消えない声・2

「秀くん!?」

 突然、走り去っていく友人の背に驚いて、テレパシーを投げる。しかし彼は振り返りもせず、街角を曲がって姿を消した。

「秀くん……」

 このところのしょげたような元気の無い顔を、一層暗くし、一瞬歪ませて走り出した彼に「僕……何か悪いことしたかな……」ファボスはライトグリーンの瞳を伏せた。そのとき、いつも単眼の横に貼り付けてある、愛用の端末『KOTETU』がピーピーと小さく警告音を出しているのに気付く。

「何かな?」

 ファボスは二輪車から降りると歩道の端に寄って『KOTETU』のスクリーンを展開した。スクリーンの端にこの前、健二と奈緒の娘、桜が風邪をひいたときに使った、看護用のアプリが光っている。

「あ……常駐させたままだっけ」

 ファボスはアプリを開いた。

「……声のかすれ……全身の震え……体熱が高め……」

 アプリには、さっきの秀の横顔の画像の上に風邪の初期症状を示すデータと『風邪の引き始めです。暖かくして早めに休みましょう』という警告文が光っている。

「大変だ! 秀くん!」

 ファボスはわたわたと触指でスクリーンにタッチし、メールアプリを開くと、慌ててパネルを叩き出した。



 駅まで一目散に走ったせいか、電車で座れず立っていたせいか、身体が明らかに熱く、頭がくらくらと揺れる。それでいて背中にはぞくぞくと寒気が走る。

「完全に風邪ひいたな……」

 体力のある父の遺伝子のせいで、滅多に体調を崩すことはないが、やはり連日の睡眠不足が祟ったらしい。秀は自転車をとめて、ふらふらと調理場に入った。

「秀!!」

 花江が飛んでくる。慌てた様子で彼の前に立ち、水仕事のせいで荒れ気味の手を顔に当てる。

「さっきね、ファボちゃんから秀が風邪をひいているようだってメールがきたの」

 そういえば、電車の中でちらりと見た、カバンのポケットのバリカのHOME画面に新着メールの印が出ていた。具合が悪くて立っているだけで精一杯で開いてなかったが、あれもファボスのメールだったようだ。

 花江の手が秀の頬を、そのまま撫でるように耳の後ろへと回る。

「やっぱり、熱があるわ……」

 心配そうに眉を潜めた後ろで、誠也がコンロから振り向いて告げた。

「上で休んで来い。今日は配達は休みにする」

『配達は休み』

 職人気質でぶっきらぼうな父のいつもの言い方だと解っているのに、何故か今日はその言葉が胸に突き刺さる。

「秀、行きましょう」

 花江がカバンを持ってくれる。母に脇から抱かれるようにして、秀はおぼつかない足取りで自分の部屋へと向かった。



 店が混み始めたのだろう。階下からひっきりなしに賑やかな話し声が聞こえてくる。花江の持ってきた風邪薬を飲んだ後、秀はベッドで横になっていた。額には冷却シートが貼られ、枕元には『ちゃんと水分を取ってね』と置かれた薄めたスポーツ飲料の入ったポットが置かれている。

『後でお父さんにお粥作って貰ってくるから、ちゃんと寝てなさい』

 そう言って彼の頭を撫でると、花江は店に降りていった。

 横になると、気が抜けたのか更に熱が上がってくる。話し声の合間に聞こえてくる通信機の着信音。それに母が謝っている光景が浮かんで、秀は唇を噛んだ。

 ……本当にオレ、『役立たず』だ……。

 前の家でも、今の家でも、折角、行かせて貰った学校でも……。

 物音のしない自分の部屋と漏れ聞こえる声に、昔の産みの母といた家が頭を過ぎる。あの家の中でも、秀は六歳のときから、二階の小さな小部屋に押し込められて、階下の母や義父や義父の連れ子の弟、異父妹の楽しげな声を聞いているだけだった。

『オレは『無駄』で『役立たず』だから……あそこに入れないんだ……』

 秀はただ薄暗い部屋で膝を抱えていた。そして『無駄』で『役立たず』な彼を、母と義父は、他惑星への引っ越しの際、行きの宇宙港で捨てた。

 はぁ……。

 熱い息を吐く。視界がぼんやりと潤んできた。



 午後七時。二階を気にしながら、お客の相手をしていた花江は扉が開く空気音と同時に鳴るチャイムに振り向いた。

「こんばんは~」

 頭に可愛い少年の声が響いてくる。扉を潜ってきたのは、仕事が終わって、パーカーとお気に入りの帽子に着替えたファボスだ。

「あら、いらっしゃい。奈緒、どうかしたの?」

 ファボスのいる神林家の家事は、主婦の、彼女の二番目の娘、奈緒が取り仕切っている。奈緒に用事か何かあって晩ご飯を食べにきたのかと訊く。

「ううん、奈緒さんの晩ご飯はもう食べたよ。僕、秀くんの看病に来たんだ」

 ファボスは単眼をにっこりと笑ませて、灰色の触指を振った。

「おじさんもおばさんもお店で忙しいし、僕なら地球人型の風邪はうつらないから」

 息子の一番の友人の気遣いに、花江は感謝しながら頼んだ。

「ありがとう。じゃあ、お願いして良いかしら。あの子、滅多に体調を崩さない分、崩すとすごく寂しがるから」

「うん」

 店の客達に挨拶をして、ファボスは四本の触足を動かして、調理場に入った。花江が追ってきて、冷蔵庫から薄めて冷やしておいた、スポーツ飲料のボトルを彼に渡す。

「これを枕元のポットに継ぎ足しておいてくれる?」

「頼むな。ファボ」

 誠也が鍋から振り返って頼む。

「は~い」

 ファボスは奥の座敷に上がった。廊下を渡り、狭い急な階段を追加で二本身体から出した触腕、四本を使って器用に登っていく。

「秀くん、お見舞いにきたよ」

 二階の突き当たりの秀の部屋のドアをそっと開け、中に入る。

「……秀くん!! 秀くんがいない!!」

 一分後、ファボスの大音量のテレパシーが、福沢食堂中の人達の頭の中に響いた。

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