茶色のサンタさん
受け取ったハンカチで涙を拭いた茜の手を引いて、おじいさんはデパートを出た。
「ありがとう。おじいさん」
降雪時間が近づき、空気が湿り気と冷たさを増す。更に増えてきた人混みの中、おじいさんの暖かい手をしっかり握って、茜はお礼を言った。
「おじいさんは誰?」
後で父がお礼に行くと言うかもしれない。茜がおじいさんの名前を訊く。
「君のお兄さんが大嫌いな人だよ」
おじいさんは茜を見ると、少し悲しげに笑った。
……おじいさん、前にお兄ちゃんや私に会ったことがあるのかな?
首を捻る。おじいさんは駅前の通りを渡り、神田商店街に入っていった。
銀河系でも珍しいアーケード街の中央通りは、店先に華やかなクリスマス飾りが飾られ、買い物をする沢山の人達で賑わっている。ケーキ屋やパン屋ではクリスマスケーキや、シュトーレンやパネトーネといった、クリスマスにちなんだパンを売るワゴンが出ており、肉屋や魚屋では、美味しそうなオードブルの盛り合わせのパックが売られていた。
「君のお父さんはこっちだよ」
連れて行かれたのは、アーケード街から出た、東通りの高山服飾店だ。オーダーメイドの服を作る、腕の良い仕立て屋のおじさんと婿さん、名人級のかけつぎ職人のおばさん、有名ブランドから無名の知る人ぞ知るブランドの服まで、魔法のようにどんな服でも入手する、母の元同級生の真(まこと)の四人で経営する店だ。
その扉が開く。
「いや~、助かりました。静がこのブランドの服が欲しいなんていうもんだから……」
片手におもちゃ屋の袋、そして、ブランドの印が印刷されたバッグを肩に、猪吉が出てくる。
「確か、猪さんが初給料でうちで買って、静にプレゼントしたハンカチのブランドじゃない? ずっと静、大事にしていたから、もう一度プレゼントして欲しかったんでしょ」
ニヤニヤ笑う真の言葉に父が顔を赤らめる。照れ隠しに泳いだ目が通りをさまよい、茜と合った。
「茜! 友達の家からの帰りか?」
猪吉がにっと笑う。その笑顔に茜はたまらず駆け出し「お父さん!!」大きな腹にしがみつくように抱きついた。
泣きながら茜が話す、デパートの話を聞いているうちに、猪吉の顔が青を通り越してドス黒く変わっていく。
「良かった……。茜が無事で本当に良かった……」
話を聞き終え、ぎゅっと自分を抱き締めた父の腕の力と震える声が嬉しくて、茜はまた少し泣いてしまった。
「はい。茜ちゃん」
真が暖かいお湯で絞ったタオルとお茶をくれる。
抱き付いた途端、わんわんと声を上げて泣き出した茜と、戸惑う猪吉を、真はもう一度店に入れてくれた。そして、泣き声に驚いて奥から出てきた、おばさんと一緒に話を聞いてくれたのだ。
「こういうこともあるからな。もう、二度と一人で知らない人ばかりのところに行ってはいけないぞ」
話を聞いただけで寿命が十年縮んだ、大きく息を吐いた猪吉にも、真がお茶を渡す。
「会長に連絡して、デパートに苦情入れて貰わないとね。あんたんとこのセキュリティはどうなっているんだって!!」
ぷりぷり怒りながら、おばさんが神田商店街の会長に通話を入れる。
「でも、その男は本当におじいさんのいうとおり、駅前交番に行ったのかな?」
真が首を捻る。そのとき、猪吉のジャケットの胸ポケットのバリカが鳴った。
「香さんからだ」
香さん、駅前交番勤務の、森山香巡査長からの通話らしい。猪吉が、お茶を飲んでいる茜の肩をしっかり抱えたまま出る。
「はあ……本当に?」
バリカ越しに聞こえる香の声に、猪吉の猪顔が狐につままれたようになる。
「あ……すみません。……はい。はい、そうして貰えると助かります。茜、どうやら相当ショックを受けたみたいで……」
きゅっと猪吉の腕に力が入る。茜は顔を上げると、心配げな父に小さく笑ってみせた。大きな手が、くしゃくしゃと茜の頭を撫でる。
「では、明日。来るときに連絡下さい」
猪吉が通話を切る。
「どうだったの? 猪さん」
真とおばさんに訊かれて、怪訝な顔を二人に向けた。
「本当に男が駅前交番に現れて、それまで撮ったらしい、小さい女の子のアレな写真を全部、香さん達に見せたって話です」
「はあ?」
「本当に?」
二人までが、きょとんと呆気に取られた顔になる。
「ええ。で、さっきまで阿修羅と化した香さんに、ギュウギュウに絞られていたみたいです」
森山香巡査長は、レント星系の警察の武術大会で何度も優勝している美丈夫だ。豊満な胸まで筋肉製だと噂されている彼女が、怒りのあまり阿修羅と化すと、悪党まで悪ガキのように泣いてしまうという。
「茜、明日、香さんが調書を作る為にうちに来るから、お父さんとお母さんと一緒に、もう一度デパートで起きた話をしてくれるか?」
「うん」
茜は猪吉のジャケットの端をぐっと掴んで頷いた。
「……それにしても、不思議なおじいさんね」
おじいさんは、真と猪吉が茜に気付いたときにはいなくなっていた。
「ここは宇宙駅だから、そういう不思議な力を持った人がいてもおかしくないけど……」
おばさんが頬に手を当てる。広い銀河系のいくつもの星の星人には、そういう暗示を掛けるような異能を持っている人もいる。
「茜、今度、そのおじいさんにあったら、お父さんに知らせてくれ。お礼をしないといけないからな」
「うん」
……でも、そう簡単には会えない気がする。
『君のお兄さんが大嫌いな人だよ』
そう言ったときの、おじいさんの悲しげな笑顔が過ぎり、茜は何故かそう思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます