ラ次郎という男③
「だからいったんじゃがな。俺についてくるのはしんどいと」
ラ次郎は同じ場所に留まり続けることができない。ゆえに、落ち着いて眠ることもままならない。
だから彼は
ただの少女であるレシィがそれについていくのは困難だった。だからこそ今は、グラスに背負われながら眠っている。一方、グラスは眠る必要がない。その意味で、グラスはラ次郎とは相性がよかった。
「ずいぶんと安心して眠っておるな。お前のことをよほど信頼しているらしい」
「“どうやって手懐けた”、と聞きたいようだな」
「……少しは言葉を選ばせてはくれんか。だが、要はそういうことじゃ。レシィがお前を信頼しているからといって、俺はお前を必ずしも信用できない」
「ずいぶんと疑り深いな」
「疑り深くもなる。ふと気づくと世界が一変して、どこもかしこも街は燃えて、得体のしれぬ機兵とやらがそこらじゅうを闊歩しておる。それをただ闇雲に斬りながらなんとか生き延びておる。そんな生活を続けておればな」
「私の目的はすべてを知ること。私は人間について多くを知らない。ゆえに、人間を滅ぼそうとする機兵を敵視している。つまりは君にとって私は味方であり、我々は有益な協力関係を築けるはずだ」
「そこじゃ。まずそこが疑わしい」ラ次郎は目を細める。「“すべてを知ること”か。ひとまずそこは信じるとしよう。なにもかも疑っていては話が進まんからな。だが、なぜ人間にこだわる? お前にとっては機兵もまた同様に興味深いはずだ。彼らと手を結んで知識を貪ることも悪くない選択肢に思えるがの?」
「なかなかに鋭い指摘だ」
と、グラスは頷く。
「まず、なぜ人間にこだわるのかという問いだが……これについては私も正確な答えは用意できない。なぜなら私は私自身を見ることができないからだ。強いて言えば、私は眼鏡であり、眼鏡は人間が着用するものだ。であれば、人間に興味を抱くのは自然な成り行きに思われる」
「人間以外の姿をしてそれをいわれても説得力はないがの」
「そして、機兵とあえて敵対せずに協力すればよいのではないかという指摘だが、むろんそれも考えている」
「……なんじゃと」
「ただ、それはあくまで最後の手段だ。機兵についての情報はまだ不足している。彼らが原住民を殲滅しようと目論むなら、私もまたその対象である可能性は高い。私はすべてを知ることを志向する存在だが、その手段として生存は確保しなければならない」
「そこまでいわれると、疑う理由の方が薄くなってくるな。口頭ではあるが、基地の場所やら機兵の性質やら、これまで出会った生存者など多くの有益な情報も聞けた。だが、信じるにはまだ足りん」
「……なんだ、そんなことが聞きたかったのか」
「お前はその少女――レシィにとってなんだ?」
「協力者にして共存者。彼女の持つ固有魔術が極めて有用であるために、私は彼女と行動を共にしている」
「それだけか?」
「君の期待する答えを私は察することができる。だが、私には“感情”と呼べるものがあまりない。というのは、“感情”という言葉の定義によるからだ。好奇心はある。すなわちすべてを知りたいという望みだ。が、それだけだ。いわゆる“慈愛”といった感情は私には存在していない」
「つまり、場合によっては彼女も平気で見捨てることがあるということか」
「そうだ」
「であれば、やはり俺はお前を信じることはできん」
「問題ない。条件が明確であれば協力関係は維持できる」
一連のやりとりによって、ラ次郎はグラスの人格というものをおおよそ把握した。
正しくさえあれば通じるのだというある種の傲慢。しかし、それも相手を“見て”判断しているのだろう。ラ次郎が道理の通る人物だと“知って”いるからこそ、それで通しているのだ。
ただ、それを気に入らないという気持ちはある。
「私からもよいか? 君に聞きたいことがある」
「聞きたいこと? お前は見ればわかるんじゃないのか?」
「すべてを知るには相応の時間見続けなければならない。ただし、人間とは常に更新され続ける存在であるため知識の拡大が必ずしも追いつくとは限らない。その効率化のため質問によって思考を表層へ浮かび上がらせる行程が必要になる」
「そうかい。構わねえよ。なにが聞きたい?」
「先の話題でも出たが、レシィの固有魔術について、興味はないのか?」
「ん? 妙なことを聞くな。ふむ。興味か。そういわれると、なくもない気はしないでもないがの」
「彼女があえて話したがらない以上、聞くようなことでもないと?」
「それもあるの。ただ、レシィは見たところ魔術師じゃない。だからじゃ」
「魔術師。それは話者によって定義の異なる曖昧な言葉だ。君にとってその定義は?」
「魔術を扱うことを生業とするもの。それを悦びとするもの。己一人の力で戦えるもの」
「やはり曖昧な定義だ。その定義において彼女が“魔術師”に含まれるかは、それこそ微妙な判定にならざるを得ない」
「そこを議論するつもりはねえさ。言いたいのは、レシィはあくまで“守られるべき”存在ってことだ。てめえはレシィをまるで道具のように利用している。それが気に食わんのだ」
「気になるのはもう一つある。そこだ。出会ったばかりのレシィに対し、ずいぶんと感情移入するようだな」
「おかしいか? 人間に興味があるといいつつなんも知らんのだな。そんな境遇の少女を目にした日にゃ、人なら誰だって庇護欲の一つでも湧いてくるものじゃろうが」
「そういうものか。子供を守ろうという本能は理解できる。それが見ず知らずの他人であってもな」
「そういうことだ。お前のことは信用できん。だが、お前がその子に信頼されているというなら、俺もあえてお前と敵対するなんてことはしない」
「わかっている。私は君を信頼に足る人物だと確信している」
「……そうかい」
そうして、二人はただ当てもなく歩き続けていた。
やがて日が暮れ、夜が来る。
「……ん。あれ、もう、夜……?」
「目覚めたか。君は六時間ほど、すなわち昼の間ずっと眠っていた」
「すみません。起きていられるっていったのに……」
「昨日、機兵からの逃亡や魔物との遭遇で君はずいぶんと疲弊していた。健康状態維持のため睡眠は不可欠だった」
「はい。ありがとうございます。……まだ、移動してるんですね」
「ラ次郎の特性に合わせ休みなく歩き続け、19kmほど移動している」
「あ、ラ次郎さん。おはようございます」
「おはよう。にしてもすまんな。俺について来ては落ち着いて休めまい」
「いえ、私こそ……私だけ眠っていたみたいで……」
「……俺もな」と、ラ次郎は独り言のように語り始める。「いや、俺だけじゃない。先祖代々そうだったんじゃが、“究極の剣術とはなにか”とか、“究極の剣術を手に入れるにはどうすればよいか”とか、そういうことは明けても暮れても考え続けておった。だがの、“なんのための剣術か”ということにはまるで考えが及んでおらんかった」
彼の横顔は、どこか寂しげに見える。
「俺の代でようやく“究極の剣術”を手にしたとき、はじめてその考えが頭に浮かんだ。俺はなんのために刀を振るうのかと。それで、世界はこんな有様じゃ。俺は各地を放浪し、生き延びている人々のために、弱きものを守るために刀を振るおうと考えた。だが……皮肉なものじゃ。“究極の剣術”を手に入れたが、しかしその制約のせいで、俺の刀は人を守るにはあまりに不向きじゃった」
「そんな、それでも私は……ラ次郎さんに助けてもらいました!」
「あれもたまたまだったがの。通りすがりに一度助けるくらいはできる。じゃが、守り続けることはできん。であれば、結局俺のやっとることなど、無意味なんじゃないか……」
「一度じゃありません!」
「ほう?」
「ラ次郎さんが倒した残骸を目にしていたからこそ……世の中には、機兵と戦える人がいるんだって、勇気をもらえたんです。そのときから、私はラ次郎さんに助けてもらっていました」
「へへ。そうか。そうなのかい。それは、俺も考えておらんかったのう」
「だから、ラ次郎さんのやって来たことは、決して無意味なんかじゃありません」
「だと、いいんじゃがのう……」
「止まれ。機兵の気配だ」
グラスの一言が足を止めさせ、会話を中断させる。彼らに緊張が走る。
「なんだと。“鳥”でもおうたのか」
「かなり近い。いつの間にここまで接近されていた――いや、これは待ち伏せされていたのか」
その言葉からすぐに、レシィの耳にも聞こえるほどの足音が近づいてくる。囲まれているのがわかった。
姿を見せたのは二体の機兵。しかも、いずれも未知の型だ。
前方に一体。淡い緑を基調とした、厚い装甲を有する機兵である。いかにも頑強であり、妙な光を発する盾が左腕と一体化している。
背後にもう一体。小柄な機兵である。黒の肌着の上に白の薄い装甲を着込んでいるかのような容姿をしている。特徴的なのは兎の耳にも見える高感度聴覚機器である。
「――防御型に、索敵型か」
グラスは彼らを目にし、その性質を知った。
いずれも汎用型とは異なる特化型である。ゆえに、その能力はグラスの想定を上回るものであった。
「なるほど。索敵型の能力があればこそ我々の接近を遥か遠方から察知し、その進路上で待ち伏せすることができたというわけか」
「ぐ、グラスさん! 初めて見る相手ですけど、か、勝てるんですか?」
「索敵型の戦闘能力は私にすら劣る程度だ。しかし、もう一体――」
防御型と呼ばれた緑の機兵は、ゆっくりと歩を進め距離を詰めてくる。悠然と、躊躇や警戒を感じさせない歩みだった。
「ちぃ」
ラ次郎は刀に手をかける。彼にとっても初めて目にする機兵だ。グラスから“攻撃型”の話は聞いていた。まるで油断はできなかった。
ふと、防御型はその歩みを止める。そして。
「我々は“保護派”です。あなた方を保護しに来ました」
語りかけてきた。
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