第34話 帰国

「あんたら三匹も狩ってきたのかい!?」


 王都へ戻ってきた俺たちは、まずシャロンさんの店に顔を出した。

 頼まれていたバジリスクの涙腺なんかを届けるためだ。


「おや、ネム。どうしたんだい? 便所なら勝手に使いなよ」


 袋から出した素材をテーブルに並べていた時、シャロンさんは俺の隣でもじもじと落ち着きがないネムへそう言った。

 ネムには王都についても俺がバジリスクを倒したことは話さないようにと言ってある。どうやらそれが喋りたくて仕方がないらしい。


「違うのです。その、ネムは……」


 ネムは俺の顔をチラチラと窺うも、煩悩を振り払うように首を振る。


「これはシャロンにも言えないのです!」

「どういうことだい?」


 そのあと首を振り続けるネムに、シャロンさんは「あんた大丈夫かい?」と本気で心配していた。


「それで、シャロンさん。これって何に使うんですか?」

「ん、決まってるじゃないか。秘薬を作るんだよ」


 そう言いながらシャロンさんはたくましい笑みを浮かべた。


「これで完成だよ!」


 しばらくすると、シャロンさんは何やら液体の入ったガラス瓶を持って現れた。

 溶けるまで煮たのだろうか。

 どうやらこの瓶の中には先ほど渡したバジリスクの素材が入っているらしい。

 トアやシエラさんは声を揃えて興奮しているが、これが何か分かっているのだろうか。


「それで、これは何に使うんですか?」

「決まってるじゃないか、ネムの腕を治すんだよ」

「え、治るんですか!?」

「当たり前じゃないか。と言っても、これはこの秘薬本来の使い方じゃないから、あまり知られてないけどねえ」


 そう言いながらシャロンさんは液体の入った容器を手に持った。


「ネム、袖をめくって腕を出しな」


 ネムは言われるがまま袖をめくる。するとそこには痛々しい焼き印の後があった。


「それから少し痛いが我慢するんだよ?」


 ネムは強張った表情でうなずいた。


「それからあんた、治癒魔法の準備をしとくれ。ヒーラーの治癒は頼りないけど、まあ念のためさね。私が合図したら傷口に魔法をかけるんだ。大して期待はしてないが全力でやっとくれ。いいね、合図をしたら全力でやるんだよ?」

「はっ、はい!」


 言われるがまま、俺は直ぐに魔法をかけられるようネムの腕に手をかざした。


「じゃあ行くよ!」


 シャロンさんは液体をネムの焼印に向けて、ゆっくりと垂らした。


「ぐっ、うぐっ!――」

「我慢しな!」


 ネムの表情から、それが激しい痛みであることが分かる。

 すると焼印のあった部分が小さく青色に発光し、焼印が薄れていくのが分かった。これは皮膚の表面を溶かしているのだろうか。


「まだだよ……まだだ……」


 シャロンさんは何かのタイミングを窺っているようだった。

 その間もネムは痛がっていて、少し涙を流していた。


「今だよ!」

「――《治癒ヒール》!」


 ネムの腕へ空かさず治癒魔法を施した。

 すると表面に漂っていた青い光が消えていき、焼き印のないネムの腕が見えてくる。


「よし、これで大丈夫さね!」


 ネムは力が抜けたように倒れた。

 空かさず体を支えると、先ほどまであったはずの焼印が綺麗さっぱりなくなっているではないか。

 白い肌が見え、そこには傷跡一つ残っていない。


「《状態異常治癒エフェクト・ヒール》!」とネムの疲れを取り除く。「ネム、大丈夫か?」

「……はい、大丈夫なのです! 痛みもあの気だるい感じもないのです!」


 魔術 《状態異常治癒エフェクト・ヒール》は、倦怠感をも取り除く。

 精神力の成長しない俺にとっては実に便利な魔術だ。


「まさかここまで綺麗に消すことができるとは、あの液体は何だったのですか?」


 どうやらシエラさんでも知らないあるらしい。


「あれはバジリスクの秘薬さ。あんたも知ってるだろ?」

「私は知りませんでした。あの薬にこんな使い方があるとは……」

「シエラも知っての通り、普通は硬化薬として使うもんさ。ただ毒の分量を少し多めにして調合すると、こういう使い方もできるんだ」


 その説明にシエラさんはえらく感心していた。

 トアは心配なのか、既に元気なネムへ椅子に座って休むよう促している。


「まず焼印のある皮膚の表面が溶ける。溶けるわけだから激痛が伴うさね。そして上手く溶けたところで治癒をかけるのさ。まあ、厳密には治癒魔法はなくてもいいんだけどね。でももし毒の分量を間違うと、皮膚が固くなっちまうから気をつけないといけないよ。まあ、それを抑える成分も入れてあるから、万が一にもそんな心配はないんだけどね」


 ネムの腕を撫でてみると確かに固くはなく、自然な皮膚になっている。

 すべすべとプニプニを兼ねそなえた素晴らしい肌触りだ。


「ご主人様……こそばゆいのです」


「ごっ、ごめん。でも、よく頑張ったな」


 頭を撫でるとネムは恥ずかしがっていた。


「ところであんた、中々やるねえ~」


「ネム、もう体は平気か?――」


「無視してんじゃないよ」


「え、それって俺のことですか?」


「あんたしかいないだろ、まったく……」


「その、何がですか?」


「魔法の話だよ。あんなに早く治せる治癒魔法は生まれて初めて見たよ。それだけじゃない。状態異常を治す魔法が使える上に、疲労を癒す効果まであるとは、あんた、見かけによらずただ者じゃないねえ」


 言ってる意味が分からない。ただのヒーラーの最弱魔法だ。


「私も初めて拝見しましたが、驚きました。属性付与が使えるという話は聞いていましたが、まさか状態異常まで治せるとは、流石マサムネ殿です」


「ヒーラーってそういう職業なんじゃないんですか?」


「この間もそうだったけど、あんたは本当に何も知らないんだねえ。ヒーラーがそんなにいくつも魔術を使えたら、世も末だよ。ヒーラーってのは基本的に最初に覚えた治癒魔法しか使えないんだ。それもプリーストが使うような回復魔法とは違って、極めて効果の薄い魔法なんだ」


 最初に覚えた治癒魔法……でも俺は単純な治癒魔法なら二つ持ってるんだが。


「熟練のヒーラーでも属性付与が少々使える程度、それでもそんな者は稀だよ。そもそも普通は魔術すら学ぼうとはしないもんさ。ヒーラーが魔術を学ぶなんて、変人だと差別されるのがオチだからねえ。それに努力しても結局その二つが関の山。だからヒーラーってのは世間じゃこう呼ばれているのさ――最弱の職業ってね」


 そんなにはっきり言わなくてもいいだろう。

 この人には前々からデリカシーというものが欠けているような気がしていたが、人の痛みが分からないタイプだったか。

 それとも俺の精神が弱いだけか……最弱という言葉が胸に刺さる。


「あんた、他にも何か使えるのかい?」

「まあ、攻撃力と防御力を増やすような、ちょっとした付与を施すくらいなら可能ですけど」


 俺は簡単に魔法について説明した。


「呆れたねえ。あんた、そりゃまさか 《攻防強化付与オディウム・オーラ》じゃないだろうねえ」


 シャロンさんは何故か落胆した様子だった。


「あ、それです」

「あんたそりゃ上級魔法だよ!? ヒーラーが上級魔法を使えるなんて初めて聞いたよ!」


 そう言うと、シエラさんとシャロンさんは驚愕していた。

 トアはステータスを覗けるから知っているだろう。

 ネムはというと、完全に話に置き去りだ。


「攻撃魔法でもないのに上級なんですか?」

「まあ、その魔法は強化の程度と規模が桁違いだからね。上級認定されても不思議じゃないくらいなのさ。それに使える者も少ないからねえ」


 最弱職であることには変わりない。

 この世界の常識で言えば、ヒーラーがこの先どデカい炎や電撃を使えるようになることはない。

 それは変えようのない事実だ。

 でも何となくだけど、気持ちが軽くなったような気がした。



「ニト様はBランクへ昇格となります。おめでとうございます」


 シャロンさんの次に、俺たちは依頼の報告を兼ねて冒険者ギルドへやってきていた。

 だが依頼完了後、受付嬢が突然にそう言ったのだ。


「Bランクって……Bランクですか!?」

「加えて、トアトリカ様はCランクへ昇格となります」

「あの、おかしくないですか? つい数日前までFランクだった俺がBランクですよ? トアはCランクだし……」

「ギルドマスターの判断ですので問題ありません」


 つまりそのギルマスに問題があるのだろう。


「シエラさん、昇格ってこんな感じなんですか?」

「いえ。次のランクに昇格するのに最短で一年はかかるものです。ですがほとんどの場合は何年もかかります。上のランクであればあるほど昇格は難しくなりますから」


 最短で一年。

 つまりFランクからBランクまでに四年はかかる計算だ。

 だがその四年ですらありえないものだとシエラさんは言う。

 俺はここに来てまだ一ヶ月も経っていない。

 心当たりがあるとすれば一つしかない。


「これって……ヌートケレーンの件も含めての昇格ですよね?」

「詳しい内容については、私からご説明することはできません。ご希望でしたらマスターにご連絡いたしますが」

「いえ、結構です」


 間違いない。まず昇格の理由が話せないなんておかしい。

 ラインハルトは極力あの話は伏せると言っていたが、どうやら俺の知らないところで話が漏れているようだ。


 ……ちょっと待てよ。


 ギルドには“ニト”で登録した。

 そしてラインハルトには政宗と名乗った。

 だがギルドは俺を昇格させた……これは、マズい。

 つまりニトと政宗、この二人が同一人物であるということを少なくともギルドと白王騎士団が知っているということだ。


「シエラさん、ラインハルトに何か聞いてませんか? 俺の昇格の事とか」

「いえ、特に何も聞いていませんが……」


 今戻ってきたばかりで聞いているはずはないか。


「失礼ですが、シエラ・エカルラート様でいらっしゃいますか?」

「そうですが……」

「保留となっておりました報酬の方がご用意できましたので、こちらにサインをお願いできますでしょうか」


 どうやらヌートケレーンの報酬が出たらしい。

 まるで、帰ってきたら渡すように言われていたような用意の良さだ。


「おい、ヒーラー野郎! この間はよくもやってくれたなあ!」


 そこで背後から面倒くさい声が聞こえた――ヨーギだ。今は勘弁してもらいたい。


「すみません、マサムネ殿。今しがたアネットから連絡がありまして、本部へ戻らなくてはいけなくなりました」

「分かりました。ここは大丈夫なので行ってください」


 シエラさんは「すみません」と会釈した後、トアとネムと軽く会話を交わしギルドを後にした。


「おい、無視してんじゃねよ! どうせまたゴブリン退治でもやってきたんだろ?」


 トアはヨーギの面を見るなり「またあの人」とうんざりしている様子。初めてここへ訪れた時は緊張気味だったのに、随分と慣れたもんだ。


「お恥ずかしい話なんですけど、実はそうなんですよ~」


 こいつと関わっても得がない。

 ここは笑って誤魔化すのが正解だ。


「悪党なのです! 悪党がご主人様を愚弄しているのです!」


 だがそこで目の前にネムが飛び出した。


「なんだこのチビは、お前の連れか?」

「許せません……」


 ネムは腰の辺りで拳を作りながら、フルフルと両肩を震わせていた。


「まったく、てめえは一々癇に障る野郎だ。会うたびに別の女を作りやがって。だがまさかこんな小せえ子供にまで手を出すとは思わなかったぜ。なんだ嬢ちゃん、俺とやろうってのか?」


 ヨーギはしゃがみ込むと、顔を近づけネムへ目線の高さを合わせた。


「ご主人様は、バジリスクが相手でも一瞬でひねり潰すのです。お前なんか……」

「ネム?」

「ハッハッハッ! 面白れえじゃねえか、嬢ちゃん! だが今は嬢ちゃんの冗談に用はねえんだ。用があるのはこっちのヒーラーの小僧でなあ」


 ヨーギは立ち上がると、俺を見るなりニタニタと笑みを浮かべた。

 醜悪な面と汚い歯。と、その時、何故か俺の顔の前にネムの背中が現れた。


「えっ、ネム!?」


 空中で右拳をぐっと腰の位置まで引き、何かの構えに入っている。


「《猫風怒キャット・フード〉!」


 その瞬間、ヨーギの顔面へ向けて放たれたネムの拳がクリーンヒットした。


「グワッ!」


 ヨーギは反動で後ろへ吹き飛び、壁に激突し倒れた。

 その様子に集いの場の連中は「またヨーギか」と口々に呆れていた。

 動かないところを見ると、どうやら衝撃で意識を失ってしまったらしい。


「ネム、今のは何?」とトア。

「猫拳なのです。でも悪党はご主人様を馬鹿にしたのです。なのでこれは当然の報いなのです!」

「まあ、あいつはいっつも絡んで来るし、鬱陶しかったから別にいいか」


 何度か一人でギルドに行くことがあったが、毎回ヨーギが絡んできて鬱陶しかった。

 それにしても猫拳か、すさまじい威力だ。

 確かにシャロンさんの言うとおり、ヒーラーよりは強い。

 小柄な体でこの威力だ。ネムの将来は明るいだろ。

 そんなことより、ここまで強いのになぜ奴隷商人に捕まってしまったんだろうか。


「ネム。商人に捕まってた時、猫拳は使わなかったのか?」


 そう尋ねてみたが、ネムが言うには、あの時はフラフラして力が入らなかったらしい。


「マタタビでも吸わされてたんじゃない?」と、それについてはトアが知っていた。


 トアの城には猫族のメイドさんがいるらしい。

 その人物から聞いた話では、猫族はマタタビの匂いを嗅ぐだけで酒に酔ったように力が入らなくなってしまうそうだ。

 だが大人になるにつれ、それも平気になるとか。


「マタタビの匂いに慣れるための修行まであるそうよ」

「ネムは修行はやったのか?」

「……ネムは、知らないのです」


 俯き気味にそう答えるネム。

 その表情には訳アリな空気が漂っていた。

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