25 魔王の払った代償
魔王城4階最奥にある王の間。灰色の石ブロックで作られたその空間には赤い絨毯が敷かれている。その絨毯の上には1人の魔族が横たわっていた。
頭頂部から生えた黒い巻角が2本。赤い瞳に涙を浮かべながらも立ち上がろうと必死でもがく。その右足には添え木があてがわれ、膝下を包帯でぐるぐる巻きにされている。
「うう。マンドラゴラを植える日がまた1つ遠のいたぞ……」
「魔王様の自業自得です」
「ひどいぞ、シルクス」
「魔王様なら、魔法で岩塊を破壊出来ましたよね? 骨折せずともどうにか出来ましたよね? なのにそれをしないなんて……自業自得としか言い様がありません」
「それを言われると、何も言い返せぬ」
王の間で床に横わっているのはエウレカだ。勇者の仲間を助けようとしたのはいいが、その際に足を負傷した。骨が折れていると判明したのはつい先程の話。
エウレカの両脇には木製の松葉杖が転がっている。右足の骨折が完治するまでに1ヶ月程かかる。松葉杖をついている状態でゴブリン退治や畑仕事を行えるはずもなく、マンドラゴラの栽培をするのはかなり先になりそうだ。
「マンドラゴラを植えたいぞー」
「怪我が治るまで無理です」
「うーえーたーいーぞー!」
「ならば、勢いだけで岩塊から勇者を庇ったりしなければよかったんです。せめて岩塊を魔法で壊せば、骨折するのは防げたと思いますよ? しかも魔法でズレた骨を無理やり治すなんて……」
「お主、どこでそれを見ておった!」
エウレカは勇者に対して、怪我の理由を「岩塊にぶつけただけ」と説明していた。だが実際は違う。魔王はそんな単純な理由で怪我などしない。
頭上から壁から岩塊が崩れ落ちていく。そのうちのいくつかが勇者の頭を狙っていた。自らが起こした爆発のせいとはいえこのままでは勇者が死んでしまう。気がつけばエウレカは自らの身を盾にして勇者のことを守っていた。
突然の出来事に魔法を使うことまで浮かばなかった。死なせないように守るのと、フェンリルとケルベロスが本来の目的を果たしたと確認するのが精一杯。結果、勇者を身を呈して庇った代償として足が90度外側に折れていた。
本来ならば一目見ただけでわかるほどの重傷だ。それを軽傷と偽るためだけに、足の向きを魔法で無理やり正し、何事も無かったかのように振舞っていたのだ。エウレカの頑張りのおかげか勇者は無傷、エウレカの骨折には気付かないまま別れることとなった。ありえない方向に曲がった後にさらに無理やり変形させたため、右足の骨は悲惨な状態になっている。
「何故、あの勇者にそこまで?」
「わからぬ。ただ我は、人も魔族も魔物も関係なく、目の前で誰かが死ぬのは見たくない。それだけじゃ」
「人はそう簡単に心を開きませんよ。彼らがかつての魔族大戦を忘れない限り、私達への恨みが消えることはないと思います」
「3代前の魔王が起こした過ちのせい、じゃな。我らは127代目とは違うというのに」
「3代がかり、230年かけてようやく争いが落ち着いてきましたからね。やはりスムーズにはいかないかと思います」
「となれば、やはり勇者がもたらした異世界とやらの文化を使って訴えるしかないのう」
エウレカが床に横たわったまま呟く。シルクスは微かに耳を揺らしながら、その様子を見ていることしか出来なかった。
エウレカとシルクスが王の間に入ってからどれくらいの時間が経ったであろう。突然扉が開き、小さな人影が弾丸のように勢いよく飛び込んできた。
ツーサイドアップにされたアイスブルーの髪が揺れる。赤い瞳は床に横たわるエウレカの姿を捉えた。背負われたハンマーと幼い外見が人影の正体を伝えてくれる。
「エルナ!」
「ただいま帰ったのです。あのドラゴン達は……ゴシェンロン山に入ったところで見失ったのです。エルナ達、山で遭難しかけて帰ってきたのです!」
「ゴシェンロン山、か。となると他のドラゴンとも合流しているのう。とにもかくにも、ご苦労だった。今日はもう帰って良いぞ」
「エルナ、ここに残るのです! 魔王様を守るのです!」
王の間にやってきたのは、ケルベロスと共にドラゴンを追いかけていたエルナだった。エウレカのすぐ近くで正座して報告をするエルナ。その顔はどこか誇らしげだ。
「そこまで追いかけておいて、何故見失ったのです?」
「し、シルクスもいたのですか! なら、エルナは帰る――」
「答えられない理由があるのですか?」
「そんなことないないです! エルナは理由無しに任務を放棄しないのです!」
「では、見失った理由を答えられますよね?」
玉座に隠れるように待機していたシルクスがエルナに問いかける。表情こそ天使の微笑みを浮かべているが、笑顔の裏からは殺気が滲み出ている。
「き、霧が出てきたのです。エルナとケルベロスは、白い霧の中で同じ場所をループさせられたのです。で、これは敵の罠だと判断し、地下に穴を掘って逃げてきたのです」
「ドラゴンの放った魔法であろう。ゴシェンロン山はドラゴンが統治する特殊な山じゃ。罠の1つや2つ、あってもおかしくないぞ」
「そうなのですか!」
「元は、各地に散らばったドラゴンの先祖5体が作り上げた、ドラゴンのための住処であるからのう。そこに逃げたのであれば、当分は下に降りてこないだろう」
エウレカが両手を使って上半身を起こした。そこから左足と松葉杖を軸に立ち上がる。
「不安ですね」
「うむ、不安だ。今のままでは梅干しをゆっくりと味わえなくなってしまう」
「……魔王様。心配されているのはドラゴンの動向ではなく梅干し、ですか?」
エウレカの言葉に、シルクスの顔があからさまに曇った。
「違うぞ! ドラゴンの動向も心配だ。しかしだな。心配事があると梅干しを堪能することが出来ぬのも事実で――」
「エルナ、今日は帰って大丈夫ですよ。むしろ帰ってください。私は魔王様をスライム風呂に入れなければならないので」
「シルクス、すまぬ! ドラゴンも心配しておる! だから、だからどうか、スライム風呂だけはやめてくれ! なんでもする! だからスライム風呂だけはどうか……」
「ダ・メ・で・す」
立ち上がったばかりのエウレカに近付いたシルクスは、その豊満な胸をエウレカに押し付ける。そして耳元で
「魔王様? 理性が飛ぶのとスライム風呂、どちらを選びますか?」
その晩、魔王城全域ではエウレカの悲鳴が響き渡ったという……。
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