第10話 逃走
自分が今どこを走っているのかも分からなかった。
とにかくグレイベルクを離れる必要がある。
ただひたすら走り続けた。
追手に捕まらない為に――。
幾つもの木々が通り過ぎていく。
川を飛び越えた。
それでもまだ追手の魔力は近づいてくる。
「しつこい奴だ」
一条は呼吸を整えさらに速度を上げた。
俺はあのブロンド女に何の感情も抱いていない。
俺は分かっている。
このままここにいても、いつか殺されてしまうことを。
気づいている者は俺だけではないはずだ。
それも分かっている。
今はダメでもいずれ誰もが行動に移すだろう。
一条はそう信じている。
佐伯はそれらの空気に気づいたのだ。
一条が裏切ろうとしている。
そして一条は、見抜かれていることに気づくだろう。疑われていると気付くだろう。
自分が疑っていることを一条も気づいているだろう、と佐伯は考える。
誰もがいずれアリエスに背くが、佐伯だけは違うと一条は考える。
佐伯はアリエスのために行動するだろう。
そういう奴だ。
だからこそあいつは俺の行動に気づいた。
つまり最初から佐伯は俺を信用していない。
一条と佐伯は互いにたがいを疎ましく思い、疑いあっていた。
それはある種の信用と言えるかもしれない。
「お前が何をしていたのかは分かっている。俺たちを巻き込み頻繁にフィールド訓練に出かけるのは隙を与えないためだ。体力的にも精神的にも余裕を与えないためだ。いずれ逃げる気力も失せるだろう――お前はそう考えた」
雑木林を抜けた直後、一条の隣に佐伯の姿が現れる。
「そうだろ、佐伯」
「訓練を抜け出してどこへ行くつもりだ、一条」
質問を無視し、一条は魔術を唱えた。
佐伯の手に燃える火が見えたからだ。
「《
右手に金色に輝く剣が出現する。
「それで何をするつもりだ?」
佐伯と一条は素早い動きで移動しながら会話をした。
佐伯は追い、一条は逃げる。
「お前こそ、その手の平の火で何をするつもりだ」
「俺たちはグレイベルクを守るために召喚された勇者だ。お前、アリエスさんを裏切るのか?」
本気の怒りだった。
佐伯の苛立った目を見て、アリエスから解放してやることは難しいだろうと一条は思った。
ただそれでは後悔してしまう気がしてならない。
「お前があの女に肩入れする理由はなんだ、下心か?」
「もういっぺん言ってみろ!」
佐伯が一条に手を向ける。
だが詠唱と術の発動、共に一条の方が早かった。
「《
一条と佐伯の間に爆発が起こった。
辺りに爆炎と煙が広がる。
互いに距離を取るようにして、二人は煙の中から現れる。
一条はその場を離れ再び走り出す。
佐伯はその背中を追った。
「俺たちの魔力はまだ弱い。やりあえば長引く。お互い、ただじゃ済まねえぞ」
佐伯は一条を挑発する。
無論、そんなことは一条も分かっていた。
「佐伯、悪いが俺はこの国がどうなろうと構わない。あの女が死のうと何も思わない。むしろ安堵するだろう。悪いな」
一条は走る勢いのまま宙へ高く跳んだ。
振り返り手を向ける。
佐伯はすぐに腕を顔の前で交差した。
「《
巨木が佐伯の進行を阻むように倒れた。
一条はさらに爆裂魔法を使い巨木で道を塞ぐ。
二人の間に壁ができたことで、佐伯の足が止まった。
「これで少しは時間が稼げるだろう」
魔力の残りが少なかった。
巨木を乗り越えて佐伯はまだ追ってくるだろう。
爆裂魔法はあと一発が限界だ。
追い付かれれば次は剣で対応するしかないが、佐伯を殺したい訳ではない。
剣でやり合えば、どちらかが致命的な手傷を負う以外に戦闘を終わらせる手段はない。
林の中を手探りにつき進んでいると、正面に見える木々の隙間から光が差し込んでいるのが見えた。
「森を抜けたか」
始まりの町ミラとグレイベルクを繋ぐ街道だった。
森から飛び出してすぐ、視界に見知らぬ人の姿が入る。
数は3人。それぞれフードで顔を隠している。
普通の旅人ではない気がした。
魔力を感じないからだ。
一条はすぐに剣を構えた。
何か考えがあっての行動ではなかった。
「お前、その剣をどこで……」
「近寄るな!」
一人がフードを取った。
赤毛の男がおかしなことを言っている。
どうやらこの黄金の剣が気になるらしい。
賊にしては目利きができるようだ。
この剣は勇者である俺にしか使えない。
「お前、まさか勇者か?」
一条は自分を落ち着かせようとしていた。
何故それを知っているのか。
驚きはした。
だがすぐに冷静になる。
そして考えた。
こいつはどちらの意味で勇者だと言っているのか。
グレイベルクの勇者か、それとも職業上の勇者か。
「その剣、エクスカリバーだろ? 見れば分かる」
別の一人がフードを取った。
ジークだ。
二人続いてエリザもフードを取る。
「アルフォード、こいつは勇者だ」
「ああ、そう言っただろ」
「そういう意味じゃない。ただの冒険者が勇者なんて職業をそう簡単に手に入れられる訳がないだろ。ここはグレイベルクからそう離れてはいない。ミラの森は、始まりの町から冒険を始める者がよく利用する」
「そういうことか、つまりこいつは――」
「グレイベルクの勇者だ」
ジーク、アルフォード、エリザ。
3人は一条の姿をまじまじと見つめた。
政宗以外の勇者を見るのが初めてだったからだ。
一条の姿に政宗――ニトの姿を重ね、そしてすぐに拍子抜けする。
職業上の勇者。
そんな特別な職業であるはずの、目の前の青年には、ニトほどの魔力を感じない。
一条は頭の整理が追い付かなかった。
何故、断言できる。
何故、その発想が出てくる。
おかしい。
こいつらは知識があり過ぎる。
俺たちのことは国家機密のはずだ。
アリエスがそう言った。
だから不用意に話すなとも言われた。
口外禁止だと……。
一条の額に汗が滲む。
ジークは相手の足元を見るような笑みを浮かべた。
ニトとは違う。
ニトのような者が、召喚された勇者の数だけ存在するならば脅威だろう。
だがそうでないことは、アリエスを殺した際に確認済みだ。
「どうして分かるのか――そう思っているのだろう?」
一条は、今にも殺されそうな者の表情だった。
ジークの目つきは鋭い。
緊張をほぐすようアルフォードが「まあ聞けよ」と言った。
「俺たちはただの通りすがりだ。お前に何かするつもりはない。それより、森の方から来るもう一人の気配は何だ、誰かに追われているのか?」
その問いに一条は内心、驚いていた。
離れ過ぎたことによって今は佐伯の魔力を感知できていなかった。
目の前の3人は違う。
能力の低さを悟られまいと表情に出ないようにした。
ただそんな青年の機微すら、アルフォードは見抜いている。
「お前の職業を見抜けた理由は簡単だ。その剣は勇者にしか使えない。いや召喚できないと言った方が正しいな。そして勇者である者しか使えない」
アルフォードが右手に金色の剣を出現させた。
一条のものと同じ
「俺と同じ……」
「俺も勇者だ」
言葉にならなかった。
勇者という職業を手に入れた時、一条は自分を少なからず特別だと思いはしたのだった。
それをひけらかすつもりはない。
ただアリエスや教員、周囲からの期待を鑑みれば、それがどれだけ特別なことなのかは理解できた。
「お前だけだと思ったか? まあそう思うのも当たり前か。誰もが喉から手が出るほどに欲しい職業だ。だが安心していい。世界中さがし周ってもおそらく俺とお前だけだ。勇者そう何人もいては困るからな」
二人の会話を阻むように、森からもう一人青年が姿を現す。
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