第13話 上層へ

 鹿肉のフィレステーキをたらふく食べた後、二人はくつろいだ気分でコーヒーを飲んだ。

日の入りと共に空気は冷えている。

温かいコーヒーが美味しかった。


 ルーチェは明日の朝から出かけてくると言いだした。

迷宮の階段を上り、上層の壁に案内板を書いてくるそうだ。

「補給物資あります 迷宮の休憩所」と書いて冒険者たちをこの場所に誘導するのが目的だった。


「少しでも冒険者が来る確率を上げたいのよね」

「確かに、ここなら薪、水、食料の補給が可能だから嘘はついてないね」

「ええ。でも水はどのパーティーも魔法で作り出しているから補給の必要はないわ」


長期の遠征においては生命線を担う重要な役割として、水魔法が使える魔術師は優遇されていた。

水というのは人間の生命活動を維持するのに必携でありながら、重量がまことに重いのだ。

体重により変動するが、人間は1日に2リットルから4リットルの飲料水を必要とする。

つまり10日間の探索なら水だけで20キロから40キロの重量になってしまう。

その荷物が魔法使いさえいれば省けるのだ。

いかに水魔法が重宝がられるかは言うに及ぶまい。


「そうやって案内を出して、補給に来たパーティーに入れてもらうというのがルーチェの作戦なんだね」

「ええ。いざとなれば私が集めた物資をタダで上げてもいいから一緒に連れて行ってもらうつもりよ」


ルーチェが行ってしまうのは寂しいのだが、こんな場所に取り残された彼女の心情を思えば協力したくなる。

もしも今、自分がゲートをくぐれないとなったら与一はどれだけ悲嘆にくれるだろうか。

出来る限りルーチェに協力しようと与一は思った。


「でもさ、上の階層は危険なんだろう。パーティーが全滅したくらいなんだから」

「そうね。でも、それくらいのリスクは承知の上よ。それに私は身を隠しながら敵の気配を探る斥候ですからね。一応は専門職なのよ」


ルーチェは大きな胸を見せつけるように張って見せたが与一は不安だった。

そもそもルーチェのパーティーは壊滅しているのだ。

だったら自分が行くしかないのではないか……。


「俺が行くよ」

「……」


ルーチェは否定も肯定も出来ずに無言になった。


「俺なら死ぬことはないからね。魔物に喰われたらここに帰ってくるだけだし」

痛みはあるだろうし、それに対しての恐怖も大きいのだが、ルーチェが死亡することを考えればどうということもないリスクだった。


「ありがとう与一……」


ついでだから迷宮の中を見て回って、魔物との戦闘も経験してみるかと与一は考えている。

戦いにすらならないかもしれないが、どうせ死ぬことはないのだ。



 迷宮の階段は相変わらず不気味な闇に覆われている。

そんな不気味な闇にカジンザのノンキな声が響いていた。


「ほれ、怖がらずに足を動かせ与一。どうせ殺されてもお前は死なないのだ。そんなに怖がってどうする」

「おじい様、あんまり無茶を言ってはダメですよ。与一さんは初めて迷宮の危険地帯に入るのですから」


ナウリマはさりげなく与一を気遣った。

昨日獲れた鹿肉を分けに訪ねた折、与一が迷宮の危険地帯に行くと聞いて付いてきてくれたのだ。

もちろん与一の道案内をするためでもあるが、二人は定期的に危険地帯を巡回している。

死んだ冒険者たちの衣服や装備を貰うためだ。

カジンザは鍛冶もできるし大抵の物は自分で作ってしまう。

ただ迷宮の楽園には鉱山はなかったし、布や小麦粉など手に入れにくいものを冒険者が遺して逝くことも多かった。


 与一は震える膝を叩いて再び歩き出す。

ナウリマに格好の悪いところをあまり見せたくない。

上半身だけなら彼女はものすごい美少女なのだ。


「魔物を見つけたら思い切って突撃してしまえ。一度肉体がなくなれば度胸もつくだろう」


カジンザの言う通りかもしれないと与一も思う。

ジェットコースターと同じだ。

どんなに怖いと思っている乗り物でも5回、6回と乗っているうちに慣れてしまうものだ。

そう、どうせ死にはしないのだ。


「でも、与一さんは偉いですね。ルーチェさんのために自分が危険地帯に行こうというのですから」


ナウリマは優しく声をかけてくれたが、カジンザは辛辣だった。


「何をバカなことを。与一は死なないのだぞ。そりゃあ、普通の状態で英雄的行為をすればルーチェももっと感動しただろうさ。お礼にキスの一つはおろか、身も心も捧げてくれたかもしれん。だが与一は不死者だぞ。ありがたみもへったくれもないわい」

「身も蓋もないことを。それでも他者の為に何かをすることは尊いことだと私は思います」

「否定はしないがな、その向こう側にある下心を見抜けるようにならんとダメだぞ」


ケンタウリーの祖父と孫の会話を与一は無視した。

自分が不死者でなかったらルーチェの代わりに危険地帯へ行くことはなかったし、92パーセントは善意だが、残りの8パーセントはルーチェに好かれたいという不純な気持ちも混じっていることは自覚していた。

いや30パーセントくらいは煩悩かもしれない。

善行は誰にも知られずに行うべきだという荘子の教えがある。

誰かに知られる、誰かに知らせた時点で純粋な善意ではなくなってしまうからなのだろう。

見返りや自己顕示欲を伴わない善はかくに難しい。


「そろそろ上層に到達するぞ。気合を入れろよ」


カジンザの声にハッとした与一は脚に力を入れ、愛槍蜻蛉切を握りしめた。



 迷宮の上層は石壁で区切られた迷路だった。

どこかえた様な、そのくせ甘いような異臭が漂っている。


「どうする、前を歩くか? それとも儂らの後に付いてくるかの?」

「後ろでお願いします」

「構わんが、戦闘の際は離れていてくれよ。後ろからその槍で刺されたらたまらんし、振りかぶったウォーハンマーに頭をかち割られても知らんぞ。……まあ、死にはしないか」


 カジンザとナウリマは近所を散歩でもするようにすたすたと歩いている。

彼らにとっては何気ない日常なのだ。

むしろ生活に潤いをもたらすためにやっているのかもしれない。

人間が趣味で、山菜をとったり釣りをするように、カジンザたちは迷宮の遺棄物を回収するのだ。

だが、冒険者たちの死体があるということはそれだけ強い魔物の縄張りに入ることになる。

危険は大きかった。


「この辺はマンティコアとイノスクスが多い。気をつけろよ」


マンティコアはルーチェのパーティーを壊滅させた魔物で、時に協力関係を結んで群れを作る。

イノクスクは巨大なワニのような魔物だった。

群れでは行動しないが単体の力ではマンティコアを凌駕する。

どちらも強力な魔物だ。

とても与一のかなう相手ではなかった。


「どう気をつければいいんですか?」


苦笑交じりに与一は質問する。


「視覚、聴覚、触覚、嗅覚、これらを最大限使って様子を窺うのだ。敵を見つけたら気づかれる前に逃げる。被捕食者らしく感覚を働かせるのがセオリーだな」


捕食者よりも上位の存在であるカジンザは愉快そうに笑った。


「気楽に言ってくれますね」

「何を言うか。儂らとてノーリスクというわけにはいかんぞ。不意を突かれれば怪我もするだろうし、最悪の場合は死ぬことだってある。そこへ行くと与一は死ぬことはないだろう」

「だけど決して勝つことも出来ませんよ」

「悩ましいところだな」


モンスターハンティングをしたいわけではないのだが、やられっぱなしというのは気持ちのいいものじゃない。

襲われたのなら一矢報いてやりたいとも与一は思う。


「肉体と戦闘技術を鍛えれば多少は強くなるかもしれん。強い武器を手に入れるという方法もあるし罠を仕掛けるのも手だ。どうせ寿命は長いのだ。ゆっくり考えてみればよかろう」


強さに対する憧れは人並みに持っている与一だが、努力してまで強くなろうと思ったことはない。

自衛の手段としては武器が一番だろうか。

日本で一番手っ取り早く取得でき、かつ実用性のある武器と言えばクロスボウだろう。

魔物に通用するかは謎だが、少なくとも鹿やイノシシは狩ることができる。

そして猟銃を取得するという方法もある。

ライフルはすぐには持てないのだが、散弾銃は資格審査に通れば所持は可能だ。


「無理をして戦う必要もないですよ。与一さんにとっては自衛の意味はあまりないですから」


ナウリマの言う通りだ。

人は命を長らえるために身を守るのだ。

だから不死者が身を守る必要はない。



 回廊の先から低い唸り声が聞こえてきた。

腹の底に響くような不気味な大型獣の鳴き声だ。

声は後ろからも聞こえてきた。

前後を魔物に囲まれていた。


「どうやら来たようだな。ナウリマ、後ろを任せたぞ」

「はい。与一さん、壁にピタリと背中をつけておくことをお勧めします。そうすればいきなり食べられることはありません。マンティコアも自分の鼻先を迷宮の壁に打ち付けたくはありませんからね。その代わり前足での攻撃に注意してください」


暗闇に潜んでいるのはマンティコアのようだ。

本当はその唸り声を記憶しておかなければならないのだが、与一にその余裕はない。


「来たぞ!」


叫ぶが早いか、目の前のカジンザが右に飛んだ。

すると目の前にはもう鼻のつぶれた様なライオンの口が迫っており、与一は一歩も動けないまま頭を食われる。


世界が暗転した。

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