第220話 ウラノスの過去

 「シスターは優しかったのです。だからネムは、それからご主人様と出会うまで、ずっと王都にいたのです」


 王城の玄関から左に向かって直ぐだ。そこに庭園が見えていた。

 花壇の前に備え付けられた長椅子に座り、花々を前にそれらの話を聞いた俺たちは、ネムの出生に関わる真実を知った。


 獣国を離れ、アノール・フェリアへと移り住んだセレナさん。その後ネムが生れ、平和な日々が続いた。だが帝国が獣国に現れた後、すべてが変わった。オリバー・ジョーの妻アンナさんが『時間凍結魔法』なるもので氷漬けにされ、その後、アノール・フェリアへと駆け付けたミネルヴァさんが目にしたのは、黒焦げになった町。そこにはかつての平和の象徴の面影すらなかった。

 その後のネムの足取りは、ネム自身がミネルヴァさんに説明した。


「でも、じゃあなんで今まで黙ってたんだ? 教えてくれれば良かっただろ?」


 だが俺をそう尋ねても、ネムの答えは曖昧なものだった。


「ネムにも分からないのです。ネムは、ずっと覚えていたのです。でも思い出すと、ネムは……」


 そう話すネムの手は震えていて、説明している間も苦しそうな表情で常に震えていた。

 ネム自身忘れていた訳ではないらしい。だがあの日の出来事を少しでも思い出すと、おそらく、生きられなかったのだろう。正直、同情するし、俺の境遇と比べれば、ネムの方が失ったものは大きい。ネムが何故、今も思い出そうとする度に首を横に振るのか、俺には分かるが、それは傲慢というものだろう。ネムの傷はそれ程に深いのだ。


「それで、ネムはこれからどうするの? その、ミネルヴァさんとも再会できたことだし、獣国へ帰るの?」


 するとトアがそう尋ねる。

 孤児だったこともあり、ネムには故郷がないと思っていた。だがそうではなかった。ネムにはちゃんと帰る場所がある。これは、ネムにとっての好機なのではないかと、、寂しくも、俺は今そう思っている。


「ネムは……『ご主人様』の傍にいるのです」


だが意外にも、ネムは迷うことなくそう答えた。


「ネムは王族なのです。今ならそれがどういうことなのか、少しは分かるつもりなのです。でも今のネムが獣国に戻っても、何もできないのです。それにネムの居場所はもうご主人様です。母様と父様は……殺されました。もうネムの故郷は、どこにもないのです。だから、ネムは……」


 かなり無理をしているのだろう。一つ一つの言葉に歯切れの悪い重さを感じる。ミネルヴァさんにまた出会えたからこそ、多少なりとも安心を覚えているのだろうが、それでも自分の口で両親の死を語るには、まだ少し早い。ネムにはまだ時間が必要だ。


「ああ、ネムがそうしたいなら俺は止めない。旅を続けよう」


 “転生”したとは言え、あの頃の俺はきっと、精神的にまいっていたと思う。確実にあいつらを殺せるだけの力を求め、周囲のレベルと自分の実力を計るだけの日々だった。そんな俺にある種、それ以外の道を教えてくれたのは、シエラでありトアであり、そしてネムだった。俺はネムに救われていたのだ。ならば次は俺の番。俺がネムの力になってやらなければいけない。

 だが……その前に、やることがある。


「今、話すことでないのは分かっている。ただ、これはミネルヴァさんにも、何よりネムに聞いておきたい」


 そう切り出すと、それぞれが俺の顔を窺った。


「帝国を殺しにいくか?」


 これがこの話の本質だろう。

 再会は喜ばしいことだ。ネムの表情からは、これまでとはまた違う安心した様子が窺える。それにトアやスーフィリアにも良かったはずだ。ミネルヴァさんと出会えたことで、孤児としての認識しかなかったネムの出生を知れた。それについては俺も良かったと思っている。

 だが俺がそう尋ねた時、ネムは顔を伏せ、ミネルヴァさんは少し警戒しているような、難しい表情をしていた。


「ニト、眼が……」


「眼?……ああ」


 その時、トアが教えてくれた。どうやらまた眼が赤くなっていたらしい。

 俺は手で目を覆い、高ぶっていたらしい感情を落ち着かせた。


「悪い……」と、そんなことはどうでもいいとして、話を続けよう。


「言いたいことは分かる、まだ早いよな?」


 だが今だ。とりあえず今、決める必要がある。これからどうするのかを決めて、そこに向かって動く必要がある。『人質』がいるというのなら尚更だ。


「そう言えばミネルヴァさん、帝国が獣国の白猫族を拉致したという話を聞きましたが、本当ですか?」


「ああ……確かにそうだが、どこでそれを?」


 ミネルヴァさんは、まるで俺がそれを知っている自体があり得ないことであるように驚いていた。

 どういう訳か、おそらく帝国は自分たちの動きを知られたくないのだろう。フランチェスカ曰く、帝国が獣人を虐げているということは、上層部の判断で記事にもできないらしい。そして獣国をウラノスが襲ったということは、もはや誰も知らない。つまり今この事実を知っているのは、当事者以外では俺が世界初と言えるだろう。漏れがなければだが。


「情報元については一先ずとして、とりあえずそれを止める必要がありますね、人質を取られた状態では流石の俺も手が出せない」


「流石の俺?……申し訳ないのだが、そなたは一体、何者だ? 気を悪くしないでほしいのだが、レベルで言えば二桁にも満たない程度の魔力しか感じない。ここまでネムを守ってきてくれたことには感謝するが……」


 そう言えばまだ名乗ってなかったな。場所を移すくらいは俺の提案でなんとか出来たが、その後、椅子に座るなり、ネムのことしか頭になかったのか、この人はネムに質問攻めだった。おかげで俺は自己紹介すらできていない。


「そう言えば自己紹介がまだでしたね? 俺はニトと言います」


「ニト?……」


「はい、一応これでも冒険者をやっています。ここに立ち寄ったのは……まあ色々と理由はありますが、旅の合間に立ち寄っただけです」


「ちょ、ちょっと待ってくれ?! ニトと言うのは、あの英雄ニトのことを言っているのか? ラズハウセンの英雄の?」


 どうやら支配は受けていても情報は入手できているらしい。ならば話は早い。


「英雄などという大層なことはしていませんが、俺がそのニトです」


 すると途切れる会話。この低すぎる魔力のせいだろう、どうやらミネルヴァさんも護衛のカユウさんも、俺の言葉が信じられないらしい。


「ネムを守っていただいた御仁に対して失礼かもしれないが…「ああ、ちょっと待ってください」


 俺はそこで固有スキル『隠蔽』を解き、魔力を開放した。

 すると当たりの木々に止まっていた鳥か何かが一斉に羽ばたき飛び経つ。


「こ、これは……」


 一変するミネルヴァさんの表情。

 最近、漏れ出る魔力のコントロールを覚えたが、解放時がどうも上手くいかない。高すぎて感知されない魔力も、意図して振るえば辺りにそれなりの影響を与えてしまう。


「そなたが……ニト」


 どうやらミネルヴァさんもカユウさんも、俺がニトだと信じてくれたらしい。


「とまあ、そういうことなんですけど、とりあえず話を進めたいのですが、俺は将来的に帝国については破壊するつもりでいます」


「破壊だと?」


 すると唖然としていた表情が徐々に変わり、またも驚くミネルヴァさん。


「ご主人様、待ってほしいのです! ネムはそんなことは望んでいないのです!」


 すると突然、俺の言葉に対し、止めてほしいと訴えるネム。


「望んでいない? でも、帝国はネムにとって仇だろ?」


「仇でも、ネムは望んでいないのです。別にネムは、ご主人様にそんなことをしてほしいとは思っていないのです」


「ネム……」


 ネムは優しい……おそらくその悲しみも、怒りも、すべて自分の中から消し去ってしまいたいはずだ。

 だがこれは、ネムのためだけではない。もちろん今の俺にとっては、もうネムのためという思いが一番強い。だがそうじゃないんだ。


「ネム、獣人の開放はそもそも俺の意志だ。帝国の滅亡は俺の意志なんだよ、最初からな?」


「でも……」


「心配するな、皇帝を殺したところで俺の何かが変わる訳じゃない。愚物を一つ殺したところで何かが変わることはない、これは始まりに過ぎないんだ……」


「始、まり? 何の事なのですか?」


「……何でもない。だが殺すにしろ、これにはラズハウセンでの一件も絡んでいる」


「シエラのことね?」


 すると代わりにトアが答えてくれた。


「そうだ、俺が先に殺してしまってはヒルダさんの死が……シエラの無念が晴れない。そんなことをすればシエラはずっと闇の中にいることになる」


 あの日、ラズハウセンで別れた時の、シエラの目を思い出す。復讐を誓った目だ。シエラの復讐の邪魔はできない。


「俺がこれまでに知り得た情報と、先程の話にあった情報をまとめるなら、皇帝の狙いはカーペント・ゼ・バッハの首でしょう」


「カーペ……何と?」


 するとどうにか話について来てくれているミネルヴァさんは、聞き取れなかったのか疑問符を浮かべながら尋ねた。


「カーペント・ゼ・バッハ――『龍の心臓』を統括している黒龍の名前です。ウラノスの背に黒いドラゴンの印があったなら尚更です。ウラノスの狙いは黒龍であると仮定して話を進めましょう」


 とは言え、胡散臭くはある。まるで奴に誘導されているようだ。


 皇帝は俺に隠す素振りも見せず、はっきりと龍の心臓について尋ねた。またミネルヴァさんの話では、背中のマントには首のない黒いドラゴンの絵が描かれていたらしい。

 獣国での一件を隠している皇帝が、何故ドラゴンについてだけは堂々としているのか? いや、それについてはまだ俺の憶測止まりな情報ではある。

だが背に掲げるくらいだ、必ず意味はあるはず。では気づかれないとでも思っていたのか? これは皇帝のミスか? ではどうしてドラゴンを殺したいんだ?


「一つ聞いておきたいんですが、皇帝が黒龍を殺す理由について、何か心当たりはありませんか? なんでもいいんです」


 この世界の事情に詳しいミネルヴァさんなら何か知っているはずだ。


「事情? そうだな……申し訳ないが、私には分からない。ウラノスが皇帝となるより以前、奴は英雄として認知されていた」


「英雄?」


「知らないか? そなたと同じだ。今や『八岐の王』として知られている8人の王。現在は7人だったか? その由来は7つの首を持った白いドラゴンだった。奴は若くして、『終焉の学院』で学んだとされるビクトリアの魔法を操り、八岐の白龍をほふったのだ」


「ちょっと待ってください! 終焉の学院って、あの三大魔法学校のことですか? ウラノスはあの学院に?」


「そうだ。と言ってもそれは本人が言っていたことであり、今となっては、真実だったのかどうか……だが当時、その強力で多彩な魔法から、現在の八岐の王は奴の言葉を鵜呑みにした。だが無理もない、それほどに奴の魔法は強力だったと聞く。私も奴を目の前にして分かった。あんな魔力を感じたのは初めてだった」


 その後、今の俺と同じように、ウラノスは大魔導師の称号を得たそうだ。そのことから、ウラノスは『終焉帰りの英雄』、『終焉帰りの大魔導師』と呼ばれたらしい。

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