第252話  オーシャンビュー・スウィートホーム


 明けて翌朝。

 九郎の元気いっぱいの声が、白い砂浜に響き渡る。


「と言う訳で、サクラが目的地まで連れてってくれるって言ってるっス!」

「キキュキュ!」


 どう言う訳だよ!? ――とのセリフが多くの人々の顔に書かれていたが、誰も言葉にしなかったので九郎は流す。普段であれば、漂う空気におやと思うことが出来る九郎も、今はただの浮かれた妹好きシスコンでしかない。


 大海原へと繰り出す旅。シルヴィアとの再会を目の前にしてテンションのあがっていた所に、予期せぬサクラとの再会。九郎のテンションは鰻登り、天を突き貫ける勢いだった。


 テンションが上がるとその場のノリで行動してしまうのが、九郎の性格。再び目にした妹分の可愛さにメロメロになったことも手伝って、もう自分でも抑えの利かない状態になっている。


「サクラはこんだけキュートっすから、手をだそうって輩も出て来るかも知れねえが……出したらただじゃおかねえっスから!」


 九郎の頭によじ登りガシガシと髪の毛を食んでいたサクラを指さし、九郎は大真面目にのたまう。

 ただじゃすまなくなるのは九郎である。それはいつもの事とも言えるが、知れば今回ばかりはかなりのダメージを被ることになるだろう。知ればの話ではあるが。


 フォトンの生態が、最初に巣を手に入れた個体が雌となり、次いで迎えられた個体を伴侶とすることを九郎は知らない。妹分との再会に喜び勇んだ九郎が、ライア・イスラの口に飛び込んだ時点で、サクラと九郎の婚姻は成されている事にも気付いていない。その生態全てを解明されている訳では無いので、世界の知識を全て調べられるミスラすら知り得ない事実。そのつもりで振る舞っているのはサクラのみだった。


 サクラは最初から九郎を伴侶と決めていたので、何年も海を漂う中で寄って来た同種を全て袖にしていた。願いを成就したサクラも、現在テンション爆上げ中である。

 今行っているグルーミングも、以前にも比べて気合が入っており、周りからはまるで九郎が齧られているようにしか見えていないが、サクラ的には「夫の身だしなみを整えるのは妻の務め」と思ってのことだ。


「キュキキキュグーキキュ。キュッ?」

「サクラの行ける範囲の場所は安全だそうッス! 大体この砂浜と森の入り口くらいだそうッス」


 兄弟姉妹達より長い尾を持っていたサクラだが、それでも住処とした魚がが大きすぎて、入り口近くの砂浜までしか出られなかった。ただ、その何十倍もの面積に動物の気配は無い。自ら怪魚に食われようと思う者など、寄生虫くらいだ。ここまで大きな生き物だと、全てが寄生虫と変わらないとも言えるかも知れないが……。


 コロンとした体と長い尻尾。サクラを、龍二はマウスのようだと称していた。端末を繋げて巨大な魚の体躯を操っているので、あながち間違いとも言えないだろう。

 

「でも凄いねぇ……。見た事も無い植物だらけだよ……」


 アルトリアが森を眺めながら感嘆の溜息を漏らす。

 彼女は早々に順応していた中の一人である。全ての生命に憧憬を抱くアルトリアは、自らも体の中に虫を飼っている。九郎と付き合いも長いので、この男が時折突飛な行動にでるのも慣れたものだ。

 他者の命を自分よりも大事に思うのは同じだと分かっているので、「クロウがリオ達を招いたのなら心配ないだろう」と考えていた。


「植生もバラバラですわ」


 ミスラはサクラをまだ少し警戒しているようだったが、カクランティウスが土の魔法で地質を調べ、このライア・イスラが何千年もの間水中に潜っていない事を聞いてからは、少し落ち着きを取り戻していた。


 ミスラの言う通り、森の植物の種類は多岐に及んでいた。針葉樹も広葉樹も、熱帯の植物も寒冷地の植物も――まるで植物園のありさまだった。

 神代の時代から存在していたサクラの住処は、世界中を漂い、数々の植物をその背中に宿していた。そしてそれは同時に、迷い込んだ鳥や動物達を育てる揺り篭となっていた。


 動植物を育てる命の水は、遠く見える山から流れている。

 島の中央、ひときわ高く聳える山のてっぺんからは、時折、火山の噴火のように水が吹きだしていた。クジラの潮吹きに似ていたが、山から吹きだしているのは真水であることが確認されている。


 頂上付近より流れる川は、島の四方に流れており、この砂浜にも流れ込む。

 多くの川がこの三日月型の入り江の中央に位置する洞窟の上――サクラの巣の入り口から滝のように流れ落ちており、巨大な咢を濡らす涎のようだ。


 しかしこれがライア・イスラの生態なのだろうと、ミスラが分析していた。

 山の頂上から噴き上げる水は、背中に積もった大地を流れ植物を育む。養分に富んだ水は小魚を集め、それを求めて大きな魚も寄って来る。ライア・イスラは自分で魚を呼び寄せる餌を育てていた。信じられないほど大きなスケールの中で。


「クュリョーク。キュキキクキク」

「屋根は好きにして……ってサクラ? 俺のもの? 巣を作れ? は?」


 サクラはテシテシ九郎の頭を叩き、広がる森を指さし九郎を指さす。

 くちの周囲以外はサクラの行かない場所だから、九郎にやる。そう言われて九郎が、驚き目を瞠る。


「キュ? クゥー……」


 九郎の困惑した顔を見て、なぜ遠慮しているのかとサクラも戸惑う。

 サクラは、「もう自分は妻なのだから、遠慮は無用。どちらかと言えば、たくさん我儘を言って欲しい」とすら思っている。

 雄の世話はフォトンの雌としては当然の事。食事の世話から下の世話まで、全てをこなせるのが良い雌の条件。つがいになった今、愛の巣作りは急務であると張り切っていた。

 しかし意思疎通は出来ても、九郎もサクラの心の中までは見通せない。ここに来て初めて二人の意思疎通が乱れが生じたその時、


「クロウ殿……宜しいですかな?」


 ボナクが口を開いた。


「は、はいっ!」


 九郎は飛び上がって返事をする。意中外の人物の声に、浮かれた状態から一気に現実に引き戻された。

 浮かれすぎて、自分本位に物事を進めようとしていた自分を、九郎はやっと自覚した。


 ボナクはウィスティアラ号の船長でもあり、この航海の責任者でもある。彼が駄目と言えば、九郎は何も言えなくなる。

 巨大な島にいるだけで目的地に着くのだから楽出来ていーじゃん? ――そう単純に考えていたが、彼等は今も仕事中の身だ。

 彼等も仕事に対しての誇りや信念がある。自分はそれを蔑ろにするような提案をしていることに気付いて、九郎の背中に嫌な汗が流れる。

 上がり切っていたテンションは急激に冷え込み、九郎は自然とボナクより目線を下げようと、正座していた。何故かサクラが九郎に倣って横に伏せる。


 項垂れ固唾を飲んで、九郎はボナクの言葉を待つ。


「サクラ……さんで宜しいんですよね?」

「うっす! サクラっす! 天使っす!」「クキキュ―!」


 ボナクは暫く考え込んでいたが、何やら一人頷くと、とてもいい笑顔をサクラに向けた。

 怒られる雰囲気では無いと感じ取り、九郎も再び破顔する。


「今この大地はサクラさんからクロウ殿に譲られた形……と?」

「いや、ここはサクラんちの屋根みたいなもんふぇ……ヒャクリャ? ちひゃう? 俺の家でもある? っておい、サクラ?」


 ボナクが九郎とサクラのやり取りを確認する。

 九郎が頭を掻きつつ訂正するのを、サクラは物理的に封殺していた。そして一旦巣に引き換えしたかと思うと、魚を抱えて戻って来る。


「キキュキュー」

「ボナクさんにあげるって言ってるっス」


 サクラは抱えた魚をボナクに差し出す。

 何の意味が? と九郎が首を捻っているが、あえてサクラは伝えない。

 サクラは、このボナクと言う名の九郎と同種の小さい個体が、中々に自分に協力的だと判断していた。

 少なくとも自分の嫌がる事はしないだろう。もしかしたら九郎を説得してくれるかもしれない。そう思っての礼と、自分の意思を九郎に伝える為でもある。


「キューキ! キョキョキャキューリョー! キュリョリョ!」


 魚を手渡されたボナクが呆気にとられて見つめる中、サクラはもう一度陸地を指さし、九郎を指さす。

 魚を抱えたボナクは、魚をもう自分のものだと認識している筈だ。

 ボナクには魚をあげた。九郎には陸地をあげる。とても分かりやすいでしょうと、サクラは胸を張っていた。


「……俺にくれるそうっす」


 テシテシ砂浜を叩いて九郎に寄せる仕草をするサクラに、九郎の大きな手がかかる。

 まだ幾分納得していない雰囲気も感じるけど、ようやく理解したの? 体を摺り寄せるサクラがその思いを胸に九郎を見上げ、


「つってもなぁ……サクラ旦那見つけて子育てしなきゃ――」

「キキューキュ! キュー! キュ!」


 そして続けられた九郎の言葉に、抗議の制裁を振う。


「イテっ!? な、おい齧るなって! ナニ!? 俺の嫁? ……サッ……ザグラァァァアアア!」

「キュリョー!!」


 妻になったばかりの自分に向かって、新しい夫を迎えろとは何たる言い種。別種である九郎は、自分とは違った形態のコロニーを作るのかも知れないが、自分はフォトンだ。生涯で夫とするのは一匹だけ。それをずっと世話して行くのがフォトンの雌の誇りだ。サクラはもう一度自分の意思を伝える。「自分の旦那はクロウだ」と。


 九郎は、感激してサクラを抱きすくめる。サクラもそれに応じて体を九郎に摺り寄せる。


 種を超えた愛情が通じ合った瞬間だった。九郎はサクラの言葉を、妹が言う「お兄ちゃんのお嫁さんになるのっ!」的な受け取り方をしていたのだが――。

 どちらも互いを想いあう愛情に嘘は無かった。ただ少し、互いの認識に齟齬があった。

 種の壁を乗り越え意思疎通が出来ていても、男女の間に聳える認識の壁は、厚く高かった。


 家族愛と夫婦愛。違ったベクトルでまた盛り上がり始めた二人の間に、ボナクが遠慮がちに声を掛ける。放っておくと話が進まない気がしたのだろう。


「クロウ殿……いえ、これはサクラさんにお願いすべきでしょうか……」


 ボナクは切りだし、にこやかに目を細め自分の手を揉みほぐす。

 そこにはやり手商人の笑顔が浮かんでいた。



☠ ☠ ☠



「おっふ……」


 サクラと再会してから1週間。

 九郎は目の前に広がる光景に、眩暈を覚えて目元を覆った。


「まだ7割……と言ったところですが、どうでしょう? ガバアウム大陸の東にある、ベラス島の住居に倣ったのですが。気にいって頂けそうですか?」


 揉み手をしながら寄って来るボナクに目を向け、九郎は何とも言えない表情を浮かべる。

 再び視線を元に戻す。目の前に聳えるのは大きな平屋の家が存在を主張していた。


 浅瀬の中に建つ水上コテージ。丸く作られた一際大きなコテージが、ライア・イスラの口の直ぐ傍に建ち、それを半円状に囲むように幾つもの小さなコテージが建てられていた。

 どこぞの高級リゾート地を思わせるような、優雅でラグジュアリーな水上住居。上顎から流れ落ちる滝を使った、水回りもばっちりの家に、九郎は言葉が出て来ない。


「クロウ殿は多くの妻を娶らねばならない身だと聞き及んでおります。部屋数は多い方がよろしいでしょう? アルトリア様は陸地に近い場所を御所望でしたので、陸側にお部屋を建てている最中でございます。サクラ様はクロウ殿の近くが良いご様子。最大限にご意向に沿うよう配慮しております、はい」


 いつの間にか――本当にいつの間にか九郎の家が出来上がっていた。

 ボナクの目が商人の目に変ったと思った瞬間、交渉は始まった。


 ――航海は危険がいっぱいです! 巨大な魔物――いえ、サクラ様の事ではありませんよ? 嵐。凪。一度ひとたび海に出れば死は常に隣り合わせ。そんな危険を感じる事無く、大海を渡るサクラ様はクロウ殿の拠点にピッタリかと! あ、ありがとうございます。

 植物が豊富に茂っている事も素晴らしい。航海中の死因の第一位は、野菜不足による病です。塩漬けの野菜を多く積み込んでも、病全ては防げません。それがこんなに! それに新鮮な水も! もうここは船乗りにとって楽園ですよ? あ、頂きます。

 それに……あの巨大なウィスティアラ号ですら、内に抱えて航海できる体躯! しかも空まで飛べる。こんな素晴らしい場所をそのままにしておくなどとんでもない! あ、どうもご丁寧に――


 ボナクが熱弁を振るう度に、サクラはボナクの傍に魚を積み上げ、ビシッと九郎を指さした。「もっと言ってやれ」と言う事らしい。この時完全に二人の利害が一致していた様に思える。


 ボナクがサクラと意思疎通が出来るとは思えなかったし、ボナクもサクラの言葉は理解出来てはいなかったに違いない。他者の共感性、同情心などを得る事で種を維持してきた『夢魔サキュム』の力も少しはあったかもしれないが、やはり今思うとボナクはボナクで考えがあり、それがサクラの希望と一致しただけだろう。

 サクラはかなりの言葉を解し、喋れないまでも意味を分かっている。ボナクが九郎をサクラの傍に留めようとしているのを感じ取り、それに乗っかった形か。

 可愛い妹と歴戦の商人に九郎が勝てる筈も無い。あえなく九郎は丸め込まれていた。

 その結果がコレである。


「どのお部屋からも海が見渡せる作りになっております。いいですなぁ……波の音を聞きながらの逢瀬と言うのも。私もあと100年若ければ、憧れたでしょうな。羨ましい限りです……あ、サクラ様。ありがとうございますです、はい」


 見渡す限り広がる海を臨むオーシャンビューの部屋に案内された九郎が引きつり笑いを溢す。その横で住宅業者顔負けの演説をボナクが垂れ流している。住居の進展具合を見に来たのか、サクラが、小魚をボナクに手渡していた。彼女の意を汲む発言をした者に、サクラは魚を与える事を覚えたようだ。


(拠点……ねぇ……)


 日課となった毛繕いを始めるサクラを頭に乗せたまま、九郎は弱り顔を浮かべる。

 サクラと再会し、長く共に旅をしたいとは思っていたが、こうなることは予想していなかった。

 彼女がどれ程立派な住処を手に入れていたとしても、またその価値がどれだけ高かろうとも、「利用しよう」と言った気持ちは一欠けらも無かった。小さな家に収まっていようが、大きな家を持っていようが、サクラは九郎にとって変わらず可愛い妹分だ。これでは金持ちになった妹に集っているダメアニキではなかろうか――そう思うと気持ちが落ち込む。

 自分のこれからを考えてみても、少々気が咎める。

 妹分の家に間借りしてハーレムを築く兄貴分……。字面だけで最悪だ。


(しかし……でも……)


 顔を歪めた九郎の脳裏に、アルトリアの嬉しそうな笑顔が過る。

 自分達の持つ業――それを考えると、サクラの申し出はありがたい。


 九郎の命を吸う事で、他者を眷属化するのを押さえているとは言え、アルトリアは本来、人の輪から排斥される運命にあるアンデッドだ。アルムの王族達は胆が据わっているのか、アルトリアの正体に気付いていながら、気付かない振りをしていてくれていたが、カクランティウスが懸念したように、異形を受け入れる魔族であっても、彼女はそう簡単には受け入れられない。

 彼女自身もそれが分かっているから、優雅な船旅の間もずっと船倉に引き籠っていたのではないだろうか。アルムに滞在していた時も、彼女は一度たりとも街には出かけていなかった。

 全ての人に受け入れられる存在では無い――その自覚があったのだろう。


 アルトリアの側に立つ。そう心に決めていた九郎は、定住することは半ば諦めていた。

 九郎の『フロウフシ』も、多くの人々に受け入れられる物では無い。

 どこに身を落ち着けても、いずれ排斥される運命にある。正体を知られれば、身を隠さなければならない。住処を守る為に戦い、人を殺すことを彼女も九郎も望んでいない。

 そこに来て手つかずの自然が広がるサクラの屋根。土弄りを好むアルトリアが、目を輝かせるくらいに豊かな森。定住――には当てはまらないかも知れないが、それでも住居と共に移動できるのは大きい。


(それに……)


 旅の間だけで良いから――そう言って早速森に葡萄の種を植えにいった彼女のはにかんだ笑顔を思うと、胸が苦しくなる。


「サクラ……良いんかよ? あんま言うと、甘えちまうぞ? 兄ちゃん、女ったらしなんだけど?」


 それでも自分勝手な都合で妹分に甘えてしまうのは、良心の呵責がある。

 九郎はガジガジ髪を食んでいるサクラを見上げ、尋ねる。


「キュイキュキュ。キュイクキュ」

「卵を産むのは自分だ……て、ああ……なんだか話が噛みあってねえ……」


 サクラは九郎の頭の上でふんぞり返って腹を叩いていた。

「どんと来い」とでも言うような仕草と、反応に困る答えに九郎は渋面する。優秀な妹分の懐の深さに、自分の甲斐性の無さをひしひし感じていた。



☠ ☠ ☠



 九郎が良心の呵責に悩んでいる間に、家は完成した。最早流れは止められなかった。

 海を見渡せる絶景のロケーション。サクラの巣穴と繋がる桟橋。家から海に入れるよう、ベランダの所々には階段が取り付けられ、遠くを見渡せるよう今は洞窟の上に展望台を建設中だと言う。

 九郎の住居だけでなく、浜辺には、海に向かって伸びるように小さな家が増えていた。

 多くは休憩所のような作りで、簡単な寝床として機能しているだけの物だったが、それでも狭い船室を寝床としていた船員達からしてみれば、贅沢極まりない施設であるようだった。


「もし差支えがあるようでしたら、直ぐに撤去いたします。はい」


 自分達の仮宿も――そう頼みに来たボナクに、サクラは鷹揚と頷いてそれを認めた。

 良いように騙されているのでは? と思わなくもないが、サクラは上機嫌だ。


「やっぱサクラは可愛いから、皆メロメロになっちまったな?」


 九郎が声を掛けると、サクラが照れたように顔を掻く。

 サクラの可愛さに絆された――満足気に頷く九郎も、それだけが理由で無い事を知っている。ボナク達船乗りは、誰もがサクラに敬意を示していた。


 ――海の男達は迷信深えんだ――


 そう言って白い歯を見せ、サクラに跪いて祈りを奉げた船乗り達の顔が思い浮かぶ。

 

 一時混乱はあったが、サクラは多くの船乗りたちに概ね懇意的に扱われていた。

 この地の大家的存在。それだけが理由では無い。


 ミスラがサクラの種族名を言った途端、船乗りの多くが警戒を解いていた。

 サクラの種族、フォトン。巨大な海獣、怪魚に寄生し暮らす彼女達は、海を渡る彼等にとって、ある種の守り神と捉えられていたようだ。大海原に住まう凶暴な魔物達も、彼女達が寄生すれば途端温厚な性格へと変わる。船乗りの多くが身につけている真珠のアクセサリーも、フォトンの加護にあやかろうとしてのものらしい。

 今、サクラの寝床は船乗り達が奉納しに来た真珠で一杯になっている。

 家賃代わりなのか、船賃替わりなのか……サクラにしてみれば余り意味の無い物に思えるが、彼女は真珠を信頼の証と捉えたようだ。眩い真珠の揺り篭で眠るサクラを見ると、巣立ちの夜が瞼に浮かぶ。


「つっても、サクラの自由を奪いたくねえなぁ……」

「キューキュキューク! キュキュキャキュ!」


 未だうじうじ悩む九郎に、サクラが問題無いと胸を張って答えてくる。

 サクラは九郎が再び旅に出なければいけない事を伝えても、「待っている」の一点張りだ。「ここはクロウの家なのだから」とも。


 彼女が九郎の帰りを待ち続けるのであれば、最低限の護衛が必要になる。今のサクラに敵う者など、この世界にいないかも知れない。しかし一定の場所に留まり続けるのであればその限りでは無い。この島にいる多くの動物達と同じように、口を恐れて近付かないのであれば問題無いが、気付かず入り込んで来たのならこの場所は豊かな土地にしか見えない。

 どれだけサクラの住処が戦闘力を有していようとも、サクラ自身はか弱い幼子でしかない。


 ただその間の護衛も、ボナクは引き受けていた。自身の護衛を減らしてでも、警戒に当たると胸を叩き、命を賭してでもサクラを守るよう厳命していた。

 なんだが知らない間に外堀が埋められているような気がしてならない。


「すまぬな、クロウ殿。あやつは事を急く悪癖があるゆえ……」


 カクランティウスは苦笑しながらそう言ってくる。

 作業の休憩中なのだろうか。自分の生活費を稼がなくてはならないこの王様は、現在多忙な日々を過ごしている。それに比べて自分は優雅なものだと、九郎はボンヤリ海を眺める。

 アルトリアはを小さな畑を嬉しそうに耕し日々を過ごしていた。ナズナは森の中へと消えたそうだが、時折畑を見に来てくれているそうだ。九郎の欠片のおかげで、魔法を使わなくても植物が育てられる――そう言って笑顔を浮かべた彼女を思うと、自分の呵責は和らいで行く。アルトリアは感謝のつもりか、時折サクラにゴメを持っていっているらしい。サクラもゴメを気にいっている様子だと言う。


 リオとフォルテはまたもや調理の手伝いやらの細々とした雑務に追われていた。

 広くなったので男とすれ違わなくても良いのがイイ――そう言って鼻を擦ったリオは、無意識にサクラを撫でまわしていた。

 敵意や恐怖に怯えるリオも、サクラには危険を感じなかったようだ。

 彼女は自分よりも弱い者には気を許す。新たな一面を見て、九郎もほっこりしていた。


 ミスラはアルフォス達と龍二パーティを引きつれ、島の調査に出ていた。龍二は面倒臭そうだったが、生態系や危険の把握は急務である。龍二の持つ『詳解プロフィール』とミスラの『エツランシャ』の能力が合わされば、大概の動物は丸裸になるだろう。

 九郎も一緒に付いて行きたかったのだが、「今はサクラと共にいろ」と断られてしまっている。サクラと意思疎通が出来るのが、今の所九郎のみなので航海を優先して欲しいとの事だ。

 サクラは多くの人語を解しているようなので、意思疎通も難しくないのでは? とも思っているが、今はサクラが九郎にべったりで、少し言い出しにくい。


 今やこの建てられた九郎の新居が船長室であり、サクラが操舵手といった形になっていた。


 ボナクの熱意は、サクラの有用性を誰よりもしっかりと把握していた事にあった。

 船長として航海の恐ろしさと言うものも嫌と言う程味わってきたボナクにとって、安全に海を渡れる可能性を持つサクラは、どんな金銀財宝よりも価値があった。


 例え力があっても、海の広さに比べればちっぽけなもの。港を出た船が戻って来ない事など日常茶飯事だ。

 交易商人として見ても、サクラは凄まじい利益の塊なのだろう。

 どれだけ巨大な船であろうとも、乗せれる物資には限度がある。船が大きく成れば成るほど人員も多く必要になり、航海が長く成れば成るほど、水、食料も比例して増えていく。人一人が運べる物資の量には限りがあるのだ。

 しかしサクラがいれば、莫大な量の物資が運べる。殆んど揺れもしないので、割れやすい工芸品まで運んでしまえる。


 ――自由にできなくても良い。そのつもりも無い。大海を統べるひさしが、自分達に懇意的であると言う一点だけで、その価値は計り知れない――


 ボナクはサクラの価値を知り、九郎にその価値をとうとうと説きながらも、全てを望んだわけでは無かった。船乗りの自分達に、絶望の中の希望を。その一点があれば良いのだと語っていた。


 広い海。いつ死ぬかも知れない危険な旅。嵐で、遭難で、絶望しかけた時僅かな望みを捨てない何か。

 彼等は魔族の国の船員。国によっては港を追い出される可能性もあると言う。それが続けば食料も水も潰え、待っているのは飢えと乾きだ。

 そんな中、食料も水も大地も、全てを兼ね揃えた彼女がどこかにいると思う事は、何物にも代えがたい希望となるのだと。


 そこまで言われれば、九郎としても無下に出来ない。

 彼等がサクラのご機嫌を取るのは、彼等の利益があっての事。それが分かっていても、彼等の願いは全うに思えた。


「サクラ……おめえやっぱりモテモテだな?」

「キ? クキュキュー!」


 九郎が目を細めてサクラを撫でる。サクラは気持ち良さそうに九郎に身を預けて目を閉じる。


「ははっ! クロウ殿もモテモテではないか!」


 その様子にカクランティウスが声を上げて笑った。

 その前にサクラが小魚を進呈していた。

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