第304話 異世界症候群

「ゼメキスは、かつて栄えていたある王国にて、エルフの王を名乗っていた者です。彼には生まれつき性別の概念がない」


 冷たい夜風をあびながらロメロは言った。


 パスカンチン領とユーピィーヤ領の境には、長い運河が二国を物理的にも二分し流れている。

 まさにそれが国境線だった。

 しかしこの二国が存在したのは今や過去のこと。


 勇者協会と呼ばれるある新参組織が勢力を伸ばしてきた。

 それがこの6年での話だ。


 彼らはグレイベルクより勇者召喚された異世界人による団体である。

 だが王都ラズハウセンより追放された狂炎のレイド・ブラックなどがのちに加入し、今や世間的にも浸透した巨大国家となりつつあった。

 国の消滅後、無法地帯となったパスカンチンとユーピィーヤの境――運河の真ん中に、運河をも二分するかのように防壁を築き本部を築いた。

 そうすることで両国における残された村や町の平和を保障したのだ。

 手を出す輩には制裁くださすまでに至る。

 勇者協会は王都ラズハウセンに並ぶほどの平和な国であり、今や商人や旅人などが行き交うまでに繁栄した立派な国の一つである。


 絶壁の先端に立ち、眼下に構える運河の国をさかなに、ロメロは珍しくワインを飲んでいた。

 現れた政宗に、ロメロはゼメキスの話をした。


「ゼメキスは八岐同盟を提言したエルフです。ウラノス・リックマンや、若き八岐の王などが八岐の白龍を打ち滅ぼしてすぐ、まさにその時に姿を見せました。彼は魔導師教会の本部から来たと言ったそうです。ですが八岐の王の誰も、彼がエルフであり、あのとき同盟の発足を促した者であるとは知りません。彼は姿を変えていたからです」

「何者なんだ」


 政宗の問いに「何者なのでしょう」とワインを飲むロメロ。


「八岐の白龍とは八つの首を持つ白いドラゴンです。首と首の間――岐に輪を見た若き日の王たちは、のちに手を取り合い八岐の王として君臨した。これが世間でいうところの常識です。しかし当時を語る古事記によれば、龍には一つ、尻尾が生えていたと言います。つまり八本の内の一つは尻尾だったわけです」

「…………都合のいいように改ざんしたのか。美化するために」

「ですがこれには続きがあります」

「続き?」


 ロメロは言った。

 それはドラゴンと呼ぶには形を成していなかった――そう記述されていたと。

 体は常に、今にも溶け出しそうなほど崩れかかっており、白い液体が滴っていたと。

 さらに首は七本もなかったという。


「ドラゴンには首が一つしかなかったとあるのです」

「……どういうことだ」

「おわかりになりませんか。つまり、その七本こそ尻尾だったのです」


 政宗は目を細めた。

 もし仮にそれが真実であるなら、そんなところに嘘をつく必要などあるのか。

 政宗はそう思った。ただ理由がわからない。


「あいつら、一体何がしたいんだ。改ざんの意味がわからん」

「八岐を表す旗には首の八本生えた白龍が描かれています。時に黄金色であったこともありました」

「美化も大概にすべきだ」

「気を向けるべきは別の点です」


 白龍を打ち滅ぼした際、そこにはウラノスと七人の王がいた。

 ゼメキスは同盟を提言した際、エヌマサンを候補へ入れるよう補足し、そこで初めて「八岐の王」という言葉を持ち出した。

 そして八岐の王が誕生し、しばらくしたころ――。


「エヌマサン上空にイキソスという天空の国が現れたのです。首謀者は《魔教皇》と名乗り、いつの間にか八岐の一角として受け入れられていました。けい国という名と共に」

「イキソスは、八岐の王発足のために生まれたということか」

「妖精を奴隷にしてまで生まれる意味があったのかどうか。ですが点というのはそのことではありません。ゼメキスです。彼はそもそも魔導師教会を名乗り現れました。であれば、当然発足に伴い魔導師教会に確認は取ったはずです。ゼメキスは代表で来ていたのですから」

「確かに」

「ですが、ちゃんと魔導師教会にゼメキスの席はあったのです」

「…………どういうことだ。つまりイキソスを含め、八岐が魔導師教会と繋がっているということが言いたいのか。それなら大しておかしくもない話だが。各国に魔導師教会の支部があるくらいだからなあ」

「ニト殿。魔導師教会は八岐とは通じていません」


 ロメロは神妙な面持ちで言った。


「……断言できるのか」

「はい。かつて大魔導師オズワルド・セイバーハーゲンを、前トンパール王の父親が国の宮廷魔導師として抱え込もうとしていた時期がありました。大魔導師の力は国単位で考えられます。勝手な戦力の増大は許されません」


 その後、魔導師教会はパスカンチンに圧力をかけ、事態は事なきを得た。

 オズワルドがまだフィシャナティカの校長になる以前の話だ。


「場合によらず、魔導師教会は八岐の王などよりも、よほど力を持っていると言えます」

「八岐と組む必要すらないということか」

「動かぬ教会には、そんなことをする理由がないのです」

「なるほど…………待て。なぜ教会は勇者協会に手を焼いている?」

「その問題はまた別の話です。この一連の物語において注意すべきは、魔教皇でありエルフの王だったゼメキスと教会が、同盟発足以前から裏で通じていたということです」

「…………」

「この世界を牛耳っているのは八岐ではなく、むしろ教会なのですよ。彼らは至る所に根を伸ばし、張り巡らしている。冒険者ギルドもあれば商人ギルドもあり、裏には奴隷商人ギルドなどという、そんなものまであると聞きます」

「まさか……」

「おや、お聞きになったことがありませんか?」

「ない。教会は容認しているのか」

「着眼点はそこではありませんよ、ニト殿」

「……どういうことだ」


 議論は続く。

 歯切れの悪い表情のまま、政宗はロメロと話にふけった。


「正義も悪も、彼らにはないということです」


 二人は夜通し語り明かした。

 空には晴天とは言わないまでも、青空が広がっていた。


「様子はどうだ」

「既に各位、集まられているようです。ところでニト殿。聞きそびれていましたが、佐伯殿はちゃんと殺されたのでしょうな」

「……いや、殺してはいないが?」

「なぜですか」

「死よりも相応しい末路を与えた」

「……哲学に没頭するのは良いことです。美徳を持たれることも、私は否定しません。ですが現実は現実です」

「何が言いたい」

「人を呪わば穴二つと言うでしょ。復讐は呼吸するのです。息の根を止めておかねば報いを受けることになりかねません」

「……奴は何もできないさ」

「そうでしょうか」


 ロメロはワインを一口飲んだ。


「予言の話が気になっていました。ニト殿、星読みとは術者にしか真相のわからない、特異なものです。ですから信憑性についての議論ができない。ただこの大陸では『星読みは当たる』と、皆、人伝ひとづてにそう言うのです」

「占いの類は信じる者の気の持ちようだろ。俺は今ではもう頼りにしていない。アリシアの占いもそうだ」


 ロメロはしばらく黙り込んだ。ワインを数回口に含み、眼下の運河を眺めた。


「シンプルな話をしましょう。なぜあなたの夢の中で、彼は戦争など仕掛けられていたのでしょうか」

「それは……」


 政宗は言葉を詰まらせた。だが直ぐに口を開く。


「では聞くが、今の俺があの未来の俺のような経路を辿り、ここまで来たということがどうして言える?」

「…………」

「ネムは大きくなった。俺があのとき見たネムそのものだ。だがその前兆はないぞ」

「見た目などあてになりません」

「根本的なことを言うとだ、俺は17歳の時にアルテミアスで予言を見た。未来の俺は、俺のようにはなると言った。トアを失い……。俺は失う可能性があることを考慮してこれまで生きてきた。その上で行動を選択してきた。ではあの未来の俺はどうだろうか。トアの死を考慮していただろうか。あいつは言っていたぞ、ちゃんと話を聞くべきだったと。……それに俺は魔術も見つけた。間違いなく、あの時の俺とは違う未来を生きているはずだ。違う人生であるはずだ」

「希望的観測とも言えます。それに道はいずれ交わるものです」

「そうではない、影響の問題だ。未来の俺も、俺と同様に予言を見た。何を見たのかまでは知らない。だが奴が予言を軽んじていたことは発言から十分に推測できる」

「ニト殿、この話はやめにしましょう」

「おい……」

「私はあなたの信じるものを信じます。それよりもご病気のことです。今も治りませんか」


 溜め息の後、しばらくして政宗が答えた。


「……今はおさまっている」


 ただ唐突に脳内アナウンスが告げるのであった。『正常に戻った。発病した』ということを。


 政宗はロメロと出会って以降、頻繁に診察を繰り返してきた。

 するとロメロは訊ねた。「追憶病の話を覚えていますか」と。


「……ああ」

「子供時代に夢見る彼は、折り合いをつけるために妻を迎え、子を生し家庭を築いた。しかし反ってそれがあだとなった。彼は目の前にちらつく夢に我慢ならず、虐待を繰り返すようになった」

「だが彼は傷つけながらも壊したくないと願い、するとステータス値が減少した。状態は追憶病。だがそれはステータスの誤認だと言っていたな」

「その通りです。そしてニト殿にも同じ症状が見受けられるとも言いました」


 政宗のステータスは《異世界症候群》の発病と共に減少し、正常になると共に増える。

 つまり本来の値に戻るのだ。


「当人において世界は常に一つです。ここがニト殿の世界。それがそのような病にあるということは――」

「俺にとってこの世界が都合に悪いということ、だろ」

「そういうことです。グレイベルクによりこの世界へ送られた際、ニト殿はいずれかの時点で不満を抱かれたのでしょう」


 政宗はあの日の出来事を思い出していた。

 グレイベルクの王――ヨハネスが語らう最中、振り返ったと同時に佐伯などの姿を見つけたあの瞬間のことだ。


「いや……だがアナウンスなんて聞こえなかった。となると、もっと前か」

「いずれにしろそういう理解で良いでしょう。するとニト殿は……。追憶病の彼になぞらえて言えば、この世界を壊したくなったのでしょう。しかしそこはニト殿にとって紛うことなき異世界。壊していいはずがない。その矛盾、葛藤がステータス値を下げ、そしてステータスはその著しい低下の原因を誤認識し――」

「異世界症候群と表示した。やはり佐伯を殺す必要があったのかもしれないな」


 だが復讐も無視できないと政宗は考えている。


「少なくとも、あそこにおられるかつてのご友人方を殺せば、何らかの感触は得られるでしょう。それより先は、今は考えぬことです」

「魔導師教会か……。やつら、それほどに力を持つなら勇者協会なんてどうにでもできただろ。なぜ親切に会談なんて開いてる?」

「それほどに、彼らの及ぼす影響が大きいということでしょう。日々利用する冒険者などを含め、誰もが勇者協会と教会を危惧しています。むやみに圧力などかければ、反発で滅びかねないのは彼らの方です」

「そうは思えないが」

「ではなんとお考えですか」

「さっぱりわからん。とりあえず、さくっと殺してくるよ。この後グレイベルクを含め、各地に散らばった同級生を殺しにいかないといけないしな」

「いずれは一条様も……」


 ロメロはその先の言葉を切った。

 政宗は背を向けたまま黙り込む。


「行ってくる」


 しばらくして、一言そう告げた。

 返答せぬまま、政宗は絶壁から飛び降り姿を消した。

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