私の夜は······。夜は、なにから始まるのだろう? そもそもどの時間から夜と呼ぶべきなのも曖昧だ。六月は日が落ちるのも遅くなってきていて、七時ごろにようやく空が暗くなり始める。なら七時から夜と言うべきだろうか。まあ、取り敢えずはそう言うことにしておこう。

 さて、昼に本屋さんで翔子と出会い、目的のラノベを購入した後コンビニに寄り道してお菓子を買ってから帰宅。つい先ほどまで、新刊の怒涛の展開に思わず一気読みしてしまっていた。気がつけばもう夜だ。

 つまり、私の夜は読書で始まったことになる。五時間の朗読会が現実味を帯びてきてしまった。


「流石に疲れたわね······」


 栞を挟んで傍に置き、寝転んでいたベッドから起き上がって目頭を抑える。身体中の関節至る所が凝り固まってしまっているのと、あとは目が疲れた。コンタクト外しちゃおうかしら。


「んっ······」


 凝った関節をほぐすために伸びをして、ポキポキと小気味いい音が鳴った。ちょっとお腹も空いてきたし、時間も丁度いい頃合いだろう。

 部屋を出て一階に降りリビングに入ると、予想通りいい匂いが鼻腔を刺激した。キッチンを覗けば、お母さんがコンロの前に立っていて、フライパンでお肉を焼いている。


「あら、もう読書はいいの?」

「キリのいいとこまで読めたし、ちょっと疲れたから。何か手伝う?」

「なら小梅を呼んできてくれる?」

「りょーかい」


 もう一度二階に上がり、私の部屋の隣にある小梅の部屋へ。コンコンコン、と三回ノックすると、中から「はいはーい」と声が聞こえた。


「小梅、もうご飯よ」

「あ、うん。すぐ行く」


 部屋の扉を開けると、小梅は椅子に座って本を読んでいた。なにを読んでいるのかと少し近づいて、それを見てちょっと反応に困った。


「そう言えば、あなたも買ってたわね······」

「えへへー。お姉ちゃんが表紙になってるんだから当たり前じゃん」

「別に私本人が表紙になってるわけじゃないわよ······」


 昨日の文化祭で小梅が購入した、我が文芸部の部誌『雪化粧』。表紙は桜の花になっていて、紅葉さんが私に気を使ってデザインしてくれたものだ。未だにその表紙を見ると少し恥ずかしいけれど。

 それでもやっぱり、私も文芸部の一因なんだと認めてくれたような、あそこに居てもいいんだと言ってくれているような気がして、少し嬉しい。


「三枝さん、だっけ? このエッセイ書いた人」

「三枝がどうかしたの? 間違っても本人に近づこうとか思っちゃダメよ。あれは結構バカで適当な男だから」

「違う違う」


 私の冗談をあははと笑って流す小梅。まあ、本当に私が三枝のことをそう評しているのだとしたら、紅葉さんとくっ付けようなんて考えはしないんだけど。


「あーでも、どんな人かはちょっと興味あるかも。お兄さんの親友なんでしょ?」

「親友と言うか悪友と言うか、って感じね」

「ふむふむ、尚更気になりますなぁ」


 どうして我が妹は、夏目が絡むことにこうまで興味を示すのだろうか。もしかして、私を揶揄うネタでも探してる? お姉ちゃん、そんな子に育てた覚えはないんだけど。

 と言うことをこの場で尋ねてみたのだが。


「なんでって? そりゃあたしがお兄さんのこと好きだからだけど?」

「すっ······⁉︎」

「ウブで可愛い反応してくれてるけど、お姉ちゃんと同じ意味の好きじゃなくて、いい人だよねーって意味の好きってことだからね」

「そ、そう······。って、別に私もそう言う意味で好きってわけじゃないからっ」

「はいはい、ツンデレ乙」

「いいから、早く下降りるわよ」


 呆れたようにため息を漏らしながら、部屋を出ようとすると。


「お姉ちゃんさ」

「なによ」

「お兄さんが好きなのは否定しないんだね」


 ガッ! と。扉のフレーム部分に足の小指を思いっきりぶつけた。


「っ〜〜〜!! 小梅っ!」

「あははは! ごめんなさ〜い!」


 楽しそうに笑いながら、小梅は軽やかな足取りで先に部屋を出て行った。我が妹ながら困った性格だ。まあ、そんなところも可愛いんだけど。


「別に、そんなんじゃないんだから······」


 自分以外に誰もいない部屋の中、誰に対してかも分からない言い訳じみた言葉を残して、リビングへと降りた。







 夕飯を食べ終わりお風呂にも入ると、残る時間は基本的にゲームへと費やされるのが、私の日常だ。

 今日は日曜と言えど、明日は文化祭の代休日。ある程度なら夜更かししてゲーム出来る。そうすると多分、明日は昼まで眠りこけることになるだろうけど。

 そう言えば、この前夏目の家に行った時。彼の家のテレビには、今現在私がプレイしているFPSゲームの画面が映されていた。あの時は昼食を作らないとダメだったからその話は出来なかったのだが、もしかして彼もこのゲームが好きなのだろうか。

 今度、一緒にやろうって誘ってみようかしら。


「あ」


 変なことを考えていたせいか、私の操る兵士が背後からナイフでグサリと一刺し。ニンジャ⁉︎ ニンジャ=ナンデ⁉︎ いつもなら足音で気づくのに······。


「はあ······」


 リスポーンすることなく、コントローラーを一度置く。自慢ではないけど、このゲームはかなり得意だ。スナイパーライフル片手に戦場を駆け巡り、目に入った敵をバッタバッタとなぎ倒す。最早ミスする方が珍しいくらいにやり込んでいるのに、こんな凡ミスをしてしまうのは集中出来ていない証拠。

 今日は素直にもう終わりにして、別のゲームをしようかしら。なんて考えながらゲームディスクを入れている棚に視線を移そうとすれば、傍に置いてあるスマホがピコピコ光っている。ソシャゲの通知かと思いつつも画面を覗き込むと、ラインの通知だった。

 しかも、夏目から。通話の。


「え······」


 な、なんで通話? チャットじゃダメなのかしら······。て言うか、夏目とのトーク履歴なんて殆ど真っ白なままで、なんならこの彼からの不在着信が初めてのラインだ。

 通知が来てたのは二十一時。現在時刻はそろそろ日付が変わろうとする頃。今から折り返しの電話掛けてもいいのかしら······。結構遅い時間だけど、明日も休みだし流石に起きてるわよね? いや、でも電話掛ける前にラインでどうしたのかとか聞いた方が──


「ひゃっ!」


 電話が、掛かってきた。

 掛けてきたのは夏目。しかも今度はラインの通話じゃなくて、普通に電話番号に掛けてきている。

 え、え、ちょっと、これどうしたらいいの? 取ればいいの? それとも無視? いえ、無視は流石にないわよね。多分ラインの方はもう既読ついちゃってるし。

 出る以外に選択肢はない、わよね······。

 一度深く深呼吸。意を決して、通話ボタンをタップした。


『もしもし、夏目だけど。白雪?』

「も、もしもし。あなたから電話掛けてくるなんて、どうかしたの?」


 電話口から聞こえてくる声は本人のものとは違う、なんてことを聞いたことがあるけど。私の耳に届いているのは紛れもなく、夏目智樹の声だ。

 舞い上がってしまっているのを自覚する。まさかこんな唐突に、彼と電話出来ることになるなんて。


『あー、今ちょっといいかな?』

「ええ、別に問題ないわ。どうせゲームしてただけだし」

『そっか、なら良かった。この前貸してくれたラノベ、読み終わったんだけどさ』

「あら、そうなの? どうだったかしら。一巻は結構前に発売されたものだから、まだ探り探りで典型的なラブコメって感じなんだけど」

『いや、結構面白かったぜ? ライトノベルってのに慣れてないからか、ツッコミどころもそれなりに見つかったけど』

「例えば?」

『例えば、ヒロインが着替えてるところに主人公が入って行ったりとか』

「ああ、最後の方のやつね」

『ノックもせずに入る主人公もだけど、鍵もかけずに部室で着替えるヒロインもどうかと思ったよ。更衣室かトイレ使え、ってね』

「女子に対してトイレで着替えろとか、最低なこと言うのね。軽蔑するわ。流すわよ」

『ライトノベルの話だろう。しかも更衣室とも言ったからな。て言うか、電話越しでもその冷たい声が分かっちゃうってどう言うことなんだ······』

「あなたの被害妄想でしょ」


 ああ、楽しい。彼とのやり取りは、いつも楽しくて、心が弾んでしまう。いつまでもこんな風にしていられたら、なんて思ってしまう程に。そんなこと、出来ないとは分かっているけど。

 でも、出来たら。電話越しなんかじゃなくて。


『取り敢えず、火曜日には返すよ』

「······いえ、明日返しなさい」


 直接会って、顔を見ながらがいいな。なんて、思ってしまって。

 電話の向こうからは「は?」なんて間の抜けた声が聞こえる。それもそうでしょうね。私だって、自分に対してそんな反応をしてあげたいもの。


『いや、明日は代休日だぜ? 家でゆっくり休ませてくれ』

「あなたの感想を聞いてると、私も久し振りに一巻を読みたくなったの。それの持ち主は私なんだから、あなたに拒否権なんてない。分かる?」

『横暴すぎる······』

「なにも予定がなくて無色透明なあなたの休日をこの美少女たる私が彩ってあげようって言ってるのよ? 寧ろ私は感謝されるべきだと思わない?」

『無茶苦茶な理論をありがとう。君が可愛いことは認めるけど、それで僕の休日に色がつくなんてのは思い上がりじゃないのか?』

「あら、違ったかしら?」

『······違わないけどさ』

「なら決まりね。適当な時間にそっち行くから」

『こっちってまさか······』

「あなたの家に決まってるでしょう。どうせまた部屋を汚くしてるだろうから、ついでに掃除もしてあげる」

『はあ······。分かったよ』

「決まりね。じゃあ、また明日」

『ん。また明日』


 やってしまった。

 つい、勢いに任せて。また彼の家に行くことになってしまった。通話が切れてホーム画面に戻ったスマホを見つめるも、それで決定してしまった明日の予定が変わるわけもなく。

 つきっぱなしになっていたゲームの電源を落とし、モニターを切る。メガネを外して、ベッドに飛び乗って枕に顔を埋めた。


「ふふっ、ふふふっ······」


 休日に彼と会える。つい一ヶ月前まではそんなこと、どうとも思っていなかったのに。今はこんなにも私の心を躍らせる。

 何時頃に行こうか。どんな服を着ようか。また昼食を作ってあげようか。嫌がらせついでに、カフェオレを大量に買って行ってやろうか。そんなことばかりが頭の中を巡っていて。


「楽しみだなぁ······」


 無意識に漏れ出た言葉は、口を押し当てている枕の中へと吸い込まれた。


 これが私の日曜日。優雅とは程遠いけど、それでも楽しくて、充実してて。一ヶ月前とはちょっとずつ変わっている、私の日常。

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