第十一章 アルミラージ&フェアリー

第121話 いつもの日常


 朝、タケトは朝食用に昨日の夕方作ったシチューを温め直していた。だいたい朝ご飯はいつもパンとチーズなどで軽く済ませることが多いのだが、前の日の晩ご飯の残りがあるときはそれも食卓に並べる。


 ちなみに誰が朝食を用意するかというと、何となく先に起きた方がやるというのが暗黙の了解と化していた。


 久しぶりに買った豚肉で作ったシチュー。肉はそんなにしょっちゅう食べられないので、ちょっと嬉しい。一晩寝かせたから、きっと昨日よりも味がしみて美味しくなっているはず。


 鍋を木杓きじゃくで混ぜながら、昨晩、豚肉と聞いて複雑な顔をしていたトン吉の様子を思い出した。普段、自分はブタじゃないって言ってる癖に、やっぱり少し抵抗があるらしい。結局、食べてたけど。


(その辺、やっぱ、もうちょっと気にしてやった方がいいんだろうな。今度作るときは、高いけど牛肉にしよう)


 同族じゃないにしても、外見の似ている生き物の肉を食べるのは複雑な感情が過ぎるのだろう。考えてみれば、自分だってそうだ。いきなり猿の肉を食卓に出されれば、たぶん、多少は抵抗を感じるにちがいない。何度も食べていれば、そのうち慣れて何とも思わなくなるものかもしれないけど。


 食べられるものと、食べられないもの。

 単純に身体が欲するかどうか以前に、心情的に食えるかどうかというのは結構ナイーブな問題だ。


 もう少し火を強くしようとかまどの横にいつも置いてある薪の山に手を伸ばすが、薪はもうあとわずかしかなった。


「あれ。そういえば、そろそろ薪、なくなりそうだったんだっけ」


 いつも外の軒下にも積んでおくのだが、そっちの方もほとんど使い果たしていたことを思い出す。


「しゃーない。飯食ったら、薪買いに行くかな」


 薪は嵩張かさばるので、買いに行くとなるとどっかから馬車を借りることになる。もしくは、日が暮れて人通りが少なくなってから、ウルに乗って買いに行くか。


(うーん。どっちも面倒なんだよな)





 朝食のあと。

 迷った末に、とりあえず家の裏手にある『王宮の森』で枯れ木を採ってきて薪にすることにした。


『王宮の森』は、ジーニア王国の王宮の周りに広がる深い森だ。王都はそれに隣あう形で広がっている。


 しかし、王都の人間たちが薪を求めて王宮の森に入ってしまうと、あっという間に森の木々を伐採し尽くしてしまうだろう。そのため、一般人の『王宮の森』への立ち入りは原則的に禁止されていた。


 ただし、森のさほど深くない部分で枯れ木を切ったり、木の実などを利用する程度は黙認されていたりもする。


 それ以上深いところに行くと、どうなるのかは知らない。別に侵入防止の壁があるわけでもない。


 ただ、噂によると、ある程度まで深く入ると、いつの間にか同じ所をぐるぐると周るようになり、結局は元のところに出て来てしまってそれ以上深くへは進めなくなるらしい。なんらかの魔法のようなものがかけられているという話だった。


 だから王宮に行きたいときは、森の中を通っている唯一の道、『王の道』を通るしかないのだが。


(でも、ウルはあの森をつっきって王宮まで出入りしてるんだよな)


 なんでウルは森を通り抜けられるのか、その辺はいまだ不思議だ。


(まぁ、いいや。そんな奥まで行かないし)


 タケトはいつも寝起きする納屋の隅っこに置かれた、用具入れの箱の中をごそごそと探った。


「何、探してるですか?」


 用具入れに前脚だけでぶら下がって、トン吉が一緒になって中を覗き込んでくる。


「うんとな。斧、探してんだ。ここに入れてたはずなんだけど」


「斧でしたら、ご主人。こないだ使ったまま、外に置きっぱなしにしてたですよ?」


「え、マジで?」


 すぐにトン吉を頭に乗せて裏庭に確認しにいく。すると、普段薪割りに使っている切り株に、斧が刺さったままになっていた。


「あぶねあぶね。錆びるとこだった」


 切り株から斧を引っこ抜くと、刃を確認してみる。

 そうだ。この前、薪割りしたとき、あとで仕舞おうと思ってそのまま忘れていたんだっけ。ここのところ雨が続いていたから刃が錆びていないかと心配になったが、どうやら大丈夫そうでホッと胸をなでおろす。あとで研いでおくことにしよう。


 すぐそばでは、ウルが寝転がって昼寝をしていた。ずっと天気がよくなかったので、久しぶりのぽかぽか陽気にウルも気持ちよさそうだ。


 タケトたちが暮らすこの家は、王宮を囲む広大な森と王都の市街地のちょうど中間の草地にあって、市街地ほどには民家は密集していない。この辺りは貴族や王宮関係者の大きな屋敷とその使用人の住まいがほとんどなので、王都の中心部ほどゴミゴミしていなくて、ほどよく長閑のどかだ。


 家の裏には、すぐに王宮の森が広がっているため、ウルが家の周りをうろうろしていてもあまり人目には付かない。そのため、ウルは割と自由に森と家の周辺を行き来して日々過ごしている。


 と、そこにシャンテが、洗濯ものをかご一杯に抱えて勝手口から出て来た。


「あ、シャンテ。これから洗濯?」


「うんっ。ここのところ天気悪かったから、洗濯物が溜まっちゃって」


 ここは川から離れているため、洗濯したり調理したりといった生活用水には主に井戸水を利用している。井戸は近辺の家々が一緒に使う共同のもので、家の前の道をしばらく歩いたところにある。


 水くみは重労働なのでもっぱらタケトがやっているが、洗濯も手作業なので結構大変だ。あれだけの量の衣服を洗うとなると時間もかかるだろう。


「待って。俺も手伝うよ」

「ほんと? 森に行くとか言ってなかった?」

「薪採りに行こうと思ったんだけど、洗濯の後でいいや」


 タケトは一旦斧は置いておいて、シャンテの手から洗濯籠を受け取ると、一緒に歩いて井戸まで向かった。トン吉は洗濯物の上にのっかって気持ちよさそうに丸くなっている。重いから自分で歩いてほしい。


 井戸の周りには、幸運にも他に誰もいなかった。いつもなら近所の奥さんたちがにぎやかにお喋りしながら、水をくんだり洗濯したりしているのだが、たまたま人が途切れる時間帯だったらしい。


 タケトは井戸から水をくむと、井戸に立てかけてあった共用のタライに洗濯籠の中身をあけて水をかけた。そして、シャンテが家からもってきた小袋の中身を洗濯物に振りかける。これは粉石けんと石灰、それに泡立てをよくする何かを色々まぜたものらしく、普通に市場に売っている一般的な洗濯石鹸だ。


 これを振りかけて裸足でギュッギュッと洗濯物を踏むのが、この世界の一般的な洗濯の仕方。


 シャンテがタライの中で洗濯物を踏んで洗う傍らで、タケトは洗濯板を使って汚れの酷い物をゴシゴシしていたのだが、これが結構腰にくる。


(洗濯機って、便利だよなぁ。ほんと)


 そんな文明の機器を恋しく思いながら、シャンテと一緒になってタライに入り、泡だらけになっているトン吉を見ていた。


 トン吉はシャンテを真似て洗濯物をフミフミしているが、あれは絶対役に立ってないどころか、むしろトン吉の汚れも一緒に落としているようなもんだろうな。そんなことを考えながら眺めていたら、ふとあることを思いついた。


「そうだ。トン吉。お前、そんなことするより役立つことあるじゃん」


 そう言うと、トン吉はきょとんとつぶらな瞳でタケトを見上げる。


「あい? なんですか。ご主じ……はっ、はっ、ぶひゅっ」


 ついでに、トン吉は鼻についた泡がくすぐったかったのか盛大なクシャミをする。クシャミは、タライの外にして欲しかった。

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