12 仮説 - False - a

 日鳴ひなるイノベーションサービス社員、峠町とうげまちは、小さな部屋の中、机を挟んで上司と対面していた。


 峠町は上司の蔵本正一郎くらもとしょういちろうから情報漏洩じょうほうろうえいについて詳しい話をかれていた。


 上司といっても直截的ちょくせつてきな間柄ではない。部署が違う。片や技術者、片や営業である。


 峠町は、先日のドメイン紛争の際に、とある私立病院で情報漏洩を起こした張本人である。起こしたとはいうもののその原因については分かっていなかった。


 発端は、顧客からの訴えにより外部の公開BBSに内部情報の書き込みがなされていたことが判明したことだ。その後、通信ログを洗い出したところ、当該時間帯に勤務していたのが峠町だということが明らかになったのである。


 今のところ、峠町に話をいた限りでは何も知らないということだった。業務用のパソコンがマルウェアに感染したというわけではなさそうだし、不審なメールのリンク先にアクセスしたというわけでもなさそうだった。マルウェアが活動した痕跡こんせきや不審メールの受信履歴がなかったためだ。


 蔵本の情報セキュリティリテラシーは、社内のセキュリティ教育で培った程度のものだった。


 峠町も今回の事件について様々な人から詰問され続けたためか、陰鬱いんうつとした表情だ。


 これ以上は専門家に任せるしかないと、蔵本は諦念ていねん混じりにめ息をついた。


「僕は……クビになるんでしょうか……」


 峠町は疲れ切った声を発した。


 蔵本には人事権限があるわけではないので、イエスともノーとも答えられない。セキュリティ事故の場合、左遷させんはあるかもしれないが、故意でもないかぎりいきなり馘首かくしゅされることはないはずだ。だが、事態が事態なだけにないとも言い切れなかった。それにこの件は、親会社が重くみている。


「まあまあ、すぐに解雇されるようなことはないでしょう。君は勤務態度が特別悪いというわけでもないみたいだし」


 本人も悪気はないようなので情状酌量じょうじょうしゃくりょうの余地はあるだろう。


 コンッコンッコンッ――部屋の扉が三回鳴って開かれた。


 ――そこには、日鳴グループのトップの姿があった。親会社の社長がお越しになるとは想定外だった。


 蔵本は平身低頭して最敬礼さいけいれいに近い形をとった。右目でちチラッと様子を見ると、峠町はあおくなってふるえていた。


「ここで例の件の事情を訊いてるって聞いたんだけど?」


 トップの声音は意外にも軽いものだった。叱責しっせきしにきたものと思ったが違ったか?


「はい、おっしゃるとおりです」


 蔵本は即座に回答する。


「いやいや、そんなに構える必要はないよ。今日は少し話を聞かせてほしくてね」


 社長の星葉ほしばの後ろには、フリルをたくさんあしらったノースリーブ調の黒いドレスに身を包み、頭に小さなシルクハットを乗せた、黒髪ショートヘアの少女がたたずんでいた。


 インターンシップの学生かと蔵本は勘違いした。


 社内を案内することは有意義だが、こんな、社員の失態をあげつらっている現場を紹介するのは、いささか好ましくないのではないかと思った。それとも、学生のうちから社会の厳しさを教えようとする狙いでもあるのか。蔵本は少し迷った。


「えっと……その……」


「どんな状況でセキュリティ事故が発生したのか詳しく聞かせてもらえるかな?」


 蔵本が逡巡しゅんじゅんしていると、星葉は話を進めてしまった。


「あ、あの、星葉社長、そのは?」


「ん? ああ、彼女には、この件で相談にのってもらっててね」


 意外な言葉が返ってきて蔵本は驚いた。――学生ではないのか?


 峠町が話すのを少女はうなずきながら聴いた。うん、うんと首は縦に振っているが、果たし本当に理解しているのかと蔵本は疑い気味だった。そして、こんな極めて重要な内部情報を赤の他人に開示して良いのかと、あまり納得できない様子だった。


 だが、聴き終わると少女は言った。


「なるほど、だいたいわかりました。攻撃手法はおそらくCSRFシーエスアールエフ、峠町さんは運用・保守をなっさっていたということですので、それに関わるツールやソフトに欠陥が潜在しています」


 Cross Siteクロス・サイト Request Forgeries・リクエスト・フォージェリ。Webアプリケーションの脆弱性を利用した攻撃だ。歴史はふるいが、警察が出し抜かれるほどの効力を発揮する場合がある、特定の難しいものだ。


 それを、少し話を聞いただけでピタリと言いあてた――まだCSRFと決まったわけではないが――という事実には瞠目どうもくせざるを得なかった。


「彼女はいったい……」


 少女がこちらを向いた。


「すみません、申し遅れました。私は、市内でパソコン教室を営んでおります、吉田梯亜よしだてぃあと申します」


 腰を折って、丁寧に名刺を差し出してくる。


「あ、ああ、これはどうも。日鳴イノベーションサービス営業部の蔵本です」


 蔵本も名刺を差し出した。


「吉田先生なら、これからどのように対処してゆきます?」


 星葉が梯亜に問う。


「そうですねぇ、漏洩は起こってしまいましたので、事後的リアクティブな対策になりますが、まずは潜在する脆弱ぜいじゃく箇所の特定です。その製品の開発元に修正を依頼する必要がありますので」


「なるほど。蔵本君、これから事件のあった私立病院に行きたいのだが、アポ頼めるだろうか?」


 これから……と蔵本は思ったが、親会社のCEOの依頼なので無視はできなかった。


「先方に確認をとりますので、少々お待ち頂けますでしょうか」


 蔵本は電話をかけに行った。


 峠町は居心地悪そうにうつむいた。



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