147話 『魔王』と『リッチ』のその後回

 そういえばどうして魔王は魔王を続投しなかったのだろう。


 というか、もはや魔王じゃない魔王のことはなんと呼べばいいのか……


「いやー、さすがリッチじゃんね」


 魔王がさすがに苦笑をこらえきれずにそう述べたのは、もう魔王禅譲ぜんじょうからだいぶ経っていたからというのと……

 ランツァと魔王が相談してくらいのやりとりをしたのをそばで見ていたはずだというのが理由だ。


 しかしここで『いや、聞いてたでしょ』などと言う者は魔族首脳陣に一人もいない。

 なぜってリッチがそのへんの政治的なことにぜんぜん興味ないのは誰もが知っていたし、同じく、リッチが興味のないことをまったく覚えておけないというのも知っていたからだ。


 そういうわけで、魔王ことドッペルさんによる説明会が開催されることになった。


 この説明会は魔王城会議室……基本的に魔族は合議でなにかを決めることはないので、実は使われたのはドッペル魔王即位から数えれば初めてになるのだが……によって行われた。


 中央に巨大な円卓があった。

 その大きさたるや、周囲には人族サイズの椅子を三十も並べられるほどで、しかしこれは、たった六体の魔族だけが着席を許されていたものだ。


 いわゆる『魔族六王』とされる、今は亡き魔族の最強種……


 基本的に『力こそパワー』であった時代の魔族にとって、この円卓に着く資格を得るというのはかなりの栄誉であり、腕に覚えがある魔族たちはみなこぞって、この円卓を囲む一角になることを目指し己を鍛えあげていた。


 しかし現代……


 ドッペルさんを最上座に置いて、あと周囲にはヒラゴーストとかドラゴン族のその他大勢とか、あと巨人や、他にもなかなか内陸では見ない種族たちが集っている。


 知能が最高でも六歳児なみなのでだいぶガヤガヤしており、ゴーストとドラゴンがそのへんに座ってお絵描きしてたり、自由な雰囲気が漂っている。


「ここでやる意味あった?」


 なにせ円卓がデカいものだからリッチは魔王の真横に腰掛けていた。対面に座るとめちゃくちゃ話しにくいので、会議用テーブルとしてどうかと思う。


 まあ、かつての魔族六王は、そのサイズ感もデカかったらしい。

 巨人でないのに巨人なみの連中もいて、巨人はもう『巨人!!!!!』って感じだったようだ。

 なので天井も高く、巨人族も安心して入って来ることのできる、あいだに階段のない順路になっております。


 そのせいで雰囲気にまったくまとまりも落ち着きもなく、仮にも『話をしよう……』ということで召集されたはずの魔族たちは、たぶん自分がなんでここに来たのか、あんまり把握していない。


 リッチはゴーストが持ってきたお茶を受け取って魔王の方にズッ……と追いやって(リッチは食事できません)……


「話をする雰囲気ではないように思われるのだけれど」


「まあ、『みんないる場所で明かした』っていう事実が大事だから」


「あと君、偽装はいいの?」


「超いまさらじゃんね。ウケる」


 そう、魔王は他の魔族の前に出る時は、『ゆらめく黒い炎の化身』とでも言うべき、巨大で輪郭の定かでない、真っ黒な姿をとっていた。

 だが、今は白髪褐色肌の少女体であり、角も外している。


「偽装はまあ、もういいんじゃね。ランツァちゃんの見た目でもみんな従うってわかったし。『誰かに従う習慣』はもう魔族にはあるってことで」


「……ああ、そういえば、『大きいと強そうで、強そうでないと従わない人がいる』みたいな理由での姿だったんだっけ」


「そうそう。……んで、禅譲の理由だけど、ここにいるみんなにもわかりやすく言うと……人族に『ご褒美』が必要だったからなんだよね」


 みんなにわかりやすく……と言うわりに、ドッペルさんはリッチの方しか見ていなかった。

 リッチの周囲にヒラゴーストがいくらか集まって「なるほど……」「たしかに……」「そういうことか……」などとシリアスにうなずいているが、これはゴーストのあいだで『頭よさそうに振る舞う遊び』が流行しているからであって、たぶんなにも理解はしていない。


 リッチはそばに浮いていたゴーストに肘を乗せて、


「ご褒美というのは、君の退位の方? それともランツァの即位の方?」


「あたしの退位じゃんね。ほら、仮にも人族はここまで到達したわけでしょ? これまでの膠着を破って、一丸となって……そしたらさ、なんか『作戦成功!』みたいなのがないと、いつまでもいつまでも『魔王を倒すための戦い』が続くじゃん」


「……まあ、一度始めた作戦の失敗を認めて、作戦の中止をするの、嫌いな人は多いからね」


 成功見込みが低そうな作戦はさっさと見切りをつけて中止にすべきだ。それが結果的に被害が一番少なくなるだろう。

 しかし、その『中止』という判断ができる人材はあまりにも少ない。というかたぶん、いない。

 なぜって中止を言い出すと、言い出した人が責任をとらねばならないからだ。

 走り出したものを止めるのには、走り出しているものの目の前に立ち塞がって両腕を広げる覚悟が必要なのである。


「ランツァあたりなら、そのへんに責任が集中しない空気づくりもできた気がするんだけどな」


「いや〜……それはさすがに買い被りでしょ。法制度とかじゃあるまいし、『空気』と『因習』はね〜。一人の女の子がたった数年で変えられるもんじゃないんだわ」


「ふぅん」


 元魔王がそう言うならそうなんだろうな、の『ふぅん』だ。


 元魔王ドッペルさんは「それに」と悪い笑みを浮かべ、


「支配者からすると、計画の中止を言い出す人に責任が集中する空気感の方がやりやすいんだわ」


「……そうなの?」


「だってたいていの国家戦略は王の承認を得て始まるじゃんね。軽々に中止されたら権威が揺らぐっしょ」


「ふぅん」


「興味なさそ〜。ウケる」


「やっぱりリッチはそっち方面の話と相性が悪いな。……まあ、人族に『止めどころ』を用意するために、『魔王軍は滅びました。頭は消えました』ってことにする必要があったのは、わかったよ。でも、完全に権力をランツァに渡す必要はなかったんじゃない?」


「いや、それはもう勘違いなんだわ。魔族は対外的に王政だけど、実際は、あたしとランツァと、あとリッチの合議制だかんね」


「そうなの?」


「そうでしょ。国家戦略を決める会議の時に、リッチ必ず呼ばれてるでしょ」


「…………そうだね」


 なんで呼ぶのカナ? と思っていたリッチなのだった。


 ぶっちゃけリッチは決定っぽいものが告げられた時に『いいんじゃない?』と返すだけの白骨なのだが、どうにも『いいんじゃない?』と言うのは国家運営に必要なことらしい。


「まあ、リッチは死霊術が不利にならない限り、異を唱えることはないんだけれど……」


「だから必要なんじゃんね。死霊術は魔族国家の三本柱の一つだし」


「なんで?」


「いや、国家をあげて推奨するでしょ。しない方がおかしいわ」


「人族、おかしいな……」


「おかしいのは宗教だかんね」


「三本柱ということは、他の二本の柱は、それぞれ君たちが一本ずつ背負ってるっていうこと?」


 宗教がおかしいのはロザリーとの付き合いが深いのでいちいち論じるまでもない。なのでリッチは話題を切り替えた。


 魔王もロザリーのことをまあまあ知ってるので、宗教がおかしいというのは議論をたない。話の切り替えに応じた。


「まあそういう感じのアレじゃねーんだけど、結果的にそういう感じのアレになってるから否定できねーんだわ」


「どういう感じのアレがどういう感じのアレなんだ……」


「まずさ、リッチが死霊柱じゃん」


「強そう」


「で、あたしが総括的……総合的……歴史的……」


「……」


「『過去』担当? 『魔族というのは伝統的にこうで、人族との関係はずっとこのようにしてきました』みたいな立ち位置から提言をするわけよ」


「ああまあ、なんとなくわかるかな」


「で、ランツァが……っていうか、まあ、『魔王』が、『現在』担当」


「現在というのは……」


「『今、魔族や人族はこうだから、伝統だの歴史だの死霊術だのはどうあれ、こういう方針を提言します』みたいな立ち位置ね」


「…………まあ、なんとなくわかるかもしれないね。いつかきっと」


「ウケる。……だからまあ、魔王は十年ぐらいが任期で……リッチとあたしの立場は永続ね」


「死んだらダメってこと?」


「リッチが死ぬなら次のリッチを立てなよ。あたしは死なないけど」


「次のリッチを立てる、かあ」


 そこでリッチが渋面を浮かべた(白骨なのでリッチの渋面を理解するためには特別な訓練が必要です)。


「どしたん? 優秀な後進、いるんでしょ?」


「まあ、いるね。しかし、彼ら彼女らがリッチになる気がしないんだよね」


「……どゆこと?」


「研究室のメンバーなんかは『そのうちリッチになる』という感じでいるけれど、たぶん、ならないよ。これは『覚醒者』の研究成果とも関係する予測なのだけれど……彼らには、『当事者感』が足らない」


「『若い連中には情熱が足りない』みたいな?」


「まあそれもないではないかな。でもね、そもそも、リッチは『当事者感』なんか感じない状況が出来上がりつつあることの方を評価しているんだ」


「へぇ」


 そこで魔王が興味深そうに頬杖をついて目を細めた。


 リッチは鍛えあげたコミュ力で『これは長話をしてもいい空気』と察して、ちょっと溜めてから口を開く。


「死霊術研究はおそらく、どの時代、どの地域に総勢何名の死霊術研究者がいようとも、『たった一人で行う研究』だった。なにせ、昼神教があるからね。社会的立場がない研究者は、常にこの宗教的思想、時には宗教そのものにすべてを奪われる可能性を危惧せねばならなかった」


「あ〜」


「もう理解したようだね。……けれど、現在の死霊術は、『後進がいて、チームがある』環境が当たり前になりつつある。魔族王国の保護政策のおかげでね。この状況でリッチが抱いていたような『当事者感』を抱けというのは、無理な話だろう? なにせ、周囲に必ず『仲間』と『後輩』がいるのだから」


「リッチは今の状況、どう思ってんの?」


「『すばらしい』と思っているに決まってるじゃないか」


「リッチ化できなくなりそうなのに?」


「『なぜ、リッチ化したのか?』という視点が抜けているよ、その見方は。リッチがリッチになったのは、『研究のため』だ。衣食住が必要でなく、殺害されず、死亡しない体が必要だったからだ。『リッチになるため』ではない」


「でも、無敵じゃん」


「戦えば勝つだろう。けれど、戦わないで済む環境があれば、そちらの方がいい。そして……その『環境』は、リッチには作り得なかった。この環境作成において、君やランツァにはとても感謝している」


「……」


「若い者には反対されるかもしれないが、リッチは常に『その他大勢』でいられることこそ、最高だと考えている。『世界で唯一の』とか『あの有名な』とか、そういう立場はよろしくない。替えがきかないというのは、酷使されるということだ。君もリッチにしかできない仕事を振ってリッチの研究時間を奪った記憶はあるだろう?」


「あははははは」


 無表情で笑っている。


 リッチは息を整え(リッチは呼吸しません)、


「死霊術が『当たり前にある』今こそ……死霊術研究者が『なんとしても修めてやる。これしか自分には道がない』だなんて思わなくても、軽い気持ちで目指せる状況こそ、理想だ。『広く、学問が開かれる』というのは、今のような状況のことを言うんだよ」


 まあ、理解不足と不勉強と解釈の明確な間違いは全力で教化するけど……とぼそりとつぶやいて、


「リッチがいつか死んでも、リッチの志した学問が残る。学究の徒として、これに勝る喜びはない」


「……つまり、リッチが生まれない環境が、リッチの理想なわけね」


「そうだね。だから、『次のリッチ』というものが出る状況は回避していきたいところだ。なのでリッチの代替わりは難しい」


「じゃあ生きないとじゃん」


「別に『死霊柱』がこういう見た目である必要はないだろう? 死霊術研究者の中から選出すればいいじゃないか」


「それだと『現在寄りの視点』の持ち主が増えすぎんだよね。……あー、ま、そこは政治の領分だし、こっちが考えればいっか」


「まあ、いざとなれば降霊術もあるから」


「……そだね」


 リッチの発言の端々から漂う『いつかきっと、死を選ぶだろう』というものをドッペルさんは当然ながら感じていた。

 それでも、なにも言及しなかった。


 しめくくりとばかりにドッペルさんは立ち上がり、そこらでお絵描きしたり、そのほかなんか遊んでいた魔族たちに向けて言う。


「そういうことだから、みんな、わかった〜?」


 魔族たちは元気よく「は〜い」と返事をした。


「よし」


「いやなにも理解してないよ。絶対」


「いいんだよそれで。全員に深い理解と考察を要求しなきゃならない状況じゃないんだから」


 全員が死力を振り絞って、毎日を必死に生きて、なにかを志さなければならない状況━━


 それは、『リッチが生まれうる状況』だ。


 だからリッチは「そうだったね」と言った。


 ドッペルさんは「でしょ」と笑った。

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