第17話 一番気になるあの子
ようやく落ち着いて訪れた学生食堂は、一昨日の騒ぎに負けず劣らずの賑やかさだった。
白木のトレイを持った学生の列は配膳口の前では収まりきらず、廊下にまで続いている。今日のメニューは牛肉の
(どれだけ待たされるのかな……って思ってたんだけど)
どういう訳かセシュナの顔を見た途端に、生徒全員が列を譲ってくれた。ヒソヒソと小声で「逆らうな」「潰される」「風紀委員の連中と同じ目に遭う」「窓から落とされた」「頭を割られた」「ノート破かれた」「家焼かれた」などと聞こえてきて――噂が段々悪化している気がする。
とはいえ、それはそれ、これはこれ。
「……で、どうだった? どうだったの聖堂の調査は?」
「あ、うん――
隣に座ったルチアの、深刻な表情にも負けず。
セシュナは口いっぱいに頬張った塊肉を堪能していた――一噛みする度に広がる濃厚なソースの味わいで、溜め息が漏れそうになる。
故郷を離れる時は、食べ物が合うか心配していたけれど。ティンクルバニアに到着して早三日、不安は完全に払拭されていた。
最後の一欠片を名残惜しくも飲み込み、陶製のコップに注いでおいた水で一息を入れる。
「……昨日、聖堂の
コップの底を見つめながら、言葉を捻り出す。
それらしく聞こえるようにと祈りながら。
「はずれだった。『子供達』に繋がりそうな手掛かりは、何も」
「うー、そっかぁ。残念だったね……」
ルチアが大きな溜息を吐く。
会長への連絡係として気が重いのだろうか。
彼女の皿は、貝の身が無くなり、ハーブで色付けされた米だけが大量に残っていた。
話を逸らす為というより、単純な好奇心で訊ねる。
「食べないの、パエリア?」
言外に、もし残すなら譲ってくれないだろうか、という気持ちを込めて。
「んー、その、まあ、お腹は空いてるんだけど」
「え、じゃあどうして?」
「……セシュナ君ってさ。細い人が好きなんでしょ? ヒルデ会長みたいな」
突然の話題転換。
セシュナは少し考えてから、
「太い方がいいよ。食が細い人は過酷な環境じゃ生き抜けないし。雪山とか」
「体形の話! 食ではなく! 読んで、文脈を! だから、その、セシュナ君って、人形みたいに華奢な体型が好きなんでしょ? ”
ルチアはやけに深刻な顔だが、セシュナはそれどころではなかった。
まだ見ぬ美食を求めて、腹の虫がざわめいている。
「えーと。ちゃんと食べないと、アスリートにはなれないよ?」
「そうなんだけど、そうじゃなくて! もー、もー!!」
荒ぶるルチア。スプーンで刺されそうになる。
「女の子! 食べ物じゃなくて、女の子の好き嫌い! セシュナ君はどんな子が好きなの!?」
「……どんな子?」
「その、ほら、だって、き、綺麗でしょ、ヒルデ会長とか! 髪も艶々だし、肌も白いし、目もキリッとしてて……あと、“女王”だって、実は美人なんじゃないかって噂で――」
セシュナはふと、考え込む。
(……考えたことなかったな。
どう伝えればいいのか。言葉を選びながら、
「ええと。どんな子……っていうか。みんな好きだよ」
今までセシュナが出会った女性は、それぞれ違う魅力があった。
「……は!? ちょ、え? 待ってセシュナ君、それって女の子なら誰でもいいってこと?」
「え? いや、違うよ! 誰でもいいとかじゃなくて!」
語弊があったか。
「その……みんな違う魅力があって、みんな素敵っていうか」
「そーいうのいいから! じゃあ、今までセシュナ君があった中で一番の子を選んで!」
ルチアの顔がどんどん険しくなっている。何故だ。
「一番って……何基準で?」
「んーと、好き? 気になる? っていうか、もっと知りたいなー、一緒にいたいなー、って思う相手!」
つまり、一番好奇心をそそられる相手、ということか。
気付けば心惹かれ、その姿を探してしまう。
もっともっと、彼女のことを知りたいと思ってしまう。
そんな人といえば――
「――ミロウさん、とか……?」
ふと。
ルチアはすっかり静かになっていた。驚く程青ざめた顔で、セシュナの背後を見ている。
「…………?」
訝しく思いながら、セシュナは振り返り。
――今度は椅子から転げ落ちるまではいかなかった。ちょっと蹴飛ばしただけ。
「えっ、あっ、わ、ミ、ミロウさんっ!?」
赤い頭巾を被った少女は空の皿を載せたトレイを持って、じっとこちらを見下ろしていた。肩に鷹を乗せていないのは食堂だからか。
「……こ、こんにちは」
とりあえず挨拶。訪れる沈黙。
いつの間にか、食堂全体が水を打ったように静まり返っていた。
「あの、ぼ、僕に、用ですか?」
「…………」
返事は無い。
ただ、夜を写し込んだような視線をひたすらに注がれると、意味もなく鼓動が高鳴っていく。
顔が熱い。汗が出る。
これ以上は耐えられないという所まで待った上で、口を開く。
「えと。ミロウさん。あんまりじっと見られると……その。恥ずかしいと言うか……」
「……ついてきて」
答えは、ただそれだけ。
彼女はやはり足音も無く。
返却口にトレイを戻し、再度こちらを振り返る。
またしても、しばし見つめ合って――セシュナはようやくミロウが発した言葉の意味を理解した。
「ま、待ってっ、ミロウさん!」
自分でもびっくりするほど大きな声を上げて、ミロウの後を追う。
彼女の歩き方は修道女のそれに似ていた。身体を上下に揺らさず決して音を立てない。賑やかな昼休みの廊下で、たった一人、水面を歩いているかの如く。
「あの、どこに行くの?」
「……着けば分かる」
「あ、うん」
セシュナは何も分からないまま、儚げな背中を追う。
どんな距離を保てばいいのか分からず、離れ過ぎては見失いそうになり、近づき過ぎては慌てて立ち止まる。
何度か背後を振り返ったが、ルチアはついて来ていないようだった。もしかしたらまたヒルデの元へ向かったのか。あまり大事にされても困るけれど。
「さっきの」
突然。
ミロウが声を発した。視線は前を向いたまま。
「あ、うん、え? さっきの?」
「ルチア・トスカニーニと話していたこと。なんで、私の名前を?」
「あ……ごめん、その。ミロウさんって言ったのは、別に変な意味じゃなくて。その、普通の意味というか」
言ってから、説明になっていないと気付く。
「普通の意味っていうのは、その。僕はミロウさんのこと、全然知らないから。もっと話してみたいし、あの綺麗な鷹のこととか、聞きたいことがたくさんあるんだ」
ミロウの返事は、沈黙。
(うう。いきなりぐいぐい話しすぎたかな……引かれたかな……)
「……キーラ。あの子はただの鷹じゃない。
不意打ちな上に早口だったけれど。
「――キーラ! いい名前だね」
セシュナは小走りにミロウへ追いつき、
「ねえ、命が
「……あの。一度に、訊かないで。答えづらい」
「あ、ごめん、その、嬉しくって、つい」
セシュナ達はいつの間にか、南棟の端から昇降口を出て中庭へ。同心円を描く美しい庭園を抜けて聖堂へと至っていた。
日差しが差し込む聖堂は明々とした穏やかさに満ち、そこが正しく女神の家なのだと実感させてくれる。
そして。身廊に出来た陽だまりで、ミロウが立ち止まった。
「……ブレスレットは、つけてる?」
彼女の小さな声も、静寂に満ちた聖堂ではしっかりと耳に届く。
「うん! アレクサンドラさんから言われたとおりに」
セシュナは、おずおずと左手を差し出した。
手首に巻いた銀鎖の腕輪。
昨夜の儀式を終えた後にアレクサンドラから渡されたものである。
(『ミリアの子供達』の一員たる証、って言ってたな)
鎖には小さな金属板がついていた。肌に沿ってカーブを描く銀のプレートには、まるで文字のような記号がいくつも刻まれている。
(この文字。文献で見たことはあったけど……本物は初めてだ)
遥か古代――地上が今よりも多くの”
「このブレスレットをつけてれば
「……自分の指を当てて」
「指? えっと……」
ミロウ――『ミリアの子供達』では
「こうやって」
「こ、こここ、こ、こう?」
ひんやりとしたミロウの手の感触で、心臓が爆発しそうになった。
僅かに震える右手で、セシュナは何とか金属板に親指を当てる。
「唱えて。帰投する、ポイント・クレイドル」
「
――ほんの一瞬だった。
それこそ、瞬きを終えた直後には。
セシュナは空に浮いていた。
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