崩壊の狂想曲④

 カガワはその本名フルネームの意味を知らない。

 ただ、魔術師である以上、理解することはできた。名を聞くだけで、黒い風が全身を吹き抜け魂を持ち去っていくような悪寒を受けて、首から下がまだ健在であることを確かめた。


“スヴェリア・████████”


 隠されていたはずの名を口にした。それが真正のものであることは、耳にしただけで理解させられてしまった。その名の持つ力は、もはやこの世の法則ルールとして刻まれている。

 厄災キールニールの娘。

 優れた魔術師の子が、優れた魔術師であるとはかぎらない。

 そんなシンプルな遺伝法則が成り立つなら、地上は瞬く間に魔術の淘汰圧によって埋め尽くされているだろう。

 それはあのキールニールでも例外ではない――はずだ。

 それが道理だ。だが、そんな道理が、よりによって彼に適用されるのか。

 直感は否だと告げている。あのキールニールの娘が、尋常であるはずがない。


 だが。しかし。かといって。

 のものなのか。


 一方で、魔術師ならざる機兵の群れは、その名の意味を理解しない。

 ゆえに、臆することがない。「臆する」という機能がない。

 包囲網を形成する機兵の数は七百六十体に及んだ。そのすべてが中心に立つ一人の女に向けて、銃口を構えている。

 そして、警告も躊躇もなく殺意が射出される。

 超音速に加速された弾体は、真っ直ぐに彼女のもとへ突き刺さる。

 皮膚を破り、肉を抉り、骨を砕き、あるいは内臓を穿ち、脳を貫き、ミリ秒の誤差で命中した七百六十発の銃弾は、彼女の肉体を文字通りに完膚なきまで破壊した。

 肩に。頭部に。大腿に。腕に。胸に。首に。腹に。一撃で原住民を絶命させうる運動エネルギーが、七百六十発同時に撃ち込まれた。鮮血を一帯に撒き散らし、肉を、脂肪を、脳漿を、粉々に砕けた骨を撒き散らした。

 一瞬でそれは人の形を失い、グズグズになった襤褸雑巾のように朽ち果て、倒れるというよりは、散った。血だまりが放射状に広がり、肉と骨が転がり落ちた。


「……は?」


 カガワは思わず声を漏らした。

 死んだ。呆気なく。見る影もなく。

 当然の帰結、当たり前の光景のようでいて、違和感がこべりついている。

 だが、あれは死だ。まぎれもない死だ。疑いようもない死である。キールニールの娘だろうと、殺されれば死ぬのだ。

 冷静な思考を取り戻せば、それは機兵の矛先が次はカガワらへ向かうことを意味する。だが、もはや次の手などない。あの数から逃げられるはずはない。つまり死は間近であり、絶望が眼前に横たわっている。

 にもかかわらず、カガワは安堵していた。

 厄災の娘がこうして始末されたことに。

 あれは世に放ってはならない存在だ。機兵群を蹴散らし魔術師に勝利をもたらす希望だったとしても、あれはあってはならない存在だ。

 それは深く刻まれた魔術師としての本能だったのかもしれない。

 だから、あの娘がこうして滅びたことに、カガワは息をついて安堵した。

 しかし。


「な、え……?」


 悪寒が消えない。不安が拭い去れない。

 誰がどう見ても死など一目瞭然であるはずなのに、カガワはまだ目を逸らすことができない。

 その理由は、未だ濃く残存する魔力のためであり、機兵が警戒態勢を解く気配を見せないことにもあった。


「うそ、だろ……」


 まだ動いている。蠢いている。人の形などもう欠片も残っていないのに、飛び散った血が、肉が、骨が、意思を持って動いている。

 そして、白い影が湧き立つ。

 煙のようでもあり、靄のようでもある。は初めて見たので、正確に表現する語彙などカガワにはなかった。

 わかるのは、それが白いこと。みるみると成長し、伸びていること。非実体的なようでいて、ギザギザとした輪郭はハッキリしていること。複数、血肉の散った場所から生えているということ。そして、脅威であること。

 それは、殺意を振りまいた。受けた敵意のすべてを返すように、膨大な害意を。

 理解できるのは結果だけだ。

 彼女を取り囲んでいた機兵は、そのすべてが破壊された。

 頭部を砕かれ、胸部を裂かれ、四肢を壊され、積層結晶化プラスチックの皮膚を剥がされ、人工筋肉が千切られ、チタン合金の骨格を折られ、姿勢制御能力も感覚機器も演算装置もリアクターも破壊され、欠片となって宙を舞った。

 彼女を中心に半径40mの円で包囲していた七百六十体の機兵すべてが、次々に残骸と化していった。命なき人形が完全に活動不能になるだけの破壊を、そのすべてに。

 そのさらに外側で、瓦礫の影に隠れていたカガワさえも、自身が同様に弾け飛ぶ幻視に襲われ、そのまま心停止しかねないほどに息を忘れていた。


「カガワ! ……カガワ!」


 ディミニの声で目覚める。まだ、生きていることを理解する。

 荒く乱れた呼吸と鼓動を、ただ待つことで落ち着かせる。ディミニと顔を見合わせて、同じように死にかけたのだと理解する。


「すまない。意識が遠のいちまってた」


 ――彼女は、アタシらに殺意を向けたってわけでもないのに……!

 ただその余波で、遠くで見ていただけの人間をも巻き添いで死に至らしめかねない。

 彼女は、それほどの――。


「おいおいおいおい……」


 血肉が独りでに群がっている。集中砲火を浴びて散り散りに死に絶えたはずの彼女が、元の形へと戻ろうとしている。白い影として、あの美しい姿を取り戻そうとしている。血と肉と臓腑をぶち撒けて醜い死と成り果てたはずの彼女が、あるべき姿へと立ち戻ろうとしている。

 輝くように白い肌。床に垂れるほどの長く美しい白い髪。血の紅をそのままに映し出す瞳。厄災の擬人化がなぜこれほど美しいのか。すべての人間には希死願望が存在し、彼女がそれを刺激するからなのか。あらぬ妄想に思考を奪われ、眩暈を覚える。


「おはようございます。なにごと、なのです?」


 常人なら、それこそ七百六十回は死亡している殺意を叩きつけられながら、彼女は立っていた。そのすべてを叩き返したあとで、しかし彼女は困惑していた。

 永い眠りから覚めて、世界が様変わりして滅んでいるなど、彼女とて知る由はない。

 だから、彼女を滅ぼそうとする意思が、この程度で諦めることなどないことも知らないのだ。

 次に彼女を襲ったのは、砲撃である。

 一発で三桁の原住民を死傷させうる榴弾の雨である。

 カガワの位置からは見えなかったが、地上の外縁から一斉に孔へと向けて砲撃が放たれ続けていた。絶え間なく、やはり三桁を超える砲撃が降り注いだ。

 爆轟が直撃すれば四肢は千切れ飛ぶ。破片が貫通しても人は死ぬ。急激な気圧の変化でも心停止する。衝撃波でも内蔵は破裂するだろう。逃れようのない死因が孔を埋め尽くす。生存の可能性は一滴たりとも許さない。

 砲撃はいつまでも鳴り止まない。その場に持ちうるすべての火力を惜しみなく投入する。十分な距離で遠くから見ていただけのカガワらも、耳を塞いで巻き添えを恐れた。さらに後ろへ退がることを考えた。

 だが、その必要はなかった。

 砲撃が次第に弱まっていく。雨の密度が下がっていった。

 ついには熱と煙と耳鳴りだけを残して、砲撃の雨は過ぎ去っていた。


「なにが……」


 煙が晴れるまで、ただ眺めて待つことしかできない。

 あれでまだ生きているなど、常識に基づくなら考えに及ぶことすら発想にない。

 だが、カガワは。

 まだ平然と立っているであろう人影が現れることを期待していた。


「いない……?」


 それは期待を裏切る光景だった。

 煙が晴れた爆心地を、いくら目を凝らして眺めても、彼女の姿はそこにはない。あのまま死んだとすれば、飛散した血肉ですらが燃え尽き、あるいは蒸発してしまってだろう。それこそ、跡形も残らない。

 その通りの結果になったというのか。

 ――ありえない。

 カガワは確信していた。

 常識に反する直感を確信していた。

 たとえ微塵となって消し炭になって影も失せるほどに蒸発してしまったとしても、彼女は再び立つことができる。カガワは、そう確信していた。

 そして、その確信は正しい。

 砲撃の雨が止んだのは、砲撃部隊が壊滅したからである。彼女に壊滅させられたからである。

 ただ、カガワの認識には誤りがあった。

 彼女――スヴェリア・トレスヴィはもうこの場にはいない。

 もはやこの場所には用も未練もなかったからだ。

 そんなことも露知らず、カガワは爆心地を注視し続ける。すでに、見るべきものは終わっているのに。自身の置かれている状況も忘れて。


「――!」


 スヴェリアは去った。ならば。

 機兵群の殺意は、一点にではなく一帯に拡散する。未だ残る生存者を捜索し、これを抹殺する。

 背後より、瓦礫の隙間を縫って、それは撃ち込まれた。


「カガワ!」


 寸前で、ディミニがカガワを押し出す。

 後頭部に撃ちこまれるはずだった銃弾は、側頭部に一筋の火傷を残して、前方の空間へと吸い込まれる。


「……っ! すまないね、ディミニ」


 不覚。しかし、よい気付けだ。

 二人は目で会話し、背後を振り返って遮蔽物に身を隠す。


「コムはそこにいろ」


 瓦礫の左右より飛び出すように姿を現し、迎え撃つ。

 まずは魔獣“白兎”だ。筋骨隆々の屈強な肉体と可愛らしい兎の頭部を持つ人型の魔獣。二体の機兵に対し、白兎も二体。高い耐久性ゆえ、機兵の銃弾も数発は平気で耐える。


「敵は二体! 出るよ!」


 いつもの連携技コンボだ。ディミニが生成した浸蝕毒を、カガワの召喚した魔獣によって射出する。命中さえすれば倒せぬ敵はいない。しかし。


「躱したか!」


 機兵も学習している。それが危険なものであることを。

 カガワも予想はしていた。回避は当然の対応だからだ。

 姿勢を立て直し、機兵の銃口は再びカガワへと向かう。それを白兎の殴打が妨害する。

 腹部への重い一撃。人間なら悶絶必至の打撃。機兵に対しては、わずかな軋みをもたらす程度だ。

 だが、隙は生じる。取り押さえるだけの隙を。

 白兎は抱くように機兵を抑える。直後に至近距離で連射された銃弾は、形成維持不能になるほどの損壊を魔獣に与える。

 それが、黒いすすとなって質量を失う前に、浸蝕毒のさらなる射出が、機兵の元へと届けられていた。


「ふう。ギリギリだな」


 溶け崩れる機兵を前に、息つく暇は一瞬。

 機兵の脅威は、数にこそある。

 スヴェリアが去り、迷宮内生存者の掃討もほぼ完了した今となっては、一帯は耳鳴りするほどの静寂に包まれていた。ゆえに、たかが足音が異様なほどよく響く。

 新たに姿を見せたのは、彼女らにとって見慣れぬ機兵。

 鮮烈なる赤を身に纏う、戦闘特化の機兵。

 攻撃型である。

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