番外編 白雪桜の優雅な日曜日

 私の朝は、一杯のコーヒーから始まる。

 なんて、そんな優雅な朝を迎えるわけではない。もしかしたら学校の中には私にそんな幻想を抱いている人がいるかもしれないが、残念ながら日曜日の私、延いては休日の私と言うのは、漏れなくそんな幻想をぶち殺すほどに怠惰な人間なのだ。


「······ねむ」


 枕元に置いてあるスマホで時刻を確認してみると、午前八時過ぎ。少し早かったか。

 八時半から始まるニチアサの為に、日曜日だけは特別早起きしているけど、まだあと三十分も寝れるじゃない。なんだか損した気分。

 上半身を起こしてあくびと共に体を伸ばし、重い瞼を擦って無理矢理開く。ねむい。


「ふわぁ······。メガネメガネ······」


 裸眼だと殆どなにも見えない。部屋に置いてあるゲーミングモニターも、飾ってあるフィギュアも、直ぐそこに置いてある彼の写真すら。最早生活に支障をきたすレベルではあるが、メガネやコンタクトがあればまだマシになるので、特段困ることなんてない。

 まあ、メガネの度は全然合ってないんだけど。それはそれで良いこともあるから、特に気にしてはいない。


 ベッドから降りてもう一度体を伸ばし、乱れた寝巻きを整える。部屋に置いてある姿見の前に行けば、どうしても気になってしまう自分の貧相な胸。


「はぁ······」


 お母さんのことを考えると、私もこれ以上の成長を見越せないのが悲しい。

 いや、でも黒髪ロングで貧乳なヒロインって結構いるし、これはこれでありなのかもしれない。そもそも髪を伸ばし始めたのだって、ラノベのヒロインに憧れたからだし。

 でも、もし彼は大きい方が好きだったとしたら······。


「馬鹿馬鹿しいわね」


 ひとりごちて姿見から踵を返す。そもそも、ここであの男が頭の中に浮かぶのはどう言うことなのか。別に夏目は関係ない。絶対に関係ない。

 頭の中で何度もそう言い聞かせ、部屋を出て一階に降りる。

 リビングではすでに起きていた小梅がソファに座ってカフェオレを飲んでいた。


「あ、お姉ちゃんおはよ」

「おはよ」


 通っている中学指定のジャージを着ているから、今日も朝から陸上部の練習に向かうのだろう。ジャージ姿の小梅可愛い。写真撮っても許してくれるかしら。


「あら桜、もう起きてきたの?」

「おはようお母さん」

「おはよう。今日は早いわね」


 早いと言っても三十分だけなのだが。まあ、その三十分を睡眠に当てられたとかんがえたら、だけ、なんてことはないのだが。お陰様でまだ眠たい。


「なんか目覚めちゃった」

「ふふっ、昨日までの興奮が冷め止まないとか?」

「べ、別にそんなんじゃ······」


 昨日、私の通う蘆屋高校で文化祭二日目が開催されていた。

 開催前日の木曜日には一波乱あったし、一日目の演劇では思い出すだけで顔から火が出そうになるようなことをしてしまったし、二日目は素人の占い程度に心の中を荒らされたし。

 本当、色々とありすぎた文化祭だったけど、実際楽しかったのは事実だ。それに、ポーカーフェイスは得意だから、あの男には私の胸の内を悟られてはいないはず。


「それより、カフェオレ淹れてよ」

「はいはい。ちょっと待っててね」


 ふふっ、となんだか意味深な笑みを残して、お母さんはキッチンへ向かう。もういい歳なのだから、娘を揶揄って遊ぶのはやめて欲しい。

 ソファに腰を下ろす。隣では小梅が両手でチビチビとカフェオレを飲んでいる。小動物みたいで可愛い。抱き締めたい。


「またプリキュア?」

「そうだけど」

「その歳になってよく飽きないよね」

「この歳になったからこそ良さが分かるのよ」


 全く。小梅はなにも分かっていない。プリキュアのみならず、仮面ライダーや戦隊モノのストーリーに、どれ程の意味が込められているのかを。

 ただの子供向け番組と侮るなかれ。何故か突然リアルな社畜の心に突き刺さるストーリーになったり、少年漫画的王道展開に鳥肌を立たせたり、見れば見るほどその深さが分かってしまうのだ。

 私が小さい頃の仮面ライダーなんて、何故か昼ドラ展開になったり料理番組扱いされたりしているものもあったし。どうしてそんなものを日曜の朝に放送していたのか謎すぎる。多分乾巧ってやつの仕業ね。


「ま、お姉ちゃんがなにを見ようとお姉ちゃんの勝手だしね。あたしは別に文句言わないし今更どうとも思わないけど、お兄さんはどうだろうね」

「な、なんでそこで夏目が出てくるのよ」

「さーて、それはお姉ちゃんが一番よくわかってるんじゃないかな?」


 ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべ、小梅はカフェオレを飲み干し立ち上がった。多分、夏目を詰る時の私も似たような顔になっているのだろう。


「じゃ、あたし部活行くから」

「ちょっと小梅」

「いってきまーす」


 傍に置いてあったエナメルを肩に掛けて、小梅は部活に向かってしまった。妹の笑顔は大変可愛くてよろしいのだが、こうして姉である私を弄ぶのはあまり感心しない。帰ってきたらなにかしらの仕返しをしよう。

 それにしても、本当に。どうしてあの会話の流れで夏目が出てくるのか。

 まあ、もし仮に夏目にニチアサ視聴について文句を言われたとしても、彼をこっちの沼に引きずり下ろせばいい話だ。大丈夫、沼は浅いから。すぐ抜け出せるから。

 それに、私の読んでいるラノベに興味を示したあたり、彼にはオタクの素養があると見た。数週間後の夏休みをたっぷり使って、オタクの道に落とすとしよう。


「あら、小梅はもう行っちゃったの?」

「つい今さっきね」


 キッチンから出てきたお母さんが、ソファの前の小さなテーブルにコップを置いてくれる。

 ありがとうと一言断って、寝起きの一杯を喉に流し込んだ。美味しい。


「そう言えば桜、前に一度メガネ掛けたまま遊びに行ったことあったわよね」

「どうしたのいきなり?」


 確かに私は、以前紅葉さん達の後を尾ける時に、変装と称してメガネを掛けたまま出かけたことがある。

 普段は野暮ったくて嫌だから、あまり外では好んで使わないし、そもそも度が合ってないからコンタクトにしているんだけど。


「いえ、珍しいことだったから覚えてただけよ」

「ふーん」

「······夏目君、でしょ」

「ぶふっ!」


 ゴホゴホと咳き込む。飲んでいたカフェオレが気管に入ってむせてしまった。吹き出さなかっただけ偉い。良くやったわ私。

 しかしどうしてこの親子は、こうも直ぐに夏目を話に絡ませて来たがるのか。

 恨みがましい視線を隣に座った我が母親に向けるも、和かな笑みは崩れない。


「あらあら、図星かしら?」

「な、なにも言ってないじゃん······」

「そんなに顔真っ赤で言われても、説得力ないわよ?」

「······っ」


 まあ? 仮に? 万が一、億が一の可能性でそうだとして? それがなんだって話なのよ?

 メガネは変装に都合が良かったのは事実だし、ていうか実際それ以上の理由はないし。

 別にアニメ見ててメガネキャラ可愛いなーとか思ってちょっと夏目の反応が気になったからって掛けて行ったわけじゃないし。


「我が娘ながら可愛い反応するわねぇ」

「煩い。ほら、プリキュア始まるから静かにしてて」

「うふふ」


 気がつけばもう少しで八時半。しっしっとお母さんを手で追い払い、目の前のテレビに集中する。


「夏目君が相手なら、お母さん応援するからね」


 最後に余計な一言を残し、お母さんはリビングを出て行った。きっと未だ眠りこけているお父さんを起こしに行ったのだろう。

 そんなことを言われたからか、頭の中に彼のいろんな表情が思い浮かんでしまう。

 皮肉げな表情、真剣な横顔、コーヒーを飲んだ時の、ちょっと幼く見える顔。

 それと、昨日初めて見せた、彼の心底からの嬉しそうな笑み。

 それを見せられた時、そんな表情が出来ること自体に驚いてしまって。それから、胸の奥がキュッとなって。


「······夏目のバカ」


 ソファの上で蹲るように体育座りをして、ここにいない彼に向けて意味のない八つ当たりを一言。

 テレビはカラフルな衣装を纏った女の子達を映し出したけど、赤くさせられた頬は未だ元の色に戻りそうになかった。

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