今一度のチャンス・1

「ただいま~」

 北地区の宇宙船用の部品工場が並ぶ工場町の外れ、東地区の宇宙船修理整備工場に通う人達の住宅街との境に、秀の養子先はあった。

 大衆食堂、福沢食堂。この宇宙時代には珍しいが『神田』では、ごく普通にある個人経営の食堂だ。主に、工業地区と工場町の一人暮らしの社員を相手に営業している店は、ロボットによる全自動調理が当たり前の中、仕上げを人の手で作る、日替わりのバランスの取れた豊富なメニューと、旨くて手頃な値段が自慢の店だった。

 店の裏口に自転車を停め、気合いを入れて笑顔を作り、裏口を開ける。むわっと押し寄せてくる調理の湯気と良い匂い。それに自然な笑顔に変わるのを感じながら、調理場に入る。調理場の向こうの店内には、早めの夕食を取る作業着姿の客がちらほら見えた。

「秀、お帰り」

 下拵え用の自動調理機に野菜をセットして、母、花江はなえが振り返る。

 その声に箸を動かしていた常連客が顔を上げて「お帰り、秀!」と声を掛けてきた。

「おっ! 『神田』北、東地区名物が帰ってきた!」

 にっと笑う常連客の声に「いらっしゃい!」と返して、奥の住居に入る。

 二階に上がり、テキストとノート用のタブレットの入ったカバンを自分の部屋に置き、秀は着替えを持って一階に降りた。

 秀の店での役割は、下拵えや客の配膳、レジ、そして弁当の注文の配達だ。

『ここで直らなければ諦めろ』

 とまで、宇宙船乗り達に言われるほど高い修船技術を誇る『神田』はこの辺りを通る宇宙航路の交易ポイントとなっている。その為、遅くまで営業している工場も多く、彼等への弁当の配達が福沢食堂の売り上げの大きな割合を占めていた。

 秀の配達の信条は『うまいものは暖かいうちに届ける』

 ベルを鳴らして颯爽と自転車を走らせる姿は『神田』の技術者達に名物とされていて、これが見たい為に配達を注文してくれる客もいる。

 配達は午後六時から。秀は時間を確認すると、風呂場に入った。配達前に汗と汚れを落とす為にシャワーを浴びる。ざっと身体を洗って、秀は脱衣場でエアシャワーのスイッチを入れた。再び汗をかかないように低めの温度に設定された空気を浴びながら、髪と耳、両手両腕、両足の膝から足の甲まで生えた毛を丁寧に乾かす。

 ふと鏡に目をやると、どの人種にもない異形の自分の姿が映っている。

『本当無駄!! どうしてこんな役立たず作っちゃったのかしら!!』

 それに、何度も浴びせられたヒステリックな女の声が、空気の吹き出し音に混じり、耳の奥で響く。

 思わず身体が縮強ばる。秀はぎゅっと目を閉じて、大きく首を振ると、エアシャワーのスイッチを切った。



 チリン、チリン!  気象管理センターが光量を絞り、オレンジ色に染まる夕暮れを演出し始めた中を、自転車のベルの音が響く。

「お、夕方の配達が始まったか」

『神林宇宙船修理整備工場』の事務所で、明日の業務の確認を専務である息子の健二としていた、社長、神林大吾は愛用の端末『KOTETU』のパネルを叩いている従業員兼養子のファボスに声を掛けた。

「終わったか?」

「もう……ちょっと……」

 ポンポンと灰色の触指で、今日仕上げた宇宙船の船舶検定の役所に提出する書類の入力をしながら、ファボスが答える。

「後は、エンジンとワープエンジンの試動データと救難システムの保証書を添付して……」

 送信ボタンを押して、彼は『KOTETU』をスリープし、ホログラムスクリーンを消した。

「終わったよ~」

 声、発信専用のテレパシーを上げる。

 チリン、チリン!

 また自転車のベルが聞こえる。

「あの方角だと、中山ンとこか」

「テツさんが到着したようだから」

 健二が修理箇所のデータを見ていたタブレットをしまいながら答える。事務机の並ぶ、奥の明かりを消して、大吾の妻で事務を担当している神林朋子(ともこ)がカバンを手にやってきた。

「テツは操縦が荒いからな~。またどっか壊して中山のとっつぁんに泣きついてんだろう」

 大吾が豪快に笑う。その脇でファボスが怪訝そうにライトグリーンの瞳の浮かぶ単眼を歪ませているのを見て「どうしたんだい?」と朋子は訊いた。 

 チリン、チリン!

 自転車のベルの音に瞳を上げる。

「秀くん、このところ、ちょっと様子がおかしいんだ。困ったことがあるんじゃないかな?」

 ファボスは触手をヒラヒラ動かして訴えた。

「そういえば、奈緒も同じことを言ってたな」

 健二が顎に手を当てる。

「奈緒は学校に通い始めて二ヶ月経って、勉強につまずいているんじゃないかって言ってたけど……」

 秀は福沢家に養子になるまで、ネグレストを受けていた実家とスペチル時代の十三年間、まともな教育を受けていない。引き取られて、やっと、児童福祉施設の学級で社会生活に必要な学力がつけられるようにプログラムされたカルキュラムを受けたのだ。

 それを二年間受けて、普通に学んできた子供達が通う、専門学校へ。まだまだ学力の低い秀は、ついていくだけで精一杯なのではないかと、健二の妻で、福沢家の次女、秀には義姉にあたる奈緒は心配していた。

「『僕に出来ることない?』って言っているけど、秀くん、しょげた顔しているのに『大丈夫だ』って……」

 僕、そんなに頼りないかな……。しゅんとファボスが触手を下げる。そんな彼の頭を朋子は撫でた。

「そんなことないよ。あの子は、まだ人を頼ることに慣れてないだけさ」

 母親と再婚相手の父親からは、ずっとほったらかしの状態のあげく、捨てられた。スペチル時代は、拾われたグループのメンバーとはぐれた後、同年代の子供やヒデキやアカネといった、自分より小さい子をまとめてリーダーをしていた。そんな秀は、誰かに頼るということがまだまだ苦手だ。

 やれやれと大人達が心配そうに肩をすくめたとき、卓上の通信機が鳴った。「はい。神林宇宙船修理整備工場です……」受信機を取った朋子が「花江さん」と相手に呼び掛ける。

「ええ、解ってますよ。お義父さんにもちゃんと伝えておきますから」

 受信機を切った朋子は大吾に振り向いた。

「あんた、今夜十時半から福沢食堂で例の話の続きだって」

「おお、解った」

 大吾が頷く。

「なあに? 親父さん、お母さん」

 ライトグリーンの瞳をファボスがきょとんと瞬く。「あの意地っ張りについて大切な話をするんだよ」二人は彼に安心するように、にっこりと笑みを向けた。

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