第8話 機械
アスカからは、光輝が爆発したように見えた。光輝が大型拳銃の破滅的な一撃を見舞った直後だ。どうしてそうなったのかはわからなかったが、とにかく何が起こったのかはわかった。アスカは反射的に叫び声を上げかけたが、それが音にはならなかった。
「油断は禁物ですぞ、アスカ様」
声はすぐ隣で聞こえた。同時に強烈な拳が振るわれる。アスカは辛くもそれを避けて、声との距離を取った。
「……あなた、『
「はい。強襲型の『強化』になります。ご主人様をお守りする役目もございますゆえ、ある程度戦闘にも耐えられるようにしておりまする」
ある程度、どころではない。アスカは口に溜まった血を吐き出した。頬に一撃を受けた。光輝とシンが戦い出した、まさにその時だ。アスカもシンに斬りかかろうとしたが、それをこの執事に止められた。トヤマと呼ばれる包帯と出血まみれの老紳士は、アスカの剣を徒手空拳だけで避け、往なし、手玉に取った上で、その拳で反撃に転じて、アスカに一撃を当てた。並みの『強化』ではないことは察したが、その身のこなし、格闘技術は、ミネルヴァのそれに迫るものがある。そしてそれ以外にも、アスカはトヤマから通常の『強化』とは異なる何かを感じていた。
確かに『強化』は強い。
「シン様は、理想とされる未来の実現のため、あなたの身体を欲されています。身体を欲されていますが、あなたの精神がそこにある必要はないでしょう」
「ずいぶん丁重なもてなし……」
アスカは油断なく高周波ブレードを下段に構える。ところどころ飛び散った自身の血液で色を濃くした燕尾服が、いつ飛び込んで来ても対応する。後の先を取るつもりの構えだった。
しかし、次のトヤマの踏み込みは、アスカの知覚を超えた速さだった。瞬く間に懐へ飛び込まれ、アスカはトヤマの強烈な掌底を胸に受けて弾き飛ばされた。背後の壁に叩き付けられて、漸く止まる。
胸への衝撃、そして壁へ叩きつけられた衝撃で、一瞬止まった呼吸が、慌てたように再開する。光輝の射撃により、屋根と壁の大半を失った高空の王室の空気は薄くなっていたが、そのこと以上に、胸に走る激痛がアスカの肺に新しい空気を運んでくれなかった。胸を押さえて噎せながら、それでもアスカはすぐさま立ち上がる。ここで倒れている訳にはいかなかった。ここで意識を失えば、次に目覚めることはない。もし意識を持ったままであったしたら、次に目覚めるのは培養液のプールの中で、何万という新たな〝ネクスト〟の代理母とされているはずだ。そんなことは認められない。それに、何よりいまは光輝を助けなければならない。
アスカはいま一度、刀を下段に構えた。いまの踏み込みからの掌底打ちは、知覚することができなかった。だが、それゆえにアスカにはわかったことがある。トヤマから感じていた何か。あるべき何か、ではなく、あるはずの何か。その欠落した『何か』が何であるのか、アスカは確かに理解した。
「
「限界制限装置は、初めから装備しておりません」
それは基本的に『強化』の身体には必要不可欠なものとして装備される。その目的は二つあり、ひとつは機械的に強化された生身の部分を守るため。もうひとつは機械そのものを守るためだ。この限界制限装置がなければ、『強化』の身体は機械的動作の最大限界値までの値を常に出し続けることになる。それでは生身の部分が対応できなくなるだけではなく、機械化した部品もまた、簡単に限界を迎えて壊れてしまう。要するに『非強化』が持つ、「自身を傷付けない程度に、程々に」という感覚の役割を果たすのが限界制限装置なのだ。
アスカはトヤマの慇懃とした言葉に戦慄した。限界制限装置の機能を、一時的に切っている『強化』とは、戦ったことがある。その『強化』も『強化』を上回る、信じがたい身体能力を見せたが、それはあくまでも一時的なことだった。すぐに各部の部品と生体部位に異常を来たし、その隙をついてアスカは勝利した。
だが、いま、トヤマは限界制限装置を初めから装備していない、と言った。その上で戦闘を行っている、と言ったのだ。見たところ、元々の損傷以外に異常は見られない。いったい、どういう『強化』を施されているのか。
「……死ぬよ。そのまま戦えば」
「そうでしょうな」
『強化』には縁遠いはずの死だが、限界制限装置なしに動き回り、各部を一斉に破壊してしまえば、部品の交換などでは間に合わなくなるはずだ。アスカはそのことを指して死ぬ、と言ったのだが、トヤマは恐れるどころか笑みを浮かべて応えた。
「ですが、シン様のオーダーはあなたをもてなすことで、あなたを次世代の母とすることです。わたしが生きている必要はないでしょう」
確かに指示の字面だけを読めばそう理解はできるだろうが、この男は端から目的の達成のためには、自分の命を考慮に入れていない。命令に忠実、などというレベルのものではない。
「……
「よく言われます」
トヤマが恭しく腰を折る。その動作の途中で、気配が動いた。右足から前に出ると、その一蹴りでアスカの懐に飛び込んで来る。
最前と同じ、掌底打ちの構え。だが、今度は、その全ての動作がアスカには見えていた。
掌底打ちに合わせて前蹴りを繰り出す。『強化』の限界を超えた一撃に合わせた、〝ネクスト〟の全筋力を動員した蹴りの力は拮抗し、アスカはその足を軸にして、壁を蹴る要領でバック転し、高々と跳んだ。高空を吹き荒ぶ、酸素の薄い風がアスカの黒いコートをはためかせ、周囲の空の闇と同化させる。
「さすがは〝ネクスト〟ですね。もうわたしの速度に追い付いた」
「〝ネクスト〟は、一度見れば二度目には追い付く」
アスカの声が闇の中から高空の王室に響いた時、トヤマが突き出した右腕の肘から先が小さなショートを起こして破裂した。初めてトヤマが驚いた顔をする。
「……三度目の交錯は、あなたの死」
「……いいでしょう」
壊れた右腕をだらりと下げて、トヤマが左構えに構えを変えた。
「わたしも最高の一撃を持ってお相手致しましょう」
構えたトヤマの姿を視界に納めながら、蒼い絨毯の上に舞い降りたアスカは、
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