第174話 矛盾する深淵
京極の首が吹き飛び、そこに鮮血が舞った。
「やめろおおおおお!」
急に傍らの騎士が叫びだす。
止めろとは……無理な話だ。
もう殺してしまったのだから。
その時、俺の足元に魔法陣が現れた。
俺は反射的に後方へ飛び、回避する。
直後、その魔法陣から踊るような鎖の束が現れていた。
「なるほど、拘束魔法か」
「その者を捕えよ!」
そして、騎士たちに俺を拘束するよう命じるダームズアルダンの王。
「これで俺は退学か?」
「とっくにその段階は越えておるわい!」
オズワルドが激昂する。
その言葉に一瞬、笑いそうになってしまった。
一先ず距離を取る。
「捕まえられる意味が分からないんだが?」
「説明は不要だ。それはお主が一番よく分かっておるであろう? 授かった力を己の欲のためにしか使わぬ愚か者よ!」
ダームズアルダンの王シュナイゼルは、俺を見下し、そして、そこには軽蔑の眼差しがあった。
「愚かだと?……愚かなのはあんただ。俺は京極の提案通りに“決闘”を受け入れ、そいつが望んだからこそ本気を出した。お前らにそいつの意志も命も、束縛する権利はない。王なら何をしても許されると思っているのか? 生徒の人権を侵害しても問題ないと、そう思ってるんだろう? お前ら人間の王はこの世界において愚の骨頂だ」
「貴様! 陛下に向かって何ということを!」
騎士の一人が俺を咎める。
「何だ? 次は不敬罪か?……馬鹿にもほどがある」
「お主が犯した罪はただ1つ。殺人じゃ!」
「ここが学院の敷地内だってことは理解してるよ。だがそんなことは俺には関係ない。敷地内で人を殺すなと校則に書いてあるのか? ん?……冒険者に決闘を申し込むってのは、こういうことなんだよ? それに京極の命はお前らのものではない。京極ただ一人のものだ。その命をどうしようと、本人の自由。そして京極は俺との一戦に命をかけることを宣言した。何があっても止めに入らないよう、オズワルド、お前に忠告もした。それが真実だ」
だがシュナイゼルは表情を変えず、淡々と答える。
「これは極めて常識的な結論だ。議論する必要はない。真実と言うのであれば、それはお主が今大会において、明確な意志を持ち殺人を行ったということだ。この事実は変わらぬ。そしてこれは、お主を拘束するだけの理由に足り得る。大人しく捕まってくれ……」
「じゃあ……戦争かな?」
俺がそう呟くと、シュナイゼルの目つきが変わった。
もちろん冗談で言っただけだが、こいつらがその気なら仕方ない。
俺は傍らにダンジョンの渦を出現させる。
「ヴェル……出番だ」
すると渦の奥から声がする。
『あいよ……マスター』
俺は〈ヴェルフェゴールの大杖〉を取り出した。
『久々だな、あん時以来じゃあねえか?』
ヴェルを召喚したのはグレイベルクを破壊した時以来だ。
「……喋る……杖じゃと?」
ヴェルに驚くオズワルド。
そう言えばこの世界で『喋る杖』というのは、おとぎ話にしか存在しない『存在』なんだったな。
魔術にも『
とりあえずこいつらにとって、喋る杖というのは、この世に存在しないはずの物という認識だ。
「疑問を持つようになった。魔法なんてモノがある世界でありながら、たかが杖が喋った程度で、何故、おとぎ話扱いされてしまうのか? 何故、俺たちとお前たちの持つ深淵という概念に、差異が生じているのか?」
「何の話じゃ?」
オズワルドは疑問を浮かべる。
「都合だ! 何かは分からない。何かは分からないが、ただ、お前たちにとって、この深淵というものがそれほど都合の悪い存在だったんだろう。かつて、お前たちの中にそう判断した奴がいたんだろう? だからこの世界には深淵も、喋る杖も存在しない。容易に触れられぬよう、誰かが細工したんだ。そこには必ず誰かの意志がある」
「……」
シュナイゼルも、言葉を返さず疑問符を浮かべる。
「分からないか? それとも惚けているだけか? サブリナの言葉を聞いて理解したよ。何故、お前ら校長が深淵の存在を知っていて、その監視をするように言い伝えられてきたのか……この学校の創設者は、アダムスの2人の弟子だったよな? なら諸悪の根源はアダムスだ」
アダムスの遺物である精霊王も、こいつらと同じことを言っていた。
「深淵の愚者だと……お前らはそうやって、知らず知らずの内に、アダムスの思想に支配されていたんだ。深淵の愚者など存在しない。そして……お前ら人間はいつもそうだ。アダムスしかりな? 利己的な理由で物事を、人を縛る。この状況もそうだ」
創世の魔導師アダムスは、深淵の魔法使いだった。
そしてアダムスは、その名を知らない者がいないほど、今も尚、この世界に“生きている”と言っても過言ではない。
精霊王であるサラが言っていたこと。
アダムスが遺したとされる深淵に関する3つの禁忌。
どういうことかは知らないが、この世界において、アダムスはまるで神のように扱われ、その伝承のすべてが世界に根付いている。
表層的なものから深層的なものまでだ。
「話にならぬな、考えが飛躍し過ぎておる。いずれにしろ、お主は罪人だ。反論が許されるのは異端審問の最中のみ。今、お主に発言の自由はない」
シュナイゼルは鋭い視線を向けた。
「ご
だが俺がそう言っても、騎士は動かない。
「なんだ? ビビってるのか? だよな? お前らは分かってるんだ。俺を拘束なんて、できやしないことを」
「大人しく捕まってくれ、でなければお主はこれより世界中から追われる存在となる。帝国のこともある。今なら、まだ我の力でどうにかしてやれる」
「ふ……王の力か。俺を手懐けて何がしたい? 帝国だと? そんなに帝国が恐ろしいか? あんもの、放っておけばいいだろ?」
「お主は皇帝ウラノスを知らぬ。あ奴は若くして、『終焉の学院ビクトリア』に認められた天才よ。その魔力は計り知れず、実に、魔導の才に優れた男だ。我は、あ奴をよく知っておる。あ奴の謀略だけは防がねばならぬのだ」
終焉の学院?……確か、世界3大魔法学校の頂点だったな。
認められた者しか入学できないとかいう。
「京極殿を殺したお主の罪は見過ごせるものではない。だが我は王として、それでも最善の選択をする。世界のためならば、お主の罪など容易い。ニトよ……大人しく捕まってくれ、頼む」
そして、シュナイゼルが王としてはあるまじき行動を取った、
その時だった――
「ん?」
――――。
――客席の一部が突然、大きな爆発を起こしたのだ。
「なっ!」
驚くシュナイゼル。
少し前から、何となく外が騒がしいような気はしていた。
だがこいつらが気づけなかったのも無理はない。
“連中”はおそらく、魔道具が何かを身に纏い、魔力を隠している。
さらに会場の一部で爆発が起き、壁面が倒壊した。
煙と悲鳴に包まれる会場。
我先にと逃げ惑う観客。
押し倒される人々、中には女性や子供もいる。
先ほどまで俺に対し、嫌悪感を抱いていた連中が、ただ自分の身の安全だけを求めて、周りの者を蹴落としながら逃げ惑っている。
そんな光景がいくつも広がっているのだ。
「醜いな……結局、人間なんてこんなもんだ。だが、別に悪いってわけじゃない。もうこいつらには何も感じない」
そして煙が晴れた先に見えたのは、会場に空いた巨大な穴だ。
外と中が開通している。
そしてそこから次々と群れが押し寄せてきた。
「あれは!?……」
シュナイゼルは目を凝らしていた。
「魔族!?……ですな」
戸惑いつつも、オズワルドは答える。
思ったよりも早い。
連中、相当トアがほしいのだろう。
だからあの時、殺しておくべきだったんだ。
だがもう、どうしようもない。
次々と会場の中に入ってくる魔族の群れ。
そこには様々な形の者たちがいた。
角の生えている者や、生えていないが肌が紫色の者。
また人間そっくりの者や、獣人にも似た獣のような鋭い爪を携えた者。
魔族と言っても、外見は様々だった。
だが何より違うのは、この力強い魔力だ。
まるで魔力に色がついたような感覚。
他の種族とはまた違った印象を受ける。
トアも特殊な魔力の波動を持っているが、こいつらとはまた違うように思う。
王女だし、トアの方が特殊なのだろうか?
魔族は会場に入るなり、手当たり次第に逃げ惑う観客を襲っていた。
悲鳴を上げ、涙を流しながら死んでいく者たちが見える。
そこには肉片や血飛沫が舞っていた。
「スプラッター映画みたいだ……」
思わず呟くいた。
「陛下!」
「うむ、分かっておる! ニト殿の件は後回しだ。状況が分からぬが、まずはあの者たちを片づける!」
シュナイゼルの命令に従い、俺を包囲していた騎士たちは、客席へ救出に向かった。
それにしても“ニト殿”か……変わった王だ。
どうにかして俺に協力してほしいらしい。
すると遅れてきたころに聞こえてくるサイレンとアナウンス。
どうやら会場を魔族が包囲しているらしい。
そして会場を抜け、町やホテルが立ち並ぶ繁華街を抜けた先にある草原。
その先に町や会場を見下ろせるほどの丘があるらしいのだが、そこに別の群れも現れたらしいのだ。
だがその詳細は分からないとのことだった。
トアを捕えるためだけに、ここまでするのか?
……違和感を覚える。
何か、まだ俺の知らない何かがあるような気がする。
でなければ、ここまでする意味が分からない。
魔王の娘とは、それほどまでに何か重要な意味を持っているのかもしれない。
ところで、このアナウンスは誰に知らせているのだろうか?
オズワルドか? サブリナか? 主催者はこいつらだろう?
周囲を確かめてみると、VIP席にたまっている権力の塊たちも避難を始めていた。
殺される一般人を遠目に、せっせと逃げている。
「陛下! 一先ずお逃げください! ここはわしがどうにか食い止めます」
フィールドに入り込む魔族を蹴散らすオズワルド。
「うむ、分かっている。それにしても……どういうことだ? 何故、魔族たちがこんなにも……」
「分かりませぬ」
「これは明らかに統率されている。まさか! 魔国が動いたのか?!」
「分かりませぬ……今はまだ。原因の解明は一先ずとして、陛下はお逃げください」
突如、会場を襲ったこの事態に、シュナイゼルは険しい表情でその様子を眺めていた。
その惨状を目で捉えることしかできないといった様子だ。
そして、被害に遭っているのは何も、一般人だけではない。
――あまりにもあっけなく切り殺されていく魔法学校の生徒たち。
客席の至る所で生徒対魔族の戦闘が始まっていた。
「やはり魔法のお勉強とやらは、役に立たないな」
「相手は魔族じゃ。容易なことではない」
オズワルドは険しい表情で俺を睨みつける。
するとその時、トアたちが俺の元へ走ってくるのが見えた。
どうやら客席の塀を飛び越えてきたらしい。
もちろん常に警戒はしてあった。
3人が襲われるようなことがあれば、直ぐに駆け付けられるように。
「ニト……」
俺を見るなり、動揺の眼差しで見つめるトア。
分かっている……俺は目の前で、生徒を殺した。
そこに、さらにこの状況……トアはどういう表情をしていいのか分かっていないように思えた。
感情も不安定な様子だ。
また変な発作を起こさなければいいが……
トアから否定的な感情が伝わってくる。
だが、それはトアだけではなかった。
もちろんスーフィリアはいつもと変わらない表情をしている。
だがネムの様子がおかしい。
「ご主人様?……何故、殺したのですか?……」
それがネムの最初の言葉だった。
「……」
俺は直ぐには言葉にできなかった。
京極は勇者の1人だ。だから殺した。
それに脅威にもなり得た。
それが理由だが、今そんなことを言っても、2人は納得しないだろう。
「ニト様、わたくしはニト様を誇りに思います。あの方は死を望んでおられたのです。そうでなければニト様に、命をかけた決闘など、挑むはずがありません」
スーフィリアは自身満々に答えた。
誰にも、俺と京極の会話は聞こえていない。
京極は常に配慮していたのだ。
俺の正体がばれないように。
「いや、あいつは死なんか望んじゃいなかったよ」
俺は真っ向からそれを否定する。
スーフィリアはフォローしたつもりだろう。
だが思ったことは言わせてもらう。
嘘はつけない。
「じゃあ何で!? 何で殺したの?!」
するとトアが、封じ込めていたものを吐き出すように俺を問い詰めた。
「殺す必要なんてなかったでしょ?!」
トアの目には涙が浮かんでいた。
同時に隣で涙ぐむネム。
「……」
なんだろうな? 後悔は……ない……か。
その2人の表情を見た時、急に胸が苦しくなった。
だけど……こうなることは分かっていた。
京極の頭を吹き飛ばした時、俺は無心だった。
何も考えていなかった。
思い出してみると、つい先ほどのことだというのに、なんだか記憶が曖昧になっている。
俺はいつも記憶を映像のように覚えている。
だが先ほどの光景が頭にない。
……
なんだ? 俺は……
「ニト様?」
すると、スーフィリアが心配そうに俺の顔を窺っていた。
「……理由ならある。だけど……今は、言えない……」
「……」
「……」
2人からの返答はなかった。
その時、上空から翼の生えた魔族が現れる。
「トアトリカ様! お迎えに上がりました!」
紫色の魔族は銀色に光る剣先を向け、トアの隣にいる2人を狙っていた。
「狙いはトアか。やはりあの魔族の仲間だな」
俺はそこから一瞬で、上空から落下してくるそいつの隣に移動し、腹に蹴りを喰らわした。
「グゴフッ!」
魔族の腹が破裂し、分裂した上半身と下半身が客席に飛んで行く。
一方オズワルドは、多彩な魔法で周囲の魔族を一掃し、遠くにいる魔族へ、遠距離魔法を放っていた。
手の平から小さな魔力の粒を放っている。
だがラチがあかない。
「ニトよ……」
すると攻撃を一端止めるオズワルド。
「お主はわしらを軽蔑しておるかもしれぬが、わしらは常に最善を選択してきたのじゃ。すべては守れぬが、できるだけ、すべては守りたいと、そう考えてきたのじゃ」
突然、改まったように話し始めるオズワルド。
「確かに王というものの殆どは、権力を私利私欲のためにしか使わぬ愚か者じゃ。じゃがそれに抗う力はわしらにはない……」
だから何もしないというのか……
「わしはその昔、魔導師として世界の平和を願い、善行を為した。授かった力で差別なく、どんな者でも救うことを誓っておった。そうすることが世界のためであり、わしにはそのくらいしか出来ぬとそう思ったのじゃ。そしていつしか大魔導師と呼ばれるようになり、気づくとわしは、このフィシャナティカの校長じゃった」
オズワルドの感情が伝わってくる。
深い悲しみ、後悔だ。
「そして、思い知らされたのじゃ。世の中、見えぬ影に闇は潜み、闇とは本来そういうものであると……。わしにこの学校を託した前校長は、力を吸い取られたように弱っておった。病にかかっておったわけではない。闇に耐えられなかったのじゃ。今ならそれも分かる。もう既に、その瞳は力を失い、死んでおった。じゃが彼はわしに、それでもこの学校を守るように言うたのじゃ。それが混沌を阻み、この世界の平和を保ち続けることのできる、唯一の方法だと、そう言うたのじゃ」
「そんな話を俺にして一体何の意味がある? 結論、お前たちは深淵を監視したいだけだろ?」
「ニトよ、お主には力がある。それは使い方次第で、どちらにもなる。お主は今、闇に向かっておる。強大な闇じゃ。闇とは本来、見えぬもの。影に潜み、多くの目には止まらぬものじゃ。じゃが強大な闇は光を遮り、いずれ、世界を混沌へと誘う。闇が公のモノとなった時、この世界は滅びる。すべてを思い通りにすることはできぬ。悪があり正義がある、ただそれだけのことなのじゃ。そしてそれが重要であり、だからこそ平和は保たれる。世界が、影に囚われた闇に目を背け、そこに甘んじておる限り、それ以上の闇は訪れぬ。それが平和というものじゃ」
「……」
「考えるのじゃ。力とは、どういうものかを……お主は強い。じゃがまだ弱い。しかし、力を授かった以上、お主はそこに甘んじてはおれぬ。……ニトよ、強くなれ……そして、お主にしか出来ぬことを、今一度、考えよ」
そう言った後、オズワルドは俺から目を逸らし、加勢に向かった。
「……」
足元に転がる京極の死体。
頭は消滅した。
「ニト……その人は……知り合いでしょ?」
途切れ途切れの言葉で尋ねるトア。
知り合いでありながら何故殺したのか? トアはそう言いたいのだろう。
トアは、先ほどのように声を上げることなく、小さく尋ねた。
「いや……よくは知らない」
「じゃあ……なんで? どうして殺したの?」
「それは……」
俺だけが孤独であるような、そんな気がしたから……
知らない世界へ理不尽に放り出され、俺は彷徨った。
しばらく一人で……
その間こいつらは、寄り添い合い、孤独を誤魔化していたんだろう。
こいつらは既に、俺の知らない何かで繋がっている。
絆。
同じ境遇を経験したからだろうか?
そんな中、常に一緒にいたからだろうか?
だけど……
「言っただろ、トア……こいつらはな? 俺を見殺しにしたんだよ? 助けるかどうかはもちろん自由だ。だが俺の中には見捨てられたという感覚が今も残ってる。それはいつまでたっても消えない」
言葉にできない悲しみがいつも頭をかき乱す。
「シエラやトア、ネムやスーフィリアと日々を過ごす中で、徐々に緩和されていってるような気もした。だけど……思い出すんだ。一度思い出したら、また一から忘れないといけない。また一から、恨みや悲しみを忘れないといけない。その度に、俺は……俺だけが、辛い思いをする。なんで俺だけがこんな目に遭わないといけないのかと、いつもそう思う。思い出す度に……。 癒えないんだよ。どれだけ時間が経っても、全然、消えてくれないんだ。 だから……殺した」
――殺すしかなかった。
俺の中の闇を取り除くためにも。
「ネム……悪いな。今までついて来てくれたのに、こんな……情けない奴で……こんな、情けない“ご主人様”で……すまない」
ネムにはもっと相応しい主人がいるはずだ。
俺に拘る必要なんかない。
「トア……家には送り届けるよ、約束だからな。そこで旅はお終いだ……」
これが……最善だ。
「……」
俺を見つめたまま口を紡ぐトア。
「わたくしは、ニト様について行きます」
「いや、スーフィリア、お前は予言者のところへ連れて行く。そこでお前の……俺との旅も終わりだ。お前は王女だろ? だったら俺の様な悪人といるべきじゃない」
スーフィリアはその言葉に目を見開いてた。
そして直ぐに、顔を隠すように伏せた。
そうだ……俺がいるから……だから、みんな死ぬんだ。
だから、未来の俺は、トアを失ったのかもしれない。
ならば俺は離れるべきだ。
そうすれば、トアも、誰も死ぬことはない。
会場を包み込む悲鳴。
トアはその様を見ながら、悲痛の表情を浮かべていた。
そうだよな……トアは、そういう奴なんだ。
純粋なんだよな。
「俺のいた世界にはな? エルフもドワーフも、獣人も魔族も、そんなものは存在しないんだ。ファンタジーでありフィクションだった」
唐突に話し出したせいか、3人は落ち込んだ表情ながらも疑問符を浮かべていた。
「だからさあ……俺にとっては、みんな、夢なんだ。俺を異世界に連れて行ってくれる……夢。だから殺したくない……だから救いたいんだ。だけど……」
やはり俺には英雄など、向いていない。
「それがそもそも、間違いだったのかもしれないな。俺は心のどこかで差別していたのかもしれない。ホントは単純なことなのに……悪い奴は悪いっていう、ただそれだけのこと……獣人だとか魔族だとか、人間だとか、そんなことは関係ない。だから……」
だから、せめて最後に、3人の前で……善行を為そう。
「魔族を……殺すよ」
もはや、そこは血の海と化していた。
おそらく外はもっと酷いのだろう。
そしてさらに被害は広がる。
俺があの時、あいつを見逃したせいだ。
トアは覚えていないかもしれないが。
「トア、どう思う? 俺は……皆を助けた方がいいか?」
いくらトアやネムのためとはいえ、もう俺に人間を助けようと思えるだけの心は残されていない。
だから、後押しが必要なんだ。
トアの後押しが……
「トアが願うなら、俺は……人間でも助けるよ……」
すると一瞬、ヴェルが俺を睨んでいたような気がした。
魔族は、トアの同族だ。
助けるなら、魔族を殺さないといけない。
「ニト……」
「ん?」
その目を見た時点で、俺の心は決まっていた。
「みんなを、助けて」
トアは、はっきりとそう言った。
「分かった」
そしてそれが、俺の答えだ。
「もう一度だけ英雄になるよ」
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