>>5 間違ったデートの仕方

 そんなわけで次の日。

 しっかり時間に忠実に約束の九時の三十分前に駅前に着いたのだが。

 どうやらもう来るようだ。

 遠くに理想的な体型で白ブラウスといういでたちの天使のような長い黒髪の少女が歩いてくる――。

 ――ん、長い?

 ちょっと待てよ、遠目に見えるあの顔は紛れもなく神原夢望なのだが、髪の毛が腰くらいまで長いぞ?

 え、ちょっと、これって、

 〜付き合った女の子は化け物でした〜

 みたいな字幕が出るやつ?

 だって昨日見た時は黒髪は肩で切りそろえられてたんだぞ? こりゃあもう髪の毛が伸びる市松人形並の怪異だぞ。

 なんてふうに俺が戸惑っているのも構わず神原(化け物?)はこちらへ歩いてくる。

 そして、ついに、俺の間近に迫ってきた。

 マジかよ俺の人生口裂け女エンドかもっといい人生送りたかったなあそれか神原ととことん仲よくなってりゃよかったなあ――。


「……ふん、君が倉永くんというわけ?」


 違った。声が、全然違った。もっと言えば、口調も。神原をもっと大人っぽくした感じだ。

 近くにいるので顔は見れないのだが、全然人違いだったらしい。まあよくあることだ、それっぽく見えるのは。なんでも、世界には少なくとも三人は似ている人がいると言うし……。


「ねえねえ、聞いてる?」


 化け物じゃなくてよかったー、なんて胸を撫で下ろして安堵していると視界の端からひょっこりと回り込んでくる女がいた。

 顔の近さでとっさに真上を仰ぎ見てしまったが今、俺の網膜のモーメントにははっきりと写っていた。

 ダラダラと冷や汗を流しながら聞いてみる。


「ど、どうしたんだ。その、声が若干おかしい気がするんだが」


「おお。すごい洞察力。今の一瞬でよくわかったね。そう、私はだよ」


 何感心した声出してるんだ。全く、俺が一日で彼女の(なんか抵抗があるので一応、と付け足しておく)ことを忘れるとでも?

 そう、俺の目に写ったのは間違いなくのそれだった。


 *


「……で、あんた誰」


「あれ、一回見てる気がするんだけどなあ」


 そして俺たちは、立ち話もなんだということで近くにあったいつぞやのハンバーガーショップに来ているのだった。

 誤解のなきようにいい添えておくと、俺の言うは神原夢望のことではない。

 一瞬、ほんの一瞬神原夢望と勘違いしてしまったがやはり一晩で髪の毛が伸びる怪物などいないという俺の常識的な理性が働いたのだ。それに声も決定的だった。

 とても似ていたので、とっさに神原、と呼びかけてしまったが、返事をしたあたり、間違いはない。


「神原の、そうだな、姉あたりか」


「ピンポーン。正解。って、これで妹とか母親とか言われたら私傷ついちゃうよ?」


 とにかくそういうことらしい。

 この女は神原の姉だ。名前は深夢みゆと言うらしい。


「あ、そうだ、図書室で会ったんだ。君が私をチラチラ見るから夢望に自慢してあげたんだっけ」


 神原深夢はクスリと笑った。


「あ! あの時のか!」


 たしか、俺が神原夢望に告白されて変な返事を返した翌日の容疑者(?)探しの時に一番条件に合致していたあの二年生だ。あれが神原深夢だったのか。またしても思わぬ伏線が。……ちょっとフルネームで言うのが面倒なのでここからは深夢と呼ばせてもらう。心の中でだけな。


「……で、神原の姉が俺に何か?」


「実は、夢望、熱出しちゃって。あまりにも倉永くんとのデートに行ける状態じゃなかったから代わりに私がメッセンジャーとして」


 普通にメールで済ませればいいように思うのだが。


「じゃあ今日は中止ってことですね。わざわざありがとうございます」


 まあここは文書だけで済ましたくなかったゆえの粋な計らいだと受け取っておこう。


「あ、夢望から倉永くんにビデオレターがあるの」


 俺から見える深夢の手(つまり俺は顔は見ずに俯いている)はスマホをスワイプし、「あ、これ」という声とともに差し出された。

 その画面には、ところどころはだけたパジャマ姿の、たしかに神原が写っていた。

 再生ボタンをタップする。

 ふぅ、ふぅ、という熱の時特有の吐息とともに動画はスタートした。


『けふん。ごめんね結叶くん。けふんけふん。私から言い出したのに。けほけほ』


 可愛らしい咳をしながら、どこか火照った顔の神原は申し訳なさそうだった。不覚にもむしろその姿にうっ、ときてしまった俺は首を振って煩悩を飛ばしつつ、目線は画面に釘付けだった。


『ちょっと、けふ、楽しみすぎてテンション上がってたら、こふ、こうなっちゃいました』


 すいません、と画面の向こうの神原が一度頭を下げる。


『いきなり中止というのも申し訳ない気がして、こほ、お姉ちゃんに代行してもらいました。とっても似てるので、けふん、間違えちゃったんじゃないでしょうか?』


 そう神原が微笑んだ。それに自然と口が綻ぶのを感じつつ、たしかに一回騙されたな、と苦みをプラスさせた。


『というわけで、けふ、今回のことは今度埋め合わせするので待っててくださいね』


 ゆっくり手を振って神原が別れを告げながら動画は終わった。


「というわけなんだよね」


 スマホを自分の方へ戻しながら深夢は机に肘をついた。


「うーん、なんか変に凝ってる気が」


「そりゃそうだよ。ここに私が来ることといいビデオレターといい私の提案だからね」


 ……なんとなく、そんな気はしてたさ。たぶん何も入れ知恵なしだったら朝っぱらに電話で叩き起して来たと思う。ああいうまともなタイプは迅速な対応を好むからな。いや、昨日のあれからしてまともかは議論すべきか。

 俺は冷たい飲み物を喉に流しつつ、


「じゃあ今日はもう帰りますね」


「何言ってるの。今日はこれからじゃない」


「は?」


 あんたが気を利かせて常識的に迷惑な早朝モーニングコールとかを阻止して自ら中止のお知らせをしに来てくれたんじゃなかったのか。

 俺が不思議そうな顔をしていたのだろう、「あれ、今聞いてたよね?」となにかの確認をしてくる。何をだよ。動画の神原の声とあんたがこれを画策したことくらいしか聞いてないぞ。


「……君、もしかして察しが悪い方?」


 こんなことまで言われた。なんか前、篠崎にもこういう口調で呆れられた気がする。


「それに、夢望がたしかに言ってたじゃん。お姉ちゃんに代行してもらうって」


「ええと、それはつまり?」


 代行って、俺に中止を知らせることじゃなかったのか?

 もし違ったとして、考えられるのは。

 ズイッと頬に手をつきながら俺の視界の中央に入って、深夢が言う。


「このお姉さんが、今日はデートしてあげるってことよ」


「……はい?」


 *


 ……俺はいったい何をしてるんだろう。


「倉永くん、こっちだよ」


 そんな深夢の声に引かれるまま俺は歩いていた。

 あっという間にもう昼時だった。

 午前中はいっぱいいっぱい買い物に付き合わされては荷物を持たされ……さんざんだった。いつも運動してないひょろひょろな俺のHPは瞬く間に容赦なくガンガンと削られた。ゲームのようにステータス画面があったら赤ゲージでピコーンピコーン、ってなっててもおかしくない。

 昼食のために入ったレストランでぐったりと座り込みながら俺は再び考えた。

 ……俺はいったい何をやってるんだ。

 あまりにも抽象的すぎたので、もう少し考えをまとめてみる。

 つまり、だ。

 端的に言ってしまえば今日という日はどうやらこういうことのようだった。


 ――初デートを彼女のきょうだいとしている。


「どうしたんだい、そんな腑に落ちない顔して」


 綺麗に巻き付けたパスタを口に含んで深夢が聞いてくる。

 普通に考えて寝取られの逆パターンみたいで倫理的にアウトな気がするのだが、果たしてそれをわかってるのやら。


「いいんですか、こういうの。普通に彼氏とかいないんですか? 俺のことをからかうのは早いうちに終わらせといた方がいいと思いますけど」


 むしろ向こうを心配してしまう始末だが、深夢は神原に似ているのでもちろん可愛い。だから当然彼氏とかがいると思ったのだ。この心配は自然の摂理だろう。……と言いつつ俺がこの人といることで抱いた罪悪感をなんとか減らそうとしているのは内緒である。なんだかんだで俺の考えというのは歪んでいて醜いのだ。もうなんとでもいえ。

 ……と、ここまで言ったらさすがに引き下がってくれるだろうという予想は残念ながら外れた。

 不意に手を伸ばしてきたかと思うと、俺の両頬をつまんで引っ張ってきたのだ。


「痛あ!?」


「むむむ。気に食わないなあ」


 不機嫌そうな声を出して強引に俺の顔の向きを変えらされることで強制的に深夢の方を見ざるを得なくなる。

 ムッと頬を膨らませていやに様になっている顔を見て一瞬で長い黒髪に視線を移した。

 ……強引だなあ神原家。タイプが俺にとって効果バツグンな気がする。


「私に彼氏なんていないよ。だって、学校じゃ私は凛々しい文学少女なんだからね。恋愛とかそういうのはなくてただ距離をとって見守られるだけなのよ」


「へえ、意外ですね」


 という相槌を打ちつつ深夢の魔の手から逃げて深夢とは味の違うパスタを頬張る。視線は肩らへんの黒髪に固定したままだ。


「だからさ、今まで男子と二人きりみたいなシチュは今までなかったんだよねえ」


「大丈夫ですよ。俺だって最近まで女子と二人きりどころか、男友達だって限りなく少なかったんですから」


 あ、しまった。つい自虐が。


「ふふ、おかしなこと言うね。おおかた私を元気づけるためなんだろうけど、そういう状況で夢望と付き合えるわけが……」


「言っとくけど、本当ですから。なんなら見ます?」


 知ったふうな口をきかれるのが少し苛立って俺は限りなく少ない、両手で数えられるほどの連絡先を見せてやった。


「あ……なんかごめん」


 そしてその後の深夢の見てはいけないものを見てしまったような反応に自分でやったことを即座に後悔した。なんで自分から弱点をさらけ出してんだよ。


「……とすると、夢望は……へえそうか」


 深夢はなんか腑に落ちたような意味深な反応してるし俺はまた絡めとったパスタを口に突っ込むしかなかった。……巻きすぎた。口の中ヤケドした。

 ヒリヒリする舌をお冷で無理やり冷やしていると唐突に提案してきた。


「よし。じゃあ血の繋がっている私が直々に夢望とデートする時のイロハを教えてあげよう。喜びそうなこととかね。……ところで」


「ところで?」


「さっきから何私の胸を見ているのかな?」


 大爆弾投下してきやがった。これは返答次第で俺の今後の人生が変わってくるやつだぞ。お胸の件は昨日のズッシリマシュマロで十分だっての。……なんか歴戦をくぐり抜けてきた猛者みたいだな、俺。

 とにかく、そういうんじゃないから、マジで。


「え、これは、違っ」


 かといって今回は瞬時に都合の良い言い訳が思いつかず、しどろもどろしていると、


「あはは。冗談だよ。君のことは夢望からしっかり聞いているからね。でも、こういう勘違いを招くから目をやる場所も考えた方がいいかもね」


 こ、こいつ……。


「さ、食べ終わったら行こうか」


 そういって満足げにはむ、とパスタを口にする様子が憎々しくも視界の端に垣間見えた。


 *


「やっぱり、夢望が喜びそうなものといったらプレゼントかなあ」


「そうなんですかね?」


 男子でかつひねくれてしまっている俺には理解しかねる話だった。……残念ながら俺は物を買ったり貰ったりする時に第一にかさばるということを考えてしまう人間だ。物に価値が見いだせないというのもあるし、食べ物の方がよっぽど生産的だと思っているからでもある。……憐れむなら憐れむがいい。別に俺はこの感性を一度だって疑ったことはないからな。


「そうよ。まあ君がそう思うのも無理ないわ。男子が女子の好みを知ることができたら苦労することもないだろうし」


 先ほどからアクセサリーショップやら雑貨屋やら巡っているが、俺は深夢がいいと言ったものの規則性が未だに見いだせないでいた。


「直感よ。それが一番わかりやすくて信用できるから。ほら、例えばこれとか」


 と、深夢が小さい動物の置物を手にする。……うーん、良さが見いだせん……。小さければなんでも可愛いの法則とかなのか……。

 それを口にしてみると思わぬことに深夢が少し頷いた。


「まあ、だいたいそうなのよね。だからってなんでもかんでも小さければいいってことでもないから要注意だよ」


 それでもいい。とにかくひとつの基準がわかった。

 よし、女子は小さければ可愛いと思う、と……。これは『小さければなんでも可愛い』理論と名付けよう。

 俺が頭にそれをメモすると、深夢はそのおしゃれな腕時計に目を落としてわっ、と短く声を出した。


「もうこんな時間。私帰らなきゃ。あ、でも最後に言っとくわね。あなたが図書室で読んでたライトノベル。ああいう系は参考になるわよ」


「え、本当に?」


「まあね。でも全部は真に受けないようにね。ご都合主義のやつは絶対に駄目だからね」


 そう釘を刺して、じゃ、と片手を振りながら深夢は去っていった。

 俺もそれに応じて手を振って見送った。


 *


 家に帰って考えてみると、なるほどたしかにライトノベルを参考にしてもよさそうだと思えてきた。

 だって、突然の告白から神原の態度まで一貫してライトノベル展開だったからだ。

 若干違うのは主人公と俺の考えの齟齬と展開が予想できないことか。まあ未来が予想できないのはリアルでは当たり前のことだが。できるやつがいたら出てこい。

 そういうわけで深夢のアドバイスを取り入れてラブコメ小説をパラパラっと見ているとティロン、と通知音が鳴った。


「ん、誰だ?」


 今連絡してくるのは俺の考える限り二人だ。叶人の『明日遊ぼうぜ』的なメッセージかもしくは神原の『今日はごめんなさい(><)』的なお詫びだろう。俺の糸くず同様な人脈パイプではそれしか想像できない。

 今日が終わってからカレンダーを見て気づいたのだが、実はゴールデンウィークに入っていたことがわかった。この一大イベントのことに気づけなかったのは普段俺が気力なく日々を浪費していることと、友達がいなくてそういう話題すら出てこなかったということに起因するだろう。……考えてたら涙出てきた。もうこうなったらとことんゴールデンウィークも浪費してやろうかな。

 そんなことを考えながらも通知が来たスマホを起動させてみると。

 叶人と神原、そのどちらでもなかった。


『いきなりごめんね』


 まさかの篠崎だった。当然ながら、俺はこいつと連絡先交換なんてしていない。聞くと、連絡先は叶人に聞いたという。


『本当に唐突で悪いとは思うんだけど明日会わない?』


 少し考えて、俺はこう返した。


『どこで?』


 篠崎には個別で聞きたいことがあったしちょうどいいだろう。


『えっと、そっちの家ってできないかな?』


『なんで』


『できるだけリスクを減らしたいの。ばったり誰かに会っちゃったらあれだし』


 むしろ俺の家から出るところを誰かに見られた方があれだと思うのだが……。

 うーん、と数秒明日の俺の家族の推移を考えてから結論を出した。


『いいよ。時間はどれくらいいる?』


『午前か午後、どっちかだけで大丈夫』


『じゃあ、待ってるから好きな方に来てくれ。明日は一日妹以外は確実に全員家出るから』


『了解。じゃあまた明日』


 と、メッセージでの会話は終わった。

 明日も予定が入ったので早く身を休めるとしよう。俺は部屋のベッドにめり込むように飛び込んだ。

 ……ひとつ心配なのは。


 今日といい明日といい女と二人きりになっていると知ったら神原がどうなってしまうのか、だ。

 あの天使が豹変して堕天使になってくれるなよ、と祈りつつ俺は明日の俺に全てを預けることにした。

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