第31話 扇動、戦の決め事
リンクの予想を裏切って、ブール学院の朝は平穏そのものだった。
労働奴隷に訊いてみると、どうやら一部の最上級生たちが頑張っていたとのこと。
彼らはこの状況を大きな機会だと捉えており、必死に教官の真似ごとをしていたようだ。
そんな最上級生たちから見れば、リンクはいけしゃぁしゃぁと食堂に顔を出した。
極自然な様子に何人かは素通りするも、リアルガは見逃さなかった。
「――リンク! 今まで、何処でなにをしていた?」
吊るし上げるつもりなのか、遠くからの大音声。ありがたいことに、食堂にいるすべての注目を集めてくれた。
望むところだと、リンクも声を張り上げる。
「敵の動向を探ってきた」
一言で、リアルガの足取りが変わった。余裕ぶった歩みから駆け足へ。
「おぃ、どういう――」
「ところで、逃げだした生徒は何人いる?」
冷や水を浴びせられたかのように、リアルガは黙り込んだ。
「何故、知っている? なんて、馬鹿なことは聞かないでくれよ」
どう考えたって、他の生徒たちが言葉で従うわけがない。
なら暴力に頼るのは当然の帰結であり、それによって逃げだす者がいるのは自明のことだった。
「――みんな、聞いてくれ」
驚愕しているリアルガを無視して、リンクは大勢に向かって話しかける。
「シャルオレーネ軍の目的がわかった。彼らはこの城を奪うつもりだ」
一瞬の静けさ。
沈黙は保たれず、意味を理解した者たちから悲鳴と怒声が飛び交う。
「結論から言うと、死にたくない奴は逃げろ。相手は近衛騎士団だ。勝ち目はない」
楽観視させない為に、あえて人数は言わなかった。
食堂にいた生徒たちは勝手に敵の軍勢を想像してか、混乱の一途を辿る。
「オ……っ! 馬鹿がっ!」
リアルガが吠える。
その怒りは正しいが、冷静な判断とはいえなかった。
「俺なら、馬で逃げるね」
更に、リンクは生徒たちを煽った。
馬には限りがあると誰もが知っていたから、その一言がもたらした効果は絶大だった。
「厩舎へ急げ! 止めるぞ!」
思惑通り、リアルガが動く。彼女は最上級生を仕切っているのか、矢継ぎ早に命令を飛ばしていた。
「騎士様、それマジ?」
アーサーの声は閑散とした食堂によく響いた。
「食事をしながら話そうか」
リンクはいつも通りに呑気だった。
慣れ親しんだ態度に安堵してか、アーサーとグノワは文句も言わずに従う。
奴隷たちも戸惑っていたが、リンクが心配ないと約束すると落ち着きを取り戻した。
こういった点は実に扱いやすい。
だからこそ、たとえ敵に攻め落とされたとしても彼らは比較的安全であろう。
「十日以内に、シャルオレーネ軍が攻めてくるのは間違いない」
「それで、僕たちはどうなるの?」
流暢に食事をしているので、リンクの答えは遅かった。
緊張で喉も通らないアーサーは苛立った様子を見せるも、忍耐強く待っている。グノワも同様、先ほどから食が進んでいない。
「戦うのは論外だから、降伏して捕虜になる。その後はあちら次第だが、そう悪いようにはならないはずだ」
「いくら騎士様の言葉でも信じられない」
「なにか、根拠があるのか?」
アーサーほど率直ではないが、グノワも納得がいかないようだ。
「そうだな」
リンクは考える。
一番楽な方法――敵の人数を伝えるのはまだ早い。今の段階だと、迎え撃つべきだと主張する輩が絶対に出てくる。
「軍の管理下にあるものの、俺たちはまだ学生だ。敵とはいえ、これを傷つけるのは賢くない。戦にも、それなりの規則があるのは知っているよな?」
「もちろん。勝つ為なら、なにをしてもいいわけじゃない。特に大国同士ともなると、色々と面倒くさい決まりがある」
うろ憶えなのか、アーサーはたどたどしく口にした。
「正直な話、確実に勝てて容易に支配できるんだったらなにをしたっていい。だがそうでないのなら規則は守るべきだし、相手に悪感情を与えるのは可能な限り避けるべきだ。国中の人間が戦に賛同し、積極的に支援されては堪ったものじゃないからな。それに住民に根強い反感を持たれると、奪い取ったあとの統治も難しくなってくる」
騎士であれば騎士道精神の一言で済むのだが、農民である二人はまだ腑に落ちないようだ。
「これは、おまえたちのほうがわかると思うが。別に、国や皇族に対して忠誠心なんてないよな?」
二人は棒でも呑み込んだ顔をする。
「徴兵された兵はたいていがそうだ。だから、戦で活躍しようとなんて思っていない。ただ、無事に帰れることだけを祈っている。農民からすれば、種蒔きや収穫のほうが大事に決まっているからな」
忠誠心に無縁なのはリンクも一緒だった。
それどころか、二人と違って悪びれた素振りすら見せていない。
「早い話が士気の問題。あまりに悪辣な手段を取ると、そんな兵たちにも火を付けてしまう危険性がある。中でも、女子供を虐げるのは最悪だ。だから間違っても、シャルオレーネ軍は俺たちを不当には扱わないはずだ」
逆に、北方正帝や軍上層部はそれを望んでいる可能性がある。
未熟な子供たちが無残に殺されたとすれば、戦端を開く大義名分としては申し分がない。
きっと民たちは怒りを禁じえず、積極的に軍勢を支援してくれる。
西方帝国の圧力に屈したように見せていたが、もしかすると学院長の狙いもそこにあったのかもしれない。
だとすれば、食えない狸である。
「騎士様はそれでいいのかい? 捕虜になるなんて……」
アーサーは言いごもるも、
「歴史上には、何十回と捕虜になって身代金を取られた騎士もいる。一回くらい、どうってことはないさ」
リンクはあっさりと繋いだ。
「それに負けて当然の状況だ。俺たちの敗北を不名誉と詰る奴なんて……いないと信じたいね」
「その言い草だといそうだな」
「気にすることはない。どうせ腐った性根の持ち主だ」
グノワの心配を最後に会話は終わった。
聞きたいことはもうないようだと、リンクは食事を済ませて書庫へと赴く。
しばらく留守にしていた書庫は冷たかった。
久しぶりに独り占めするも、どうも集中できない。認めたくないが、スーリヤやフィリスとの日々を偲んでしまう。
これから選ぼうとしている未来を考慮すると、甘くて愚かな感傷である。
「大人しくしているかな」
口にした途端、リンクは笑う。
コリンズがいる時点でそれは無理であった。
――実際、その通りだった。
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