119話 やっぱり宗教は理解できない回
リッチの移動方法である『霊体サーフィン』の速さは、軍馬の全速力に匹敵する。
しかも休みなし、『過去、一人も死者が出ていない土地』以外ではたいてい使える……死者が少なければ確保できる霊体が少なくなって速度は落ちるが……ものだった。
なので基本的には『無制限』『無休息』『無減速』の移動法と考えて間違いない。
それでいて軍馬の最高速度を維持できるのだから、これを追いかけるのはほぼ不可能と言っていい。
ところで背後を振り返ると、ロザリーがダッシュで追いすがって来ている。
リッチが
「いや、おかしいでしょ」
つぶやいてはみるものの、リッチは声音も表情も死者のように静かだった。
いまさらロザリーが肉体でどんな奇跡を体現しようともおどろくに
軍馬の最高速度をずっと維持し続けるリッチにだんだん迫っているロザリーの移動手段はダッシュであり、聖女がいいフォームで走って迫ってくる光景には説明できない迫力があった。
まず人の脚で軍馬の最高速度以上を出すのがおかしい。持続できるのはもっとおかしい。
しかもすでに一時間ぐらいそのペースなのはもっともおかしい。
「たしか人体には『持久力』という概念があったはず……」
他人事みたいに口出し確認するのは、リッチ体になったリッチにも持久力の概念がないからだ。
ロザリーは人の体なのでやっぱりおかしい。あとだんだん距離が詰まってきているので、息切れするどころか加速してる。おかしい。
山などすでに下りきり、とっくに樹海も抜けて、あたりは広大な草原となっていた。
時刻はすでに昼に迫るころであり、霊体の帯を使った移動法なので日中はなんだか出力が落ちるが、それでも人が走って追いつけるはずはない。
だが、いちおう、これから真昼間になればリッチの移動速度もある程度は落ちるので、追いすがるロザリーとの距離がだんだん縮まっていっているのは、こちらの出力が落ちたのも理由ではあるのだろうと思う。
傍目にはちょっと浮き上がって地を滑るように進むリッチと、その少し後ろで完全に浮いたまま『スイーッ』と進むレイレイ(死体)、それを土煙を上げながら走って追いかけるロザリーという図だ。
そろそろ人里も増え始めているため目撃者も多数出始めており、滑るように移動するガイコツの化け物と浮かぶ死体、それを走って追いかける聖女を目撃した一般村人は正気度喪失3/1d10って感じだ。
このまま差が縮まり続ければ王都までには追いつかれるだろう。
「……もう『覚醒者』がどうこうとかいう話じゃないでしょ。あいつ個人が純粋におかしいよ」
かつて勇者パーティー時代、レイラとロザリーはだいたい互角だったが、今ではロザリーが頭一つ飛び抜けて強い感じさえある。
対魔王戦争を本格的に始めた場合、北、中央、南それぞれの戦場に最低一人ずつ覚醒者かそれに準じる実力者がほしいと計画していたのだが、もう全部ロザリー一人でいいんじゃないかなという気もしてくる。
どうしようかなとリッチが悩んでいると、進行方向にある農村にあるものを発見した。
村人と談笑する、黒い肌を持つとがり耳の、性別不詳の人物……エルフだ。
リッチは「ちょっとごめんよ」と言いながら霊体の帯でエルフを
すさまじい勢いで通り過ぎた農村からは「死者の王!?」「殺される!?」という叫びが起こり、もうちょっとすぎたら「聖女様!?」「轢かれる!?」という声も上がった。
背後の声を無視しながらリッチは真横にエルフを浮かべて話しかける。
「ちょっと
「つながってます。なにごとですか我が神」
「話せば長いんだけれど、ロザリーに追われてる」
エルフは背後をちらりと見て、それからリッチに向き直った。
「今度はなにをやらかしたんですか?」
「話せば長いんだけれど、レイレイを殺してさらったんだ」
「神、犯罪です」
「そこはきちんと事情を説明すれば情状酌量の余地があるものと信じているよ。まあとにかくロザリーに追われてるんだ。どうしよう」
「ええ……丸投げ……?」
「このまま王城に帰ろうかなと思ってたんだけど、あのロザリーを連れて帰っていいものか迷うんだよ」
「そうですね。困ります。困るそうです」
たぶんランツァの発言だろう。
エルフは全員同一人物みたいなもので、記憶や思考を共有している。
その特性が伝令・諜報役として非常に便利であり、報告のために常に一人はランツァのそばに詰めているのだ。
「そもそも聖女ロザリーは、なぜあんな無表情で全力ダッシュをしてるんですか?」
「ほんとだ。無表情だ」
「無表情のロザリーはヤバいですよ。すごい怒ってますよ」
「なんでだろう……」
「レイレイを殺したからでは」
「なぜレイレイを殺してロザリーが怒るのかな」
「仲間だからでは」
「……なるほど?」
ちょっと違和感があるのだけれど、ロザリーの内面はリッチの知ったこっちゃないのでそれ以上突っ込まないこととした。
「……神、女王陛下からの提案をお伝えします」
「任せた」
「内容を聞いてから言ってください。……追いかけられるということは理由があるはずなので、話し合いをせよと」
「この状況から?」
「だめなら殺せばいいのでは? と」
「……もしかしてランツァ、怒ってる?」
「私見ですが、けっこう怒ってるように感じます。怒ってるというか、あきらめているというか、なげやりというか……」
「まあ、今回はわりとめちゃくちゃにしてしまったからなあ」
「神、毎回です」
「でもさあ。ロザリーが制限付き組手をいきなりガチの殺し合いにしようとしたんだよ。リッチ悪くなくない?」
「神には神の道理があるのかもしれませんが、女王陛下にも心があるので……こうもことごとく予定外のことを起こされたらいじける気持ちもわかります」
エルフは基本的に創造主であるリッチの私兵のはずだが、最近はランツァの方に懐いているように感じる。
別にいいのだが、こういう時に味方してもらえないと肩身が狭い感じもある。
「わかった、わかった。話し合ってみるよ……でもね、リッチとしては話し合いで終わるとは思えないんだよ。というか一言だって交わすチャンスはないと思っているぐらいなんだ」
「まあ、無表情全力ダッシュしてきてるぐらいですからね……」
「あと、今のロザリーを殺せるかどうかはわからない。いくつかの方法は考案してあるけれど、あまり見せたくはないんだ。最近は一回見せた方法は全部対応されてるからね」
「異常ですね……」
「最終的に敵対するから切り札はいくらでも用意しておきたい。というかまあ、ぶっちゃけてしまえば、リッチの命一つで収まるなら差し出してもいいかなという気持ちではいるんだけどね。過去リッチとの対話完了後なら、だけど……」
「収まらないでしょうね」
「そうなんだよ。あいつ過激派だからさあ……」
ロザリーは魔王を倒せば死霊術撲滅に乗り出すだろう。
そうするとランツァも研究室にいる生徒たちも皆殺しにされる。
魔王を生き残らせておいて……という戦術もおそらく無意味だ。
なぜってロザリーが飽きたら矛先がこっちに向くだろうから。
聖戦の定義も、聖戦の矛先の優先順位も、すべてロザリーの気分次第なのである。ひどい話もあったものだ。
「しかし話し合いってなにを話せばいいんだろう」
「怒っている理由をたずねてみては?」
「うーん、まあ、そうか。それしかないか。やだなあ。リッチは人に配慮するの苦手だし、嫌いなんだよね……しかも感情への配慮だろう? 感情にはたいてい理由がないし」
「とりあえず謝罪とかなさっては? わけがわからなくても初手で謝られたらなんとなく勢いが削がれますよ」
「謝罪なんかいくらしたっていいけど、面倒くさいんだよな。……話し合いをスキップして殺したらダメかな?」
「神がそうなさりたいなら我らエルフは止めはしませんが……女王陛下がどう思うかもわかりません」
「うーん、ランツァを怒らせたくはないなあ……というかランツァが怒るって相当だよね。小さいころから理性的な子だし……あれ? リッチにはよく怒ってないか?」
「それは神がやらかしまくるからです。あとは……甘えているのではないでしょうか?」
「まあ姪っ子みたいなものだしな。実際の姪っ子はいないからイメージだけれど、実子よりかわいがる感じなのだろう? ……しょうがないか。配慮しよう」
リッチはため息をつくとその場でピタリと止まった。
軍馬級の速度がいきなり停止したが、リッチは慣性を感じさせることなく急停止する。
しかし物理法則が通じるエルフおよびレイラの死体はそうもいかず、放り出されそうになりながら、「あ」と気付いたリッチによって制動をかけられてどうにか止まる。
すると追いかけて来ていたロザリーもまたピタリと止まる。
「いや、ロザリーはピタリと止まっちゃいけないでしょ。物理法則、仕事しろ」
「ようやく止まりましたか」
「どうして息が上がってないんだ……日に日に人離れしていくな……」
リッチはいちおう『切り札』をスタンバイしながら咳払いをして、
「……とにかくロザリー、なんで追いかけてくるんだい? もしかして怒ってる? なんか知らないけどごめんよ。怒らせるつもりはなかったんだ」
横に来たエルフが「その言い方は挑発に聞こえますよ」とアドバイスしたのだが、そういうのは口から言葉がまろびでる前に言ってほしい。
ロザリーは話を聞いてるんだかいないんだか、周囲を見回し、
「開けた草原に出ましたね」
「うん? まあ、この国はほとんどの土地が『開けた草原』だからね……」
あと、たまに廃村。
国家はフレッシュゴーレム戦役の時にだいぶ傾いており、その人口はまだ回復しているとは言い難い。
あの当時はリッチも手当たり次第蘇生したが、やっぱり蘇生しきれない場所も多かったのだ。
「なるほど、ここがあなたの選ぶ戦場というわけですか」
「戦うのか……」
「試合中なので」
ロザリーの発言のせいで、リッチは『ある可能性』に思い至ってしまった。
そう、試合中なのだ。
試合中にレイレイを殺してその死体を持って逃げて来たのだ。
試合終了の号令がかかった覚えは、たしかにないのだ。
つまり━━
「……まさか、続きをやるためだけにリッチを追いかけてきた……?」
「それはそうでしょう。『大礼拝大会』ですよ? 半端にするなど、神がお許しになりません。定められた日数、定められた資格ある者が、定められた手順で神へ祈る。これは儀式ですよ。聖典に定められた儀式です」
「聖典に『スクワットしろ』って書いてあるの?」
「神は正しい努力をなによりも評価なさいます」
細部は今風に改造されているようです。
ようするに、殺し合いが避けられないらしい。
リッチは横にいるエルフにささやきかける。
「あの宗教、やっぱり滅ぼすべきだと思うよ」
「見えてきた事情を説明したところ、女王陛下も『魔王討伐のスケジュール巻いていくわ』とのことです。ロザリーは手に負えません」
「……人格と存在の厄介さが、すなわち『生物としての希少性』なんだよなあ。すごく死んでほしいんだけど、生かしておきたいというか……」
「まだ『希少な生命の
「まあ『太古の魂との対話』とは別軸で興味を惹かれていた事象だからなあ。やっぱりロザリーもレイラもそのまま生かしておきたいぐらいには希少な資源だと思っているよ」
「魔王もですか?」
「欲を言えば。いや、研究者として、研究の剽窃みたいな考え方をするあいつはぶっ殺してやりたいとは思うんだけれどね。あとなんだっけ……ほら、あの、頭のハゲてる……」
「ユング?」
「そう。たぶんそれ。付き合いの長さも深さもわりとあるし、覚醒者にさえいたってるのに、ここまで興味が持てないのは素晴らしい。なにかあるに違いない。おそらく『記憶』への作用が……」
「神、来ますよ」
「おっと」
ロザリーが滑るような歩法で近付いて来て、拳を放つ。
リッチはそれを避け、杖で拳を打ち落として体勢を崩そうと試みる。
けれどロザリーの腕へと打ち下ろした杖は、瞬時に粒子になって消え去った。
ロザリーのナントカカントカ拳は、もはや拳ではなく、攻撃中の全身に攻撃判定があるのかもしれなかった。
しょうがないのでリッチはロザリーを殺すことにした。
こうして何度目かもわからない殺し合いが始まる……
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