終章――かくして学園の王座は空位となり
第39話 妖精族の血を引く者達
晴れ渡る空はどこまでも鮮やかな青だった。雲の影一つすらない。
眩くも心地よい日差しと髪をくすぐる乾いた風が、改めて人々に伝えていた。
激しかった嵐の終わりを。
彼は――セシュナは、ようやく今その事に気付いた。
ティンクルバニア学園には、病院が付属している。元々はケテル階梯が所有する医療研究所の一部だったそうだが、市の人口が増えるに連れて病院設備の方が充実していき、学園の敷地の三割を占めるほどになった現在では、研究所の方に辿り着けない学生がいるという。確かに建物は本校舎よりも更に高く、七階まである。
正にその最上階、学園のほとんどが見渡せる廊下に彼らはいた。
「――大丈夫かしら? セシュナさん」
問いかけてきたのはアレクサンドラだった。
しばらく外を眺めていた彼の沈黙を、どう受け取ったのか。
「あっ、はい。ちょっとぼーっとしただけで」
「もう、大丈夫なんですのね? 彼女と話しても」
重ねられた問いには、アレクサンドラの真意が籠められていた。
セシュナは少しだけ、彼女の瞳を見つめる。
いつもどこかで人を試すアイスブルーの眼差し。その視線は恐らく、彼女自身にも向けられているのだろう。
「覚悟は、しているつもりです」
セシュナは頷いてみせた。
アレクサンドラの大きな眼が細められると、長い睫毛がほとんど視線を隠してしまう。
「……そう」
一言だけ、吐息めいて呟くと、彼女は背後を振り返った。
「それじゃ――開けてくださる? ミロウさん」
病棟の最上階、廊下の突き当たりにある病室。入り口に手を掛けていたミロウが、僅かに顎を引いた。いつもの赤い頭巾から漏れる銀髪が小さく揺れる。
「……うん」
ノブが捻られ、ニス塗りの扉がゆっくりと開いた。
セシュナは静かに足を踏み入れる。
「――ああ、いらっしゃい」
声は――彼の知っている、
広い部屋である。重病人や要人など隔離措置が必要な患者の為に整えられた、いわゆる特別病室の一つ。柔らかな絨毯も、幾重にもなった白いカーテンも、数々の調度も、旧大陸から取り寄せられた注文品らしい。
採光の良い大きな窓辺にある、天蓋付きの大きなベッド。
クッションの山の中で、少女がこちらを見つめていた。
セシュナは微笑みを作りながら、
「こんにちは。あの、いい天気ですね」
少女もまた、あの工芸品めいて整った頬を優しく緩めて。
「そうですね、とっても気持ちいい。アレクサンドラさん、こちらは新しい看護師の方?」
「――違いますわ、イザベラ。この方は」
アレクサンドラが隣に進み出てくる。
「この方は、セシュナ・ヘヴンリーフ。あなたのお友達、ですわ」
セシュナは笑った。
それ以外に、どんな顔をすればいいのか分からなかった。
彼女は――イザベラは、大きく目を見開き。それから、力を無くしたように俯いた。
「ごめんなさい。あの……私」
「うん。知ってる。大丈夫。大丈夫だよ」
通常の技術はもちろん、
(イザベラ・デステの身体に異常は見られない。顔面部の裂傷も既に塞がっており、痕跡こそ残っているものの、生命に対する危険はない)
なお、問診の結果――明確な原因は不明だが――患者は過去の記憶を喪失していると見られる。その範囲や期間は特定しがたいが、少なくとも学園での記憶はほぼ全て失っていると見るのが、妥当だろう。
持出禁止の判が押された診療記録は、そんなあやふやな表現で終わっていた。
「何しろ、あの嵐ですものね。
アレクサンドラは静々と寝台へ近づくと、持参していた花束をイザベラに差し出す。
「ありがとう、アレクサンドラさん。すごい、いい香り」
「しばらくゆっくりなさい。あなた、働き過ぎでしたわ。
イザベラは微笑んで、花束の中でも一際大きな百合に、顔をうずめた。
瞬間、セシュナは聖女ミリアの姿を思い出す。
あの日、誓いの証として炎に消えた麗しき肖像画。
一頻り香りを楽しんで、そして――イザベラは再びこちらを見た。
セシュナのすぐ傍に歩み出てきたミロウを。
エメラルド色の瞳が、ゆっくりと細められる。
「……はじめまして、でしょうか?」
「いいえ」
ミロウの声は、酷く強張っていた。
それは違いとしては微かだけれど、今のセシュナにははっきりと感じ取れる。
「……わたしは」
彼の左腕に触れる、ミロウの指。こそばゆい程冷たくて、それでいてほんの少しだけ温かい。
そして少しだけ震えている。
セシュナは右手をミロウの小さな手に重ねた。
「――わたしは、ミロウ=ミリア・ミリット。あなたと同じ、
彼女は言った。
事実を確かめるように。決然として。
イザベラは――きょとんとした表情で、ミロウを見つめていた。
「……ハーフエルフ、なんですか? あなたも?」
レース編みの白いカーテンが揺れる。柔らかい風は、彼らの間を通り過ぎて。
赤い頭巾の下にも、僅かに吹き込んでいった。
「――わあっ」
イザベラが声を上げる。
煽られたミロウの頭巾から零れたのは編み込まれた銀髪だけではなく。
あの、僅かに鋭角を描く耳もまた。
「なんて――可愛い髪型! お姫様みたい! 不思議な編み方ですねっ」
子供のようにはしゃいで、イザベラは胸の前で手を打った。
ミロウはもちろん、セシュナも何も言えず。
苦笑じみたアレクサンドラの吐息がイザベラの興奮に応えた。
「……わたくしも気になっていたんです。よろしければ編み方を教えてくださらないかしら? ミロウさん」
促されて、ミロウは目を瞬かせた。小さな口は少しだけ開かれていて、つまりそれは彼女が驚いた時に見せるいつもの表情で。
「……いいよ」
頷くミロウの白い頬には、少しだけ赤みが差していた。
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