銃と剣 18

「あ、あのさ、……黒川、朝練終わったの?」


 ヘラリと颯太は潤一に笑いかける。初めて、潤一に対して苗字で彼を呼んだ。

 そして、初めて彼に苗字で呼ばれた。

 その事実が、どうしても颯太に動揺をもたらし言葉に詰まる。


「あぁ……」


 他人行儀過ぎる。

 ずっと、一緒にいたのに。あれだけ隣にいたのに。何で、どうして……。

 それにしても、こんなにも、言葉少ない潤一を見るのは初めてだ。

 もしかしたら、向こうも戸惑っているのかもしれない。なんせ、こうして面と向かって話すのは随分と久しぶりだ。きっと苗字で呼んだのも深い意味はない。時間が空きすぎて、自分と同じ様に相手との距離がよくわからなくなっているのかもしれない。

 考えすぎ、考え過ぎなのだ。

 だって、俺達は親友だっただろ?

 そう、颯太は自分に言い聞かした。


「あ、あのさ、黒川。急で悪いんだけど、古文の教科書持ってねぇ? そのさ、良かったら貸して欲しいんだけどっ。俺、忘れちゃってさっ!」


 苗字で呼ばなければならない違和感に慣れないながらも、颯太は必死に極力明るく声を潤一に掛ける。

 出来るなら、先程の顔は気のせいであって欲しい。出来るなら、前みたいにお前トロいなと笑って欲しい。出来るなら、あの夢の様に昔みたいに……。

 潤一の次の言葉を待つ間に、自分の都合のいい願い事が次々と頭へと昇って行く。

 でも、それは本当に、自分の都合のいい願い事でしかない。


「悪い。うちのクラス、今日古文ないから。他の奴に借りれくれ」


 それだけ言うと、潤一は颯太を通り過ぎ自分のクラスへ向かう。余りにも取りつく島のない対応に、颯太はただ、呆然として潤一の背中を見送った。

 だから言っただろ? 夢は、夢でしかないのだと。

 ただ、一言、彼を慰めるならば、背を向けた潤一の顔は、先程よりも苦々しい苦悩の表情を浮かべていたと言う点だろうか。

 そう。彼は別に颯太を嫌いになった訳でも、友達を辞めたわけでもない。

 彼は彼なりに、友達を、いや、親友を、いや、颯太を護っているのだ。

 『何か』から。

 とてもじゃないが、目も当てられぬ稚拙な方法で。

 自分と仲良くしていたら、また、『あの人達』の目に留まる。折角逃したつもりなのに、彼らは酷く貪欲で、底がない。

 今は何とか潤一一人で彼らの欲を賄えているが、それも時間の問題だ。降りすぎた雨を塞き止めるダムはいずれ抱えきれずに決壊してしまう。それが、世の常だろう。

 そして、その時が遠い未来でない事を、潤一は良く知っている。

 

「……クソっ」


 潤一は一人、奥歯を噛み締めた。

 賄いきれなくなった欲の代償は、いつしか誰かに飛び火する。痛みを伴う苦痛を誰かがまた、連れ込まれる。

 痛いのは自分だけでいい。立ってはいられない程の激しい痛みなんて、慣れるはずがない痛みなんて、自分だけで充分だ。

 黒川潤一は酷く真面目で、且つ、不器用な男である。折角話しかけてくれた親友を無碍に扱う自分の心苦しさよりも、相手の安全を取る程に。

 せめて、メールなら……。

 誰か経由で貸してやったのにな。


「本当、トロい奴だな……」


 と、昔と変わらない颯太に向けた言葉を胸の奥に仕舞い込んだ。

 

 

 しかしながら、そんな事など露ほど知る由のない颯太は、一人潤一が去った廊下で酷く絶望を覚えていた。

 矢張り、彼は怒っているのか? 喧嘩、してたのか? 俺たちは。そう、段々と颯太は潤一の態度を変えたのは自分ではないかと、自分を責め始める。

 事情も知らないのだから仕方がないが、彼に負い目があるのだから、自分を責めるは致し方ない。


「くそ……っ!」


 ああ、都合のいい夢を見ていた自分に腹も立つっ!

 颯太のその燻りは学校が終わるまで続いており、簡単に消えることはなかった。

 この日、颯太はチャイムと同時にクラスを出る。どの部活動もまだまだ始まらない時間に、校庭を抜けて門をくぐる。

 それは何故か。答えは簡単。何も見たくなったからだ。

 しかしながら、足早に門を出た所で彼に用事などはない。かと言って、このまま素直に家に帰るのかと聞かれればノーだ。用事も約束もないが、試してみたいことならある。

 それは、勿論、あのゲーム。

 何でもいい。ただ、気を紛らわしかった。本当に、親友だと思っていたのは自分だけだった現実を。旧友との別れはいつも突然であることが世の常だと思うが、それを受け入れるには余りにも彼はまだ若い。

 だからこそ、颯太は逃げるようにあのゲームを求める。

 結局、奇しくも、彼をあのゲームへと背中を押したのはどんな形であれ、黒川潤一本人なのである。

 危険から親友を守る為に身体を張った彼が、危険に彼を誘う背中を押した。これは一体、どんな皮肉なのだろうか?

 

「……よし」

 

 適当に時間を潰し、昨日、あの女がメールを送ってきた時間丁度に、矢場町の交差点にあるからくり時計前で、颯太はURLをタップする。

 本当に、また、行けるのか? その半信半疑が、杞憂だった事を彼は直ぐに知ることとなる。

 昨日同様、すぐさま人が止まり、灰色の世界がやって来て、ぐらりと揺れれば足元の地面が割れる。

 ログイン時間は大体5分。Fに言われた通りに、制服を脱ぎ捨て、ネクタイを外し、持っていたパーカーに着替えてマスク、度なしの眼鏡をかける。

 これである程度は隠せるだろう。

 やはり、携帯はアドレスを表示したまま動かない。また、ローディング中ではまだ武器が手元にない状態である。完全に戦いから離れた場所からなのか、何なのか。

 程なくして、誰一人いないからくり時計やらの景色が光と共に目の前に現れる。昨日、あの山犬に斬られたはずの信号は何故だか綺麗に直っており、昨日の戦いの跡は何処にも無かった。


「あーぁ。本当にきちゃったんだね」


 後ろを振り向けば、杖を持ったFが笑っている。

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