第343話 当然の普通
ここ二年ほど政宗の生活拠点となっていた穴倉からもっとも近い町があった。防壁がなければ柵もない、広野に佇む小さな町。かつての村落が町となったものだ。
砂を固めて建てたような黄ばんだ白い家々が連なっている。住居だ。中には旅人や商人、冒険者の立ち寄る酒場もあった。農場もあった。
なんとなく町の騒がしさに気付き始めた冒険者は、飲みさしのジョッキ片手に席を立つ。酒場には窓がついていないため薄暗く、壁際の蝋燭くらいしか照らすものはない。
冒険者が入り口に向かおうとすると、自分と同じように外を覗きに行く姿がちらほらあった。
「どうした、なんかあったのか」
テーブル席から声が聞こえた。が、答える者はいない。男は何度か問いかけていたが、誰も答えないので苛立っていた。
騒がしさが増していくような気がしながら、冒険者は入り口のウェスタンドアを開け外を覗いた。
「……ん?」
穏やかな風音が感じられるほど、外はしんとしていた。
自分よりも先に外へ出た者たちの姿がない。冒険者は首を傾げる。
何かあったのかと店の中からさっきのテーブル席の声が聞こえた。知りたきゃ自分で見ろとイラついて、それから店に戻ろうとして、
「へ?――」
冒険者のジョッキと首が宙へ跳ねた。
砂埃を巻き上げ、店の前を魔物の群れが通過していった。
穴倉は、バノーム大陸の中央に位置していた。魔物は偏りなく広がり人間たちを襲った。人間しか襲わないのは深淵の王の思想が反映されているからだ。
野に放たれた魔物たちは王の支配を離れ、王の思想を基盤に野生化していく。
モンスターの魔物化が確認される頃、魔物は各々で社会を形成していった。言葉を話す彼らには考えがあり、意識があり、それは獣人や魔族と変わりがない。彼らは人間を襲い、人間が住処としていた村や町や国を自分たちのものとした。
魔物の間には上下関係が生まれ、中には獣人や魔族と交流するものもいた。人間と同じだ。魔物は今や新世代生物としてバノームに生息している。
※
鋼の蜘蛛率いる聖グウィン騎士団は、グレイベルクを発ちラズハウセンに進軍していた。
狙いは現国王アーノルド・ラズハウセンの首だ。息子のパトリック死去以降、再び即位した。
今やアマデウスはニトであり、ニトは日高政宗である。かつて帝国の襲撃を阻止したニトをラズハウセンは英雄と称え、石像まで建設した。世界的にもラズハウセンはニトと交流の深い国として知られている。グレイベルクはそれをバノームへの反逆と受け取り、責任追及の末に王の首を求めた。ラズハウセンがそれを拒否し今に至る。
「止まれ――」
鋼の蜘蛛が隊の先頭にそう命令すると、長者の列は順に止まった。
「一条」
道の真ん中に佇む、一条を見下ろした。
ターニャ村付近の街道にて、彼と鋼の蜘蛛は向かい合った。
「村や町を襲いまわっているそうだな、罪もない人々を殺していると聞いた。佐伯」
一条は目の前のそれを「佐伯」と呼んだ。
腰から下には銀色の蜘蛛のような足が6本生えている。それにより、鋼の蜘蛛の身長は3メートルを優に超えていた。
右腕は人の形をしているが銀色だ。左手はサソリやカニのような大きなハサミの姿。上半身には同じ色味の鋼を着込んでいる。左目にスコープのようなものを装着しており、それが一条を見て引っ込んだり出っ張ったりして動いている。口元もそれら鎧と同じ鋼で隠している。隙間から微かに傷跡が見えていた。
「まるで、かつての愚者のようだな。そうは思わないか?」と一条。
「……奴と同じだって言いたいのか」
「さあな」
「お前は偽善者だ」
「なるほど」
利口そうに一条はそう言った。
佐伯はイラつき、
「あの広間に召喚された瞬間から、いやその前からお前は偽善者だった。人は成長しねえ。俺が暴力的であるように、お前が偽善者であるように、誰も成長しねえ。他人が成長を許さねえからだ」
「許さない?」一条には意味が理解できなかった。
「できると思った。だから自分に役割を課した。グレイベルクに移り聖騎士を目指し……。俺はのし上がった。できたんだ。だが奴はそれを許さなかった。俺が変わったことを認めなかった。そして俺から家族と尊厳を奪った。しばらくは現実が見えなかった、だがその方が良かった。見えるようになってからの日々は地獄だ。それは今も変わらない。ある日病室でふと思った――だがそれが人間って奴なんだとなあ」
「佐伯、以前の君は立派だった。俺は認めているよ」
「だからてめえは偽善者だって言ってんだろうが! 舌先三寸野郎! 他人の中ではなあ、過去の俺が永久的に俺なんだよ。だから奴は俺に会っても何一つ言葉を聞かなかった、俺を認めなかった。だからユリアスとアリアは死んだんだ……。今はもう、目が覚めてる。世界は常に灰色だった。俺は分かってなかった」
「君は日高くんの復讐の、筋書きの中にいる」
佐伯は一瞬、たとえば睡魔に襲われるように片目の視線を宙へ散らした。「筋書ねえ……」そう言って散っていた視線を一条に戻す。
佐伯の黒目の奥が空白であるように一条には見えた。
「君は世の中を恨むように、彼によって生み出されたんだ」
神妙な面持ちの一条。
一拍二泊して、佐伯は拍手した。響くのは金属音だ。
「流石は優等生だ、何でも知っていやがる。自分の左腕をそんな風にした奴のことはもちろん、俺のことまで知ってるって訳か?」
佐伯はその高い位置から一条を睨みつけた。次第に体を、頭を怒りにふるわせて、
「この痛みが分かるか!」
佐伯の声は森の鳥たちを蹴散らした。隊の先頭に近い者たちが委縮する。
「……彼は、君の目の前で君の奥さんと娘を殺した」
「だからなんだ、同情でもしてんのか、ああ!」
「見させたんだよ、君にとって最も大切な者の死を」
「……」
一条は言った。
「それは当然の普通という幸福の落城だ。それを彼は少なくとも6年はかけて考え出した」
佐伯にもそんなことは分かっていた。政宗にとって、佐伯の周囲にいる人々、そのすべてが自分に痛みを与えるための材料だった。
「あいつは……俺を恨んでいた。どうでもいいとも言っていた。どうでもいいと言いながら、木田やみんなを俺の前に連れてきた。ほとんどはその時には死んでたよ。残りを目の前で殺した」
「そう、だったのか」
「河内や西城はどうなった、西城にいたってはあいつの幼馴染だろ」
「冥国との戦時中に、日高くんが殺したそうだ」
「ふ、イカレてやがる……。なあそうだろ、一条、あいつはイカレてやがる!」
「ああ、そうだな。日高くんはイカレていた。だが佐伯、今の君もそれに近い」
「はあ?」
「彼は言っていた。研ぎ澄まされた刃で斬るより、カミソリのような荒い刃で切り刻みたいと。日高くんにつけられたその傷は、そう簡単に癒えはしない」
「お前の左腕もな」
「佐伯、帰って休め」
一条が慰めにも聞こえる言葉を使うたび、佐伯は苛立った。
隊列はラズハウセンへと向かう。一条は佐伯がこれから何をするのか分かっている。それは政宗と同じだ。苛立ちの根源を叩き潰すと佐伯は言った。
一条は止めなかった。
「周辺の村を捜索しろ、ニトに関するものをすべて焼却するんだ!」
佐伯の感情的な命令が街道に響く。
※
ラズハウセンの正門前には国民によって組織された自警団の姿があった。その先頭に立っているのはシエラの両親――ブラウン・エカルラ―トとマリア・エカルラートだ。
「ここを通す訳にはいきません。お帰りください」
鋼の蜘蛛を前にして物怖じしない姿に、佐伯は徐々に苛立ちを深めていく。今や冷静であることも彼の美徳だ。だが元々の感性はそう変えられるものではない。反ってその美が、これまで半端だった怒りを研ぎ澄ませた。
「ニトを出せ」
「ここに英雄はおりません」
「英雄だと?……。おいおい、聞いたか、こいつ、あの大犯罪者を英雄と言いやがったぞ!」
グレイベルク軍は大声で笑った。笑わなければ佐伯に殺されるからだ。中には上手く笑えず表情の引き攣る者もいた。隣の同僚が気付いて小声で「引き攣ってるぞ」と教える、そんな姿がちらほら見られた。
「かつてあの方が王都をお救いくださった事実は変わりません。何があろうとも」
「事実は常に上書きされる。奴は俺の妻と娘を目の前で殺し、俺をこんな化け物に変えた」
ブラウンの表情が流石に揺らいだ。記憶の片隅にある、シエラやヒルダと楽しそうに語らう政宗の姿を想像したからだ。そんなことをする人物とは思えず困惑した。
それだけではないと佐伯はグレイベルクの勇者殺害に関しても話した。慈者の血脈に触れ、確証もないまま、現白の教団も政宗の支配下にあると嘘を言った。
深淵の王の一件を佐伯は知らない。
「自分たちの心に聞いてみろ、それでもお前らはニトをかばうのか。ニトを英雄と呼ぶのか。それが正義か、お前らにとってそれが大義なのか!」
傷つけるのは簡単だ。佐伯にとって、目の前の人間は目的に必要ない。斬ってしまった方が簡単だ。だが佐伯は今、せめぎ合っていた。それでは政宗と同じだ。暴力を使わず治めれば、それは彼にとって部分的に政宗をこえたことを意味した。
「それが真実であれ、ここを通す訳にはいきません。お帰りください」
ブラウンはそう言った。その後ろで槍や銛や剣を構える町民たちも、彼に従った。
その勇ましい姿に、佐伯の線がぷちっと切れた。
「そうかよ――」
その一言のあと、佐伯はブラウンを右手のハサミで斬りつけた。
「あなたー!」
マリアが悲痛の叫びをあげた。それもすぐに、佐伯のハサミによって切断された。
自警団の肉の防壁を押しつぶし、グレイベルク軍が王都へ入っていく。王都の兵隊は外国に出張っているため守る者はいない。大通りはすぐに占拠され、じきに佐伯は王城へ辿りついた。
大扉を乱暴に蹴とばしてすぐ、晴れる砂埃の先にラインハルトを筆頭に白王騎士の姿が見えた。
「白王騎士か」
知った風な口ぶりをして、佐伯はずけずけと歩み寄った。広間のタイルに佐伯の鋼の足が突き刺さる。
ラインハルトの背後遠く――玉座からアーノルドが言った。
「ここはお主のような不遜な者の来る場所ではない」
佐伯の視線はラインハルトからアーノルドに逸れた。瞬間、ラインハルトの斬撃が佐伯の足に振り下ろされた。
「くっ――」
佐伯の鋼の脚は簡単に斬り落とされた。それはラインハルトの剣技が卓越しているからだ。流れるような動きで次々と脚を斬り落とし、佐伯のバランスを奪っていく。
「くそ……」
加勢する聖騎士団員をダニエルとエミリーが対応し、広間の外に押し出す。
すべての脚を斬られ、残るは腕が二本。
佐伯はハサミをラインハルトに向け、
「《
周囲に踊る火を出現させた。だがラインハルトに頭を掴まれ、
「《
周囲の火がすっと消え、佐伯は記憶を吸われ始める。
「う、がっ、ががっ……」
記憶の削除が始まる中、ラインハルトの中に佐伯の惨劇の一部が流れ込んできた。
「陛下――この者、ニトに妻と子を殺されています。それも目の前で」
「……そうであったか」
アーノルドは落胆するかのように納得した。
鋼の蜘蛛の情報は今や各国が知る。佐伯は教団の破壊のため、非人道的な行為もいとわなかった。かばう者や疑いのある者は子供であれ殺した。だが彼が白の教団を狙う目的は分からなかった。
「彼をこの体にしたのもマサムネです。足と腕を斬り落とされ、それから……なんと惨い」
「もうよい、ラインハルト。殺してやれ」
「……しかし」
「もはや何もしてやれることはない。その者は復讐に憑りつかれている。生きていても救いはない。第二のヒダカマサムネが生まれたのだ。それだけだ」
ラインハルトの中に、佐伯と政宗の物語が流れ込んできた。この世界に召喚される前の映像だ。
「そうですね。確かに、もう救えないようです」
佐伯は政宗によって意図的に残された復讐の本編であると、ラインハルトは理解した。日頃、佐伯が感じる悲しみも怒りも、そして見上げると広がる灰色の空も、すべて政宗の仕組んだことだった。そして自分に代わってこの世界を侵せと、政宗は佐伯を「穴」に落としたのだ。佐伯は抗ったが、ついに抵抗できなかった。鋼の蜘蛛という異名と姿はその証だ。
「や、めろ……俺から、ユリアスと、アリアを、う、ばうな……」
佐伯の視線は天井に散っていた。吸い出される記憶を引き留めようと、体に力を入れて抵抗している。
「頼、む……奪わ、ない、で、くれ……」
「ラインハルト、殺れ。見るに堪えん」
ラインハルトは佐伯の首を斬り落とした。
床の上に、今や見る影もない佐伯の首が落ちる。材質は鋼。ラインハルトは王の命令とは言え、自分の行いを悔やんだ。
振り返ると、自分と同じように悔やむアーノルドの姿が見え、
「……陛下、これが私の役目です」
ラインハルトは頭を下げた。
そのとき、背後でまぶしく何かが光を放った。広間の半分以上を白界に変えるほどの光だ。
鋼の蜘蛛の胴体から発せられていると、振り返ってすぐに気付いた。緊迫する表情でラインハルトが叫んだ。
「陛下、お逃げください!――」
白い光に背を向け、アーノルドへ駆け寄ろうとするラインハルトの姿が、完全に光の中へ消えていく――。
その日、王都から放たれた眩い光は、ラズハウセン広域を包み込んだ。光の収束するころ、王城を含む王都の町並み、その周辺は火の海と化していた。
全壊して黒く燃え上がる王城跡から城下町に向かって、放水した水のように火が流れ各通りに広がった。それは正門にまで及んだという。ギルドや名のある道具屋、それらすべての建造物をのみこんだ。
平和の象徴とされた小国から、一瞬にして人が消えた。
異世界に召喚され8年が過ぎた、25歳のこと。
佐伯健太はラズハウセンの広間で死んだ。
※
……温かい。
ぱっと視界が晴れて、屋敷の居間が見えた。
俺はいつもの席についていた。長テーブルの角席だ。目の前には給仕の作った自慢の手料理が並べられている。アリアとユリアスと俺の健康を考えて作られた、栄養価の高い食事だ。
肉を切り分け、一口……。
「うん、おいしい」
思わず笑みがこぼれる。
給仕たちがいつものように気さくに笑った。
「アリア、どうだ?」
「うん、おいしいね!」
テーブルの右手で、アリアはパンを
「さあ、みんなもそろそろ席について。一緒に食べよう」
週末は給仕たちも交え、テーブルを囲み一緒に食事をする。それがこの家のルールだ。だから席も人数分用意されている。
肉を切り分けサラダを取り、ワインを注いで、それぞれが好きなように食べた。
ときおり庭の緑のにおいがした。部屋の左手の窓から、日光に照らされた芝と噴水の上で飛び散るしぶきが見えた。日差しはガラス窓を通して部屋に差し込み食卓をも彩る。のどかで平凡な時だ。アリアとユリアスの表情にはきらきらと日常が輝いていた。
ワインを飲んだ。意識することなく、呑気に、気ままに。すると見たいものだけが見える。
何の変哲もない、当然の、普通な週末が目の前にあった。
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