第320話 ゼファーとアドルフ

 アドルフは地上のゼファーとティンカーへ追加攻撃を繰り返した。

 妬み水だ。

 それは時雨のように散らばり戦場を白く染める。

 被弾した多くの兵の体を貫通し即死させた。


 ラトスフィリアの武王――グラムは、その光景に戦争が未だ終戦を迎えない理由を知った。

 だからイキソスは6年もの間、この国と戦い続けていたのだと。

 つまりはアドルフに遊ばれていたのだ。


「あれが黒幕か」


 グラムは青龍刀を彷彿とさせる見事な薙刀を構えた。

 武力においては八岐内では右に出る者がいないとすら言われるラトスフィリアの兵は、辺りに転がる仲間の死体を前に抗う意味について考え始める。

 その表情は絶望だ。

 アドルフの援護により士気を取り戻した冥国獣人たちは、そんな彼等の様子を面白がり奮い立つ真似事を始める。


「もはや臆する必要はない、皆殺しにするぞ!」


 獣人を束ねていた獅子の獣人――ガゼル・クラウンは、巨大な大剣を掲げると兵を率いて再び敵兵へと行進した。


「うろたえるな!」


 グラムは兵へ説くと上空のアドルフへ斬撃を飛ばす。

 だが接近した複数の斬撃はアドルフに直撃するもかき消されてしまった。


「馬鹿な……」


 絶句するグラム。


 アドルフは静かに地上へ下りた。

 背中の翼が消え、杖を手元から離し宙へ浮かせる。


「ドラゴンなどもはや相手にならない。ゼファー、僕らも成長したものだね。かつてあの黒龍と渡り合えたのはカゲトラだけだった。力の出し惜しみは身を亡ぼすよ? 手に入れたばかりなのに、もう死ぬつもりかい?」


「……」


「カゲトラがいれば、なんて思ってるんじゃないだろうね。彼はもういない、かつては君が暴れまわり、カゲトラが疲弊した君を援護した。だから君は好き勝手暴れまわることができた。でもね、もう彼はいないんだよ、何故なら僕が殺してしまったから――」


 アドルフの頬を発光する矢がかすめた。

 紙一重でかわした彼の顔は無傷だ。


「……ゼファーなんかより、よほど根性があると見た」


 グィネヴィアは光の弓を構え、アドルフを睨みつけていた。


「君が僕らの痕跡を消し……僕はずっと孤独だったよ。もう僕を覚えている人はいない。一緒に町の復興をしたはずの人たちは僕のことを忘れ、カリファも忘れ、僕の帰る場所はなくなった……。僕は待ち望んだよ。酷く恨んでいたはずの君が、いつか戻ってきてくれるんじゃないかと思った。君のことだからどうにかするだろうと疑いもしなかったよ。ただそれにしても150年は長かったなぁ……それで言うと彼女もそうだ。グィネヴィア、君を知っている人はみんな死んだ。ナースチェンカも死に、神国はもうない。別に生きたくもなかったろうに、僕を殺すためだけに生き永らえてきたんだろう?」


「……あなたに妹の名を口にする資格はありません」


「修道女だけあって侮蔑が下手くそだね。150年もあったんだからそのドラゴンに教えてもらえば良かったのに」


「どこまでふざければ気が済むのですか!」


「大真面目だよ――」


 アドルフの冷たい視線が見つめる。

 グィネヴィアは悪寒を感じ硬直した。


「立派だと言ってるんだ、僕は君を多少なりとも評価しているんだよ。ドラゴンが傍にいただけ僕よりマシだったろうけど、大した執念だ。それに比べてゼファー、君はなんだい? 弟がいないと何もできないのかい?」


「……」


「分かるよ、僕と相打ちにあるのが怖いんだろ? だから本気を出せないんだ。死ねば、またカリファを一人にすることになるからね。そしてもう次はない。……彼が今なにを考えているのか教えてあげるよ」


 アドルフは政宗へ振り向いた。


「あっさり負けて、後は君に殺してもらおうと思ってるんだ。君が本気なら僕なんて……だろ?」


 政宗は目視でゼファーの心意を窺った。

 心を読むまでもなく、ゼファーの表情は罪悪感にかられている。


「君にも言えることだけど」


 アドルフは政宗にそう告げるとゼファーへ振り向き。


「守るものがあるって、不幸だよね」


「……」


「これが卑怯者の末路だなんて……」


「……卑怯だと?」


 ゼファーは疑問を浮かべつつ。


「カゲトラを騙し討ちしたお前が――」


「うるさいなぁ……」


 アドルフの冷酷な表情が覗く。


「僕にはすべて見えているんだよ? ゼファー、君以上に人の心が分かる者はいない。僕は今ではそう思っているんだ」


「何の話だ」


「気づいていただろ?……僕がカリファを慕っていたことくらい、好いていたことくらい」


「……」


「君には全部見えていたはずだ、僕が気の弱い奴で、彼女に心を惹かれていたことを」


 カリファはアドルフの言葉に目を丸くした。


 そんなカリファへアドルフは。


「これは僕の問題だから、君を責めるなんてことはしないよ。当り前さ。それに君が視野の狭い女性だということは幼い頃から知ってるし、そもそも何も告げなかった僕が悪い。でもゼファー、君は僕がいつかその日が来るんじゃないかという、おかしな幻想すら抱いていたことを知っていただろう?」


「……」


「でも君は親友である僕を無視し、彼女を自分のものにした。僕の淡い抱きを奪ったんだ。その後、しばらく僕に気を遣いながら喋る君の態度はウザかったよ、実にウザかった。でもウザいと思えば思うほど、僕は自分が滑稽でならなかった。それでも親友だったから諦めたんだ……僕は君を恨まないことにした。シャオーンが現れるまでは」


「……お前は深淵に呑まれている」


「あんな老齢の蛇なんか連れて……僕らの冒険は終わったと感じたよ。それからの旅はクソだった」


「アドルフ、私は……」


「過去の話さ、カリファ」


「……アドルフ」


「君のことなんてもう何とも思ってない。違うんだよ……僕はもう、どうでもいいんだ。すべてがどうでもいい。だから終わらせようよ」


 アドルフはゼファーへゆっくりと歩み寄る。


「このどうでもいい旅を終わらせよう。カゲトラもシャオーンもいない。後は僕らだけだ」


 ゼファーは片膝を上げ、アドルフと向かいあった。

 少し闘気を取り戻したようなゼファーの表情に、アドルフは半笑いを浮かべる。


「なんだ、立てるんじゃないか。さあ、食紅と地狂い、どっちが強いのか試してみよう。君が死ねばカリファも死に、僕が死ねば、晴れて君らは結ばれる。そしたら卑怯な人生を楽しめばいい、気が済むまでね」


「アドルフ……俺はお前も救ってやりたいと」


「フハハハハハハハハハ!――はあ?」


「本当のお前は……ソンナ奴ジャナイ!」


 ゼファーの体内より漂い出た黒い影――存在。

 それは彼の体を包み、全身を埋め尽くす。

 そして彼の声が変化を見せるころ、姿をも変えた。


 それは漆黒の鎧を纏った騎士の姿だった。

 両目から放たれる紅い光は、彼が微かに動くたびに宙へ紅い線――残像を描く。

 かつて政宗に見せたことのある、復讐の神としての姿だ。

 さらに両手の甲から伸びた巨大な刃。

 弧を描いたような鋭い黒の刃を構え、ゼファーはアドルフと向き合った。


 同じくアドルフの両目も紅く光る。

 アドルフは両手を広げ。


「裏切り者の冒険者に制裁を下そう――」


 ――大地が揺れた。


 アドルフの周囲の地面から、おびただしい数の太いつるが突き上げ、ゆらゆらと蠢いた。

 彼はダンジョンの渦より巨大な円錐えんすい状のランスを取り出し構えた。

 地表のつるが彼の存在に包まれ強化されていく。


 互いの動きは辺りへ突風を巻き起こした。

 ゼファーとアドルフによる瞬速だ。

 二人の刃先がぶつかり合った瞬間、さらなる風圧が戦場全域へ広がった。


「撤退だ!」


「防御に備えよ!」


 兵を束ねるそれぞれの隊長たちは号令をかけた。

 だが間に合わず軍隊は飲み込まれた。


 砂煙は晴れるも、また次の突風が押し寄せ辺りの兵たちは戦いどころではない。

 互いに足元を固め、いつ終わるともしれないその時間を堪え凌ぐだけだ。


「君の姿が見える!」


 アドルフは楽しそうに応戦する。

 ゼファーは苦難の表情だ。

 終始ふざけることを止めないアドルフの姿は、彼にとって慣れたものではない。

 ゼファーにとってアドルフとは本来、物静かで他人を煽ることなどしない優しい人物である。


 アドルフのつるを避けながら、巧みな応戦を続けるゼファー。

 存在の刃とランスのぶつかり合い。


 砂嵐はしばらく続いた。







 疲弊した戦場。

 砂煙が晴れつつある中、ゼファーとアドルフは呼吸で肩を揺らしながら互いに見つめ合った。


「終わりが見えてきたね」


「……」


 アドルフは苦し紛れにも茶化すように余裕の笑みを浮かべる。

 だがゼファーはもうそのふざけた会話には付き合わない。

 辺りには切り刻まれボロボロになったつるが、地中から倒れていた。

 ゼファーの漆黒の鎧は剥がされ、あとは手の甲に残るその刃のみだ。


 双方は前触れもなく走り出した。

 黒い刃とランスのぶつかり合い。

 衝撃音が聞こえるたびに武器自体も消耗していく。


 二人は互いに武器を捨てた。

 残ったのは生身だ。

 今度は原始的な拳と足による殴り合いが始まった。

 不格好なもので、頬を殴られれば血が飛び散り、腹を殴られれば胃液が飛び散り、二人は互いに同じ攻防を続け同じように疲弊していった。


 アドルフが半身を使わないのは、彼の中に欠落したはずの何かが残っているからだろうか。

 呑まれた本人は自身の行動の意味に気付かない。


「呑まれたのが俺じゃなく、お前で良かった」


 その言葉にアドルフは微笑む。


「まだお前の中には、お前がいる……俺には見える。だが俺ならそうはならなかっただろう。お前はどこまでも優しい奴だ」


「カゲトラの墓の前でも言ってみるといいよ」


 もはやアドルフの言葉は彼にとってじゃハリボテだった。

 ゼファーにどんな愚弄も届かない。

 だがいくら歩み寄ろうとしても辿り付けない壁があることも、ゼファーには分かってきていた。

 アドルフを助けられないことが徐々に分かってきたことで、ゼファーは無駄な合戦は止め、最後の一撃に命をかけることにする。


「次で終わりだ、アドルフ」


「ふっ……さあ、ビヨメントに帰ろう」


 冥国を白い光が包み込んだ。







 冥国、王城内部。

 大廊下の壁面に飾られた絵画を見上げるウラノスの瞳は、複雑な希望に満ちていた。


 それは戦場の絵だ。

 一体のドラゴンが戦場を飛びまわり、人々の命を燃やし尽くす。

 すると天より光の柱が現れ、大いなる存在――観察者が現れるというものだった。


「父上!」


 そこへ次男のラージュが現れた。


「騒々しいぞ」


「アドルフ様が戦場に出られたよ!」


「……それがどうした」


「グレイベルクまで現れたらしいんだ。近くにラズハウセンの兵もいるって話だし……奴等、戦争を終わらせるつもりだよ」


 城が揺れた。

 二人は同時に遠くを見るように振り返る。

 その場が静まり返った。


「これは、アドルフ様か?……」


「それに……ニトがいるって話も聞いた」


 ラージュは唾を飲んだ。


「まだ怯えておるのか」


「別に……」


「もはやどちらでも良い」


「父上?」


「我らの目的は観察者だ。そのためにはドラゴンがいる」


「あ、そういえば一体、白いドラゴンもいるらしいって」


「なんだと!?……どういうことだ?」


 アドルフと繋がりがある以上、ウラノスが龍の心臓について知らないはずもない。

 だが白龍ティンカーの存在については教えられていなかった。


「父上、白龍が現れています!」


 そこへ現れたのはラインハルトだ。


「ラインハルト、一体どうなっている!」


 ウラノスは答えを求め興奮気味に訊ねた。


「分かりません。アドルフ様は戦場におられるようです」


「その話は聞いた……」


 ウラノスは苛立ちを覚えながらも冷静になり。


「観察者は現れたか?」


「どこにも」


「……どういうことだ」


「父上、我らも戦場に出るべきでは?」


「ああ……その通りだ」


 ウラノスは顔を上げ絵画を見上げた。


「だがあと少し……あと少しなのだ」


 ウラノスは悲観的とも取れる表情を絵画へ向けた。







「招集、招集!」


 いくつもの兵舎が立ち並ぶその周辺には号令が響いていた。

 元帝国獣人たちの騒々しい足音が聞こえる。


「小鳥、戦場に出るわ、あなたは私の隊に加わりなさい」


 隊長として一部の兵を任されている河内沙織は、西城小鳥へ告げた。


「戦場に出るって……」


 会話の最中にも戦場から聞こえる爆発音。

 小鳥はふとその方角を見つめる。


「八岐が大軍を投入してきたのよ、グレイベルクもいるわ。ラズハウセンが待機してるって話も出てる」


「……」


「私たちのここでの勤めも今日で終わる……多分、何らかの結果が出るんじゃないかしら」


「河内さんは前線に出るの?」


「……そのつもりはないわ。ただ私は隊長だから、兵を任されているし」


 二人とも戦いに加わりたい訳はない。

 だが望んで帝国に関与した以上は、今となっては仕方のないことだった。


「あなたも早くしなさい」


 河内はそう言って兵舎の外へ走っていった。

 小鳥は曇った顔色を左手の薬指にある、青い指輪に向ける。


「……聞こえますか?」


 しんとした部屋に一人、小鳥の呼吸が聞こえる。


 戦いの様子がここまで伝わって来るようだ。

 戸棚のグラスや何かの機材がガタガタと揺れ続けている。

 小鳥は思わしくない表情のまま、傍のテーブルにかけられていた布を取り除いた。

 そこにあったのは白と金の装飾が施された筒だ。

 先端には鋭利な黒い刃がついている。


 手に取ると筒の側面にあったスイッチを押した。

 筒の両先端から内部に収納されていたものが伸びる。

 それは一本の槍となった。


 小鳥は考え深そうに眺め、もう一度スイッチを押しそれを元の短い筒に戻すと、ローブの懐に入れた。


「スーフィリアさん?……」


 助けを求めるように、小鳥は左手の指輪をもう一度見つめた。

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