第234話  死霊の姫君


「おい……、後ろからじゃ無くて前からにしねえか?」

「どっちでも一緒じゃねえか?」

「いやっ……気分的に……」


 アルムとルクセンの国境近くの街道。

 戦火の兆しと言うものは庶民の方が敏感なのか人影は無く、秋晴れの青空が色付いた広葉樹の隙間から覗く森の中、九郎の弱々しい抗議の声にベーテが首を傾げていた。


 小鳥の囀りが平和なひと時を感じさせ、木の実を齧る栗鼠の姿も見えるなんとも長閑な午後。

 それを一瞬にして地獄へと変貌させる悍ましい準備が行われていた。


 交わされていた会話の内容は、少しばかり地獄と言うにはズレてはいたが――。



「姫様っ! このような汚らわしいものを見てはなりません! 汚れ仕事は我々にお任せくださいっ!」


 アルフォスがミスラの視界を遮るようにしながら、九郎の肉体に木の杭をねじ込んでいた。

 死体に食い込む杭。それがから刺さるか、から刺さるか――その違いに大差は無いような気もしている。

 刺されている死体は自分の形をしているだけの肉塊――そう言う意識が九郎にあり、死んだ肉体・・・・・はもはや痛みも感覚も有りはしない。しかし、それでも気分的にから刺さって行くのを見るのは何か尻がむず痒くなる気がする。


(いや……、串刺し公の名前が出た時点で予想してたけどよぉ……)


 九郎が眉間の皺を深くしながら、繰り広げられている光景に溜息を吐き出す。

 歴史に倣う――そう言ったミスラの言葉の通り、現在街道を串刺しにされた死体で埋め尽くす作業の真っ最中であった。

 血の一滴からでも肉体を再生させることが出来る九郎の体は、平和な秋晴れの空の下何体も詰み上がっており、それを手分けして木の杭に突き刺す作業で辺り一帯は血の匂いが充満していた。


「お前にも同じモンがぶら下がってるって分かってんのか?! 第一汚らしいもんは取っ払ってあるだろうがっ、アルフォス!」

「「ぶーぶー」」


 当然増やした九郎の死体は全裸であったが、前回と同じく股間のブツは取り除いてある。

 これから衆目の眼に晒される事になるので、流石に逸物を晒すことに躊躇いを覚えた為――あと、抗議のブーイングを口にしているアルトリアとフォルテを警戒してでもあった。


 そのアルトリア達はと言うと、九郎の死体の顔の皮を剥す作業をしている。

 見た目の恐ろしさを演出すると同時に、同じ顔の死体ばかりであることを隠す為だ。

 同じ顔の死体が並んでいる事も不気味さを演出するにはありかもと思えていたが、流石に百を超える数の死体の顔が同じものだと、作り物めいた気になってしまうのではと考えたからだ。

 アルトリアが発情しないか心配になってくるが、文句を口にしつつもアルトリアにその兆候は見られない。――九郎のクロウが無い為か、それとも死体に発情しないのか――今一分からないのだが、それでも目が離せないのは彼女の日頃の言動にあると思っている。

 

「今は一刻の猶予もありませんのよ、アルフォス。わたくしだけが休んでいる訳には参りません。それにわたくし既にクロウ様の生まれたままの姿を目にしておりますので……」


 九郎の体を切り刻む事にも慣れつつあるアルトリア達に九郎が一抹の不安を抱いていたその時、ミスラは顔を赤らめたまま、九郎の死体に杭を突き刺そうとしていた。

 何故か呼吸が荒く、熱の籠った息が白い吐息となって彼女の可愛らしい口元から零れている。

 上気した吐息を吐く絶世の美少女。普段であれば眼福ものと喜んでいただろう。


「ミスラっ! 内緒にしてくれって言ったじゃねえかっ!」

「す、すみませんっ! わたくしとしたことが、あの光景が目に焼き付いてずっと頭の中をぐるぐると……」

「…………クロウ。ちょっとそこの裏手にまで顔を貸してもらいましょうか」

「忘れてくれって言ったじゃねえか! おい、アルフォス! 誤解だっ!」  


 しかし、何を思い浮かべての表情なのかと考えると、九郎には素直に喜ぶことは出来ない。

 ミスラのセリフは言うまでも無く、あの時のこと・・・・・・だろう。

 ポロッと漏らされた黒歴史にアルフォスが剣呑な目つきを向け、九郎は慌てて両手を振り、自ら黒歴史を説明する羽目に陥っていた。



☠ ☠ ☠


 

 漆黒の夜空に二つの影が滑る。

 音も無く星空を滑空する2体の大きな影は、物音一つ立てない静かな森の上空を旋回し、高い木の枝に降り立つ。


「ん? ありゃクロウか? 何やって……なんだ、便所か」


 アルフォスよりも一段高い木の枝を足場にしていたベーテが、何ともなしに呟く。


「彼の事ですから腹を壊すとは考えられませんが……」


 アルフォスは眼鏡を外して目を細め、どうでも良さそうに答える。

 口に出す事は無いが、アルフォスはそれなりに九郎にも感謝をしていた。九郎が何かを言ってきた訳では無いが、あの死の病から生還できたのは、彼が何かしたからだと朧気ながら気付いていた。


 生まれながらの奴隷であったアルフォスは、これは奴隷としては必須の技能だとは思うが、人の感情の機微を読み取る技能に長けていた。そうでなければ奴隷など生き残れない。

 その境遇で培われた目で、アルフォスは時折見せるカクランティウスの視線から、本質的に自分達を救ったのが九郎であることを察していた。

 だが同時に、それに触れてはならない何かがある事も察し、また、九郎自身が傅かれる事を望んでいないと感じ取り、今の距離を保っている。


「あいつ、何でも喰うかんな……。なんだよ、『これは毒あるから俺が食っとく』って……」


 アルフォスの軽口にベーテが眉を歪めて返して来る。

 多分ベーテもそれを理解しているだろう。軽薄な口のきき方や、やや乱暴な振る舞いも、ベーテはそれを『望まれている』と思ってやっている節がある。


「あの男も緊張しているのでしょう。男の排泄を覗く趣味はありません。さ、哨戒に戻りますよ」


 ベーテのセリフに苦笑を浮かべ、アルフォスは枝を蹴って飛び上がる。風を自ら生み出す翼は、軽々とアルフォスの体を空へと誘う。


(何処にでも行ける翼があるのに、私達も酔狂ですね……)


 苦笑を浮かべたまま空へと身を翻したアルフォスは、自分に向かって自嘲していた。

 もうすぐこの場所に敵国の軍隊が来ると予想されている。なのに何故、自分達はそんな危険な場所に留まっているのか――。

 以前であれば考えられない奇行を行っている自覚が、アルフォスにもあった。


 奴隷時代、空に焦がれる奴隷達は数多くいた。鳥を自由の象徴と捉え、空を無限の可能性と見立てていた。

 奴隷を管理する側だったアルフォスはチェリオ同様、嵌められていた首枷がただの脅しだとは気付いていた。逃げようと考えなかった訳では無い。だが、アルフォスの翼が役立つようになった時には、中原が砂漠と化していた。


 ――どこへ逃げれば良いのか――


 空を飛ぶことが出来たアルフォスでも、長時間飛ぶことは出来ない。

 バッグダルシアの城壁に立ち、途方に暮れていた時の事をふと思い出す。


(飼いならされていたとばかり思っていたのですが……)


 今ならどこへでも逃げられる。今の主、ミスラからも「早く逃げろ」と言われていた。

 なのに進んで危険が予想されている場所に留まるのは、なんとも可笑しな話に思える。


 早く国境へ向かわなければと考えた九郎が、アルフォス達に協力を要請した時、ミスラはすこぶるバツの悪そうな顔を浮かべていた。ミスラが当初城の誰にも声を掛けず、九郎達一行の手だけを借りるつもりだった事が明白だった。

 声を掛けて来た九郎も、アルフォス達に軍隊に対応する事までは求めておらず、礼の言葉と共に城に送り返そうとしていた。

 今迄のように自分の命を第一に考えるのであれば、このまま城へと帰った方が安全である事は間違い無いだろう。


「ま、我々は獣の本能など持っていませんからね」

「はあ? いきなり何言ってんだ?」


 アルフォスが初めて自分の為に動いたのは、後にも先にも九郎達を襲撃した時のみだった。

 その時はあえなくカクランティウスに伸され、危うく自分の命を縮めるところだった。苦い経験を思い出し、アルフォスはまた自嘲を浮かべる。

 ベーテが訝しげに顔を歪めていた。


「自由を得たと言うのに、心は中々言う事を聞きませんねと言ったんですよ」


 今はもう誰に傅かなくても良い身分だ。カクランティウスは、この国の中では自由にして良いと言ってくれていた。なのに主を求めてしまうのは、魂にまで刻まれてしまった奴隷根性なのだろうか。それにしては「逃げろ」と言われているにも関わらず、命を危険に晒す行動を取っている。本当に儘ならないものだ。


「あいつらも残ってんのに、俺らが尻尾巻くのは……なんかムカつくんだよ!」


 ベーテが忌々しげに後方に目を向け粗っぽく言葉を吐き捨てていた。

 抽象的だったアルフォスの言葉に返して来たと言う事は、彼も同じような感傷を抱いていたのだろうか。

 自分達よりも愚かで弱い彼女達が、まだここに・・・・・留まっている・・・・・・。「リオとフォルテがまだ九郎の傍を離れないからだ」と言ってのけたベーテだが、照れ隠しの言訳にも聞こえてアルフォスは笑みを噛み殺す。

 リオだけは不承不承といった感じだったが、それでも今は大人しくしているところを見るに、彼女九郎の傍が安全であることを理解しているのではないだろうかと、ふと考えてしまっていた。


「まあ、我々は奴隷の勘で生き延びるしかありませんからね」


 自分達にも理解できていない行動の理由を、アルフォスはそう名付けて笑う。

 とその時、遠くに白い影が見えた。



「? 姫様……ですか? また何であんな場所に……。御不浄でしょうか? ベーテは哨戒を続けてください」


 夜でも遠くを見通すアルフォスの目が、森を一人歩くミスラを捕えていた。

 ベーテに短く指示を出し、アルフォスは音も無くそちらへ向かう。

 いくらなんでも不用心極まりない。まだ敵軍の姿は見える距離には無いが、斥候その他が入り込んできている可能性は多分にある。なのに供の一人も付けずに夜間出歩くなど、危機意識が足りないにもほどがある。


(陛下と同じく『不死者』とは聞いておりますが……)


 アルフォスは新たに得た主に、苦い思いを抱きながら近付く。主の不備を咎めたいところだが、そういう苦言はアルフォスには呈せない。元奴隷だったアルフォスには、主人の不興を買うような事は出来ないのだ。その辺りが従者と奴隷の違いであると、アルフォスも薄々感付いては来ているのだが、これもまた儘ならない物の一つだろう。


 ミスラは森を抜け、小高い丘へと登っていく。薄く白い夜着の上から厚めのケープを羽織ったミスラは、遠目には『幽霊ゴースト』を思わせた。


(……声をかけるべきでしょうか?)


 人目を避けるように外へと出てきたミスラを眺め、アルフォスは逡巡する。見られたく無いものであるなら、見ないでいるのも僕の作法だ。だが、明らかに不用心なミスラをこのままにしておくのもマズい気がする。

 しばしの間アルフォスが悩んでいると、ミスラが丘の上で両手を掲げた。


「――『白の理』ソリストネの眷属にして、理を拒む咎人たちよ! 傅け!

   『レムレース・ルクス・マグナ』!!!」


 アルフォスの耳にはミスラの魔法の詠唱がはっきり聞こえていた。だが何が起こったのかは、分からなかった。

 何も変化が起こる訳でも無く、夜の闇にミスラが手を掲げているだけにしか見えない。

 闇夜に響いたミスラの透き通った声は、僅かな余韻を残してまた闇に溶けていた。

 魔法の練習でもしていらっしゃるのでしょうか――とアルフォスが首を傾げたその時、背筋に悪寒が走る。


「アルフォス。隠れてないで出ていらっしゃい」


 思わず後ろを振り返るアルフォス。その耳にミスラの鈴のような声が響いた。

 アルフォスの心臓がさらに跳ね上がっていた。

 ミスラは一度もこちらを見てはいない。それにカクランティウスから、『吸血鬼ヴァンピール』は『不死性』を持つが為に索敵能力が乏しいとも聞かされていた。

 なのに羽音もさせていない闇夜のアルフォスに気付いているような口ぶり。


「姫様。お花を摘みにいかれるのかと思い、声を掛けられなかった事、ご容赦ください。ですがこの地は危険が予想されている場所。我々の心配もお考えください」


 しかし薄気味悪さを感じながらも、アルフォスは即座にミスラの傍に降り立っていた。最早反射の域で体が動いていたとも言える。


(この辺はもうどうしようもありませんねぇ……)


 魂までに染み込んだ奴隷根性は、中々消えてはくれないようだ。そしてしれっと保身の言葉が出るのも、長年培ってきた奴隷の経験からだろう。嘘もつかず、そして責めもしない。主人の怒りを買わずに済むセリフが、自然と口から出ていた。

 

「もう少し狼狽えるかと思いましたのに……。可愛げが無いのね……。鬼畜眼鏡はそうでなくては。でもアナタもまだまだですわ。供も連れずに夜間出歩くなど、淑女にあるまじき行為。逢引でもしてるとでも思いましたの?」


 アルフォスの保身の言葉にミスラは一瞬呆れた表情を浮かべ、その後目を細める。

 本人には男の寝所に忍び込んだ過去の自覚が無いらしい。九郎から聞き出した経緯を思い浮かべ、苦渋の表情を浮かべそうになったアルフォスは、その表情を押し殺してしれっと嘯く。


「姫様も多感なお年頃ですから……いえ、何でもありません。ただ危険かと思いまして……」


 逢引するにしても、現在野宿の真っ最中だ。いったい誰と? と考え、獣辺りを思い浮かべて、「流石に不興を買いそうだ」と考えたアルフォスは、ミスラの半眼に首を竦めて姿勢を正す。

 そうして放たれた言葉の意味を考えながら、アルフォスは言って周囲に目を走らせていた。

 口ぶりでは「ちゃんと供を連れている」と言っている様子だが、誰の気配も感じない。なにせ今いる場所は国境付近の森の中だ。

 九郎やアルトリアが近くにいないのであれば、いったい誰がいるというのか。

 ただの言訳か冗談かとアルフォスが呆れを含んだ嘆息を吐き出そうとしたその時、また背中に悪寒が走った。


「あなたの先輩よ? 挨拶くらいは、まあ……しておくのも悪くはないかしら?」

「姫様のアレに付きあって頂き、本当に助かっております」

「!!?」


 普段冷静沈着を心がけているアルフォスも、思わず驚き飛び退っていた。

 アルフォスも気配探知に置いては、ある程度の自信がある。だがその男は、哨戒や諜報を主な任務としてきたアルフォスが全く気付かない内に、自分の傍に立っていた。

 赤茶色の髪の地味目な風貌の男。胸に手を当て、涼やかな笑みを浮かべているその男の姿に、アルフォスは更に目を剥く。


「クルッツェと申します。以後お見知りおきを……」


 洗練された所作で自己紹介する青年を、アルフォスは唇を噛みしめながら見つめていた。口の力を緩めてしまえば、歯の根がみっともなく音を鳴らしてしまいそうだった。


 クルッツェと言う名の青年の姿は、隣にいるにも拘らず朧気であり、全く気配が感じられなかった。


「『幽霊ゴースト』……!?」


 やっとという体で言葉を口にしたアルフォスを眺めて、ミスラとクルッツェは顔を見合わせ苦笑を浮かべる。


「『幽霊ゴースト』ではありませんわ。彼らはこの国の英雄。『死霊レイス』となってまでこの国を守ろうとしてくれている、アルムの防人さきもり達ですわ」


 ミスラが両手を広げ、誇らし気に、だがすこし寂しさを含ませて言い放つ。


 『死霊レイス』――ただそこに残っているだけの『幽霊ゴースト』とは違い、攻撃性を持った不可視の霊体。自分が死んだことに気付かず、現世に留まっている脆弱な魂とは違い、死んで尚諦めきれない未練のために現世に留まり生者を害する怨霊。


 クルッツェの体は従士の衣服を身に纏っていながら、その奥が薄っすら見通せるほどに透き通っていた。

 しかし驚くべきなのはそこでは無い。アルフォスは唇を噛みしめたまま、混乱する頭を押さえ込み、回転させる。

 クルッツェには自我があるように見えていた。強い恨みが原因で生じるアンデッドの筈の『死霊レイス』が、自我をもっている。


 王女の身分にしては、ミスラの従者の数は少ない。森の屋敷に勤めていた者の中で、武力を持っていたのは2人の近衛騎士のみ。情報部統括の席にあるミスラの重要性から考えても、いささか以上に頼りない武力と言えた。

 いくらミスラが『吸血鬼ヴァンピール』であったとしても、王女であり、またこの国の防衛の重要な部分を担っている者に付けるには、あまりに少なすぎる護衛。

 ミスラが得体の知れないアルフォスとベーテを早々と求めたのも、人数を急いで補充したかったからではと考えていた。


「たち……!!?」


 だがそれが間違っていたのだと、アルフォスは目の前の光景を目にして思い知る。

 100人を超える数の霊体が、ミスラの前に膝を付いていた。

 その誰もが鎧を身に纏った騎士のなりをしている。だが、目に見えていると言うのに、人の気配は感じられない。白い肌はミスラも同じだと言うのに、彼らに生気は残っていない。


「姫様が……余裕がおありになるわけです。先輩方、アルフォスと申します。以後お見知りおきを」


 以前のアルフォスであれば、恐怖にへたり込んでいただろう。

 だがアルフォスは少しの意地と、一人の男の馬鹿面を思い出し、踏みとどまる。頬をヒクつかせながらも優雅に礼をしてみせたアルフォスに、ミスラは不満気な表情を作っていた。


「あら? これでも狼狽えませんの? これは思った以上に掘り出し物だったかもしれませんわね……」


 ミスラの不満顔からアルフォスはそっと視線を逸らす。


(っと……。あまり意地を張るのも上策ではありませんね……。犠牲になるのはベーテ一人で充分です)


 アルフォスは慌てて少し恐れを抱いたように顔を作る。

 別に主の趣味に付きあうことには何とも思っていない。だが、それでも思い浮かべた馬鹿面とは御免こうむりたい。


「あなた達が付きあってくれたとしても、流石にわたくしもこの人数で軍隊を留めるのが無理な事は承知しておりますわ。いくらクロウ様が『来訪者』と言えど……ね?」


 アルフォスの表情にミスラは僅かに首を傾げ、その後悪戯っ子の笑みを浮かべて、その場で一回転して見せた。

 白い夜着とケープを身にまとったミスラのその薄い夜着の裾が、風を孕んで闇に踊る。その度に、『死霊レイス』も合わせて揺らめく。


 さながら、目の前の儚げな少女までもが『死霊レイス』であるかに感じられる光景だった。



☠ ☠ ☠



「中々の胆力を持っている若者ではありませんか。姫様の従者としては及第点ですかな」

「レスター殿。彼らはそれ以上に、我らの精神を守ってくれています。失う訳にはいきませんよ」


 アルフォスが再び夜空に飛び立つのを見送り、壮年の『死霊レイス』がおおらかに笑う。

 クルッツェがその言葉に、真面目な顔で返している。


「あなた達は重なっても透けるだけではありませんか。どうして崇高な芸術に力を貸してはくれませんの?」


 それを聞きとがめて、ミスラが不満に頬を膨らませる。


「ですが、魂が摩耗して行く気が……」

「国の礎になる覚悟はありましたが、姫様の趣味に付きあわされるのは勘弁願いたい!」


 ミスラの言葉に、『死霊レイス』たちから抗議の声が上がっていた。


「あなたたちには無理強いしていないではありませんか……。わたくしをあまり虐めないでくださいまし」

「騙されませんからね!? 姫様が時折我らを見る目……。冥府に落ちるよりも恐ろしい……」


 ヨヨヨと泣き真似をしてみせても、『死霊レイス』の軍勢は怯んでくれない。

 長年傍に仕えてくれている者達だからか、主と言えどもその言葉に忌憚が無い。


わたくしは王族として、あなた達に感謝の念しか抱いておりませんのに……酷いですわ」


 泣き真似が通じずむくれながら、ミスラは再び丘の上から麓を見渡す。

 白い杭が、夜の闇に浮かび上がるように何本も等間隔で立ち並んでいた。


 アルム公国の国境線上に幾つも立ち並ぶ白い杭。あれは境界であり、墓標だった。

 アルム公国の墓標は全て国境に立っている。打ち込まれた白い杭には、この国の為に死んで行った人々の名前が掘られていた。

 以前にカクランティウスが九郎に言った『墓守』の言葉は、防衛を兼ねると同時に、この国の王が彼らを忘れてはならないと言う、戒めの言葉から成り立っていた。


 カクランティウスが不在の間、一度も戦争が起こらなかった訳では無かった。

 24年前に起こった小規模な戦争。第一王妃リスティアーナの雷で殆んど圧勝と言える戦いだったが、それでも犠牲が無かった訳でもなかった。小さくてもあれは戦争だったのだ。犠牲の出ない戦争など存在しない。


 第一王妃のリスティアーナの雷。それは大勢を纏めて攻撃する強力な魔法だが、それを最大限に生かすには、敵をある程度足止めしなくてはならない。

 その任を負ったのが彼らであった。


「人族であるにもかかわらず、尽くしてくれた貴方たちには感謝が耐えません。ですが、まだこれほどの人数がわたくしの声に応えてくれるのには、少々不安になって来ます。もうそろそろ命を巡らせても良いのですよ?」

「それに関しては、我らが勝手に残っているだけなので、お気になさらず」

「まだまだアルムは完全に平和とは言えませんからな! 折角『死霊レイス』となったのですから、もう少し国の為に働きとうございます」


 ミスラの言葉に、『死霊レイス』達から笑い声が起こる。 


死霊レイス』の軍団という異質さゆえに、アルフォスも気付いていなかったかもしれないが、彼らは皆人族であった。『魔族の国』、アルム公国が戦火に見舞われた時、先陣を務めたのが彼らであった。

 戦力と言う面では、明らかに魔族に劣る彼らが先方を志願した訳。それを想ってミスラは寂しげに目を伏せる。


 ――人族の我らを迎え入れてくれたアルムに恩義を返す日が今日なのです! 我らよりも頑強とは言え、『魔族』は余りに数が少ない。そして余りに数が増えにくい。今この国の魔族を減らすのは得策ではありません! その点、人族である我らは放っておいても直ぐに数が増えるでしょう。『魔族』の為に言っているのではありません! 我らはアルムの為に、礎となるのです! ――


 もともと少数であり長寿が理由か、『魔族』は子供を授かりにくい。『魔族の国』とは言え、アルム公国の『魔族』の数は、民衆の半分ほどでしかない。

 残りは奴隷であったり、虐げられていたり……人族の敵とされる『魔族の国』に逃げ込むしか無かった弱い立場の者達だった。


 だが彼らの国を想う執念は、未だにこの国を守り続けていた。


(目に見えて血が流れていないだけで、影で多くの血が流れ続けている……。我が国の大地は、今迄流れた血の中に建っている……存じておりますわ……お兄様……)


 ミスラは兄に言われた言葉を思い出し、泣きそうになるのを堪えるように唇を噛みしめる。


 魔族の中では、白の魔法に素養がある者は殆んど現れない。

 何故なら魔族にとって白の魔法は諸刃の剣。炎や氷など、自然を司るその他の魔法に対して、他の種族よりも高い抵抗力を持つ魔族にとって、一番の弱点とも言えるのが白の魔法だからだ。

 しかし『来訪者』の娘だからなのか、ミスラは白の魔法に驚くほどの素養があった。


 白の神、ソリストネは世の理、成り立ちを総べる神。魔族の国では殆んど知られていないが、その理を変える力も同時に持っていた。

 それは死者を使役したり、その死を歪めるといった世の理から外れる類の力。

 法を司るソリストネの眷属が法を曲げる力を持っていると言うのは、なんとも皮肉に聞こえてしまうが、「法とは人々の意に因って変化するもの」であることの証明とも言える。


 ミスラが白の魔法を治めてからしばらくして、彼女だけが見える人々を見かけるようになった。

 アルム公国の国境に立ち、ずっと外を睨んで立ち続ける無数の兵士。

 兄達は声も聞こえていない彼等の姿が見えていたからこそ、ミスラは『国の為に流れる血』というものをより強く感じていた。だからこそ彼女は多くの血が流れる『戦争』をより強く忌避していたとも言えた。


「今回も力をお借りします」


 ミスラは改めて肉体を持たない兵士に頭を下げる。

 王族ではあるが、ミスラを含めカクランティウスの子供達に「頭を下げる事は王族として恥ずべき事」と言った人族の王族、貴族の教育は施されていない。

 

「平和な国を作る為。我らはその為に散り、まだここに残っているのです。なに、陛下もお戻りになられましたし、そろそろお役御免となりましょうぞ」


 レスターと呼ばれていた壮年の騎士が、感慨深げに顎を撫でていた。好々爺のような言葉にミスラの胸がチクリと痛む。


(平和……。誰も傷つかない、誰も悲しまない世界というものは……やはり絵空事でしかないのでしょうか……)


 平和な世界と言うものを追いかけた母の意思を継いだミスラ。

 兄の言う通り、表面上平和な国となったアルム公国でも、「目に見えない戦争」によって血は流れ続けている。


(卑怯者の詭弁でしか無い事はわたくしも分かっているのです!)


 その流れる血を少しでも減らしたいが為に、既に死んでいる彼等に協力してもらっている。なのにミスラは言いようのない後ろめたさを感じていた。

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