狂国と共に⑤

 巨大な鳥の影が飛んでいく。

 そのけたたましい叫喚から遠く見える姿だけで身震いするほどの脅威だと理解できる。


「なんですか、あれ」

「鳥の魔物だね。んー、たぶん“臓食み鷲”かな。この国にはああいうのがたまに来るんだ」


 鳥は王城、城下街の方へと向かい、なにか大変なことになってるらしいことがぼんやりわかった。鳥の叫びに人の叫び、そして破壊の音。


「大丈夫なんですか……?」

「ここは大丈夫だよ。王城の方は……まあ、評議軍がいるから大丈夫だろう。彼らは強いからね」


 ひとまず、焦って街の方へ行かなくてよかったとナジェミィは思った。あんなの、いったい命がいくつあれば足りるのか。彼女はしばらく窓から王城の様子を眺めていた。


「ところで、魔物と魔獣の違いはわかるかい。ナジェミィ」

「はあ」


 唐突に話題を切り替えたフォレスに対し、ナジェミィは気のない返事をした。聞くだけ聞いてもいいかな、くらいの話題だった。


「両者は根本からまったく異なるものだ。魔物は動物。生き物だ。狂暴な種が多く、知能の高い場合は魔術を使うものもいる。一方、魔獣はそもそも生き物じゃない。魔術によって生み出される、生き物のふりをする形だ。ああ、“獣”とはいうけどこれは黎明期の名残りで、実際には植物やら虫やらその姿は様々だ。まぎらわしいよね」


 と、話をしながらフォレスは紅茶を淹れる。“夢の果樹”は茶葉を実らせることもあるという。


「とまあ、両者はその由来からしてまったく違うわけだけど、実際に両者を目にして区別するのは難しい。なぜなら、魔獣とは多くの場合魔物を模して生み出されるものだからね。そんな両者を確実に区別する方法というのが一つあるんだが、なんだかわかるかい」


 ナジェミィは淹れられた紅茶を味わいながら、目線を右上に泳がせる。


「うーん。ヒントお願いします」

「両者の明確な違いは、さっきもいったとおり生きているか生きていないかだ」

「ご飯を食べるかどうか、とかですか……?」

「はは。魔獣も“食べるふり”くらいはできるからねえ」

「えっと、それじゃあ……逆に食べられるかどうか……あ、倒してみる、とか?」

「正解。魔物は殺せば死ぬが、魔獣は黒いすすのように崩れ落ちる。つまり、魔獣の肉は食べられないというわけでもあるわけだね」

「なるほど」

「私は以前、つまり外の世界では大学で“魔獣学”の教鞭をとっていたんだ。だからこんなことくらいしか話せることもないわけだけど……あ、一応実技もできるよ」


 と、フォレスは紅茶の入ったティーカップを机に置き、両手で囲うようにした。そのまましばらくすると、紅茶からポコポコと泡が上がり、中からアホロートルのような小さな水棲生物が顔を出した。


「とまあ、こんなところさ」

「かわいいですね」

「はは。ただ、こいつは無害なだけでなにもできない。大した術式も組み込んでいないから形の維持も長くは保たない」


 と、水棲魔獣の形はみるみる崩れていき、空気や紅茶に溶けるように黒いすすとなって消えていった。フォレスはその紅茶を再び口に運ぶ。


「妙な生き物の入っていた紅茶などふつうは飲むのを躊躇うが、魔獣はそれこそ跡形もなく消える。だから衛生面でも問題はないというわけさ」

「は、はあ」

「さて。どうやら珍しいお客さんのようだ。少し対応してくるよ」


 そういい、フォレスは立ち上がり小屋の外へと出た。たしかに、なにやら外が騒がしい。



「けっ。“空魚”か。こいつで小屋を隠してやがったのか」


 口の悪い女性がいた。彼女はその剣で空魚を斬り裂いて、小屋から出てくるフォレスを迎えた。空を泳ぐ魚は黒いすすとなって消えていく。

 続けて小屋の入り口を取り囲むように兵たちが剣を構える。小屋の発見を受け、遠くで捜索をしていた分隊も次々と集まってくる。その総員は三十四人。メイリが指揮官として、そしてタスがメイリにのみ命令権を持つ司令官として中央に立っていた。

 全員が剣を手にとり、ただ一人の男を追い詰める。


「そこまでだ。魔胎者フォレス!」


 そんな敵意に取り囲まれながら、小屋から出たフォレスはただ真顔で立っていた。

 え、なにこれと動じていたのは小屋の中から窓越しに外を覗くナジェミィである。


「そこ」フォレスが軽く指を差す。「突っ立ってると、危ないよ」


 地鳴り。その意味を一同察することはできた、が。

 地の底より突如襲い来る暴威を避けることはできない。


「うわぁぁ!」


 魔獣“土竜蛇”。見た目は目のない蛇、あるいは蚯蚓のようでもある。人を平気で丸呑みにできるであろうサイズだ。しかし、それは食べない。ただ殺すだけだ。兵の足元より噴出するかのように姿を現し、腹を適当に噛み千切るとまた土の中へと姿を消した。


「動け! 足を止めるな! やつに的を絞らせるな!」


 メイリは怒号を上げる。だが、もっとわかりやすい対処がある。

 それは、本体を叩くこと。

 メイリは狙いを定め、勢いよくフォレスの元へと突っかける。が。

 土竜蛇が目の前に姿を現し、道を塞ぐ。メイリは退き、寸前で奇襲を躱すことができた。

 今度は、すぐには引っ込まなかった。むしろ半身を土から出し、天を突くように高く立ち、威嚇している。涎を垂らしながら口を開く。無数の鋭い牙が獲物を求めていた。

 土竜蛇そのものに目はない。しかし、フォレスが指示を出しているならそれも関係はない。次は、上から襲ってくるつもりだ。


「くっ……!」


 土竜蛇は少なくとも二体。もう一体は一人ずつ兵を襲いパニック状態に陥れている。後ろからその一体に襲われる可能性もあった。しかし、動けば、目の前の蛇が動く。


「足を止めるな、といったのはあなたではないですか?」


 その巨大蚯蚓のような影は、横一文字に斬り裂かれた。それはタスの剣である。


「終わりです。フォレス」


 続けざまに、その剣は初老の男性を肩から大きく斬り裂いた。

 勝負は一瞬。鮮やかな手並みである。

 そして、それは明らかに軍の勝利に思われた。


「え?」


 その場にいた、その場を見ていた、すべてのから漏れた驚きの声である。

 メイリも、タスも、そしてナジェミィも。

 そこからフォレスを除く必要はない。なぜなら、彼は人間ではなかったからである。


「うん。この様子だと成功だとみてよさそうだ」


 フォレスは肩から斬り裂かれ右半身をぷらぷらとさせながら、特に痛みもなさそうにそういった。

 血も流れてはいない。代わりに、黒いすすが傷口より宙を舞っていた。


「せっかくなんで実験テストをしていたんだ。私が人間に見えるかどうか。全員驚いてくれてるようだし、これはうまくいったようだ」

「まさか、魔獣……!?」

「はは。その通り。人型魔獣だよ。それも、フォレスという実在の人物を模している」

「馬鹿な……」


 まったくありえない話ではない。むろん途方もない手間はかかるが、人型でコミュニケーション可能な知性を持つ魔獣も理論的には生成可能だ。だが、しかし、それでは。


「本物のフォレスはどこに?」

「えーっと、だいぶ前に死んだね。彼も老いには勝てなかったようだ。そんな彼の最期の研究成果が私だった。ほら、見てごらん」


 彼は残る半身――左手を前に出して、手のひらを開いて見せる。

 そしてその内より、一匹の小さなリスが姿を現した。


「魔獣を……?」

「すごいだろ? 私はね、魔獣を生み出すことのできる魔獣なんだ」


 その言葉を最期に、タスは彼にとどめを刺した。

 直後、もう一体の土竜蛇もすすとなって消えた。一般に、魔獣は術者が死亡すると消滅する。すなわちそれは、土竜蛇の術者もフォレスの姿をした魔獣であることを示唆していた。


「……最悪の可能性が出てきました」


 タスは爪を噛む。


「彼はたまたまフォレスの姿をしていたにすぎません。フォレスは他にも人型魔獣を生み出していた可能性があります。そして人型魔獣は、フォレス自身のように魔獣を生み出すことができる。そうして生み出された魔獣もまた魔獣を生み出すことができるとしたら……」

「フォレス本人が死んだとも限らねえしな」

「いえ」と、タスは庭に生えていた“夢の果樹”に目を配り。「彼が死んだ、というのはおそらく真実でしょう」

「そうか? って、おい! なんでここに“夢の果樹”が生えてんだよ!」

「以前、フォレスには種子を奪われています。正確には彼の魔獣に、ですが」

「種だけあっても生育させることはできないんじゃなかったのか?」

「彼はその“特殊な条件”を満たしたということです」


 ***


 同刻。

 中央広場に面する尖塔高くに登る三人の女性の姿があった。

 正気を失っていたかの様子に人々は心配そうに声をかけた。が、その特徴的な紫色の装束が〈眩惑邪主〉の信者のものだと気づくと、人々はすぐに距離をとった。ぶつぶつとなにかを呟きながら彼女らは塔の上階まで上がり、そして、窓から身を投げた。


「狂国と共に」


 勢いよく飛び出した彼女らは中央広場にその身を落とすことになる。

 首の骨が折れ、あるいは手足が砕け、背骨が曲がり、いずれにせよ即死である。血と肉と脳漿が飛び出し、石畳を汚した。

 この国において自殺はさほど珍しくはない。どこにも出口のない閉ざされた国で、希望を見出せずに死を選ぶものは多い。飛び降り自殺はそのうちでも最もポピュラーな方法だ。

 だからその様子を見た人々も、深いため息をつきながら「死体の片づけが面倒そうだな」くらいの感想しか抱かない。

 目を見張るべきはそのあとだった。

 三人の女性の死体から、芽が出たのだ。

 小さな双葉はその死体に根を張るように、ぐんぐんと目に見える速度で生育していく。

 一本の茎が飛び出し、葉をつけながら無数に枝分かれし生長点を増やしていく。

 やがてそれは、一本の太い幹を持つ樹となって、人々に頭を垂れるよう実る果物を差し出した。その様を、人に奉ずることを悦びとする健気な奴隷のようだと誰かが言った。しかし、今やその比喩も過去のものだ。

 差し出される果実はリンゴや柑橘など果物の範疇に留まるのみならず、肉や卵、茸や野菜、パンやチーズ、お菓子――。

 それは“夢の果樹”である。

 自殺など見慣れていようとも、そればかりは動揺を隠せない。

 人々はそのときはじめて果樹の栽培方法を知ったのだ。

 すなわち、それは。


 人の命を苗床とする。

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