皇王御前試合②
「はあ? なにそれ反則でしょ」
「別にルールには反してないだろ」
予選試合後、ニドとウィウィは約束通り酒場に飲みに来ていた。カウンター席で二人横に並んで座っている。正確には、あのあとニドが執拗に絡み続けた結果だ。
「はぁ~、わざわざ皇都まで上京してきたってのに、運悪すぎ。相手があんたじゃなきゃ本戦くらい出れてたはずなのに」
「まま、次があるって。ウィウィならチャンスあるよ」
「次って、二年後でしょ」
そういい、ウィウィはぐいっと酒を喉に押し込んだ。
「てかさ、あんた、その〈貫通幻影〉、感覚保護が無効って」
「ん?」
「いつどこで幻影見せられるかわかったもんじゃないってことでしょ」
「そだね」
「そう考えると酒まずくなってきた」
酔いによる赤面と細めた目で、ウィウィはニドを睨みつける。
「正直、そんなんとは付き合ってらんないわ」
今度は目を逸らし、ふてくされるようにテーブルに上体を放る。
「そんなに心配しなくても、いうほど万能ってわけじゃない」そういい、ウィウィの肩を軽く叩きながらニドは続ける。「わかりやすい弱点があってね。幻影だと気づきさえすれば打ち消せるのさ。“これは幻影だ”と口に出せば、より確実だ」
「へえ……」ウィウィは顔を起こし、ぼそりと呟くように「これは幻影だ」
すると彼女の右隣に座っていたニドの姿は消え失せ、代わりに左隣に座る彼の姿が現れた。
「わ」ニドはふざけたように軽く両手を掲げてみせる。
「……は? うそ、信じらんない。私が今まさに話してたのこれなんだけど。ずっと幻影に向かって話してたわけ?」
「冗談だって。軽い冗談」
「じゃあなに、たとえば突然暴漢が襲ってきてあんたがそれを華麗に倒してきゃーかっこいーなんて演出も余裕ってわけ?」
「ん、そういうのが好き?」
「なわけないでしょ。だから信用できないっつってんの」
「まま、だから教えたんじゃん。一度解除されれば一日くらいは続くから」
「ふーん。でも、あのときも……試合のときも、“幻影かも”って、頭をよぎってはいたんだけど」
「確信がないとダメなんだよ。だから口に出す必要がある」
「そっか。ふーん……」と、少し間をおいてから。「あーくやしー! なにそれ、じゃあ私にも勝機あったの? そんなんで勝てたの? ふざけてるでしょあーもー!」
「幻影なしで戦ったからって勝てるとはかぎらないだろ」
「いーや絶対勝てる。私めっちゃ強いから」
勢いに任せてまた酒を煽る。すっかり酔い潰れた彼女を背負い、ニドは店の外へ出た。かろうじて宿を聞き出せたためそこまで運ぶことにした。ただし、「部屋に入れねーからな」と何度も念押された。今も後ろからげしけし蹴られ続けている。
「ったく、試合開始前のしおらしさはマジでなんだったんだ。あれ本気で一瞬騙されたってのに」
とはいえ、ウィウィがいい女であることは事実だ。適当に優しくしておけばワンチャンあるだろうという下心は隠せない。背後より体温が伝わってくるとなおさらだ。
愚痴ばかりでいきなり酔い潰れる女など放っておけばよいだろうに、そんな己の未熟さに恥じ入りつつ、とぼとぼと重い荷物を背負って目的地へ歩いていく。
「ん?」
妙な、人影が目の前を横切る。フードで顔は隠れ、外套で身体のラインも隠れていたが、それは女だと気づいた。そのままスッと、路地裏の影に溶け込むように、その女は姿を消した。
「なんだ……?」
見失うような距離とは思えなかった。
しばらく彼は、影が消えた先の路地裏をぼーっと眺めていた。
違和感。なにがそこまで気になったのか。人間離れした造形の顔がちらりと見えたことか。それだけではない。
背に荷物を抱えているのに、立ち止まって考えを巡らずにはいられなかった。この感覚を即座に言語化できずにいるのも「教養」のなさゆえなのだろうか。
さすがに荷物の重さがきつくなり、ニドは再び歩き出す。歩きながらも考え続けるが、ついぞ答えは出なかった。
「皇都にはだいぶ慣れたようだな」
酔いで真っ赤な顔をして帰って来たニドに対し、フランギル伯は皮肉っぽくそういった。
「本戦は一週間後でしょ? なんでそんなに間が空くのかわかんないけど」
「誰も彼もがお前みたいに無傷で予選を突破するわけではないからだ」
「じゃ、俺はそれまでぐだっててもいいわけだ」
「ところで」フランギル伯は一転、真剣な面持ちになる。「あの女に会っていたのか?」
「あの女って?」
「ウィウィだ。予選の対戦相手」
「お見通しなんですねえ」
「これでも人を見る目はあると自負している。彼女の試合を見ていた他の観戦者からも話を聞いた。あの女は……狡賢く、諦めが悪い。あまり心を許すな」
「……なんで?」
「彼女は予選準優勝という結果だが、あの試合を見ていたのはなにも単なる道楽者ばかりではない。貴族に商人……“そこそこ有能な私兵”を必要とするものたちも観戦していた。あるいは、本戦で戦うことになるであろう相手を事前に確認しておきたいものたちもな」
「つまり?」
「彼女はそういったものに取り入ろうとするだろう。そしてあわよくば、本戦出場者の情報を取引材料にしたいと考えている」
「はあ。そゆこと」
「あの女に、なにかうっかり話してはいないだろうな」
「話したよ。俺の弱点」
「なに……?」フランギルは眉をしかめた。「お前に弱点などあったのか?」
「ない。だから、偽りの弱点をね」
それを聞き、フランギルは目を丸くした。
「なんつったかな。“これは幻影だ”と口にすれば簡単に解けるよ、とかデタラメいった気がする」
「ほう……」フランギルは思わず感心の声を漏らした。「あえて偽情報を与えたというのか」
「いや、まあ、うん。そこまで考えてなかった気もするけど、彼女の気を惹きたかったのと、なんかそれっぽい嘘を信じてもらったら楽しいかなって。でも、父さんの話を聞いて、もっと楽しくなりそうだなって思ったよ。練習しておいた方がいいですかねえ。笑いを堪える練習。いきなり初戦で相手が“これは幻影だ”なんて呪文唱えたら笑いを堪える自信がちょっと。いやいや、ビビった顔でも幻影で上書きしておけばいいのか」
「さすがだ。いや、さすがとしかいいようがない。お前を息子としたこと、本当に誇らしく思うよ」
「いえいえ。父さんの教えあればこそですよ。“油断するな”ってね」
にやり、と互いに笑みを交わす。
「そうだな、逆に油断させてやれ。あの女がやっていたようにな。幻影を使って弱そうに見せるくらい容易いだろ」
「弱そうに?」
「漏れ出す魔力を極端に絞るとかな。実力者ならこれはある程度の制御できるのだが、どうあっても隠しきれないラインは存在する。それ以下まで下げれば弱者にしか見えないだろう」
「魔力を……」
そこでふと、ニドはあのときの疑問とぶち当たる。違和感の正体に気づいたのだ。
「そうだ、父さん。魔力のない人間ってのはいますか」
「ん? そこまで下げたらさすがに不自然だろ。幻影だというのが勘づかれる」
「いえ、そうではなくて。いたんですよ、魔力の一切感じられない女が」
「なに?」
フランギルは訝しんだが、ニドの酔いはすでに醒めているように見えた。与太話というわけでもなさそうだ。
「……噂でなら、聞いたことはある」
「いるんですか?」
「〈無術者〉という。極めて珍しい、ごく稀に生まれながら魔力を一切持たないものがいるらしい。だが、彼らの特筆すべきは単に魔力を持たないということではない。周囲を巻き込むということだ」
「巻き込む?」
「無術者を〈認識〉したもの。あるいは、無術者に〈認識〉されたもの。すなわち、無術者となんらかの〈関係〉にあるものは、彼ら同様に魔力を失う。一切の魔術が使えなくなるのだ」
「な……」
話を聞いただけでわかる。それは、最強であるはずの〈貫通幻影〉にとっての天敵。それどころか、すべての魔術師にとっての天敵である。
「お前はそいつを見たといったな。その際、魔力が失われる感覚はあったか?」
「…………」思い起こす、が。「いえ、特には……」
「ふむ。となると酔っていただけか、誰かに幻影を噛まされたか。そのとき〈感覚保護〉は?」
「して、ませんでしたね」
「ならその可能性はあるな。意図は不明だが」
酔っていた。たしかに。だが、気のせいや勘違いだったとは思えない。
ならば幻影。ニドが「偽りの弱点」で布石を打ったように、「敵」によるなんらかの布石か。それでどんな効果が期待できる。それとも、なんの意味もない悪戯か。
わからない。ニドは寝ることにした。
***
本戦開始当日。皇都は最大級の賑わいを見せていた。
試合に出て、あわよくば栄進を夢見るものだけでなく、ただ娯楽として観戦を楽しむものたちが国中から集まる。
かつて騎士団長を務めたキズニア・リーホヴィットも御前試合で頭角を現した英雄の一人だ。同じく、まだ見ぬ新たな英雄が現れるやもしれぬ。その期待に人々の胸は高まる。
そのうちには、皇国の最高権力者である皇族たちも含まれる。
「
あたりを見回しながら、第二皇子ギアル・ブランケイスト・アイゼルは皇族特等席に腰を下ろした。
「いらっしゃらないようです。なんでも急用があるとか」
答えるのはその側近であり、近衛でもある男だ。
「あいつ。余裕だな。今回も新たにどっから知らないやつを見つけて推薦してたはずだ。前回もそれで優勝しやがった。けっ、結局てめえの近衛にすんだから大会に出す意味ねーじゃねえか」
「前回優勝者は騎士になったはずですが……」
「お試し入団みたいなもんだろ。案の定、二年で辞めて
「とはいえ、さすがに連続優勝はないでしょう。御前試合はそう甘くはありませんから」
「だといいがな。あいつもたしかに、優勝できたのは前回が初だ。だが、それでも大抵は準優勝くらいまではいってやがる。いったいどっからそんな原石を見つけ出してきてんだ」
「見つけ出してきている、というよりしっかり育成なさっているのでしょう」
「育成だあ? 固有魔術はそうもいかねえだろ」
恨み言は絶えない。隣で聞いている側近もいい加減辟易してきた。
「で、親父は?」
「皇王陛下も直にいらっしゃるはずです。ご多忙な公務が続くなか、御前試合は心休まる数少ない機会ですから楽しみにしておいでです」
「心休まる、ねえ……」ギアルは頬杖をつき、不機嫌そうに。「ガエルの出場者がボコボコにされるってんなら、俺も心休まるんだけどなあ」
***
「どうだ、調子は」
フランギル伯はニドに尋ねる。
「それ聞いてどうするんですか。バッチリですよ。どういう相手にどういうネタで攻めるか。ワクワクしますね」
試合開始が迫る今も、ニドには不安の翳りもない。
「初戦の対戦相手は推薦枠だ。予選には出ていない。事前に探りは入れてみたが、ガードが堅いな。情報は一切出てこなかった」
「構いませんよ。相手が誰であれ負ける要素はないんですから。えっと、優勝には何回勝てばいいんですっけ?」
「五回だ。本戦出場者は三十二人だからな」
「三十二人。毎回よくもまあそんなに集まるんですね。皇国は広いな」
「そう、三十二人だ。うち、十六人が予選勝ち上がり枠。あとの半分が予選を免除された推薦枠だ。そして対戦の組み合わせは、まず予選枠と推薦枠でぶつけられることが多い。なぜかわかるか?」
「……公平性のため?」
「逆だ。その方がやりやすいからだ。推薦組にとってな。予選組はすでに予選で何度か戦い、手の内を見せてしまっている。つまりだ、“どの相手がやりやすいと思われているか”、から逆算して推薦者の権力関係も見えてくるわけだ」
「はーん。なるほど……」その声の低さに、フランギル伯もニドの心中を察した。
「むかつくだろ? 魔術主義を建前としながら実態はこうだ。目にものを見せてやりたくないか?」
「ちなみに、これまでの大会で予選組が勝ち上がったことは?」
「ないこともない、といった程度だ。ほとんど初戦敗退だな」
「つまり、なるほど、そういうわけだ」ニドは、逆に笑った。「よほどの実力がなければ予選組は勝ちあがれない。勝ち上がったのなら、よほどの実力があったのだと認めざるを得ない。そういうわけですね父さん」
「そういうわけだ」
「なら、話は簡単じゃないですか」
――ついにここまで来た。フランギルからも笑みが零れる。
ニドは確実に勝利するだろう。あるいは、優勝まで登り詰めるだろうか。
今大会も第三皇子の推薦した出場者がいる。ニドの魔術に対抗しうる魔術や策は、果たしてあり得るのだろうか。蓋は開けてみなければわからない。それでも。
感謝したい気持ちでいっぱいだった。
だが、今はまだそのときではない。
「そろそろ時間だ。行ってこい!」
今はただ、その背中を押す。
***
同刻。
プライマリーが爆縮を開始。超臨界状態に突入。
空から。
遥か空の彼方から。
星の重力に従って投下されたそれは。
皇都の頭上にて、一個の火球となり、それは音を超える速度で膨れ上がり。
膨大な熱と、衝撃波が、その都の歴史と、そこに住む人々の影を瞬く間に飲み込み。
すべてに、死をもたらした。
アイゼル皇国・皇都デグランディ、消滅。
死亡者29万4210人。生存者0人。
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