第302話 弄ぶ者

 教会の扉を開けるなり、白いローブに身を包む者たちの姿があった。

 魔教皇の信徒たちだ。

 ローブと一体化したとんがり帽で正体を隠している。


 そんな者たちが広々とした部屋の両端で静かに整列している。

 祭壇まで続く赤いカーペット――通路側へ体を向けていた。


 俺の存在に気づいていないはずはないだろう。だがぴくりともしない。

 祭壇の前には小さな篝火かがりびがあり、魔教皇の姿があった。


 腰の辺りにまで伸びた、雪のように白い髪。

 神秘的なオーラを醸し出す白い肌。


「…………謁見の予約はなかったはずですが」


 魔教皇は教会に踏み入った俺に気づくとそう言った。

 か細くい割に、よく通る声だ。

 篝火に集中しているようでこちらに目も向けない。


「アマデウス様……」


 ラーナが不安げな声で俺の名を呼んだ。


「ん?」

「声が……」


 どうやら「声」が強まっているらしい。

 ラーナの額には汗がにじみ出ていた。

 切れ目が美しく、いつも涼し気なラーナにしては珍しい。

 辺りをきょろきょろと落ち着きがない。


「全校集会でも開いているのか」


 俺は皮肉を交えて言った。


「失礼ですねえ。神の教えにもとずく、崇高な儀式の最中ですよ。……おや、あなたは確か、慈者の血脈の……」


 魔教皇は視線をこちらに向けた。


「久々に見ました、アンク・アマデウス。といってもあなた本人に会うのは初めてですが。白い衣装はへだたりを排除し平等にする……。あなた方はここ数年、音沙汰がなくなっていたはずですが」

「国を貰いにきた。余計な話をするつもりはない」


 魔教皇は俺の言葉に鼻で笑い、そして信徒たちへ命じた。


「始末しろ」


 左右に整列する信徒の顔が、一斉にこちらへ振り向いた――。


「《侵蝕の波動ディスパレイズ・オーラ》」


 俺の体が赤黒い球体に包まれた。

 球体は瞬時に拡大し、百は優に超えるであろう信徒を侵し尽くした。

 球体が収縮し消えたあと、そこに信徒の姿は一人も残ってはいなかった。


「…………困りましたねえ」


 その様子に、魔教皇はそう呟いた。

 動揺が窺えないが、こいつにしてみれば駒に過ぎないということか。


「ラーナ、まだ聞こえるか」

「……はい」


 声は信徒のものではないということか。


 静まり返る教会に俺たちの声はよく響いた。

 俺はゆっくりと魔教皇の元へ歩を進めた。

 魔教皇は依然いぜんとして篝火から離れない。逃げる様子もない。


「落ち着いているな。トンパールやナッツとは大違いだ」

「……なるほど。あれはやはり、あなた方の仕業でしたか」


 篝火を挟み、向かい合った。

 魔教皇の白い肌を炎が揺らす。


「下は無事ではないのでしょうね」

「聞くまでもないだろう」

「それがあるんですよ。私は今、篝火から目を離せません。るなら今のうちですよ」

「何をしている」


 俺は訊ねた。


「……ふっ、傲慢な方だ。不法侵入ですよ。見ず知らずの方に、親切にものを教えるわけがないでしょう。是非お引き取りください、邪魔です」

「見ず知らずという訳でもない――」


 俺はマスクを光の粒子の変え、脱いだ。


 素顔を見た魔教皇は一瞬、意表を突かれたような顔をした。

 だが何拍かして、溜め息のように鼻息を漏らした。


「……そうでしたか。つまり、我々はあなたに、あの異端審問の時から見抜かれていたのですね。冒険者ニト」

「公知の事実だ。私でなくともお前らの卑劣さを知る者はいる。知る者は多い」

「それは違います。あなた方は圧倒的少数派です。我々八岐やまたは人々に必要とされているのです」

「人間限定でな」

「我々が統べるからこそ人が集まり国できる。平和が、安寧が築かれているのです」

「人間にのみに許された平和だ。つまりは偽の平和。まやかしだ」

「引っ掛かる言い方をされますね。当たり前でしょう、人間が平和を手にして何が悪いのですか。幸せを手にして何が悪いのですか。魔法の父アダムスは、人間の繁栄を願い魔力の法則を広めた。魔力に触れるあなたもアダムスの子です。である以上、あなたも人の繁栄のために尽くすべきだ」

「死人に口なしだ。アダムスは、人の繁栄のためなら種族を虐げてもいいとそう言ったのか」

「虐げるとはどういう意味でしょうか」

「……トンパールは獣人をコレクションとし、ナッツはその肉を食べた。シュナイゼルは黙認。かのアルテミアス王などは斡旋に関与していたそうじゃないか。話せばきりがない。命をもてあそぶとはこのことだ。身寄りのない獣人や魔族を見つけては、貴様らは八岐やまたというパイプの中で転がし、遊んだ。さらには集落を襲ってでも確保した。トンパールやナッツが殺していたのは、無理やり連れてこられた者たちだった」

「曲解もはなはだしい。一つ言わせてもらいます。彼らは今後も反映し続ける崇高な人間の一部になれた訳ですよ。であれば、むしろ感謝すべきでしょう。これは彼らにとって名誉なことなのですよ。どうせ彼らは、この大陸では満足に生きていくことはできませんでした。他種族への差別は常識だからです」


 魔教皇は篝火の前からゆっくりと移動した。

 すると篝火の火が下へ落ち、床へ吸い込まれるように消えた。

 そのさまは奇妙であり、まるでこの下に何かがあるように思えた。


 魔教皇は俺の横を通り過ぎ、部屋の中央に向かって歩きながら言葉を続けた。


「私どもは、あえて人間に混ざろうとする者にまでは干渉していません。魔族は大森林の中で生き、獣人は檻の中で生きる」


 魔教皇の言うこの場合の“檻”とは、獣国ネイツャート・カタルリアのことだ。


「エルフは人を寄せ付けぬ森の最奥で生き、ドワーフは岩山の中。ドラゴンは山脈。妖精は木と森の中で生きる。それぞれには決められた場所がある訳です。ですが得てして、最適な環境を抜け出してまで我々に混ざろうとする者がいます。そういった者にはお灸をすえてやる必要があるのです。身の丈を越えて世界を知ろうとした罰、地を踏み荒らした罰を与え教えてさしあげるのです。彼らが図に乗らないように。無論、彼らも覚悟の上でしょう」


 俺の隣でラーナは必死に耐えていた。

 魔教皇を殺したくて仕方がないと震えている。


「外見からして、そちらはダークエルフですか。あなた方には同情します。エルフにすら拒まれるダークエルフに生きる場所はない。この世界は平等だ。救われる者がいれば救われぬ者もいる。かたよりがない。それだけのこと」


 ラーナが怒りの形相で一歩前へ出た。魔力を荒げている。

 俺は腕で制止した。だが今にも飛び掛かりそうだ。


「貴様のそれは詭弁きべんに過ぎない」

「…………」

「お前たちは常に優位な立場にないと気が済まない。その詭弁は恐怖の表れだ。自分たちが築いてきたものが、繁栄の歴史とやらが侵されるのではないかと怯えているのだ。魔族は魔力に優れ、獣人は身体能力で優れている。ドラゴンはそのどちらにおいても上をいく。エルフは感覚に優れ、ドワーフは総体的に技術面で特化している。精霊は知識の宝庫だ。一方、人間には何もない」

「……何もない、ですか。おもしろいことを言いますね。あなたも人間でしょうに」

「その自覚があるかどうかだ。たくましく生きたところで雑草にしかなれないなら燃やしてしまった方がいい。無価値だ。雑草は嫌悪感しか生み出さない。人間とはそういう生き物だ。本質的に何もない」

「……なるほど、どうやらあなたには時間が必要なようですね。アダムスの教えと向き合う時間が」

「は?」

「どうでしょうか、私の生徒は先ほどあなたに殺されてしまいましたし、代わりにあなたが生徒になるというのは。席なら十分に空いています」

「アマデウス様、早く殺しましょう。こいつは話が通じません。それにここは気味が悪いです」


 ラーナの様子は未だおかしい。俺を急かした。


「無駄話はこのくらいにしておこう。魔教皇、ここにいるのは俺たちだけか」

「俺たちだけ? どういう意味でしょうか」


 様子を窺うとラーナは頷いた。

 やはりここには、俺たちと魔教皇以外に何かいるらしい。

 だが魔教皇はわかっているのかいないのか、潔白と言いたげな白い肌で疑問を浮かべた。


 そこで思い出したのは篝火だ。魔教皇は儀式だと言っていた。

 言動から察するに、魔教皇はその儀式の最中、教会の外に意識を向けることができなかった。

 この惚けた表情は相手の深読みを誘うが、もしはったりだとするなら、俺を教会にすんなり通した理由がわからない。


「不思議な場所だ、イキソスとは」

「…………」

「だが何があるのかと思えば、教会が一つだけ。これでは何のためにあるのか、なぜ浮いているのかもわからない」

「象徴ですよ、あなたのその白いマントと同じです」

「なぜ浮いている」

「…………なぜ? 別に。ただ神の国ですから、地上にあってはおかしいでしょう。人間は先入観に従順な生き物です。『何故かはわからないが浮いている』、その神秘性から信仰は深まり、アダムスは正しいという思想が確固たるものとなるのです」

「なぜ浮いていると、そう聞いただけだ」

「…………」


 魔教皇は俺の目を見つめたまま黙った。


「何もなく浮いているはずがない。何か理由があるはずだ。断っておくが、貴様の意図が知りたい訳じゃない。なぜ浮かせているのかではなく、なぜ浮いているのかだ。どこかに動力源か何かあるはずだ」


 たとえば飛行系の魔法だ。

 だが動力源が魔力だとすれば引っかかる部分がある。


 魔力は一定量使えば底が尽きるし、これだけの規模のものを浮かせるとなると消費量は凄まじいはずだ。

 こいつの魔力だけでは無理だろうし、先ほどここに集まっていた信徒であれ永久に供給することはできないはずだ。


 そこで、先ほどからラーナが言っている「声」が気になってくる。

 俺の読みではあの篝火の下に何かがある。


「篝火の下」

「……」


 魔教皇の目つきが変わった。


「あそこに何かあるな。何がある?」

「なに、とは? 別に何も――」

「違うな。この真下か……どうやら掘り起こした方が早そうだ」


 俺は真下へ顔を向けた。


「何を考えている……」


 魔教皇の声色が焦りを見せた。


「何を動揺している」

「よせ! 何をするつもりだ!」

「ラーナ、じっとしていろ。この下の様子を見る」


 俺は右手を構え、魔教皇の必死の叫びを無視し――。

 教会の床を強打した。

 その瞬間、衝撃を受けた床が波打ち、ひび割れていく。

 ステンドグラスの窓が一斉に割れ、教会が大きく揺れ始めた。


「くそ! くそ!」


 すずし気であった魔教皇の雰囲気が一変していた。

 倒壊しつつある教会を見渡し、取り乱している。


「貴様の心の動揺が見える。だが何故それほどまでに拘っている、こんなものに」

「あ、あ、あ、あ、あ……くそっ!」


 その取り乱しようは異質であった。


 魔教皇はおそらく男性だ。

 だが中世的な容姿であるから女性の雰囲気もある。声も同様。

 そんな綺麗な男が両手で顔をしわくちゃにしながら悲鳴を上げている。


「教祖の顔ではないな」

「きょ、教祖だと!」


 鼻水と涙で崩壊した表情で、魔教皇は人が変わったように怒りだした。


「私は最高指導者だ! 貴様と一緒にするな!」


 魔教皇は明らかに老けていた。

 しわくちゃなその表情は自らの手によるものではなかったのだ。


 地面よりも先に天井と外壁が倒壊した。

 同時に、そこで地中に埋まっていたあるものが姿を見せる。

 吹き抜けた大空から落ちてくる瓦礫がれき

 それらを地中より現れた、眩い、青い光が照らした。


 天井と外壁がきれいさっぱり取り除かれ、危うい地面のみの国となったところで、俺たちは魔教皇と向き合いつつ、その地中にある剥き出しの結晶を見た。


「これは……」

「アマデウス様、これです」


 ラーナは確信の表情で指さした。


「やめろ! それに近づくな!」


 魔教皇は激昂した。


「これはなんだ」

「知らずとも良いものだ!」

おびただしい数の魔力を感じる。これは魔力結晶ではないのか?」

「知らずとも良いと言っているだろ!」


 魔教皇は飛び出しそうな目つきで睨み、怒鳴った。


「アマ、デウス様…………」とラーナが言葉を詰まらせた。

「どうした」


 ラーナが血相を変えていた。

 それまで以上に殺気立った目つきで、地中のそれを見つめている。

 横顔に違和感を覚えた。


 漏れた青い光が収束してきたところで、俺もそれを目にした。


「これは……」


 怒りが込み上げた――。


 それは人の形をした、小さな生き物の死骸だった。

 背中に半透明の蝶のような、よれよれの枯葉のような羽が生えている。


「妖精です。または精霊とも」

「これが……」


 まるで蛍光灯の底に溜まる虫。そんな光景だった。

 青く透き通った巨大な結晶の中に、多数の妖精が閉じ込められていた。

 多数の死体の上に、かろうじて生きている妖精の姿がある。

 ふらついた足で立ち、こちらを見上げている。

 頬はげっそりとしており、手足はさせ細っていた。


「これはなんだ?……」


 俺は魔教皇に訊ねた。

 だがそれにはラーナが答えた。


燈籠とうろうです」

「燈籠?」

「はい……私たちエルフは、そう呼んでいました」

「私たち? どういうことだ?」

「これは妖精の光を拡散させるものです。私の故郷では街頭などに使われていました。中は妖精にとって住みやすく、彼らの住居にもなっているのです」

「…………まさか、エルフは妖精を、精霊を利用していたのか?」

「そうではありません。エルフと妖精は互いに助け合って生きていました。夜が深まると妖精は眠りにつきます。明け方までこの中にいてもらい、私たちは燈籠の、妖精の光を頼りに夜を過ごすのです」

「なるほど……だがこれは」


 ラーナは魔教皇へ視線を向けた。


「あなたは一体……」


 取り乱していた魔教皇の表情は、すっかり年老いた老人のものとなっていた。

 白い髪は抜け落ち、雪のような肌もよぼよぼになっていた。


 魔教皇は言った。


「それは黒牢こくろうだ、燈籠ではない」

「黒牢?」


 ラーナが魔教皇の言葉に疑問を浮かべている傍らで、俺はその黒牢へ《侵蝕の波動ディスパレイズ・オーラ》を掛け、口を作った――。


「《治癒の波動ヒール・オーラ》」


 薄緑色の球体が俺を包み込む。拡大し、弱っている精霊を癒した。

 だが癒せたのはかろうじて立ち尽くしていた者たちだけだった。

 黒牢の底で密集している死骸は救えなかった。

 魔術を解くと、底のそれらは消えてなくなっていた。


 その光景に不思議に思っているとラーナが言った。


「妖精に死はありません。私たちで言うところの寿命が尽きたとしても、何度でも蘇るのです」


 その言葉を聞いた瞬間、俺の中の線がプツンと切れた。

 自分の奥底からにじみ出る赤黒さを感じつつも、俺は魔教皇へ怒りを向け、《存在》――黒い影で奴を傍まで引き寄せていた。


「わ、わ、なんだこれは!」


 影は一時的に手の形をとり、魔教皇を捕らえた。

 魔教皇は「離せ、やめろ」と手の中で暴れた。


「これは、そういうことか」


 俺は顔の前で魔教皇を睨み、訊ねた。


「な、何がだ」


 俺は惚ける魔教皇を怒鳴りつけた――。


「そういうことかと聞いている!」

「は、は、ははははは。そういうことって、なんですか。聞かれている意味が――」


 俺は地面へ魔教皇を叩き付けた。

 苦しみを漏らす魔教皇。さらに顔を足で踏みつけ、もう一度確認した。


「永久的な循環を促すものだろ、これは。違うか!」


 俺は怒号でそう訊ねた。

 魔教皇は俺の足の下で、唾と血を滲ませる口から答えた。


「ご、ご名答……よく、分かりましたね」


 その言葉に、俺の口角は自然と吊り上がった。

 魔教皇を見下ろしながら、満面の笑みを浮かべていた。

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