第7話 ジルとロクサーヌ
カツン、カツンと階段を登る足音が聞こえる。音は段々と近づいてくるのが分かる。ジルはその音を立てている人物に心当たりがあった。
「あら、君も屋上に居たのね」
階段を登り、姿を見せたのはロクサーヌであった。蒼い髪に長い襟のマントを羽織った妖艶な女性。学生より歳は上だが、まだ20代である。この2人、なぜか屋上で一緒になることがよくある。
「先生は初級クラスで講演ですか? 可愛い新入生との触れ合いお疲れさまです」
ロクサーヌがニヤリと笑う。ジルは彼女の人を見下すよう目つきが好きだった。彼女と出会ったのは入学して2ヶ月ほどたってからであったが、以来顔を合わせれば皮肉混じりの楽しい会話を楽しんでいる。
ロクサーヌの方も、学園長やジルのような皮肉の言える人間が好きだった。人間関係というものはヒリヒリするくらいが調度良いのである。
「そうよ、ちょっと話をしただけだけどね。あとはマリウス先生に任せてきたわ」
もう責任を放棄したのか仕方のない人だ、ジルは生意気にもそう思った。
「どうせ新入生相手に思いっきり上から目線で話をしたのでしょう? 僕はそんな先生が好きですけどね」
「あら嬉しいけれど、教員に向いていないのは自分でもよく分かっているわ。マリウス先生は魔術師としては私に遥かに及ばないけど、教育者としては確かに私より上よ。毎年学生たちの人気を集めているわ。だから私としては力のある先生に、教育を任せているというわけ」
基本的にロクサーヌは魔法にしか興味のない人間だ。美人なのに付き合っている男もいない。彼女のファンは沢山いるのだが、同時にその容赦の無さに恐れられてもいる。そんな彼女の不器用さが、ジルには好ましく思える。
「先生も一部では絶大な人気がありますけどね」
「どんな人気?」
「尊大だけど、絶大な力を持つ魔導師として」
ぷっ
ロクサーヌはたまらず吹き出した。これはかなり珍しいことだ。
実際ロクサーヌは偉大と言って良い魔術師である。この大陸でも有数の魔術師であり、数少ない最高位・第五位階魔法の使い手である。ジルは彼女を魔術師として尊敬していた。
「実際カレッジで上級魔法を学ぶとしたら先生に習うしかないでしょう? 中級までならマリウス先生でも良いでしょうが」
「まあね。でも私に教えを請う資格のある学生がどれだけ居るかしら? 君の他には……、あとはミアセラとサイファーぐらいじゃないかしら」
なるほど、とミアセラとサイファーの顔を思い浮かべる。どちらもカレッジでよく知られた優秀な学生である。
「その資格のある学生の数に入れてもらえて光栄ですよ。ミアセラさん、サイファーさんは優れた人ですから」
「結局……カレッジを卒業するだけなら第二位階までで良いのだから、私など必要ないのよ。私に指導を求めようという学生は、魔法の深淵を更に覗きたいとする学生だけ。そんな学生何人も居ないわ」
ルーンカレッジの最低限の卒業要件には、第二位階の魔法を習得すること、というのがある。
「単に教えられたまま魔法を使うだけなら、魔法を打ち出す機械のようなものです。カレッジは魔術師を量産するだけの機関ではないのでしょう? わずか1人、2人でも魔法を独自に探求できる、未来の魔導師を養成すること、それもカレッジに課された役割なのではないですか?」
「まるで自分がその1人になることを疑っていないような言い草ね」
2人はシニカルな笑いを浮かべ合う。
「指導といえば、君もついに指導する立場になったな。新入生とは上手くやっているか?」
「先生のおかげで良い経験ができていますよ」
ジルが他人といるよりもくだけた物言いなのは、ロクサーヌには気を使う必要がない、というよりそれが喜ばれることを知っているからである。とはいえ、他人に恐れられることの多いロクサーヌとこんな話ができるのは、カレッジでジルだけだろう。
「これも教育者としての役割というものさ。君はまだ若いが、カレッジで君の才能を認めないものはいないだろう。指導生にならない方がおかしいと言うものだ」
「セードルフさんは認めてないんじゃないですか?」
セードルフは、ジルの指導生だった男であり、決闘騒ぎを起こした相手である。
「あれは、ただ君を嫉妬しているだけに決まっておろう」
「僕は別に対抗意識を持っているわけじゃないんですけどね」
肩をすくめてやれやれと言った面持ちでジルが答える。
「君も指導する立場になれば、指導者の大変さが分かるというものさ。上を目指すなら、人を指導する経験を今から積んでおくのだな」
「恐れいります。ありがたくその経験を積ませていただきますよ」
再びシニカルな笑みを浮かべ合いながら、二人は屋上を離れた。ジルはともかく、ロクサーヌにはカレッジ内でやることがたくさんあるのだ。
**
今から約1年前、ジルはロクサーヌと初めて出会った。それは授業が終わった放課後、あまり人が来ない中庭だった。入学して以来、ジルは一人で魔法の訓練をするのが日課になっていた。一回ごとに微妙にルーンを変え、魔法の効果の変化を記録し研究していたのである。
「何をしているのだ?」
ジルは突然呼びかけられた。実は訓練に集中していたため、一度では気付かず、二度目の呼びかけだったらしい。振り向くとそこには美人な大人の女性が立っていた。マントを羽織ったその格好から、彼女が魔術師であることが分かる。
「フレアのルーンを任意に変えることで、どのように効果が変化するのか実験しているんです。――失礼ですがこの学園の先生ですか?」
「教員のロクサーヌだ。私を知らないのか? 何年生だ?」
ロクサーヌは身分を問われたことに驚いた。彼女は学園では知らぬ者がいないほど有名なのである。
「1年生です。すみません、まだ入ったばかりで先生の顔と名前が一致していなくて」
「1年だと? もうフレアが使えるのか!?」
入ったばかりの新入生が第二位階のフレアを使えるというのはただ事ではない。通常中級クラスに上がってからか、あるいは上級クラスになってから習得する学生も珍しくないのだ。
「それで具体的にどのような実験をしていたのだ?」
話を聞いてみると、実験は非常に細かいものだった。詠唱のルーンを一文字ずつ変えることにより、射程が何センチ伸びたか、縮んだか、威力が何%上がったか、下がったのか。ジルのノートには克明に細かな数値が記録されていた。
ロクサーヌはジルという人間に興味を持った。必ずしもフレアを有効に使うためというわけではなく、魔法学的にただ純粋にその変化のあり方に興味があるという。彼女はジルの魔法への向き合い方に好感を持ったのだ。
「どれ、私で良ければ君の実験につきあってやろう」
こうしてロクサーヌは、毎週同じ曜日、同じ時間にジルと中庭で魔法の実験を行った。最初はフレアから始まり、ファイアーボール、ライトニングボルトなど様々な魔法を試してみた。
彼はひたむきに魔術に取り組み、自分と同じく他のことには関心がないようだった。ロクサーヌはかつての自分を見ているような気がした。そして彼女にとっても、この訓練は密かな楽しみになっていったのである。
この二人だけの実験は、ジルが中級に上がるまで一年の間続いたのであった。
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