡易の聖域を作ろうとした矢先、聖騎士からの待てがかかった。


「いや、その必要はない。確かに手応えはあったんだが……逃げられたのか消えたのか」


 ナクラムが構えを解く。視線の先では土煙りが完全に晴れ、緑の山肌に出来た土色の傷跡を晒している。

 そこから想像出来る威力に、兵士たちからは息をのむ気配がした。

 強いとは聞いていた。我が国の切り札とも。

 だが、実際に目にしたのはこれが初めてのことだ。


「これが……聖騎士の戦闘……」

「何て力だ……」


 兵士の何人かは、心が漏れていることにも気付かない。

 それを責める者がいなかった。


「ナクラム様、何が居たのですか」


 いち早く驚愕から立ち直った聖堂騎士が、ナクラムに状況の説明を求める。

 それに対して、ナクラムは首を振る他ない。


「分からない。敵の姿を視認出来なかった。だが手応えはあった。何かはいたはずなんだが……」

「確認しますか?」

「いや、村長宅を調べ次第ここから退く。聖堂には〔検魔隊〕の出動を要請したい」

「分かりました」


 会話が終わり、聖堂騎士は帰投準備を指示する。

 その様子を眺めながら、ナクラムは生存の絶望的な息子へと思いを馳せていた。


「アトラ……俺が、必ず……」


 聖騎士は誓う。必ず息子を見つけると。

 生きていれば連れ帰る。死んでいても、その亡骸を連れ帰る。


 アトラを探し求める聖騎士が、ここにいた。


 そしてアトラとナクラム。この親子は再会する。


 その時、敵同士で対面した父は、子は、どの様な道を選択するのか。


 それはまだ先の話である。


「……………………」


 すっかり夜の暗闇に沈んだ村を、ナクラムは寂しげに眺める。その瞳に決意を宿して……。

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