第2話 そこは見知らぬ土地のようで
特に取柄もない、ごくごく普通の人生。
何か得意な事があればどんなに楽だろう。けれど俺にはそんなものはない。運動が出来る訳でもないし、学力も良いとは言えない。かと言って顔が良いかと言われると……ダメだダメだ、これ以上は泣きたくなる。
俺が14歳の時、両親は交通事故で亡くなった。それからは母方の実家の方でお世話になっていたが、高校進学を機に一人暮らしを始めた。今は、アルバイトを掛け持ちしながらなんとか生計を立てている。
『窃盗及び殺人の容疑で指名手配中だった
たまたま点けていたテレビではニュースが流れ、ニュースを読み上げるアナウンサーとともに容疑者の顔者人が画面に添付されている。
俺は身だしなみを整えながらニュースを右から左に聞き流していた。
「やばいやばい! 間に合わないかもしれない! ああっ、こんなところに!」
部屋を忙しなく歩きまわってスマートフォンと財布を探す。
ようやく見つけたそれを乱雑に掴み取って、バッグの中へ突っ込んだ。
良く晴れた日の朝。今日は休日という事もあってゆっくり出来るかと思ったが、昨日、大家さんから近くのスーパーで朝10時からタイムセールがあるとの情報を耳にし、そんな事も言ってられなくなった。
高校生の一人暮らしにとって、タイムセール、特売、割引シールは必須だ。ベテラン主婦のようにそこは最も目を光らせなきゃいけない事だ。ただでさえ稼ぎも限られている高校生が一人暮らしで食っていくためにはそういう『戦争』にも進んで参戦しなきゃいけない。
「よし、財布は持った! 洗濯物もベランダに干したし、掃除も済ませた! 早く行こう」
俺はリビングの扉の前で指差し確認を行い、急いでスーパーへ向かった。
別にそんな遠いわけじゃなく、歩いて20分程の場所にスーパーはあるが、タイムセールを耳にした主婦達を侮ってはいけない。彼らは一見人畜無害そうに見えるが、タイムセールとなれば武士と化す。情け無用の争奪戦。絶対に負けられない。
「おーい。セイジちゃん!」
スーパーを目指して走っていると後ろから声を掛けられて、俺は立ち止まって振り向く。
「あっ、音無さん!」
ママチャリを漕ぎながら大きく手を振っている音無さんは俺の少し先でママチャリを停めた。
俺が一人暮らしを始めてから何かと世話を焼いてくれる50代半ばで大らかな性格の女性。俺を自分の息子のように扱ってくれている。たまに余った料理とか日用品とか譲ってくれて、色々と頼りになる人だ。
「何だい? セイジちゃんもタイムセール狙いかい?」
「はい! 今日は運が良いですよ。普段は学校がある日にいつもタイムセールがあって、なかなか行けなかったんですけど。今日は絶対に逃すわけにはいきませんね!」
「おっ! 意気込みは良いじゃないの。頑張んなさいよ!」
音無さんは豪快に笑いながら俺の肩をバンバン叩いた。
「そう言えば、最近はどうなんだい? 何か困っている事とか悩みとかないかい?」
「……そうですね。今のところはないですよ」
「そうかい。それは良かったよ。何かあったら何でも良いなよ? 遠慮はいらないんだから」
「はい! ありがとうございます」
「それじゃ、私はもう行くから……戦利品、勝ち取れると良いわね」
音無さんはそう言うと、ママチャリを漕ぎだして離れていった。
俺は手を振りながら音無さんの背中を見えなくなるまで見送る。
「悩み……か」
音無さんから言われた事を思いだして、俺は繰り返すように口にした。
悩んでいるとか、困っているとかそういう大それた話ではないんだけれど、一つだけ不思議に思っている事はあった。
時々、眠ると夢に見覚えのない女性が出てくるんだ。艶やかなブロンドの髪は腰の位置まで長く、頭の後ろで束ねて一つに縛っていた。ほっそりとした体に豊満な胸。けれど、顔はまるで切り抜いたように真っ黒で容姿までは確認できなかった。
でも、どうしてかその女性を見ていると心が温かくなる。まるで、母親の腕の中にいるような安心感を感じるんだ。そして朝、目が覚めると、俺は必ず泣いていた。
そんな夢を見るようになったのは、両親が死んでからだったと思う。その頃は無意識に寂しさを感じている時にそれを紛らわすために自分で創り出した妄想だと感じていたから、そんな夢を見ていたと思っていたけれど、それを克服した今でもたまにそういう夢を見る時がある。
けれど、ここ最近は頻繁に見るようになって……今まで同じだった夢の内容にも変化があった。
今までじっと俺の顔を覗き込んでいた女性は、身振り手振りで必死に何かを訴えかけて、目覚める直前になってくると両手で顔を覆って肩を震わせながら泣き始める。そんな夢をほぼ毎日、見るようになったんだ。
「あれは何なんだろう。あの人は何を訴えていたんだ?」
考えれば考えるほど分からなくなっていく。
声さえ聞こえていれば聞き取る事が出来たんだろうけど……あの身振り手振りからしたら、かなり必死だったからな。
「単に考えすぎなのかな……」
そう思って、溜息を一つ漏らしたその時
「いやあぁぁぁ――――!」
「退け!! ぶっ殺すぞ!!」
女性の劈くような叫び声とともに男の怒号が聞こえ俺はその方向へ顔を向けた。
「ひっ、ひったくりよ!! 誰かそいつを止めて!」
女性は道端に座り込み必死に手を伸ばして叫んでいる。
男性は手に女性もののカバンを持ちながらこちらへ向かって来ていた。もう片方の手にはジャックナイフを握っている。男はそれを道行く人々にちらつかせながらこちらへ向かって来ていた。
え? ひったくり? 手にはナイフ? こっちに向かってくる?
頭が状況の理解をしようとしている矢先、俺の視界は一瞬フラッシュバックした。ナイフとカバンを手に持ち、迫ってくる男が一瞬だけ甲冑を身に着けた男に見えた。周りの景色もどこかの森の中にいるような景色に変わり、それはすぐに元の景色に戻る。
「あれ? 何で?」
そのフラッシュバックが起こったのと同時に、視界がどんどん歪んでいく。迫ってくる男の顔も分からないほど視界が歪み、そんな状態でもそのフラッシュバックは何度も起こった。それも段々とその回数は増えていく。
視界がチカチカして目が痛い。頭も酷く痛くて割れそうだ。
「退けっつってんだろうが!!」
男の行く手を遮っていた俺はすぐ近くまで迫っていた男に突き飛ばされる。
続く女性の悲鳴。ざわつく通行人。慌てて携帯を取り出しどこかへ連絡している男性。俺の体を揺さぶり、何かを叫ぶ女性。けれど、その声は俺の耳には届かない。まるで蓋を被せたように女性の声がどもって聞こえる。
俺は起き上がろうと腕に力を入れようとするが全く力が入らなかった。
……あれ。何で体が動かないんだ? 俺は何で歩道に倒れたままなんだ?
激しい頭痛のせいで意識ははっきりしているのに、体が言う事を聞いてくれなかった。指一本でさえ動かせない。
混乱している最中、俺の腹に何か温かいものを感じた。それは腹から胸、顔へと伝わりそして視界へ入ってくる。
血? ……誰の血? え……俺の、なのか?
けれど痛みはない、激しい頭痛に痛覚の全てを持っていかれているのか、腹を刺された痛みを感じない。
嘘だろ……俺、死ぬのか? こんな歳で、何も残せずに死んでいくのか……何で、何で何で何で何で! まだやりたい事があったはずなんだ。まだそれは分からないけれど、いずれ知る事が出来るはずなんだ。それなのに……こんなところで、こんな事で死ぬなんて……。嫌だ、死にたくない! 嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……嫌、だ。
そんな叫びも空しく、俺の意識は段々と薄れていって――
――ドォォォォォォォォォォォォン!!!
突如、雷でも落ちたような激しい轟音とともに目の前に閃光が奔り、俺の意識は完全に途絶えた。
※※※
肌寒い。腹や胸にチクチクとした何かを感じる。
意識が戻りつつある中で俺はそう感じた。さっきまでの頭痛は嘘のように治り、体も動くようになっている。でも、まだ目が開けられない。さっきの激しい閃光のせいで目が焼けるように痛い。しばらくは目を開けられないな、これ。
仕方なく俺は手探りで地面を探る。チクチクとした刺激の正体は芝生のようだ。あれ? 俺はさっきまで道路に倒れていたはずじゃ?
俺は目を閉じたまま体を起こし、その場に座り込む。
そう言えば、腹を刺された傷は……あれ? あれれ??
手で自分の腹を弄ってみるも血で濡れたような感覚はなく、傷もない。第一痛みすらなかったから、本当は刺されていなかったんじゃ? でも、だとしたらあれは誰の血なんだ? って…………はあああああ!? お、俺の服は!? なんで俺素っ裸なんだよ!?
俺は驚いて足や股間に触れるがズボンはおろかパンツすら履いていなかった。靴下や靴、財布ですら全て無くなっている。
肌寒く感じた原因はコレか!
そう考えていると周りで人の気配がして俺は顔を上げた。相変わらず目はまだ開けられない状態が続いているが、人の息遣いやカチャカチャと金属か硬い物が擦れるような音が聞こえる。誰かそこにいるのか?
「あの……誰かそこにいるんですか? どうなっているんです? ここはどこなんですか?」
俺は出来るだけ冷静でいようと落ち着いて声を掛けた。混乱して叫んでも、相手を刺激してしまうだろうし。
「貴様こそ何者だ。ここへ何をしに来た?」
声の質からして女性……だろうか? 何をしに来たと言われても……さっきまでの一件を見ていたんじゃないのか?
「えっと……自分は城木セイジって言います。買い物へ向かう途中で事件に巻き込まれ……たはずなんですけど、なんだか訳の分からない事になっちゃって。俺の服を知りませんか?」
俺はそう言ってその場から立ち上がる。周りにいたこの人なら俺の服がどこに行ったのか知っているはずだろう。
「し、知っているわけがなかろう! ええい、近付くな! その汚いものを揺らすな汚らわしい!」
「ああっ、ご、ごめんなさい!」
俺は自分でも分かるほど顔を真っ赤にして自分の下半身を手で隠す。
ごめんなさい……こんな粗末なものを見せてしまってごめんなさい。それよりもこの嫌な初体験は一生根に持ちそうだ。素っ裸をこんな状況で見られてしまうなんて……しかも女性に。通報されたら捕まるのは間違いなく俺だ。
これ以上刺激したら本当に通報されてしまうだろうし、早いとここから離れた方がよさそうだ。服をどうするかは後から考えよう。
そう思って俺は声のした方向にいる女性から離れるように後退する。すぐに駆け出すのは元も子もない。ここは刺激しないようゆっくりと離れないと。
「きゃっ! ふざけないでよ! こっち来てんじゃないわよ!」
「うわっ!?」
後ろにいる人物の存在に気付かずに俺は後退したまま人にぶつかってしまう。軽い悲鳴と叫び声からするにこの人も女性のようだ。しかも、最初に聞いた女性の声より若く感じる。
ぶつかったことで後ろの女性から突き飛ばされた俺は思わず目を開いてしまった。痛みが奔るかと思ったがどうやら考え過ぎだったらしい。
「……は? な……何なんだ、これ」
だけど、俺は目を開けてしまった事を後悔した。周りの状況がどうしても受け入れられなくて自分が今素っ裸な事も忘れて周りの光景に見入ってしまう。絶景だとか神秘的だとかそんなポジティブな物じゃない。現実はもっと後ろ向きだ。
俺の周りでは二つの軍勢が激しい争いを繰り広げていた。その殺伐とした光景はとても撮影の真っ最中だとは思えない。雲一つない程晴れていた空は見ないうちにすっかり黒い雲に覆われ、昼なのか夜なのか分からない状態だった。
篝火は火種を受ける皿の部分もろとも地面に倒れ、草花を燃やし、馬のような生き物は首を切断されてピクリとも動いていなかった。
だが、もっと最悪な事を言えばそこに転がっている死体が馬だけではない事。吐き気を催すほどの凄惨な光景が広がっている。
「何なんだ一体。ここで何が起こっているんだよ……」
こんな異常な光景、普通の人間に受容できる訳がない。おかしな話だ。色々と起こり過ぎていて全く整理が追い付かない……。
「アンタ、いつまでもそんな格好していないでさっさと服を着なさい! というか早急に消えろ、変態!」
「ご、ごめんなさい!」
俺を突き飛ばした女性が鋭い目つきで言い放つ。女性というよりは俺と同じ年齢のようにも感じる。口調だけは若々しさを感じたが、その凛々しい目つきと気高さには大人びた印象を受けた。薄い金色の長い髪に白を基調とした甲冑を身に付けている。甲冑のせいで体格までははっきりとしないが、少なくとも太ってはいなさそうだ。
「貴様、どうしたらこんな状況でそんな恰好が出来るのだ。私を愚弄しているのか!」
今度は最初に聞いた女性の声がして俺は振り返った。黒を基調にした甲冑を身に付けている女性は俺へ剣の切っ先を向け、こちらもまた俺を鋭く睨んでいる。体つきも容姿も大人の女性と言った感じで背も高い。多分、俺よりも身長はあるだろう。多分、この二人は女騎士なんだろう。そんな分析をしている場合じゃない! あの目はヤバい。絶対殺される!
「ひぃぃ! そ、そんな事はないですよ! そんな物騒な物を向けないでください!」
俺は何も考えず両手を上げて、敵意がない事を証明する。だが、下半身から手を放してしまった事で再び粗末な俺のブツが可憐な二人の前に晒される事になってしまった。二人はそれに目を向けるや否や茹蛸のように顔を真っ赤にし、目を見開いて顔を歪ませる。
あっ……まずい。
「貴様ぁぁぁ! 一度でなく二度まで! どれだけ私を侮辱すれば気が済むのだ!」
「今すぐ消えろ! 死ね! くたばれ! ぶっ殺す!」
女騎士達は剣を構えて俺を鬼の形相で睨んでいる。
まずい。本当にまずい。これじゃ敵意がなかったとしても殺されてしまう!
「どうされましたか? 団長――ッ! な、なんだこいつは!」
そんな二人の叫び声を聞きつけてきたのか、この二人の部下だろうかそれぞれ二人と似た甲冑を付けた兵士達がぞろぞろと集まってきた。多分、この女騎士を筆頭に二つの軍が戦っていたのだろう。若い女騎士の方の部下と思われる強面の男性が近付いてくる。俺の姿を見るや否や絶句した表情で俺を指差して叫んだ。
ですよねー。やっぱそう言う反応になりますよねー。
「こいつどこの陣営の騎士だよ! 素っ裸とは舐められたものだな!」
「そんなお粗末なものをお嬢様に見せつけるな! 変な影響が出たらどうしてくれる!」
周りの兵士達は俺を責め立てるように口々に罵りだした。口調はかなりきついものだったがさすがに言われても仕方ない。理不尽だとは思うけれど、この状況では正しい反応のはずだ。くそ……どうすりゃいいんだ。
「こやつどうしましょうか? 今すぐこの場で斬り捨てましょうか?」
「いいや、ひっ捕らえて魔物のエサにしたいな」
「さすがは魔族。考えることが外道だな」
「あ? お前もエサにしてやろうか?」
この兵士達、その場で斬り捨てるだの捕まえて魔物のエサにするだの凄い物騒な事を言ってるけど……え? 俺、殺されちゃうの!? 訳分からないまま殺されちゃうの!? え? 裸を二人の女騎士に見られたせいで俺、殺されちゃうの!? 俺の人生の最期ってそんな事で終わっちゃうのか!?
「あんた、一体どこから来たのよ?」
白い甲冑の女騎士は落ち着いた様子で声を掛けてくる。構えている剣も鞘に収めてくれた。
とりあえず、すぐに殺すような敵意は向けないでいてくれるようだ。
「……日本ですけど」
俺は安堵の溜息を吐きながらも質問に答えた。
「「…………は?」」
二人の女騎士を含めた、その場にいる全員がキョトンとした顔をしていた。
え……。何その反応。いやいや、まさかだよね? 知らない訳ないよね?
「おいおい。どこだよ。街の名前を言えよ!」
「え? 街? 国の名前じゃないんですか?」
「そんな国、聞いた事ないぞ!」
何で分からないんだよ!? 日本って世界的にも有名じゃん! そんな発展途上の国でもないんだろうしさ! 何でこの人達分からないんだよ!? 逆にこの人らどこの国の出身なんだ?
「魔王国とハイドランジア以外に国なんかあったか?」
「知らねえよ。あったら普通は分かるだろ」
俺の発言でさらに混乱を招いたらしく、兵士達はまた互いに囁き合っていた。
何を言っているかまでは聞き取れなかったが、やっぱりこの人達には日本という国は初耳らしい。
「ヒヒッ……ふふ、あははははははは!!」
そんな中、怪しく笑みを浮かべる黒い甲冑の女騎士はとうとう壊れたように笑いだした。
ひとしきり笑い終えると、俺を真っ直ぐに見据えて睨み、口を開く。
「不埒な外道だが、見逃してやろうかと思ったが止めだ。どこの誰かも分からない変態が、戦争真っただ中に突然現れて邪魔してくれたんだ。落とし前……どう付けてもらおうか」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます