第5話 初めての訓練
ルーンカレッジの朝は早い。5時にもなると、熱心な学生がランニングや魔法の反復練習にとりかかっている。魔術師になるためには体力づくりも必要で、ルーンカレッジを外界と隔てている巨大な壁沿いをぐるりと一周走るのが、学生たちに人気のコースである。
「やあ、きたね。おはよう」
ジルが今来たところのレニに声をかけた。二人がいるのはカレッジの中にある公園である。
「す、すみませーん。おはようございます先輩」
あわてて駆けつけたので、レニの息は荒かった。肩が呼吸で激しく上下している。
「いやそれほど待っては居ないよ。約束の時間のまだ10分前だ」
懐から金の懐中時計を取り出したジルが確認する。2人は初日にここで待ち合わせの約束をしていたのだ。
「僕はもっと前からいただけなので気にしなくていい。ところで君は僕のことを『先輩』と呼ぶつもりなのか?」
「いっ、いえ。もっと良い言い方があれば変えますが、ご要望はございますか?」
「えっ、うん、そう言われてもな……」
ジルはまさか自分に振られるとは思わなかったので、ひとしきり考えこんだ。早熟なジルは、いつも歳下のポジションに慣れているため、自分が先輩などと呼ばれたことがない。
「ではジル先輩のままでお願いできますか?」
「先輩……か。一歳しか変わらないんだが……」
「いいえ、ぜひ『先輩』でお願いします。ジル先輩ってとっても響きが良いと思うんです!」
「あ、ああ……」
なぜか強硬に「先輩」を主張するレニに、ジルの方が折れてしまった。ジルは気を取り直してレニに向き直る。
「さて、君はすでに魔法を使えるかな? お父上や誰かから、カレッジに入学する前に魔法を習っていないか?」
「いえ。父は武人ですが魔法にはそれほど詳しくありません。家庭教師を雇うこともできたと思いますが、父はカレッジで正規に学んで欲しかったようです。ですから、ある程度の知識はありますが魔法をまだ自分で使うことはできません。」
「そうか。では魔法は初めて魔力を扱う段階がかなり難しいことは知っているかな。これは初めて言葉を学んだり、馬の乗り方を習うのに近いかもしれない。これまで自分が生きてきた世界の法則とは、全く異なる法則に触れるようなものなんだ」
ジルはなるべく易しい言葉を選びながら話を進めた。
「これから教本で初歩的な魔法の呪文を習うと思うが、あの呪文はスタンダードで一番学びやすいというだけで、唯一絶対のものというわけじゃない」
「どういうことでしょう? 呪文書に載っている以外の詠唱文があるということですか?」
「そうだ。詠唱というのは要するに
「それじゃあ、一番簡単なライトの魔法で練習してみよう」
レニはやや緊張した面持ちで、ジルの前に立つ。
「身体の力を抜いて自然体で立ってごらん。そう、そんな感じだ。そして眼を閉じて身体の内部の魔力の流れを感じ取るんだ。脚から腹部へ、そして胸、肩へ」
レニは言われるままにやってみる。身体の力は抜いているが、魔力を感じ取る、というのは存外難しい。いままで全く使われていなかった感覚を使おうとするためだ。実際には存在しない「しっぽ」を動かそうとするのに近いといえば分かり易いかもしれない。
「うー、魔力を感じ取るというのが出来ません。その感覚がよく分からないんです」
レニは正直に答える。
「この体内の魔力を感じ取れないようだと魔法を使うことはできないぞ」
やや厳しい表情でジルが言う。これは新入生に魔法学習の厳しさを教えるためだ。実際これが出来ずに辞めていく学生が少なくない。
「初めは出来ないのが当たり前だから、これはいずれできるようになるものとして先に進もう。魔力を十分に感じ取れたら、今度は丹田に力を入れ、そうだな、イメージとしては流れる魔力を額の中央に収束させ、球体を結ぶようにするんだ」
初学者のレニからすれば、かなり抽象的な説明だが、目の前で見せてやることはできないのだから、これは仕方がない。ジルの言うままに額に力を集中してみる。しかしそもそも魔力の流れを感じ取れていないのだから、その魔力が収束するわけもない。
「ここまでが呪文を詠唱する前段階だ。この状態を維持するにはかなりの集中力が必要だけど、実際にはこれを維持しつつ呪文を唱えないといけない。慣れればこの作業は一瞬でできるようになるけど、カレッジの上級生でもある程度時間がかかってしまうんだ。ここを如何に短縮できるかが魔術師としての優劣を左右するところだ」
レニはジルの説明を一言一句聞き逃さず、忘れないよう胸に刻みつける。指導生とはいえ、授業の前からこうして新入生を指導してくれる者は少ない。レニはかなりラッキーだと言って良いだろう。
「さて、ここからが詠唱だ。呪文の詠唱は位階の高い、魔力消費の高い魔法ほど、その詠唱は長くなる。魔法の発動まで、その時間を如何に稼ぐかということも重要な要素になってくる」
戦場で魔術師が魔法を使うには、戦士の援護が不可欠である。長い呪文を詠唱する際に攻撃されれば、呪文を完成させることはできないからである。
「今回練習するライトの魔法は最も簡単な魔法で詠唱も短いから、よく練習用に使われるんだ。僕がやってみよう」
ジルは一瞬で詠唱態勢に入ると、手慣れた様子で呪文を詠唱する。
「ラムシータ・ベル・アラスール 我が魔力をもって闇を照らす光となれ」
ジルの詠唱とともに、不可視の力場のようなものが形成されたのがレニにもはっきりと分かる。眼には見えないが、なんらかの力の集中だ。詠唱が終わると同時にジルが斜め上を指差すと、その先に光の球体が生まれる。これがライトの魔法であり、暗がりを探索する際には必須の魔法である。
「この呪文の有効時間は約2時間だ。もちろん自由に魔法を引っ込めることもできる。こんな風にね」
ジルが一瞬集中すると、光の球体が消滅した。レニが全く出来なかった魔法の発動までを、極めてスムーズに短時間でやって見せたのである。力の差を見せつけられたことになるが、これは当然である。
「まずは詠唱態勢に入る練習だな。魔力を感じ取る練習を第一にやるんだ。それと並行して呪文の詠唱の練習。スムーズに言葉を唱えられるようにならないといけない。当面はこの2つを重視して練習するといい。そうすればそう遠くないうちに、ライトなら使えるようになるはずだ」
「先輩はライトをいつ使えるようになったんですか?」
「僕か? 僕はカレッジに入る前だった……そうだな、10歳の頃だったはずだ」
「えーー、10歳ですか?」
レニは思わず口を大きく開けて叫んでしまった。自分と比べてあまりにも早過ぎる。さすが天才と呼ばれるわけだ。
「まあ僕の場合は環境が恵まれていたからだよ。第一に親が宮廷魔術師だったから魔法の道具に囲まれていたこと。第二に、身分の高い貴族ではなかったから、礼儀作法やら貴族同士の社交などというものに時間をとられることがなかったからね。だから時間はたくさんあったんだ」
とはいえ、時間があれば魔法が上手くなるなどというほど、単純なものではないことはレニにも分かっている。
「わたし、ジル先輩に指導していただいて、とても光栄です。先輩の貴重な時間を無駄にしないように一生懸命がんばります!」
「まあ、そんなに力を入れなくても良いとは思うけど。さあ、朝の食堂があくまでもう少し練習しようか」
「はい、よろしくお願いします!」
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