『リク』

 愛犬が死んだ。

『愛犬』といっても、ここ数年、彼の存在をあまり意識したことはない。

 そのせいか、病院から帰ってきてすぐ、逝ってしまった彼を目の当たりにしても、涙は出なかった。

 薄情なものだ。悲しみはあるのに、それは涙腺まで届かない。

 昔より少し大人になった自分は『これが死』なんだと納得しさえする。

 純粋に『死』を眺めて、それでも表に出るものはない。

 本当につい数時間前まで生きていて、それでも今は死んでいる。

 腐敗を防ぐために大量に置いた氷とフル稼働するクーラーが、冷たくて。いざ手を伸ばして触れてみても、本当に死んでいるのか俗に言う「冷たくなっている」がわからない。

 口から徐々に垂れる血液はタオルに黒く滲んで、筋肉が緩んで出てくる便は、知識にある死後を埋めていく。

 犬の、動物の死はフィクションのなかのソレとはまた違う。

 見つめればいまでも呼吸の浮沈みを錯覚するし、硬直した身体は標本みたいで、唯一、光を失った目に蝿がたかる生々しさが、これが現実だと認識付ける。

 今はまだそこに『形』があるけれど、火葬にいって骨となれば、その姿は完全になくなる。もう一生、見ることはできない。

 それでも。いまだ心は空っぽだった。

 朝起きればそこにおり、空気のようにあたりまえに存在していた彼。

 引っ越す前、大きな庭のあった家で毎日遊んだのも、今の家で狭い玄関で毎日寝転がっていたことも。ぜんぶいまだ鮮明に覚えている。

 感じるのは疲労。なんだか途轍もないところまで歩いたような疲れ。

 眠る彼を中心に、いまだ時止まった空間を眺めて。ただただ言葉を探してる。


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