第39話

 慣れた、と言うのは少し語弊があるだろうか。

 彼女への恋愛感情を自覚して、彼女にファーストキスを押し付けられて。そんなことがあった後、初めて二人きりと言う状況になってしまったわけだが。

 当初の、白雪の顔をまともに見ることも会話することも出来ない、みたいな惨状から少しはマシになっていた。でも相変わらず心臓は煩いし、彼女の一挙一動に目を奪われてしまうから、やっぱり慣れた訳ではないんだろう。

 さて、改めて言おう。二人きりである。

 別に、二人きりのこの状況を利用して、なんて考えは持っていない。白雪と二人きりになること自体、そう珍しいことでもないのだから。

 問題はそこではなく。

 この部室に僕たち二人しかいない、と言うのが問題なのだ。


「誰も来ないな······」

「そうね······」


 百冊全部売れるとはなんだったのか。

 文化祭二日目が開場されてから、既に一時間。その間誰もこの文芸部部室を訪れることはなく、白雪も持って来ていた文庫本を読み終わっていた。

 僕は元より暇つぶしの道具なんて持って来ていなかったので、心の整理に時間を使わせてもらったけど。


「なにか面白い話しなさいよ」

「振りが雑だな······。君の方こそ、なにかないのか?」

「じゃあひとつ」


 あるのかよ。意外だな。


「私って、白雪姫って仇名つけられてるじゃない?」

「実際は白雪姫とは正反対みたいな感じだけどね、君」

「そう、そこなのよ。私も自分の性格は自覚してるわ。だと言うのに周りは勝手にそんな仇名をつけて······」


 自覚しててそれなのか。

 差し詰め、勝手にそんな仇名をつけられたことに辟易としている、と言ったところだろうか。確かに白雪の性格を考えると、白雪姫どころか毒林檎そのものみたいな感じだし。

 しかし続く言葉は僕の予想とは全く違っていて。


「それって、白雪姫オルタみたいな感じでちょっとカッコよくないかしら?」

「僕は君の思考が理解できないよ······」


 そもそもオルタってなんだ。またぞろどこかのアニメなりなんなりのネタだろうか。


「『黒い白雪姫』とかなんか強そうじゃない」

「黒いのか白いのかどっちなんだ······」

「闇堕ちとかいいわよね」

「頼むから僕のわかる日本語で話してくれ」


 全力で暇を持て余した会話だった。心底どうでもいい。なんだよ黒い白雪姫って。一言で矛盾しないでくれよ。


「折角だから、あなたにはこの夏休みにオススメアニメのブルーレイ貸してあげるわ。男の子なんだからやっぱりバトルもの、ロボット系とかかしら」

「まあ、どうせ夏休みは暇だからいいんだけどさ」

「今から楽しみになって来たわね」


 心なしか、白雪の目が輝いているように見える。好きなものを人に勧めると言うのは、そこまで楽しいことなのだろうか。

 確かにその結果、その人がハマってくれて趣味を共有出来るようになったりしたら、まあ楽しいことではあるのかもしれない。それに、好きな子と趣味を共有できると言うのは、そこはかとなく甘美な響きがある。

 一応僕も楽しみにしておこう。


「お兄さーん!」


 と、ここで初めての来客だ。

 開放された部室の扉を元気よく潜ったのは、僕の隣に座っている白雪と髪型以外がとてもよく似た女の子。

 白雪桜の妹、白雪小梅ちゃんだ。


「やあ小梅ちゃん。久しぶりだね」

「はいっ、お久しぶりですお兄さん!」

「小梅、お母さんは?」

「さあ?」


 さあ、って。なんか薄情だな······。一緒に文化祭に来たのなら、ここにも一緒に来れば良かったのに。いやでも待て、楓さんが来たらまた変なことを言われて変な雰囲気になる可能性もあるから、来ないでくれた方がいいのかも。


「そんなことより! これ、一冊買います!」

「小梅はタダでいいんじゃない?」

「ダメに決まってるだろ。はい、一冊三百円ね」


 前にも思ったのだけど、白雪は些か小梅ちゃんに甘すぎないだろうか。なるほど、これが俗に言うシスコンとやらか。年の近い兄弟姉妹と言うのは、一人っ子の僕からすれば少し羨ましい。


「ありがとうございます! ······それにしてもお姉ちゃん」

「······?」


 ニヤニヤとした笑みを浮かべ、小梅ちゃんは白雪に視線を投げる。コテンと小首を傾げた白雪は、小梅ちゃんのその笑みの理由を知らないようで。

 しかし僕は同じ類の笑みを見たことがある。そう、井坂や三枝が僕たちの仲を揶揄ってくる時と同じ類のものだ。


「昨日は思い切ったことしてたねー」

「昨日······?」

「小梅あなたまさか······」

「お姉ちゃんのファーストキスの味はどうでしたか、お兄さん?」


 パチコーン☆ とウインクをかます様は可愛らしいのだが、一瞬にして顔を真っ赤に染め上げた僕と白雪は、その可愛さに魅了されている暇なんてなかった。


「み、見てたの⁉︎」

「学校サボって来ちゃった☆」

「おい受験生」

「まあまあ、あたしはどうせ陸上の推薦で受けますから。それより、どうだったんですお兄さん? お姉ちゃんとのファーストキスは」

「て言うか、どうして気づいたのよ······」

「だってお兄さんの様子があからさまにおかしかったし。昨日帰ってきた時のお姉ちゃんもずっとソファに寝転がって悶えながら唸ってたし。お母さんも気づいてると思うよ?」

「最悪······」


 それはこっちのセリフだ······。好きな子のファーストキスを意図せね形で奪ってしまったと思ったら、その家族にまで見られていたとか。恥ずかしすぎるだろ。ただの公開処刑じゃないか。


「まあ、気づいてるのはあたしとお母さんくらいだと思うけどねー」

「誰かに気づかれてた時点で人数なんて大差ないわよ······」


 白雪がここまで目に見えて落ち込むと言うのも珍しい気がするが、それを揶揄うだけの余裕が、残念ながら僕にもない。

 あれか、白雪家は長女をそっち方面の話題で揶揄わないといけないルールでもあるのか。

 しかしソファに寝転がって悶えたり唸ったりしてる白雪か······。ちょっと見てみたい気もする。


「それじゃ、あたしは他のとこ回ってくるね! お兄さん、お姉ちゃんと二人きりだからって、如何わしいことしたらダメですよ?」

「するわけないだろそんなこと······」


 ではではー、と笑顔で去って行く小梅ちゃんを見送り、残された僕と白雪の間には、またしても変な雰囲気が漂っていた。ただし、さっきまでとは違って、どこかいたたまれないような。


「控えめに言って死にたいんだけど······」

「まあ、ドンマイ······?」


 机に突っ伏した白雪。どうやらいじけてしまったらしい。そんな様子ですら可愛く見えるのだから、恋というのはかくも恐ろしいものだ。







 暫く経てば白雪も復活し、部室には疎らに人がやって来るようになっていた。それを捌いているとあのいたたまれないような雰囲気も霧散。現在12時過ぎだが、ようやく二十冊ほど売れたところだ。


「もうお昼か」

「ちょっとお腹空いてきたわね」

「何か買って来ようか?」

「別にいいわよ」


 いいことはないだろう。ただでさえ白雪は体の線が細いから、普段ちゃんと食べているのか心配になると言うのに。特に、文化祭と言うある種の非日常である今日は、自分で感じている以上に疲労していてもおかしくはない。

 ただ、普通に言ったところで素直に折れるようなやつではないことも知っている。


「君が良くても僕がダメなんだ。だから、自分の昼食を買いに行くついでに君のも買ってきてやろうかって親切心だよ」

「押しつけがましい善意ね」

「悪意じゃないだけマシだろう」


 なんて問答をしている間に、また部室に人がやって来た。誰もいない間に行こうと思っていたのに、これでは出て行きにくくなる。

 昼食はもう少し我慢だと言い聞かせ、「あら」と言う白雪の声が聞こえた。


「どうも、おつかれっす、智樹さん」

「······こんにちは」


 ブッスーっと仏頂面を浮かべた小泉と、そんな幼馴染を見て苦笑を浮かべながら挨拶してくれる樋山の後輩二人だ。

 小泉は何故既に不機嫌そうなんだ。


「なんだ二人とも、来てくれたのか」

「はい。さっき三枝先輩に会って、よかったらって」

「仕方なく! ですけどねっ!」


 不機嫌オーラを隠しもしない小さな後輩に、僕まで苦笑が漏れてしまう。何処かの誰かさんと似て、素直じゃない子だ。

 そしてその何処かの誰かさんこと白雪は、そんな小泉を一瞥して、フッとバカにしたような笑みを浮かべた後、ギリギリ聞こえるくらいの声でこう言った。


「ツンデレ乙」


 ······君がそれを言うのか。

 そしてそれを耳聡く聞き取ったのか、小泉は一転して笑顔を見せて、白雪へと詰め寄る。


「白雪先輩? 今、何か言いましたか?」

「あら、小さな体と比べて自意識だけは大きいようね」


 あははうふふと笑い合う女子二人が怖い。

 どうしてこの二人は会うたびに喧嘩するんだ······。どちらも直接的な暴力にまで及んでいないのはありがたいが、仲裁に入る僕たちの身にもなって欲しい。


「落ち着けよ白雪。ツンデレは君も一緒だろうが」

「何ですって?」

「なんでもないです」


 だから怖いから睨むなって。


「綾子も落ち着け。喧嘩しに来たわけじゃないんだから」

「そうだけど······」

「だったらもういいだろ。智樹さん、三枝先輩に聞いたんですけど、文化祭回ってないんですよね?」


 小泉を宥めた樋山が聞いてきた。確かに文化祭の目玉とも言える二日目である今日、僕たちは校内を回れていないし、その予定もない。それを樋山に伝えると、彼は鍛えられた胸板をドンっと叩く。


「じゃあ、店番は俺たちに任せてもらえませんか? 二人はその間に楽しんできてくださいよ」

「いいのか?」

「いいもなにも、最初からそのつもりで来たので······」


 拗ねたようにソッポを向いたままだったが、小泉もそう言ってくれる。やっぱり白雪の言う通り、ツンデレっぽい。


「ちょっと夏目、流石に部員じゃない二人に任せるのは······」

「いいじゃないか。別にこの二人なら部誌をどうこうすることもないだろうし、折角なんだから僕たちも文化祭を楽しもうぜ?」

「······なるほど、そう言うことね」


 どうやら、僕の意図を正確に把握してくれたらしい。相変わらず察しが良くて助かる。

 言葉の上では殆どやり取りがなかったからか、後輩二人は怪訝そうな顔を浮かべているけど。


「でも、タダでしてもらうってのは気が引けるな······。ブラックコーヒーでも奢ろうか?」

「遠慮しときます」

「絶対にいりません」


 即答だった。そこには確固たる意志が感じられる。何故だ。


「みんながみんな、あなたみたいにあの苦いコーヒーを好きだと思わないことよ」

「美味しいのに······」


 露骨に肩を落としてしまう。なにがダメなのか。

 しかし、ふむ、コーヒーがダメだとしたらどうしようか。残念ながら僕は、この二人になにかしてあげられるほどのものを持っているわけでもないし。


「そうだ、ならこうしなさいよ。夏目と一打席勝負する権利をあげる、みたいな」

「え」

「夏目先輩、野球やってくれるんですか⁉︎」


 まさかの提案に一番食いついたのは小泉だった。まあ、事あるごとに野球部に戻れと食ってかかって来ていた小泉だ。その反応も当然だろう。

 そして一方の樋山はと言うと、こちらは目に見えてと言うわけではないが、静かにテンションを上げているようだった。


「いいですね、それにしましょう。智樹さんと一打席勝負。乗りました」

「ちょっと待て、勝手に決めるなよ」


 そもそも、今の僕と樋山が勝負したところで、僕が負けるのは目に見えている。全盛期の頃のように140キロの球を投げられるわけでもないし、変化球なんて使えるかどうかも分からないのに。


「決まりね。じゃあ店番は頼んだわ。行くわよ夏目」

「だから勝手に決めるなって······」


 やったー! と大袈裟に喜ぶ小泉の声を背に受けながら、僕は白雪に手を引かれて部室を出る。確かに店番は任せても問題ないとは言ったけど。

 腹を決めるしか、ないか。


「覚悟はできた?」

「別に、覚悟するほどのことでもないさ。それより、どうして僕が野球出来るようになったって分かったんだ?」

「見てれば分かるわよ。演劇をしてる時のあなた、あの時と同じ目をしていたもの」


 白雪桜が恋した夏目智樹と、同じ目を。

 何故だろうか、少しムッとしてしまう。過去の自分に嫉妬だなんて、まさかそんな情けないことをしてしまうとは。


「やるんなら勝ちなさいよ」

「当たり前だ。勝負に負けるつもりで挑むわけがないだろう」


 勝ちの目は殆ど見えていないけれど。それでも今の僕は、勝つために努力することを取り戻した。

 努力の末に負けてしまったっていい。きっと白雪が、僕の努力を拾い上げてくれる。無駄にしないでくれる。


「さて、と。早速行くか」

「そうね。多分そろそろ合流してる頃じゃないかしら」


 野球の話は後でいい。

 待ってろよ親友。君の勇姿を見届けに、今向かってやるよ。


「ところで、いつまで手を繋いでるつもりなんだ? また変な噂が立つぜ」

「······それもそうね」


 やめろそんな赤い顔でちょっと名残惜しそうに手を離すな。可愛いなちくしょう。

 こんな調子では、三枝の勇姿を見届ける前に僕が参ってしまいそうだ。

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