青天の霹靂
マツダエンジニアリングの古森は八鹿市と多幸町の倉庫に保管されていた硫酸ピッチの搬出を毎日続けて三か月で完了した。それで一件落着と思ったところとんでもない事件に発展した。撤去先の北陸ニッソにドラム缶が未処理で放置されているという通報が新潟県庁からもたらされ、産対課が担当を派遣して現場を確認することになったのだ。伊刈は報道によって初めて自分が撤去させた硫酸ピッチが事件化されたことを知った。
《新聞記事》
硫酸ピッチ無許可運搬で産廃業者逮捕 新潟県警は硫酸ピッチの入ったドラム缶千三百本が許可のない運送業者によって犬咬市から風岡市内の産業廃棄物処分場北陸ニッソ(今西亘社長)に運び込まれたとして同社と運送会社皐月運輸(多美川純二社長)を廃棄物処理法違反(無許可収集運搬及び無許可業者への委託)の疑いで捜索した。今西社長は容疑を否認している。
小さな記事だったが伊刈にとってはまさに晴天の霹靂だった。その日のうちに毎朝新聞の笹川が連絡してきた。
「今朝の北陸ニッソの記事読まれましたか」
「もちろん」
「伊刈さんが指導して撤去させた硫酸ピッチについて環境省と新潟地検が何か相談していると聞きました。大丈夫ですか。環境省も県庁も伊刈さんがだいぶ目障りなようですよ。なにか問題があったんですか」
「不法投棄されたゴミを撤去させたことが問題なら、これから撤去指導をする担当者はいなくなりますよ」
「それはそうなんですが、伊刈さん一人だけ目立ってますからね、かなり嫉妬されてるんだと思いますよ。おかしなことにならないといいですけど」電話口の笹川は不安そうだった。
その翌日笹川の杞憂は現実のものとなった。新潟県警から犬咬市に対して硫酸ピッチの撤去を指導した職員の任意出頭要請があったのだ。指名されたのは伊刈ではなく喜多だった。
「どうせ出頭するなら喜多より私が相応しくないですか」伊刈は産対課長に申し出たが新潟県警の指名だからと却下された。
犬咬市が撤去指導した産廃が撤去先の県で問題を起こし、職員が警察に呼び出されたとなれば、関係者を集めて内部調査をするのが普通の対応だ。県庁の担当者にも呼び出しが行っているはずだ。だが県も市もなんらの対抗策もとるつもりがないようだった。事情聴取さえ求められない伊刈は自分が故意に外されており、新潟県警のほんとうのターゲットは自分であり、呼び出された喜多は自分の容疑を固めるためのダミーではないかと疑った。そうでなければ自分が聴取対象から外されるはずがなかった。県庁も市庁も対抗策をとらないのは、笹川記者が心配していたように背後で環境省と県庁と地検がグルになって伊刈を堕とそうと画策しているからかもしれないと思った。だが自分が地検ターゲットだと悟っても伊刈は冷静だった。
「当たり前のことだけど警察に行ったらすべて真実を話さないとだめだよ。隠し事をしても相手はプロなんだからムダだよ。どんなことも隠さず述べるのが一番いい」伊刈は不安がる喜多を諭した。
「わかりました」
「今回の事件はね、皐月運輸が犬咬市の収運の許可がないのに硫酸ピッチのドラム缶を運搬したことについて、市の担当者が知っていて見逃したんじゃないかって容疑なんだ。喜多さんは無許可収運だと思わなかったでしょう」
「ええピッチを持ってきた業者が自主撤去するのだと思いました」
「そこが大事なところだから何度も聞きなおされると思うけど、自社運搬だと考えていたという証言を何回聞かれても変えたらだめだよ。うすうすおかしいと思ったでしょうと言われても適法と信じていたと言い続けるんだよ。そう言わせるのが誘導尋問だからね」
「はい」
「あとマニフェスト(産業廃棄物管理票)の記載内容の不備と(マニフェストの)B、C票が回付されなったという問題についても聞かれるよ」
「すいません、あまりよく見てなかったものですから」
「それならそう正直に言えばいいよ。あんまり気にしていなかったと。一度そう証言したらやっぱり問題だと思いましたなんて後から言い直してはだめだよ。マニフェストが期限までに回付されなかったことについてはちゃんと督促したでしょう」
「はいしました」
「だったらそうきちんと言えば何も問題ないよ。正直になんでも話せばいい。だけどあくまでその時に思ったことだけしゃべること。今から思ってやっぱりおかしかったかもしれないという証言をしちゃだめだよ」
「はい」
「それから北陸ニッソの特管(特別管理産業廃棄物)の処理能力について県庁が主催した会議の後にネットで確認したよね」
「はいちゃんと許可はありました」
「だけどネットだけでは信用できないからほんとうにできるのか確かめるために実態調査に行きたいと僕に進言したよね。それに対して僕が旅費の予算がないから後にしようと言ったでしょう」
「そうでした」
「これはとても重要なことだよ。喜多さんは北陸ニッソまで調べに行きたいと言ったのに、僕の指示で行かなかったとはっきり言ってほしいんだ。実際あのときムリしても予算を手当てして調査に行っていれば、また違った展開になったかもしれないからね。これは僕の責任だよ」
「そんな、班長の責任じゃないと思います」
「これは刑事事件の捜査なんだよ。上司の命令でやりましたと言うことは卑怯なことじゃない。むしろとても大事なことだよ。僕に気を使わずに自分を守ってもらいたいんだ。いいかい絶対に自分の責任でやったと言ったらだめだよ。すべて上司の命令でやったと言ってほしいんだ。自分を守れなければ仲間も守れないんだから、まず自分を全力で守ってほしいんだ。刑事事件ではいい子になってはいけないんだ。知らなかった、わからなかった、できなかった、信じていたのに騙されたでいいんだ。大事なことは一つだけ、皐月運輸が無許可収運をしているとは思わなかったということだよ。新聞で逮捕の記事を見てびっくりしたって言えばいい。何度繰り返されてもやっぱりおかしいと思っていましたなんて誘導尋問にかかって証言を変えてはだめだよ。何度もしつこく聞きなおされて、どうしても答え難くくなってしまったら、すべて僕の命令でやりましたと言えばいいんだ。僕を絶対的に信頼していたので問題だとは思いませんでしたと何度でも繰り返して言えばいいんだ」
「わかりました」
不安をぬぐいきれないまま喜多は新潟に出発した。
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